学習支援学@考[03]

学習支援学@考[02]のつづき。「≪官学の系譜≫に対して違うシステムを≪私学の系譜≫としてみよう。両者の系譜の違いは何だろうか?」についてだが、大学進学実績や偏差値という指標にこだわらないようにしたいという表現は、おそらく両系譜で使われている。

☆しかし、その表現の文脈が違うのである。≪官学の系譜≫である大学進学実績にこだわるな偏差値偏重反対という文脈は、東大を頂点とする知の鎖国化の中で、教育や職業の自由と平等があるのだから、どんな進路を選択しても差別化してはいけないという主張。

☆残念ながらこの鎖国ないの役割分担はピラミッド型の序列がついているというのが現実。この現実直視を回避するかのごとく大学進学実績や偏差値偏重反対と言っている。たしかに、今となっては、これらはこの鎖国化状態を強化する武器になっている。しかし、いずれにしても優勝劣敗システム自体は変わらず、この抑圧の中で排除された人間を救えないのが現状だろう。

☆枠の中で精神の病に侵されるか、鎖国から離脱するか・・・。どちらも死の病と犯罪への可能性がある。実際今日頻繁に起こっている。心理カウンセラーの辛いところは、この知の鎖国の中で枠組みの見直しができないままカウンセリングを行うのだから、クライアントにとっては対処療法に過ぎないし、そのような行為は、枠組み強化につながってしまう。

☆これに対し、≪私学の系譜≫で、大学進学実績や偏差値にこだわるなと言ったとき、東大を頂点とする知のシステムもone of themに過ぎないという広い視野に立った文脈で言ってるのである。だから東大知のシステムから自ら離脱することはストレスではない。生きにくいことは生きにくい。世界のどこに東大知とは異なるシステムがあるのかというと、科学の時代にそれはなかなかない。ただ、選択の自由があるシステムは海外にはたくさんある。

☆大きな物語や根本的な価値づくりは喪失しているということは、選択の自由の機能不全が起こっているという文脈をつなぐ必要がある。規制緩和の問題は、ルールの改革はもちろんだが、選択判断ができるようにするという考え方を前面に出すよということなのだ。しかし、そこは民主主義日本においては当たり前ということにして、小手先のルールの改変に終始する。これは基準をチェックしないよということでもある。だから、教師や会社をマネジメントするお役所の基準がぶれ、不祥事が噴出する。

☆これが≪官学の系譜≫のリスクだ。そのリスク回避のために官的発想は何をするか、「管理の不足」だったのだから、そこを充足すればよいとルールで縫合するだけだ。

☆大きな物語や根本的価値づくりが喪失しているのは≪官学の系譜≫のお話で、≪私学の系譜≫はむしろ大きな物語や根本的価値の見直しを毎日のようにやっている。だからといって、何も事件が起きないのかというと、そんなことはない。ただ、その問題は、私的発想では、「価値の喪失」という考え方に立つ。「価値」とはコミュニケーションの基準である。ディスコミュニケーションは「価値の喪失」から生まれる。だから「根本的価値」にこだわる。大学進学進学実績や偏差値が仮に低かったとしよう。それは「価値の喪失」とは何らかかわりのないことである。

☆学力低下は、「管理の不足」なのか「価値の喪失」なのか。≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫のどちらの立地に住まうかによって、見え方が違うのである。

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学習支援学@考[02]

学習支援学@考[01]のつづき。「1)私立学校を見直そう。通信制高校や他の全日制学校ではない教育機関に対する認識を高めよう。」とはどういうことか。≪官学の系譜≫とは違う系譜があることを認識しようということである。

☆≪官学の系譜≫とは基本的には優勝劣敗の枠組み。官学というのは、公平性や平等性が基本であるように思われているが、それは税金の使いみちの話であって、学習指導要領や生徒とのコミュニケーションにおいては、公平性や平等性を実現できない。

☆そのことに気づかなければならないが、公立学校のシステムだけを見ていたのでは、そのシステムのチェックができない。OECD/PISAがなければ、フィンランドの公立学校の良質システムについて、フィンランド市民や教師も気づかなかっただろう。

☆同様に日本の教育システムの欠点について日本人も気づかなかっただろう。しかし、公立の教育のシステムとは違うシステム、あるいはその欠点を補完するシステムが存在しているのであれば、両システムの差異を認識することは重要である。

☆さて、乱暴な分け方であるが、≪官学の系譜≫に対して違うシステムを≪私学の系譜≫としてみよう。両者の系譜の違いは何だろうか?

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09年中学入試に向けて[14]中村中 内生的成長期に入る

08 ☆今年も8月23日(土)・24(日)の2日間、東京国際フォーラムにおいて「2008 東京都私立学校展(進学相談会)」が開催されます。東京の私立小学校、私立中学校、私立高校が一堂に会して「ゆるやかな理念共同体」としての≪私学の系譜≫の存在意義をアピールする大きなイベントです。同時にその私学どうしの協力をベースに各私学が独自の建学の精神に基づいて作り上げている教育の質について受験生と保護者と対話する機会でもあります。

☆98年・99年、首都圏の中学受験率は13%を下回りました。それまで順風満帆に受験率は上がっていたのですが、ついに少子高齢化、経済の空白、産業構造の転換、グローバリゼーションなどが相まって、日本経済の低迷は私学にもダメージを与えました。

☆そのとき私学は、「ゆるやかな共同体」をつくり、私学の倫理的な市場を確保・維持・拡大するために、多彩な合同説明会を開催しました。その中で最もコンセプトが明快で、大規模なイベントが、この私学展です。

☆その努力は実り、2001年から東京の私立中学受験率は20%を超え始めました。いよいよ私学のマーケットの質を飛躍させるときがきました。グローバリゼーションの中で、教育の諸問題を解決するフロントランナーは、残念ながら私立学校以外にないのです。

☆しかしながら、この合同説明会を実施するには、想像を絶する労力とコストがかかります。いうまでもなくこの担い手は学校の教員以外に誰も実働する人材はいないのです。9月以降は、大規模な私学展以外に、毎月、毎週のように合同説明会と学校独自の学校説明会が開催されます。

☆私学マーケットを維持するには、PRは必要ですが、企業と違い販促する目的ではないので、それは教員にとって負担にならないかというとそれは嘘になります。この負担を、生徒のためにもっと使えたらと思うのが教師の魂だし、在校生や保護者の望みでもありましょう。

☆どうやら、各合同説明会の量から質へのシフトの本格的流れが来年には主流になるでしょう。現状でも、合同説明会の明快なビジョン、合同説明会の回数の調整、合同説明会の資料の質の向上などが私学間で議論されています。

Photo ☆そんな中で中村中は、また先駆的な決断をしたようです。外発的な成長から内生的成長戦略を打ち立てたようです。その戦略とは具体的にどのようなものなのでしょうか。秋以降の中村中の梅沢教頭率いる広報部隊の動きに注目していきたいと思います。

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09年中学入試に向けて[13]大学の新設附属・係属校の意味するコト

☆読売ウイークリー(2008.7.27号)で、特集記事「早稲田の逆襲 慶応を抜き返せ!!」が掲載されていました。まあまあ思いは伝わってきましたが、相変わらず東京大学を頂点とする知の鎖国内でのお話でしたね。

☆どうせお金をかけるなら、ロンドンやベルリン、ストラスブールなどあちこちに寮を賃貸し、そこから海外の大学に研修研究でもさせればよいのではないでしょうか。ヨーロッパ大陸なら、教会や修道院が廃墟になっているところがあるから、安く借りられるのでは?

☆海外の大学の単位を取ろうとか、海外の大学の卒業を目的とするから話が難しくなるんですね。あくまでリゾート気分でひたすら洋書を読み、ひたすらヨーロッパ諸国を歩き回り、もちろん外国語を駆使しながら、それで論文提出をして、自分の大学の単位取得が可能なシステムを作ればよいのではないでしょうか。

☆ポスドク問題解決のために、海外の分校の研究者として雇い、日本の大学と同じように学生が研究できるようにしておく。最終的なチェックは、インターネットでサイバー上でやればよい。学びの環境が変わるだけで、ずいぶん大学の雰囲気は変わるはずです。

☆学生の費用は?それは現地の情報を収集し、帰国後出版。販売促進のためにセミナーをやればよい。それに、教授の本に事例ケースとして掲載すれば、授業に使うテキストとして売れるのではないでしょうか。それにたまには現地ガイドをやれば?日本の企業のアルバイトなら大丈夫では?

☆さて、そんな大胆な―でも小沢征爾さんが海外に渡ったときに比べれば、過保護な―システムも学生がやる気がなければ、継続しないですね。たんにやる気があるだけでもだめですね。世界の問題や芸術的使命に燃えていなくてはなりません。

☆これは、見識、教養が必要で、幼児期からリベラルアーツな雰囲気の中で育つ必要があります。受験勉強で、見識や教養なんて関係ないでやってきて、大学になってからやろうと思ってもなかなか。最近は幼児期から受験勉強以上の「脳」力である地アタマを鍛えるには、やはり早い方がよいということになっていますね。もちろん、早期英才教育とは全く違います。

☆7歳まではじっくり仲間づくりをしながら多くの体験をする。8歳9歳では、その体験を経験値にジャンプできるように横断知を鍛えます。熟練と尊重の育成期です。10歳からは多くの経験値を統合する時期です。それには論理と批判を学ぶ必要がありますね。こうして多重知能が中学段階で養われれば、高校からは自分の社会への使命である倫理観をベースにグローバルなキャリアデザインをするでしょう。

☆このような意欲がベースにあって、大学に行けば、海外というフィールドで学びたいというモチベーションが内燃し続けます。

☆早稲田大学は、佐賀に、大阪に、そして東京に係属校や附属校を開校する予定です。今年150周年を迎えた慶応大学も、記念事業の一環として、横浜市青葉区に小中一貫校を新設する予定です。中央大学も、東京と神奈川に附属・係属校を開設予定。青山学院大学も、相模原キャンパスに附属中高一貫校開設を見据えていると言われています。これらは2009年から2013年ぐらいまでに完了するでしょう。

☆まだ中等教育段階の新設が多いのですが、早稲田実業や新設の慶応の小中一貫校のように、今後小学校から附属を開設するところが増えるのは火を見るより明らかです。

☆そして、2013年入試から聖心女学院は中学の募集を停止しますが、多くのカトリックの学校はこのような動きが可能です。つまり、完全中高一貫校入試だけではなく、完全小中高一貫校入試が増えてくるということですね。

☆品川区のように、公立でも小中一貫校までは増えてくるでしょう。そうなると、学習指導要領は変わらざるを得ないですね。今のような断片学習では、子どもたちの発達成長段階とのマッチングがうまくいかないからです。

☆OECDのCERIでは、総括的アセスメント(今までのスコアによる成績表を思い浮かべればよいでしょう)を包括する形成的アセスメントの研究が進んでいます。現状の学習指導要領が変わらなければ、形成的アセスメントがうまく適合しないので、またまた日本の教育改革は知の鎖国状態に陥ります。

*総括的アセスメントと形成的アセスメントは対比される場合が多いのですが、前者は後者に包摂されるというのが、CERIの考え方ですね。ここが新しいところかもしれません。

☆結局、国や政府には任せておけないので、私立学校が動くしかないわけですね。もちろん経営の論理で動いてもいますが、利益収奪市場の原理ではなく、倫理的市場の原理で動いていると考えたいものです・・・。

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The 授業リンク@考[04]教育の壁をいかにして超えるか ③

Photo ☆第2回「Ths授業リンク」の会(2008年7月3日)で行われた池末先生の授業について、国際教育研究家の岡部憲治さん(写真:白梅学園清修の特別授業で)の丁寧な分析がたいへん参考になります。OECD/PISAの世界標準のモノサシをあてているので、池末先生の今回の授業方法によって、生徒がどういう思考を、どこまでするのか、一つの仮説を立てられます。

☆授業方法のメインであった「カードゲーム」自体は、岡部さんの言うように、PISAの読解リテラシーでいう3つのプロセス「情報の確認」・「テキストの解釈」・「熟考・評価」のうち、「情報の確認」・「テキストの解釈」が中心だったと思います。

☆そして、生徒たちはどこまで考えるのかというと、岡部さんはあえて、述べていませんが、レベル3までです。カードゲームは回答がきちんとでるようになっているからです。しかし、池末先生は授業の中でこの「カードゲーム」をやって終わりにはしないでしょう。

☆岡部さんは、こう述べています。

地球規模の自然現象を身近なものにおきかえて再現・説明するようなテレビ番組や本はけっこうある。が、社会の状態を捉えて身近なものに置きかえ体感させようというのは意外と少ない。そういう意味ではとても効果的な手法だ。

☆「カードゲーム」におけるルールが違うとコミュニケーションができないという体感が、異文化理解や国際社会での合意形成のモデルを再現・説明する置き換えモデルあるいはレトリックだったんだという気づきを生徒たちに議論させたとしたらどうでしょう。

Photo_2 ☆思考のプロセスは、「熟考・評価」にまで広がるし、レベルは5にも6にも深まりますね。ここまで来ると、池末先生ご自身も、私も同じように意識している東浩紀さんの「動物化するポストモダン」や平野啓一郎さんの「決壊」が共有する人間の問題と「カードゲーム」が結びつきます。

☆ハワード・ガードナー教授の「5つの精神」という物語・価値観を喪失してしまった人間の問題性ですね。ルールの背景にあるものです。「カードゲーム」ではルールの違いに気づくだけではなく、ルールの合意形成を一瞬ですがするシーンがあります。スーッと過ぎてしまうので、気づきにくいのですが、その合意形成はいかにして可能なのか?

☆このとき、合意形成の暴力的な方法に紛争・戦争が出てくることがあります。今回の「カードゲーム」には、3つのプロセスとレベル6まで考える可能性を含んだ仕掛けがあるわけです。時間が短かったので、2つのプロセスとレベル3までしか十分には体験できなかったわけですが、プロセスの広がりと、レベルの深まりの端子はきちんとセットされていたと思います。

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世界を変える学校[40]白梅学園清修の夏

☆今年も夏がやってきました。学校は夏休みに入ります。海に山に海外にグランドに行って、真っ黒になる季節ですね。白い歯の輝きが最高の季節です。

☆しかし、その一方でそれぞれの私立学校では、講習や補習も花盛りになります。教師も生徒も身体だけでなく脳みそも汗かく季節なわけです。

☆白梅学園清修の数学科教諭戸塚丈夫先生から夏のメールが届きました。その一部をご紹介しましょう。

・・・さて、清修では来週から夏休みに入ります。来週1週間については、フォロー学習期間として中1、中3(中2は渡英中のため)は任意参加も指名参加も含めて,午前中は各自で課題に取り組む期間となります。その中で、中3は前半(7月)及び後半(8月)の合計10日間のフォロー学習期間に夏期講習を組んで実施します。英数国で講座を組みました。その中で私の講座の一つに「東大・医系数学」があります。これは,平時に行っている放課後の「東大・医系数学」と連動している内容ですが、夏期講習としてテキストを作成しました。テキストは、講義パートと添削パートの2種類を作り、ごく自然に数学的思考力を連動して習得し、問題に対応していけるものになったと思います。問題も意欲アップに繋げることも考え、有名大学の入試問題を中心にセレクトしてあります。・・・

☆戸塚先生らしい数学の講座ですね。未知との遭遇時に、どうやって解決するか自ら思考をフル回転させ、何がわからないから先に進めないかという体験から始まるわけです。モチベーションとは、できたという気持ちの連続だという考え方もあります。もちろんだからテキストの構成は講義と添削のパートにわかれているのでしょう。

☆しかし、自分の知っているあるいは体験してきことをフルに生かして、未知の問題を解決しようというタフなチャレンジ精神こそが、内面から燃える消えることのないモチベーションなんですね。もっとも私立中高一貫校だからできる羨ましいカリキュラムづくりです。高校からでは、効率のよい大学受験勉強しかできないでしょうからね。

☆ところで、中2はイギリスにいるっていうわけで、知と経験の二重らせん構造のカリキュラム・デザインが教育活動の中でやっと見えるようになったのですね。1回生・2回生・3回生が勢ぞろいしたところで、生徒や保護者自身も、白梅学園清修のダイナミックな教育の躍動を実感できるようになったと思います。

☆白梅学園清修の夏。イギリス体験も講習も、身体と脳をフル回転させればさせるほど、きっと忘れられない思い出づくりになるでしょう。そしてその清修物語の蓄積が生徒たちの生きるエネルギーになるわけです。

☆それにしても柴田副校長の活躍ぶりはすごいですね。アジア遠征OECD遠征。小さな白梅の大きな動き。楽しみです。

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学習支援学@考[01]

☆今の子どもたちの環境は、劣悪であるなどという議論はまったく無責任だ。そういう環境にしたとしたらその責任は私たちも含め、先人達の責任であろう。今の子どもたちは自分の利益と興味しか感じなくなったという議論も同様だ。

☆劣悪になったかどうかという判断よりも、環境や基本的な感じ方・考え方が変わったのである。にもかかわらず、学びの方法論が学校教育で変わらない。そこが問題なのである。子どもたちがズレているのではなく、学校教育がズレているのである。子どもたちの欲していることを察知して、そこをきっかけに学びを展開していく。そういうことができるから私立学校は選ばれ、不登校やいじめに悩む子どもたちはフリースクールや通信制高校を選択する。

☆しかし、90%の子どもたちは、「わかりやすい」学び戦略によって、そのズレに気付かないようにされている。学力低下という危機感扇動型抑圧に耐えることこそ「優勝劣敗」レースでサバイバルできることだという共同幻想の中につかっている。

☆私たちは共謀共同強育を行ってきた。自らを変えなくては・・・。このままだと、自分たちも含めてゆでガエルだ。そうならないために、

1)私立学校を見直そう。通信制高校や他の全日制学校ではない教育機関に対する認識を高めよう。

2)受験市場以外にも教育全般に貢献しようとしている心ある教育関連企業の動向に注目しよう。

3)教育関連雑誌や新聞で、受験教育以外の学びの情報を大量に流そう。もちろんウェブサイトやブログでも。

4)レベル1からレベル6に積み上げていく学習ソフトではなく、レベル6から始まって、レベル1から再び出発し直すサーキット型学習ソフトを創ろう。

5)あらゆる産業、分野で学びのリーダーを育成しよう。学びのリーダーは常にインターフェースで学びの機会をつかむ。

6)学びのリーダーは連続文脈と非連続文脈を組み立てられ、広げられられる学習理論の熟練研修を受講する。数学的概念がポイントになる。

7)学びのリーダーは、子どもたちのロールモデルになろう。現実の中に価値を見出し、組み立て、矛盾に対するネガティブファンタジーを撃破していくロールモデルを。

8)自分という世界が変われば社会という世界も自然という世界も変わる。社会という世界が変われば自分という世界も自然という世界も変わる。自然という世界が変われば自分という世界も社会という世界も変わる。変わることと決壊することの倫理的差異を探究しよう。

☆などと呼びかけ風に箇条書きにしたが、例によって、この順番には従わずに、思いつくまま書いていこうと思う。

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私学の経済ポジショニング[14]私学のクオリティマーケット作りのために

☆最近、教育ジャーナリストや教育関係者と話をしていて、改めて確認することは、私立学校というのは、日本の教育学の研究対象になることは極めてまれだなという点である。

☆それゆえ、私立学校と公立学校の差異が、補助金の違い、生徒募集の方法論の違い、カリキュラムの違い、大学進学実績の違い、OBの活躍の違い、教育理念の独自性有無の違いなどなど、事実の差異としか語られない。つまりあまりにジャーナリスティックなのだ。いや物が売れればよいという「考えない営業」の理屈だ。「難しいことはいいよ、売れりゃいいんだ」というだみ声が聞こえてくる・・・。

☆それゆえ、私立学校のことについて表現するとき、「わかりやすく」語らなければなどという、誰が決めたかわからない呪文を唱える営業マンが多い。もちろん「考える営業マン」も入る。起業マンと呼んだ方がよいだろうが。

☆ともあれ、私立学校の生徒について、あるいは生徒と教師の関係について、心理学の角度から研究されているものは多いが、私立学校全体について、社会学的あるいは哲学的あるいは政治経済的に探究する研究者はあまりに稀である。

☆「わかりやすく」という呪文が、このような探究の壁になっている。「わかりやすく」とは日常言語でということだから、一つひとつの言葉が持つ分厚い構造(連続型文脈及び非連続型文脈)については無視される。だから、顧客満足と生徒・保護者満足は同じことを意味し、その差異がわからなくなる。

☆言葉の豊かさとは、知識の数ではない。まど・みちおさんや谷川俊太郎さん、工藤直子さんのひらがな詩を読んで、言葉の豊かさを感じない人はいないだろう。決して言葉の知識の量ではない。見方を変える言葉、新しい発見をする言葉、感動を生み出す言葉、概念を生み出す言葉であることが豊かだということだろう。

☆私立学校そのものについて、いろいろな分野や領域の言葉で語られるようにならないと実は私立学校の市場は、クオリティマーケットにならない。私立学校の市場と受験市場の差異がわからなくなっているのが現状だ。本来は、私立学校の市場>受験市場だろう。それが逆転しているとしたらどうだろう。

☆塾・予備校、マスコミの「わかりやすく」戦略は、私立学校の言論・思想・表現の自由を制限しているのである。アニメの世界から哲学の世界まで、広く深く私立学校について語られるようにならない限り、私立学校の教育が世界を変えることは難しい。クオリティ・マーケット作りこそ私立学校の未来の使命の一つである。

☆そしてここに到って公立学校との決定的違いが見えてくる。公立学校において、そもそもマーケットは存在しない。マーケットが存在していないところに平和は育たない。平和という言葉を「わかりやすく」教えることは行われている。だが、どこの世界に平和が「わかりやすい」などということがあるのだろうか。

☆「わかりやすく」戦略は、人々が自分の利益と興味のあるもの以外は平気で無視することができるように囲いの中で管理するのが目的である。東浩紀氏の言う「動物化された」(日本の場合は家畜化されたという方が当たっているのか?・・・)人間とは、言いえて妙であるなぁ。

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私学の経済ポジショニング[13] 東京私立男子中学校フェア研修会に参加して[02]

私学の経済ポジショニング[12] 東京私立男子中学校フェア研修会に参加して[01]のつづき。前回述べたように、テーマは「私立男子中高一貫校は、何を変えるのか?」にした。うまく話せたかどうかはわからないが、結論としては東浩紀氏の警鐘を鳴らしている「動物化したポストモダン」な人間を生み出している≪官学の系譜≫に対し、≪私学の系譜≫に立ち戻り、官僚近代化路線を、明治のときにすでに私学人が理想としていたもう一つの近代化路線社会に軌道修正をするような教育の実践こそ、男子校の使命ではないかと語ったつもりである。

☆会終了後、日本学園中学校の谷口先生から「私学人の理想あるいは生徒が拠って立つ背景や基準は、具体的には何か思い描いていますか」と問いかけられた。「それは各学校によってそれぞれ建学の精神があって、一つではないので、あえてそこは触れなかったんです」と答えたが、日本学園こそ横山大観、永井荷風、岩波茂雄といった官僚近代化路線とは違う、大きな知性を創造したOBがいる。

☆むしろそれについてお聞きするべきだったと、相変わらず浅薄で狭隘な自分に落ち込まざるを得ない。スピーチをするといつも枕が長くなって、用意していたレジュメの項目について話しきれない。今回も§1まで。本ブログで補足してみたいが、いつものごとく中途半端になるかもしれない。ご容赦を。まずはレジュメの項目を掲載。

§0)時代認識断片

○私学の危機(98年・99年首都圏受験率13%下回る)→08年20%超える
○技術者に求められるものの変化 byものづくり白書(08)経済産業省
○自動車保有率79,236,095台(06年)から79,080,762台(07年)by国土交通省
○女性の社会進出遅速・男性の圧力依然強い by「19年度男女共同参画白書」内閣府
○職場のいじめに関する相談前年対比で約6000件(27%)増(07)by厚生労働省
○08年大学入試の国公立大学前期日程工学部志願状況昨対比3.8%増(河合塾調べ)
○「課題先進国」日本~キャッチアップからフロントランナーへ 小宮山宏(中央公論新社08)
○「動物化するポストモダン~オタクから見た日本社会」 東浩紀(講談社現代新書01)
○「不可能性の時代」大澤真幸(岩波新書08)
○塾・予備校、教育事業企業の再編&統合の動き

§1)男子校の生徒の問題性

[問題提起]男子校の生徒の実態とは真逆の現代社会
「来るべき社会では、各人がばらばらの考えをもち、自分のまわりの局所的な利害にしか関心を向けていなくても、情報の集積がネットワークを介して全体の秩序を生み出していく。そこには抑圧も強制もない。人々は、高度な情報環境の支援を受けてたがいに緊密に協力している。あるいはさせられているが、そのことには気がついていない。それは確かにユートピアのように響く。しかし、筆者は、その状態こそが、巧みな「管理された環境」だと考える。そこで賞揚されている創発的な秩序の原理は、民主主義の蓄積よりも、むしろ統計学やゲーム理論にもとづいている。」(東浩紀「中央公論」2003年10月号)

○女子校の生徒の問題性との差異
○新しいリーダーの領域 クリエイティブ・クラス(3T)

§2) 問題性の解決のために

○ 男子校は≪私学の系譜≫に立ち戻る→改革型リーダーを輩出(女子校とは違う)
○ クオリティ・コミュニケーション(QC)に基づく授業
○ QCに基づく授業→入試問題の変化→中学受験マーケットの質の担保

§3) 社会の変化のための「教育と経営の関係」そして人間像

○教育の倫理と論理→新しい精神の原型
○経営の倫理と論理→新しい市場の原型
○5つのM ハワード・ガードナーの「5つのマインド」による
  ≪熟練・統合・創造・尊重・倫理≫
→男子校の生徒は、世界の子どもたちのロールモデル。

○広報の倫理と論理→新しい表現の原型

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私学の経済ポジショニング[12] 東京私立男子中学校フェア研修会に参加して[01]

☆2008年6月7日、新宿で23校の男子校が集結して「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」を開催したが、その振り返りと来年の活動についてミーティングが先日あった。その中で私もスピーチするチャンスをいただいた。

☆このコミュニティを支えてきた人物は、攻玉社の教頭を経て本郷中の校長として活躍された高橋先生。2005年5月12日、大井町きゅりあん(品川区民会館)で、東京の私立中高一貫校15校が協働開催した私立中学合同説明会「夢限大」で、高橋校長は講演をされていた。そのときの様子を私もこう書いている。(参照→21世紀に広げよう、私立中高一貫教育「夢限大」

高橋校長先生は、社会性と社会力の差異に注目した。社会性は、社会に順応することである。社会に順応するというのは、実は個人主義的な側面でもあるだろう。一方社会力とは、社会を変える力だという。社会性は、その社会システムの信頼性や正当性に対する批判をすることなく順応することも可能だが、今のように社会システムが明らかに正当性や妥当性を有していない事態に対し、どのように社会を変えていくかその力をつけることこそが私学教育の肝だと主張されたと私は理解した。・・・ しかし、それはある意味孤高であろう。社会を変えるタフな人材作りを本気に考える現場の先生はどのくらいいるのだろうか。もしかしたらそういう危機意識を(高橋校長は)吐露されたのかもしれない。いずれにしてもこればかりは、強いリーダーシップが必要である。高橋校長先生のおっしゃる私学の心の教育は、他者の気持や状況を思いやるイメージネーションを豊かにすると同時に、社会を変える発想と論理を備えたタフで機敏な頭脳を鍛えるということでもあろう。

☆それゆえ、今回のスピーチのタイトルは、高橋校長に敬意を表して「私立男子中高一貫校は、何を変えるのか?」とさせていただいた。しかし、だいぶ背伸びしたテーマで、かえって高橋校長にはご迷惑だったかもしれない。

☆しかし、私にとっては、たいへん大きな収穫があった。かつて、高橋校長が社会を変える人材を輩出したいとビジョンを語ったことに対して、私は「しかし、それはある意味孤高であろう。社会を変えるタフな人材作りを本気に考える現場の先生はどのくらいいるのだろうか。もしかしたらそういう危機意識を(高橋校長は)吐露されたのかもしれない。」と書いたが、これはある意味あたっていたという確信を持てたことがそれである。

☆「ある意味」というのは、高橋校長は私立学校全体の問題として危機意識を持っていたし、私立学校の教師がすべて社会を変えるビジョンを持っているわけでもないという考え方もしていたということを意味する。

☆つまり、集結していた男子校の先生方の共通のビジョンは、社会を変えるという強烈な意志をもって、未来を創ることができるのは男子校の使命であるということなのだ。男子校にしか創れない未来、女子校にしか作れない未来、共学校にしか作れない未来があるという認識をしっかりもっているコミュニティが、「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」を開催していたのだと確信した。

☆そして、男子校と女子校がそれぞれ創る未来は相互補完関係にあり、共学校もそうであるはずだが、そのことに気づいている共学校があまりに少ないということにも気づいた。おそらくこれが高橋校長の警鐘なのではなかったか。

☆しかしながら、当時の「夢限大」は、男子校も女子校も共学校も協力し合っていたので、そこを直接言うことは、受験生の保護者に動揺を与えてかねなかったので、レトリックに徹して語られたのだと思う。

☆したがって、今回のような男子校のみのコミュニティにおいてこそ、そのビジョンが明快に語られるのだと感じいった。しかし、この男子校にしか創れない未来、女子校にしか創れない未来、共学校にしか創れない未来は何なのか、私立学校自身が明快にしなければ、学校選択者はリスクを抱えることになる。こんなはずではなかったということになりかねないからである。この男子校のコミュニティは、そこをも明快に表現する先駆け的なポジショニングを占めているわけで、そこがとりわけ興味深い。

☆ただし、開成、麻布などがこのような男子校のビジョンづくりをしているコミュニティに協力参加していないというのはなんとも寂しい。≪私学の系譜≫をアピールする上でも、広く男子校のコラボレーションは重要である。東大を頂点とする知の鉄鎖をぶち切る知の自由が社会を変える。それは≪私学の系譜≫の大きな柱の一つであるはずではないか。

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