学校選択というコト[02]
★学校選択というコト[01]のつづきです。前回、学校選択を考えるとき、「12歳のための12の学校選択指標」という視点で、まずは見ていきますと書きましたので、1つひとつ確認していきましょう。
★(1)の「 自己実現プログラムの自覚的実行力」がどれくらいあるのかという視点からいきます。今まではこんな感じで説明してきました。「6年間の学校生活を通して、自律し社会の痛みを共有し、貢献できる人材育成プログラムです。たとえば、三輪田学園では国語と社会の横断的読書指導と道徳教育との有機的連関プログラムが作られています。京北の丁寧なコミュニケーションのプログラムは東大や千葉大とのコラボレーション」(かわら版2007年1月号4ページ参照)という感じです。
★結局、例示的な説明で、イメージをふくらましてもらうきっかけとしての説明に終わっています。それに、自己実現プログラムの工夫をしている学校は他にもたくさんあります。保護者会で話したり、雑誌の取材に回答する際には、どうしてもこんな感じでしか伝えられないのですね。
★じゃあ、ちゃんとできるのかというと、それもまた難しいのですが、まずは図解しておきます。「まずは」とか「とりあえず」がどうも多すぎて恐縮ですが・・・。まあ、ともかく、こんな感じです。自己実現するためには、他者とのコミュニケーションが開放系システムでできる環境が必要なのです。自分がやりたいこと、考えていること、目標などは、自己閉鎖的世界ではうまくいかないし、それはまたありえないことです。
★[図COS]は完全なものでは、もちろんありません。あくまで仮説です。外界から情報を得る時に、そこでは問いかけと気づきのコミュニケーションが起こります。このときのコミュニケーションのタイプとレベルによって、他者との互いの共有部分の量や質は影響を受けます。
★情報は整理されますが、知性だけで合理的に取捨選択されるわけではありません。感情も入るし、理性で超越的価値を付与することもあるでしょう。これらの判断の正当性・信頼性・妥当性は「自己参照基準」によって最終決定されますが、この基準は思春期の時に葛藤の中で練磨され、これ自体成長するのです。知性・感性・理性と自己参照基準の自問自答にはレベルがあります。それにこれらがすべて同じレベルではありません。だから個性がでてくるわけですが。
★この「自己参照基準」が何なのかというのはまた大問題です。これが空集合の場合、気づかれましたか?そうこれは「理念」の1つなんですね。だから空集合の場合がある。「私は私なのだから」感じたままでいいんだになりかねないわけです。「私は私なのだから」はそれ自体悪くはない。まずは存在の質料です。しかし成長はその現実的な形式(つまりは表現)がポイントです。他の集合要素を増やしていけるかどうかが、自己実現プログラムの腕のみせどころです。
★「自問自答」回路は、しかし情報がないと空回りするし、情報は整理され蓄積してインデックスで引き出せるようにしておいたほうが、効率も良いし、多角的関係をいくらでも組みかえられます。蓄積は脳内中枢神経による記憶と外部の記憶媒体(ノート、ファイル、パソコン、メール、アプリケーション・ソフトなど)を活用できます。この媒体とのやりとりもまた他者とのコミュニケーションと同根です。
★たとえば、先の三輪田学園の例で言えば、外部の記憶媒体は、図書館機能です。「自己参照基準」の練磨は、道徳教育が大いに役立ちますが、理科の実験も重要です。知性は論理の学びに依拠するでしょう。感性は芸術教育によりますね。理性は三輪田学園の場合は「誠の道」という精神性、陽明学的発想に基づきます。
★さて、[図COS]は理想型で、現実には要素がなかったり、矢印が示している相互性がなかったりしているわけです。ですからこの理想型にいくまでには、5つのレベルがあります。すべての要素(囲まれている部分)、すべての関係(→部分)はレベルがあります。そのレベルに関する図解は[図CTL]です。これについてはいずれ説明しましょう。ともあれ、コミュニケーションは、自問自答だけではないのですね。様々な関係の中で、レベルを調整しながら成長していくオープンシステムです。点線で囲まれた「自己」「他者」は、皮膚で内面と外面と分けているにすぎません。決して内面だけに閉じこもって考えることができるわけではないのです。この点線を外しても、実は図は問題ないのです。これはいつかまた触れますが、リアル=外界、超リアル=内面などと分ける必要がないというところに行き着きます。が、今はこんな感じ程度でいきましょう。
★いずれにしても、こういう複雑なコミュニケーション回路を多角的にチェックする教師の自覚がポイントです。他者の痛みを知って、社会に貢献すべきなんだといくら唱えても、それぞれの生徒がその情報を受発信するコミュニケーションのレベルがどの程度なのかとか、「自己参照基準」の他者とのズレがどういうふうなのかなどを見守る姿勢のない教師に出会ったら、それは自己実現などできるはずがないのです。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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