学校選択というコト[06]
★学校選択というコト[05]のつづきです。(1)の「 自己実現プログラムの自覚的実行力」について、海城のケースを考えてみましょう。男子校で、「自己参照基準」を自他の共同主観という鏡に映して、その正当性、妥当性、信頼性を問う学校というのはそう多くはないのではないでしょうか。
★たいていは、「自己参照基準」は父親あるいは教師あるいは学校の基準を押し付けられたままになっていると思います。ここで誤解されては困るのは、「押し付け」という行為が全面的にダメだとは言っていないのです。押し付ける側が、自分の「自己参照基準」を常にチェックする議論や探究を続けているのならば、それはそれで社会としては善ですね。
★ただ、それでは社会は成長しないかもしれないのです。あるレベルで成熟し、閉そく状況を生んでしまいます。やはり生徒と学校(教師、父親なども)は互いに「自己参照基準」を照合し、互いに自己のクオリティと学校という組織のクオリティの一致部分とズレの部分を対話するチャンスがあるのが、個人も組織も社会も成長し続ける戦略でしょう。
★その意味では、海城は、実に丁寧に、学校側は学校側で自己批判的「自己参照基準」の研鑽を積み上げていますし、生徒も自ら「自己参照基準」を振り返るチャンスが用意されています。
★世の中では、教科の授業は、とかく生徒の成績を伸ばす方法論だけが求められていますが、理科では科学的ものの見方を学び、国語や英語では言語とは何かを問いかけ合い、社会では、社会科学的ものの見方を豊かにし・・・とかなり進学準備を超えた考え方を先生方は持っていますね。
★それだけではなく、「知性」「感性」「理性」と「自己参照基準」が「自問自答」し始める学びのプログラムが独自に創られているのがすごいですね。「知性」に関しては「社会科卒業論文」プログラムが代表的です。「感性」に関しては「プロジェクト・アドベンチャー」をベースに独自のプログラムを編集しています。「知性」が働くには実は研ぎ澄まされた「感情」機制によって多角的に記憶とイメージが連合される必要があるのです。ですから、自分の身体を人間関係と自然の中に投げ出して、小学校の時の単純な記憶の学習で眠ってしまっていた「感情」を覚醒する必要があるのですね。「理性」に関しては、これはもう教師との真剣勝負の中で鍛えられます。これは担任の先生方が競い合ってアウトプットする「学年通信」プログラムです。
★教師の熱いメッセージは、「理性」そのものです。「知性」の限界は「理性」というイマジネーションによって乗り越えられるはずという信念。この「知性」を超える「イマジネーション」が大好きだったのはアインシュタインでもありますね。ですから[図COS]のようなコミュニケーションのオープン・システムの回路ができあがっているのが海城学園なのです。
★言うまでもなく、[図CTL]におけるレベルは5なのですが、このレベルはすでに中学入試問題で求められているのです。全国学力テストで、PISA型テストにおけるグローバルスタンダードが話題になっていますが、海城の場合は、中学受験の段階で、とっくに国際標準を超えています。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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