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私立学校の理念のタイプ

★それぞれの私立学校は、東京女子学園の理事長・校長實吉先生が語るように、「ゆるやかな理念共同体」に属しています。この意味するところは、それぞれの私立学校が明確な理念を持っているという構造は共通しており、それを保守しようという意味で共同しているということなのです。

★このことがきわめて重要であると語られるのですが、どう重要だというのでしょうか。理念がなかったら、人は生きていけないからですとすぐに回答されるかもしれませんが、そう回答された方は、すでに私立学校的発想の方ですね。

★実は今社会で問題になっている様々な事件は、理念がなくても人は生きていけると思われているから起きているとしたらどうでしょう。この問題性に取り組んでいるのが、若い社会学者や哲学者、心理学者ですね。彼らは1970年前後に誕生しました。

★彼らは、私立中学受験をして、エリート大学に進み、社会や世界の最前線の知と技術を駆使して、「理念なき自己」、つまり「負荷なき自己」は本当に可能なのかということについて考えています。

★もっともそれは、私立学校の場合は、残念ながら不可能です。「理念に基づいた自己」「負荷を抱きかかえる自己」という人材教育が基本だからです。しかし、その「理念」たるや学校によって違います。いろいろなタイプがあるのですね。公立学校も日本国憲法が理念そのものですが、少し大きすぎてというか次元が違うような感じがして、なかなか結びつきません。だから、ないも同然なのです。ですが、空集合も「理念」のタイプの一種と考えれば、公立学校も「負荷なきという理念を抱いた自己」が成立するわけで、私立学校と同構造をもった教育組織だということになります。

★だから、私立学校と公立学校の差異は理念があるかないかではなくて、「理念」のタイプが違うという切り口で考える必要があります。ただ、私立学校はいくつかの「理念」のタイプに別れますが、公立学校は私立学校に比べはるかに多い数が存在するのに「理念」のタイプがみな同じだというのは、やはり恐ろしいとは思いませんか?

★この空集合の「理念」が生み出すのは、「私は私以上でも以下でもない」「法律はそれ以上でもそれ以下でもない」という存在の無根拠性を生み出すことに結びついています。そしてこれは恐ろしい事態を引き起こすのです。そこで私の根拠は、私と関わる他者との関係に求められます。法律の根拠は、民主主義的関係性に求まられます。

★しかし、そこにある理念は空集合です。結局私と関わる他者のリストのデータベースが可視化された関係性です。本当はその可視化されたリストが不可視化した背景に根拠があるのですが、そんな理念は空集合理念タイプにはありません。法律の根拠も、立法過程のマスメディアによる情報公開という可視化によって根拠づけられます。法の淵源との参照がされているかどうか誰もわかりません。法の歴史性など空集合理念タイプではどうでもよいのです。

★様々なタイプの理念があることは構わないのですが、公立学校は数の論理で1つの理念のタイプを押し付けているのが問題ですね。そしてこの問題性に気づかない状況ができているということも問題なのですが、これを意識するのが私立学校の先生方なのです。理念のタイプのズレが気づきを生み出すからです。同質構造は、無根拠性を作り出してしまいます。私立学校の教育の重要性は、この理念タイプの差異の杭を打ち込むところにあるのかもしれません。[本間 勇人 Gate of Honma Note

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