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キャラ化するニッポンを読解する[01]

義務教育を問いなおすを問いなおす[01]では、藤田英典さんの「義務教育を問いなおす」をきっかけに日本の20世紀産業社会の理念がいかに今でも教育改革に根付いているかということを考えていこうと思っています。一方でポスト産業社会のビジョンを考えるヒントとして、相原博之さんの「キャラ化するニッポン」(講談社現代新書2007年9月)を読解していきたいと思います。

★相原さんは、バンダイのキャラクター研究所(キャラ研)の所長であり、同研究所の代表取締役ですが、自らキャラと社会現象の関係をガンガン発信しています。キティちゃんやたまごっち、エビちゃんなどのキャラ分析は、実に現代日本社会現象考ですね。キャラ・マーケティング調査もしているので、実に現代日本経済社会の仕掛け人の一人といったところでしょう。

★なぜこれが私立学校と関係があるのかふざけてるのかと思った方は、20世紀産業社会の枠組みの中の理念をお持ちの方ですね。相原さんの分析は、若手現代思想家の東浩紀さんや北田暁大さん、そしてお二人のネットワークの伊藤剛さん(マンガ評論家・編集者)などの日本現代社会現象考とサイバースペース現象考の方法論の成果をきちんとつかっています。

★東さんや北田さん、伊藤さんの膨大な本を読解したいところですが、わたくしは一般市民で、そこまでの力量も時間もないので、182ページの新書版である相原さんの本を選択させていただきました。それにここには実際にキャラ商品開発をする実用的なコンセプトがあるので、現代思想家・評論家たちのメソッドが庶民レベルにおちるときはこういう形や内容になるのだというのがわかります。もっとも相原さんまでのレベルで理解するのは、一般庶民にはまだまだハードルが高いかもしれません。

★それにしても、東さんや伊藤さんの「キャラクターとキャラは違う」という考え方や議論は魅力的ですが、サーッと読んで了解できるかといえば、微妙な点が残るというか、思想家・評論家の常なのでしょうが、不確定性原理が働くらしいのですね。

★そこへいくと、相原さんはわかりやすい。蛯原友里はキャラクターでエビちゃんはキャラであると。キャラクターはリアルだけれどキャラは違うと。自然の世界にはキャラはない。たしかにキャラはミニチュア化するけれど、そのような人為的操作に相当するものは自然の世界にはないのですね。

★エビちゃんはキャラとリアルをしっかり分けている。女優としてドラマにあまりでないから、キャラ要素とリアルな要素が区別されているように見える。しかし、たいていの女優はリアルな部分を女優というアクションにシフトしていくので、全面キャラ化するというわけですね。

★多様で多層の情報メディアの出現によって、キャラ化は何もタレントだけでなく、一般の子供たちもシミュレーションできる。ここに光と影の問題が横たわってきますね。ポストモダンはこの光の部分を強調するでしょう。モダンの側は影の部分をデフォルメするでしょう。

★政府の教育改革は、モダニズムです。キャラ化のようなポストモダンの部分は例外として対応しています。ニートだなんてレッテル貼りはその典型ですね。ここには子どもたちの間に、あるメンタルな格差を生んでいますね。それにたいして本田由紀さんチームは、違うだろうと意義申し立てをしています。

★さて、私立学校の理念はどちらなのでしょう。多くの私立学校はどちらにも与しませんね。モダニズムはリアルの内面化。ポストモダニズムはリアルのキャラ化→リアルの喪失。私立学校はそのどちらでもない。

★ところで、おわかりのように、日本の教育を考えるとき、一般の公立学校と私立学校の対立構造で考えていては全貌が見えないのですね。ポストモダンな教育機関が生まれなければならないのですが、それは一般の公立学校に包摂されて隠されているのが現状です。「キャラ化するニッポン」は大きく分けて3種類の中等教育のありかたを予想させる格好のプラグマティックな思想書です。[本間 勇人 Gate of Honma Note

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