名門校の条件[05]~新設中学が名門校になる可能性
★名門校の条件[04]~新設中学が名門校になる可能性のつづきです。名門校の条件の1つとして、歴史性というキーワードをあげました。物理的時間の長さの意味での歴史ではなく、超物質的歴史的意義の衝撃度という意味での歴史性がポイントだと。
★そして「21世紀知識情報社会にあっては、理系-文系という二分法を乗り越える必要があります。単純に融合とか統合とか言うものではありません。すぐれた言語能力を持った理数系人の輩出を駒場東邦は果たしてきました。」と。これはまさに歴史的意義の衝撃です。
★この衝撃の仕掛けについて、もう少し説明させてください。実はこの説明ツールとしては、ロラン・バルト的(あくまで「的」です。ロラン・バルトの思想には精通していませんから)なキーワードを活用するのが便利です。というのは、1つの記号(言語やイメージすべての表現を含みます)を4つの切り口で考えられるからです。本当は4つ以上なんですけど、ここでは簡単にということで。
★思想や思考というのは記号の組み合わせでできています。行動も実は表現ですから、記号ですね。教育は理念という思想とその具現化という行動でなりたっていますから、まさに記号について多角的な切り口を持っている思考ツールが有効なのですね。
★4つの切り口とは、「記号表現(シニフィアン)」「記号内容(シニフェ)」「外示(デノテーション)」「共示(コノテーション)」というキーワードです。これを「記号表現―記号内容」という軸と「外示―内示」という軸を交差させ座標系をつくります。それを記号座標系と呼びましょう。
★この記号座標系(つまり記号の四肢的構造)にあてはめて、駒場東邦の衝撃を読解してみましょう。すると理数系というのは記号表現であり、外示です。その内示は、一般的には文系とは違う別のコースということが含意されています。やはり一般的にはその表現内容も内示に一致します。それゆえ、世間というのは記号表現ー記号内容という二分法でのみ考えていればよいのです。
★駒場東邦の衝撃は、内示と表現内容にズレを作ってしまったことにあります。このズレに気づいた学校選択者は、駒場東邦の歴史性に魅惑されるわけですね。実は記号表現と記号内容の結びつきは習慣(ハビトゥス)によって決まるわけです。この習慣は日常の冗長で文脈なきおしゃべり(パロール)と文化的なあるいは国家的なあるいは民族的なルール(ラング)のぶつかり合い(弁証法的な)によってなりたつわけですから、かなり操作性、つまりイデオロギー的なのです。
★したがって、駒場東邦は、20世紀の産業社会の大きな物語という操作性と袂を絶ち、独自の記号表現と記号内容を結びつけたところが衝撃だったわけで、それが駒場東邦の歴史性です。ところが、記号内容の外示と内示を明確に記号表現していないのです。つまり、記号表現(外示あり×内示あり)だけれど、記号内容(外示なし×内示なし)という状況です。この記号内容は、したがって、見えないカリキュラムということになっているのですね。
★これはかつての久保田校長のいう意味ではありません。現在の佐藤教頭のいう意味での見えないカリキュラムです。久保田校長は、記号表現の「教科学習」と「部活や文化祭」を見えるカリキュラムと見えないカリキュラムにグルーピングしただけです。わかりやすさが誤解を生みだすというわかりやすさのパラドックスに陥ったんですね。わかりやすかったために、この考えは、一時かなり広まりました。しかし、この「見えないカリキュラム」の誤謬は、受験業界に私立中高一貫校の大学進学実績神話を浸透させる正当化論になってしまいましたね。
★部活が活発で、あとは大学進学実績を出せば名門校だと。この論理の危うさを佐藤教頭は指摘し、今では「見えないカリキュラム」論は、駒場東邦では使われないようです。このキーワードを使わないけれど、この論法をおしすすめている典型的私立中高一貫校が浅野です。浅野が伝統的エリート校ではあるけれど、クリエイティブな名門校でないのは、そういう理由があります。創設者浅野総一郎だったら、この現状をどう判断したでしょうか。優秀な生徒を集めているのですから、学校当局は、もっと世界標準思考に尺度を合わせるべきです。名門校の歴史性は実は世界性でもあるわけですから。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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