学校選択というコト[07] JGの場合
★学校選択というコト[06]のつづきです。(1)の「 自己実現プログラムの自覚的実行力」について、JG(女子学院)のケースを考えてみましょう。なかなか学校選択12の指標の一番目から抜けられないでいますが、もっとも重要な指標なので、当分ぐるぐる思い巡らすことになると思います。さて、JGも海城と同じように、「自己参照基準」を自他の共同主観という鏡に映して、その正当性、妥当性、信頼性を問うことがきちんとできているのですが、海城と決定的に違うのは、この共同主観を形成する要素に明確に、プロテスタンティズムがあることです。
★これは筋金入りで、卒業後も決して企業や大学などの組織の歯車として生きようとしない、でも生計を立てていくためには、そこで生きざるを得ないというパラドクシカルな条件を、いかに乗り越えて生きていくのか、常にこの問題を抱えながら、自主独立した女性として生きているOGの姿にはっきり表れてますね。
★これについては、以前編集していたNettyLandかわら版のHot@Newsのブログで紹介しました。「自由と生きる私たち」~女子学院講演会を参照していただければ幸いです。
★今回は、JGの数学クラブの話をしましょう。JGではクラブは「班」と呼びますから、名称は「数楽班」となっています。この班の活動がおもしろい。というより驚愕です。MAGNOLIA FESTIVAL(文化祭)でプレゼンしていたのは、パラドックスについてなんですね。
★この班のメンバーは、パラドックスの歴史についても実は調べていて、ラッセルやカントールだけではなく、あのゲーデルの「不完全性定理」まで学んでいるのです。たしかにゲーデルは昨年生誕100年で、来年死後30年で、何かと話題になるのですが、それにしても。
★パラドックスを学んでいることがなぜ生徒の「自己参照基準」と学校の「自己参照基準」が「共同主観」としてアイデンティティをつくることになるのかというと、パラドックスの発想こそ、聖書そのものだからです。毎朝礼拝で、この話を聞いているはずです。聖書の言葉には、貧しき者は幸いだとか、偉い人は奉仕する人だとか書かれているのです。そしてそれを解釈し、実践に使っていくというのですから、筋金入りです。
★「数楽班」のメンバーのすごいところは、ただ理論を説明しているだけではないんですね。このパラドックスだとか矛盾という考え方を、ミステリー小説に適応して創作してしまうのですよ。これも実はロジカルな文章をレトリカルな物語に変換するJGの国語の教育が生きているところなのですが、それはともかく、合宿しながらクリエイティブなチーム活動をやりながらパラドックスで、世界を読み解いているのです。[図CTL]でいえば、完璧にレベルⅤに到達しています。JGの教育にぴったりですね。「創造する自由」とうい言葉は。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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