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私立学校の理念のタイプ[5]

私立学校の理念のタイプ[4]のつづきです。「不易流行」とはあまりに人口に膾炙された言葉ですね。芭蕉の俳諧の理念をあらわす言葉なのも言うまでもないですね。私立学校の理念とその具体的な教育実践をあらわすときも「不易流行」という言葉をつかいます。

★私立学校の理念(本質)が、新しく時代に適合していていきながら具現化することをあらわしているのでしょう。結局本質とその表現は一致するということですね。トートロジーというわけです。

★そんなの古いじゃないかとか同じことを言っているようでは意味がない・・・とはよく耳にするフレーズですが、真理は真理なわけです。

★しかしながら、やはり「私は私である」という同義反復は不安なのです。「私は○○としての私」であるのでなければなんとも不安です。この「○○としての」という表現は、「私は私以外の何かと関係している」ということを表します。

★「関係性」のない私は不安だということなのです。「私という本質は、○○として表現される私なのである」というように「関係性」が生まれると不安は消えるのです。もちろんその「関係性」によるのではあるけれど、絶望的不安ではなく、誤謬の不安ですね。誤謬は正すことができます。しかし、絶望は・・・。

★さて、私立学校の理念といった場合、この絶望的不安を回避する「関係性」を核としたタイプがほとんどでしょう。ですから私立学校の「理念」をタイプ分けするには、その「関係性」の構造に着目すればよいのです。

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