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私立学校の理念のタイプ[12]~京北学園の川合校長先生との対話②

私立学校の理念のタイプ[11]~京北学園の川合校長先生との対話①のつづきです。今や家庭でも、地域でも、学校でも、企業でも、社会でも、国家間でもコミュニケーションが大切であることは、誰もが知っています。川合校長先生は、それを前提に、次のような問題意識をお持ちです。

<ところが、コミュニケーションには、曖昧模糊としたイメージがつきまとっています。誰もが正しいと思っているコミュニケーションのとり方も、ひょっとしたら、生徒や保護者には通じていない、いや、関係を悪化させている恐れもあります>(月刊学校教育相談2007年4月号「ワークショップ ていねいなコミュニケーション№1」)

★ここには、重要なコミュニケーション論の枠組みがあります。コミュニケーション不足とかよく言われますが、コミュニケーション不足も関係を悪化させるようなコミュニケーションも、実は全部コミュニケーションのスタイルなのです。コミュニケーションといえば、なんでも人間関係を良くするものだというのは思いこみなのですね。

★川合先生は、コミュニケーションを人間関係の在り方としてとらえているのではないでしょうか。はじめに人間関係ありきで、ていねいなコミュニケーションとは、今目の前の人間関係をまずは受け入れよう。そこからどういう人間関係にしたいのか想像しよう。するとどんなコミュニケーションをしたらよいのかわかりますよということなのではないでしょうか。

★川合先生のコミュニケーションは、このように人間関係の在り方を映し出す媒体なのですね。しかし、それだけではありません。人間関係の在り方を変える方法論でもあるのです。両義性という言葉が思い浮かぶかもしれませんが、ここでは結論を急がないようにしましょう。

★川合先生の「ていねいなコミュニケーション」は、存在論と実践論がベースにあるということですね。なるほど京北学園の創設者が東洋哲学者井上円了のことだけはあります。井上円了もオールドモダン(官僚近代:Oモダン)と闘った思想家です。

★Oモダンでは、コミュニケーションは、結局一方通行的に伝達する方法論にすぎません。すべては決まっているのです。言葉の意味も多義性を認めません。言葉は論理以外の何ものでもないのです。Oモダンにおける脳科学的には、右脳は左脳の奴隷です。

★これがポストモダン(Pモダン)になると、今度はコミュニケーションの正当性という大きな物語は失われます。前回「表層的」という言葉を使いましたが、それはトランスモダン(Tモダン)やアドバンスモダン(Aモダン)、Oモダンの立場から見て「表層的」なのであって、Pモダンにおいては、それは「表層的」でも「深層的」でもありません。すべてはフラットですから、そういう発想がないのですね。

★ですからPモダンにおけるコミュニケーションは、ほかのモダンの視点から見ると、大いに危ういのです。しかし、新しいアイディアが生まれる可能性は、それだけに大きいモダンコンセプトです。ここは大事なポイントですが、川合先生の話に戻ります。

★ともあれ、川合先生のコミュニケーション論は、松田先生の授業や学級運営と同じように、人間関係を変える、もちろん豊かにする実践的方法論がきちんとあるのです。これがロランバルトなどのTモダンとは違うところですね。トランスモダンは分析論は鋭いし、その分析ができる教師は、同時に方法論も無自覚に生み出しています。しかし、それが無自覚である限り、学校の現場でそれを広く共有できないのですね。わかる人がわかればよいということですから。

★ところが川合先生のコミュニケーション論は、方法論を教師のみならず、生徒も保護者も共有するという動態的な理論です。コミュニケーションは人間の存在のあり方も映し出します。人間の存在については、教師が操作するのではなく、当事者が互いの関係の中で考え、悩み、つくりあげていくものでしょう。こういう価値観はしかしOモダンにはないのですね。Aモダンにおいて初めて気づくことです。京北学園のコミュニケーションは、豊かで新しく、でも井上円了の精神も継承されているのです。[本間 勇人 Gate of Honma Note

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