名門校の条件[12]~共立女子のクオリティ
★名門校の条件[11]~共立女子のクオリティのつづきです。
§2 共立女子の対話の意味
本間) コミュニケーション・ベースというのは確かに21世紀型ですね。大きな物語に隷属して生きていくのではなく、個々の判断が多様な物語を作っていく。しかしその物語の正当性や信頼性・妥当性はというと、それは自分たちの対話を通してだと。
渡辺) 本校を受験する帰国生は、やはり日本の文化と海外の文化の違いを体得しています。岡部さんの言う通り、彼女たちは対話ベースの環境が前提になっています。確かに対話は、あらゆる授業や教育活動の中心です。
岡部) 別の言葉で言い換えると、学習者中心主義(子ども迎合主義ではありません)ということですね。OECD/PISAでランキングが上の北欧、特に世界が注目しているフィンランドの教育デザインの方法論です。そういう意味でも共立女子の教育はもともと先進的。
渡辺) 確かにそうかもしれません。共立祭も、中学と高校それぞれに実行委員会があって、生徒が自主的に運営するチャンスを増やしています。「自立した女性」の育成は本校のビジョンでもあります。今年中1は入学して1ヶ月経ったところで校外オリエンテーションとして、葛西臨海公園に行きました。現地集合現地解散です。自分で判断して自分で動くという文化がここにもあります。ダブル・ドッジボールなどのスポーツを楽しむのですが、ここでは、ボールが言葉に替わりコミュニケーションのメディアです。
本間) ダブルというのが複雑系ですね。コミュニケーションは複雑・・・。
渡辺) そういう複雑な条件下で、コミュニケーションによってチームは協力していくのですね。生徒1人ひとりタレントは違います。ドッチボールが得意な生徒、不得意な生徒がいます。互いに支え合うということはどういうことなのか、いろいろな行事の存在によって、支える役割、支えられる役割がその都度入れ替わるのです。部活や演劇という活動の中で、すべての生徒がリーダーシップや主演の役割を担うことはできない。そのときの葛藤も相当なものです。しかし、それはいろいろなチャンスで解消されるし、葛藤を乗り越えるには感じ方や考え方を変えていかなければならない。互いに話し合いながら・・・。
岡部) 行事の多元性の意味は、生徒数が多いにもかかわらず、1人ひとりの居場所が作られるデザインということだと思います。さらに6年間の授業というかシラバスが興味深いですね。論文とアーツの創作編集活動が6年間続いていくそのプロセスが、渡辺先生のおっしゃる関係総体主義的に構成されていると思います。
★大きな物語がなくなってという一般的な文脈では、よるべき価値がなくなって、個々の人間が好き勝手なことを思いのままに行って、他者との共同というのは難しい、困ったものだねとなります。しかし、共立女子の場合は、そういうことではありません。国や権力者が創った大きな物語を鵜呑みにしないで、批判的に思考し対話しながら、自分たちなりの価値を創っていく。しかもそれは公共的な意義がないと意味がないという、独善的な発想は回避しようというものです。もちろん、だからといって、集団的な1つの価値を共有しようというのではなく、1人ひとりの個性は大事にされます。さて、それはいかにしてかは、次回の対話につづきます。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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