名門校の条件[15]~共立女子のクオリティ
★名門校の条件[14]~共立女子のクオリティのつづきです。この間共立女子の教頭渡辺先生にお会いしたとき、放送朝礼のときの先生の話の内容が話題になりました。
★渡辺先生は、「4つの願い」についての意味について話されたようです。「4つの願い」とは、
1.他の人からほめられたい。
2.他の人に認められたい。
3.他の人に愛されたい。
4.他の人の役にたちたい。
★共立女子の生徒にかぎらず、だれでもが持つ願いだし、欲求、欲望でしょう。オールド・モダンやポスト・モダンでは、否定できない願いで、どこが問題なのですかと質問しました。
★すると、渡辺先生は「これらの願いに、もし結局他の人からいい人だと思われたいという要求があったとしたらやはり問題でしょう。この場合、最初は『これをしたら人は喜ぶだろうな』ということを考えるため、『これをしたら人は嫌がるだろうな』とはなかなか思い至らないものです。世間で善い人といわれる人は<人を喜ばす人>よりも<人の嫌がることをしない人>なのでしょうね。」
★このお話を聞いて、なるほど共立女子は名門校なわけだと改めて感じたし、座談会で話し合われてきた共立女子の名門校の条件に通じる話だと確信した。それは、渡辺先生の話が、座談会のときも、朝礼の時も一貫しているから当然であるし、こうやって、名門校の条件が共立女子の隅々にまで浸透していくものなのだなぁと感じ入りました。
★他者と自分の関係を、自分中心にしない場合は、<人を喜ばす人>も<人の嫌がることをしない人>も同価値なのでしょうが、自分中心な場合<人を喜ばす人>は、結局は自分の利益を念頭に置くことになるので、4つの願いの罠に陥ってしまいます。そうならないように、振り返ってごらんというのが渡辺先生の話の目的だったわけです。
★話はさらに発展しました。「自分がしてもらいことを他者にもしなさい」というのはキリスト教的な倫理表現で、「他人に迷惑がかからないことを他者にしなさい」というのは儒教的な倫理表現だとすると、パラドクスが埋め込まれているのは、キリスト教的発想なんだと。
★自己中心的な人間が「自分がしてもらいことを他者にもしなさい」というのは、結局自分の利益を計算して合理的に行動できてしまうけれど、自己中心的な人間には、「他人に迷惑がかからないことを他者にしなさい」というのは、なかなか選択できない行動です。やろうと思えばできるけれど、あえてこの行動を選択はしないでしょう。初めから一義的に表現されているわけですね。でもキリスト教的発想は、両義的なわけです。
★麻布学園の創設者江原素六も、渡辺先生のように生徒に講話をしていたそうですが、そのとき、やはりキリスト教と儒教の両方の話をしていたということです。あの渋沢栄一もそうですね。プロテスタンティズムの資本主義を日本に導入する一方で、「論語と算盤」を執筆しているわけですね。そういう意味では、日本の私立中高一貫校としての名門校は、欧米の名門校とは一味も二味も違うわけで、名門校の比較教育をすることが、グローバリゼーションの世界に一石を投ずることになるかもしれません。
★日本の名門校は、欧米のパブリックスクールやプレップスクールをモデルにしていただけではなかったのですね。世界標準であると同時に世界標準を超えている。この両義性が日本の私立学校の名門校の条件だと改めて認識することができました。 [本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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