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名門校の条件[16]~茂木健一郎氏のコンセプト

名門校の条件[15]~共立女子のクオリティのつづきです。1990年代は日本は経済の空白の10年。しかし世界では脳科学の時代と言われてきました。右脳の発見、神経経済学の発達、脳トレなど、脳科学は政治経済、ゲームの世界、そして学びの世界で必ず話題に出る領域となっています。

★そんな中で最近、脳科学で現代社会やコンテンポラリーアートを読み解く脳科学者が出現。国語の中学入試の素材文でも出題されるようになりました。茂木健一郎さんがその人です。茂木さんは学芸大附属中高出身のようで、私立中高一貫校と同じような条件で思春期を経ている可能性があります。

★だからというわけではありませんが、茂木さんの脳内反応を見てみたく、新刊の「欲望する脳」を少し読んでみました。するとやはり名門校の条件のコンセプトが埋め込まれていることに気づきました。日能研から筑駒に進んだ、茂木さんより9歳若い東浩紀さんのコンセプトとも共通点が多いし、東さんと同じ歳の聖光出身の哲学者北田暁大さんともそうだと思います。茂木さんより3歳上の麻布出身の宮台真司さんとも共通するコンセプトを持っています。

★ただ、そのコンセプトの根拠が人間の脳内システムにあるのが、新鮮ですね。

★さてさて、どんな表現に名門校の条件を感じたかというと、

自分のことにしか関心がないナルシズムは醜いだけである。客観的な批評基準に準拠せずに、延々と自分語りを続ける人たちにはうんざりさせられる。その一方で、他人に心を開き、あまりにもスムーズにコミュニケーションを続けるだけの人間にも、どこか信用できないものを感じる。真摯であれば、時に他者を避けるのが自然なのではないか。自分の内に籠り、鬱々とする時間もまた必要なのではないか。人間の知性の本質が社会性にあるのが事実だとしても、時には「我」の中に閉じ籠って曰く言い難い私秘的な思いを醸成することなくして、深い世界洞察にも、気持の良い創造的跳躍にも到達することはできないだろう。私たちは、人間の精神のあり方について、そのような直観をも持っている。

★この二律背反というか、ダイアレクティークな感覚というか、個と普遍の感性というか、個と世界性の葛藤というか・・・こういうものの両立!バランス!中庸!公正基準!・・・。これが明治以降から続く名門校の条件のコンセプトではないでしょうか。教養というかリベラルアーツというか、そういう土壌ではないでしょうか。インテリゲンチャーではなくインテレクチャーとしての知識人の素養ではないでしょうか。そしてこの知識人の姿が名門校から抜け出て「多重文脈人」に移行されている場合があるというのが現代社会・・・。私立学校の新しい形態が生まれつつある・・・。このことについては知る人ぞ知るという段階ですが。

★ともかく、しばらく茂木健一郎さんの本を眺めてみましょう。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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