名門校の条件[18]~茂木健一郎氏のコンセプト
★名門校の条件[17]~茂木健一郎氏のコンセプトのつづきです。茂木健一郎さんの考えの軌跡をたどっていくと、近代とは何かについて輪郭がみえてきます。
近代の資本主義は、個々の人格の単一性や独立性を前提にしなければ成り立たない。契約における債権者あるいは債務者という概念も、近代的自我の単一性が保証されなければ重大な危機に陥る。(「欲望の脳」10 私の欲望は孤立しているのか?)
★これはオールド・モダン。日本の近代は官僚によってこれが推し進められました。背景にはダーウィン主義による進化を目標とする近代。その際、大事なことは近代的自我の同一性。つまり個人の利益が、自由・平等・博愛によって保守されること。個人の利益がハッピーであれば、他者もハッピーなはず。したがって、オールド・モダンやダーウィン主義に抗うことは難しいのですね。
★しかし、歴史的には近代が誕生するときに、もう1つの近代も生まれていたのです。やはり、自由・平等・博愛を標榜。ただこちらは他者の利益が個人の利益を保証するという立場。個にこだわるのではなく他者と個人の相互利益の共有という点でトランス・モダン。さて、茂木さんの引用のつづきをご覧ください。
そのような点に鑑み、近代的自我という概念自体が、市場における取引を円滑に進めるために必要とされたある種の「インフラ」であったと考える論者が出てきたとしても不思議ではない。近代の資本主義を批判し、相対化する過程で、近代的自我自体を批判し、相対化するというのは論理的に見やすい理屈である。
★これはポスト・モダン。近代的自我のような窮屈なモノトーンの個人より、もっと横断的で多重文脈を所有したいよという立場で、デジタル資本主義のベース。オールド・モダンとポスト・モダンはいつも親子喧嘩。フロイト的ですね。エディプスコンプレックスは、オールド・モダンとポスト・モダンの物語です。それは茂木さんの引用のさらなるつづきで明らかです。
インターネットに代表されるデジタル情報ネットワークという新たなインフラの上で、人間の欲望を無限に解放することを是認することで爆発的な発展を遂げつつある現代のデジタル資本主義も、近代的自我の成り立ちを前提にしなかければ成立しない。
★オールド・モダンはIT嫌いですから。超自我で多重文脈的自我を単一文脈になれと抑圧。これに対しポスト・モダンはネット文化で反撃。しかしながら結局、ポスト・モダンも個人の利益が優先。いやオンリーかもしれません。日本の公立教育制度のベースは、このオールド・モダンとポスト・モダンだったのですね。公立教育の論客佐藤学さんが、自らポスト・モダンを標榜していることからもわかります。
★一方、トランス・モダンをベースにしているのは、私立学校です。ところが、それはオールド・モダンのときの話で、デジタル資本主義下では、やはり不易流行でいかねばなりません。どういう新しいトランス・モダンを創るのか。それがアドバンス・モダンです。 [本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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