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21世紀の教育改革は、学習指導要領にあらず

11月9日15時12分配信の読売新聞によると、<渡海文部科学相は9日の閣議後の記者会見で、早ければ2011年度としてきた新学習指導要領の実施時期を前倒しし、2009年度から一部の内容を実施する方針を明らかにした。>ということのようです。

★このところ、「全国学力テスト」の結果の取り扱いについて、各自治体の決定も話題になっています。このテストのモデルになっているナショナル・テストを行っているイギリスでは、シックス・フォーム(日本の高校2年と3年に相当)を義務教育化するという話題もでています。

★それに、慶応が小中一貫校を、横浜市に新設するというニュースもリリースされました。2011年にだそうです。これらの動きは、一件ばらばらですが、全部つながっています。

★学習指導要領の改訂という側面からみると、まったく結びつきません。イギリスのナショナル・テストや全国学力テストなどは、教育格差が生まれるとか、市場の原理を教育に入れるのは困ったもんだとか言われているにもかかわらず、学習指導要領では、脱ゆとりで授業を増やそうとかいう話になっています。ますます格差が広がるのでは・・・。

★そんなとき慶応が独自に小中一貫校をつくるという話題。私立学校がこれほど各メディアでとりあげられるとは、さすがは慶応ブランドですね。きっとメディア界にも慶応出身者はいるのでしょう。

★まったくばらばらの動きです。しかし、どれも共通した動きは、創造的授業の復権が必ず話題の中心になっているのです。えっと思うでしょうが、まったくそのことに気付いていないかのように、メディアが取り上げるものだから、気の抜けた教育改革の内容が伝わってくるのです。

★メディアや教育ジャーナリストは、教育改革のコンセプトとその具体化の結びつきについて全く語りません。制度の項目しか扱いません。あるいは、コンセプトのみ、あるいは具体的実践を点として話題にするだけです。

★今回の新学習指導要領論議も、イギリスのナショナルカリキュラムや新義務教育論も、慶応小中一貫校の教育も、21世紀の人材に必要なものは、創造的学力だということは大前提です。知識と探究。この両方を、教科学習の中にどう取り入れるのか。それが中心なのです。それなのに、知識を注入する時間を長くするというイメージの情報発信のものが多いですね。

★イギリスの教育も、同じように批判されています。しかし、そういう論者は、まずテストと授業が連動しているものだという前提を忘れています。テストのない授業は、自学自習のスキルが育たない授業です。授業のないテストは、羅針盤を失った、あるいはレーダーを失った飛行機のように、方向性を見失うでしょう。

★授業とテストが連動していれば、両方の内容は一致するはずなのです。ですから内容の妥当性はともかく、全国学力テストが知識ベースのAテスト、思考ベースのBテストをやったというのは意義がそれなりにあるのです。両方の内容を授業でやらねばならなくなるからです。

★イギリスのナショナル・テストなどを批判しているジャーナリストは、改革途上の結果を見て、批判していますが、その中身たる授業やテストについて、憶測ではないかと思えるような取扱いをしています。たとえば、第三者評価機関に相当するQCAのサイトを見れば、プログラムのモデルが、いかに対話編になっているかがわかります。

★OECD・PISAの問題も見れば一目瞭然、いかに思考ベースであるかがわかります。慶応小中一貫の教育はまだこれからですが、すでに設置されている慶応グループの初等中等教育の授業や入試問題を見れば、思考ベースであることはまず間違いないでしょう。幼稚舎の入試問題は、実にアーティスティックな問題ですよ。

★20世紀は公平に平等に知識を記憶させることが重要だったのです。知識それ自体安定していたし、それを組み合わせるだけで、産業は大いに発展し、経済も右肩あがりだったのです。しかし、それは先進諸国を超えて広まったのです。

★21世紀先進諸国は、今度は誰もが創造的なレベルにまで引きあがられなければ、国力は衰退するのです。知識は記憶するのではなく、生み出す対象になったのですね。既存の知識を活用するのは、BRICsなどに追いつかれてしまったのです。だから新しい知識を作らねばならない。オリンピックで勝つためには、技術以上にルールという知識を新たに作ってしまう必要があるのと同じです。

★だから世界標準で、教育も組み立てていかないと、たいへんなことになるというわけですね。しかし、大きな国家の物語は、終焉してしまったのです。個人がこの難局をサバイブするにはとなると、やはり思考ベース、創造べースでないとやっていけない。どっちにしても思考ベースであることに変わりはない。

★そうすると学習指導要領で、何をどこまでやるかの配分をいくらかえたところで、どうやって思考するのかというスキルが開発されない限り、何も変わらないということなのです。思考力・表現力が大事ですといったところで、何も変わりません。

★しかし、それはテストの内容をみれば、どう変わっていくかは見えてきます。OECD/ PISAや全国学力テストの問題を見れば、どういう授業展開を開発しなければならないのかわかります。逆に中学入試問題を見れば、どういう授業展開がなされているかイメージできます。授業とテスト、テストと授業の中身の改革これをおいて教育改革はないのです。

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