西村和雄氏の新学習指導要領批判
★「都市問題」(第98巻・第12号2007年11月号)で、西村和雄さん(京都大学経済研究所所長)は、<「新学力観からの脱却が問われる教育改革>という論考を発表しています。臨教審時代から今にいたるまで、いかに文科省が教育の重要問題に気づきながら、解決せずに、逆に問題を生み出すような改革をやってきたかを論じています。
★1989年の「新学力観」ベースの学習指導要領は、「知識・理解」を「旧学力」とよび、個性を重視し、学ぶ過程、関心、意欲、態度重視を「新しい学力」とよんだということです。この個性重視、学ぶ過程、関心、意欲、態度重視の転換そのものは悪くはなかったんですが(ベルリンの壁が崩れてからというもの世界の教育の流れでもありますね)、西村さんによると、その方法論が悪かったようです。
★この「新学力観」にもとづいた「絶対評価」が問題だったんだと。だから今度の新学習指導要領改訂で、授業時間増など論議している場合ではないということのようです。たしかに西村さんの論点は一見その通りで、深刻です。
★教師の主観が入り込む絶対評価によって、子どもたちは、教師のお眼鏡にかなわないと不当な評価をうけるために、のびのびと個性など結果的にだせず、ストレスをため無気力になるか爆発するかのどちらかになっているというのです。だから廃止してしまえと。
★個性重視だ、興味だ関心だといっても、絶対評価によってそれはかなわないかもしれなければ意欲などわきようがありません。これは典型的なダブルバインド状態ですね。このジレンマに押しつぶされる子どもやここから抜けだそうと暴力に訴える子どもが出る可能性はたしかにあります。
★だからといって、相対評価がよいかというと、これもダブルバインドという構造は変わらないのです。人の足を引っ張るような競争はダメだよ。他者に迷惑をかけないように自由にやりなさいという民主主義のミニマムルールがあるわけですが、一方で相対的な価値が尊重されてしまうのですから。
★この「旧学力観」でも「新学力観」でも結局ダブルバインドというジレンマ構造は変わらないないのです。その解決策を一度も講じていないわけですから、教育問題は臨教審以降もこれからも解決されないわけです。
★西村さんの提案には、自学自習用の教科書提案とか総合学習の時間は現場の選択に任せるという提案などがありますが、それができるぐらいなら困らんなあという類のものばかりです。
★とはいえ、私にそれらを解決する提案ができるのかというと、ジレンマやパラドックスから逃避しないコミュニケーション論を提案する以外にないのですが。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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