学びのリーダーシップ~仲間に贈る
★前に勤めていた組織の仲間とときどきすれ違います。学びのプログラムを創って、運営する仲間たちは、本番を迎えるギリギリまで議論し、シミュレーションします。その舞台裏のどたばたは、学びのプログラムの本質を見ようとしない人にとっては、効率がわるいと見えるらしいのです。そこには利益やお金に還元できないものがあるからです。
★効率がわるいと思う方々にとって、そこにお金を支払うことができないから、慈善事業じゃないと学びのリーダーたちをけん制し、それでもやるのは自由だよといいながら、経費がかさまないことを確認すると急に笑顔になります。
★学びのリーダーたちは若いにもかかわらず、そういう老獪な経営陣を、悟った老賢者のようなまなざしで見守ります。彼らにとって、大事なことは、目の前の子どもたちの小さな変化を見逃さないことです。老獪な経営陣の防衛凍結を溶かす温かいまなざしがなければ、それはできません。子どもたちの小さな変化は、野のすみれのように、太陽の真下でも、嵐の吹き荒れるときも止まることはありません。ですからどんなときも見守ることをやめません。ただそれだけが学びのリーダーの崇高な行為です。
★さて、その小さな変化は、ピアジェによれば認知のズレかもしれません。ヴィゴツキーによれば最近接領域が開かれる瞬間なのかもしれません。J.S.ブルーナーによれば科学的構造が子供たちなりの理解へ埋め込まれる瞬間なのかもしれません。村上春樹によれば無限の示唆を世界から感じる一瞬なのかもしれません。谷川俊太郎によれば、言葉の宇宙の果てに旅する決断をする時なのかもしれません。
★学びのリーダーたちは、そんな偉い人たちが自分の内なる声に耳を傾けているとき、子どもたちの言動に耳を傾け、言動を見守っています。彼らの小さな変化に、世界が動く音を聞き、世界が変わる瞬間を見ます。そして聞くことと見ることが統合される瞬間。ビジョンが生まれます。子どもたちの未来は、決して心地よいものではないでしょう。でもそれを乗り越える思想と言動のビジョンが生まれる瞬間をいっしょに過ごします。
★学びのリーダーシップはただそれだけです。ただその瞬間をいっしょに過ごすという優しさと意志を有することが大事です。そして学びのリーダーは1人では弱すぎます。こんなことができるのは、万人に1人もいないからです。学びのリーダーシップは一人の力によるものではありません。チームプレイで、互いに支えながら、立派なリーダーシップを作りあげていきます。一度できても、マニュアル化は決してできません。子どもたち1人ひとりの成長のライフサイクルを生み出すきっかけづくり。チームプレイによる学びのリーダーシップは、先見性はあるものの、合理的ではない対話によってはじめて持続可能になります。
★たとえ、離れていても、学びのリーダーのみなさん、いつも私もいっしょにいます。あらゆるもの、あらゆることは、新しく生まれるのではありません。いつもありてある存在から「想起」されるのです。子どもたちの存在を大切にしてください。必ずそこから「想起」されるはずです。学びのリーダーシップとは、子どもたちを教え育てるのではなく、子どもたちが自らの存在に気づき、子どもたち1人ひとりがそれぞれの存在の意味を「想起」するまで、いっしょにいる気遣いそのものです。それを今もいつも世々にいたるまで互いに確認していきましょう。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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