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私立学校の理念のタイプ[17]~京北学園の川合校長先生との対話⑦

私立学校の理念のタイプ[16]~京北学園の川合校長先生との対話⑥のつづきです。京北学園の校長川合正先生の「ていねいなコミュニケーション論」は、言葉の両義性を経験知として実感できるプログラムだという仮説を立てているのですが、もう少し例をみてみましょう。

☆初めての授業で、川合先生はよくフェルトで作ったボールを使います。「ネームトス」というプログラムです。自分の名前を言って、ボールを相手に渡します。そして渡された生徒は、今度は自分の名前を言って、返します。投げ方によって、ボールを受け取りやすかったり受け取りにくかったりします。

☆すると、川合先生は、このやりとりを言葉に置き換えます。言葉のやりとりがしやすい場合としにくい場合をみんなで考えるわけですね。

☆次にボールの代わりに柔らかいリングを使います。ボールより受け取りにくいので、みな慎重になります。すかさず、リングを言葉に置き換えます。リングを受け取る、つまり言葉に耳を傾けるということは本来は難しいことなのだということについて気づきが生まれます。

☆コミュニケーションの大切さと難しさの2極の中で、生徒たちはいろいろ考えを巡らします。また、ボールと言葉、リングと言葉という比喩は、たとえられるものとたとえるものの2極です。ボールとリングの差異も2極です。

☆両義性の複合的なプログラムが、一見すると単純なやりとりゲームの中で行われているのです。これらの2極の間のどこでバランスをとるのか、あるいは2極から抜け出て新たな極を生み出すのかは、生徒ひとりひとり差異があるのです。この差異をめぐってディスカッションするということが、収まるところに収まるのですね。この収まり具合が、信頼関係の質を定めるわけです。

☆ここにはアダム・スミス的な見えざる手によるベクトルの定まり具合のコンセプトが見え隠れします。コミュニケーションは、基本的にはアダム・スミス的な市場の原理が成り立つかどうかの制度設計にかかっています。川合先生の「ていねいなコミュニケーション論」は21世紀の経済の制度設計にも影響を与える考え方です。

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