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名門校の条件[21]~茂木健一郎氏のコンセプト

名門校の条件[20]~茂木健一郎氏のコンセプトのつづきです。茂木健一郎さんは、自己と他者の利益のどちらを優先するのか、それともどちらも優先するのか、はたして後者は可能なのかについて、「欲望する脳」で問いつづけていますね。

基本的には自分の利益を図る人間同士がぶつかるから、社会の中に様々な軋轢が生まれる。デジタル資本主義の下、貧富の差が拡大し、階層が固定化される傾向のある現代、社会というのは人間の欲望がぶつかり合う野蛮な場所であるという現実認識に肯く人は一昔前より増えてきたのではないか。夏目漱石が晩年「則天去私」の境地に憧れたのも、友人を裏切って自殺に追い込んでしまったことに対する悔悟を抱えて生きる「先生」の葛藤を描いた『こころ』に表われているように、人間のエゴを正面から見つめるその心性ゆえであろう。・・・これらの思索は、欲望する自分というものに対して消極的である点において、欲望の解放をこそ是とする現代社会に対するアンチテーゼと成り得る。(「17 不可能を志向すること」から)

★たしかにアンチテーゼと成りうるのですが、基本的には自分の利益が大事なのだから、欲望を多少抑えたところで、程度問題で、どこで抑えるかその線引きは曖昧です。この曖昧さが、議論になると自己の利益のために欲望を解放して構わないのだ、結果的に最適化するからという発想に勝てないのでしょう。

★そこで、茂木健一郎さんは、この両方の葛藤を乗り越えるには、孔子の境地が有効であると言うのです。

孔子の「七十而従心所欲、不踰矩」の境地は、欲望する存在としての自分を引き受け、いろいろとやっかいなことのある人間にとどまりつつ、しかもいかに生きるべきかという倫理の問題をクリアするという、積極的なものである。そのような欲望の錬金術が果たして可能なものなのかどうか、いろいろと難しいことのように思われるが、欲望という「毒」の暴走する現代における「解毒剤」として、欲望の周辺のことをもう少し考え続けよう。(同上)

★欲望の昇華ということだろうが、それはいかにして可能なのか、それが問題ですね。しかし魅力的であることにかわりはありません。欲望を抑えない、でもうまくいっちゃうという思想だからですね。現代社会は、欲望を抑えたがらない、それでは困るというのは文科省。つまり欲望抑圧説ですね。これに対し、茂木健一郎さんは、欲望昇華説。欲望変態説と呼んでもよいかもしれません。これに対し夏目漱石は欲望解脱説ですね。

Apot ★ここに欲望に関しては4つの価値観がはっきりしましたね。「欲望昇華説」「欲望解放説」「欲望抑圧説」「欲望解脱説」。これらの背景価値は、それぞれ「アドバンスモダン」「ポストモダン」「オールドモダン」「トラスモダン」という4つの近代APOTに対応します。

★どうやら名門校の条件は、オールドモダンではなく、アドバンスモダンに根っこがあるようです。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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