☆教師の質[02]~共立女子のつづきです。今日はクリスマス・イヴですね。世界中の教会で人々が、天空の屋根の下で貧しき子どもたちが、そしてなぜか世界中のショッピング・センターで消費者が、イエス・キリストの誕生を静かに、あるいは大騒ぎして祝福することでしょう。
☆昨日、聖園女学院では、中1生・聖歌隊・有志参加の生徒たちのドラマ「クリスマスタブロ」が催されたようです。イエス・キリストの誕生のドラマを生徒たちがどのように演技するのか、拝見したかったのですが、残念なことに都合がつかず伺うことができませんでした。
☆しかし、日頃からカトリック精神に満たされている生徒さんたちですから、そのイメージを自分たちの身体と心と声と身にまとう衣装すべてを適切な素材として、表現デザインしたことでしょう。
☆聖園女学院の生徒たちが、巧みに表現デザインをするにはわけがあるのです。それは国語で言葉による表現内容と表現形式を、宗教で魂による表現内容と表現形式を、美術でイマジネーションによる表現内容と表現形式を学んでいるからです。
☆おそらく社会では、ものごとの背景文脈の表現内容と表現形式を、数学では連続と非連続の表現内容と表現形式を、理科では現象背景の表現内容と表現形式を学んでいるものと推察します。
☆しかし、直接ヒアリングによって、あるいは論文によって私なりに推察できるのは国語、宗教、美術の先生方のものの見方・かんがえ方です。そのうえで、シラバスを読んだとき、特にはっとしたのが美術のシラバスです。
☆中学の美術のシラバスにこんなフレーズがあります。
「美術とは精神と物質のダイナミズムである」といえると思います。精神とは目に見えないことがらであり、物質は色や形のことです。つまり作品づくりは精神的なことがらを色や形に翻訳することを、鑑賞は作品の色や形から精神的なことがらを導き出すことを意味することになります。
☆一方、高校の美術のシラバスにはこんなフレーズがあります。
基本的には作品制作が中心である。いずれの課題もいわゆる自己表現をテーマにしないので、‘心地よい素材との戯れ’を美術表現であるとする考えから距離をおいている。常にテーマと素材・技法の関係の適切さに配慮して制作することになる。
☆ここにはあらゆる物質や他者と隔絶した脆弱な個人の思い込みを厳しく退ける、したがって、逆に自己とまったく隔絶した物質や他者の強制を厳しく退ける美学的修業の道が示されています。
☆おそらく、このシラバスは美術科の教師小川先生が中心となって制作されていると思います。というのも、ここにはナチの圧力に翻弄されながらも自己の道をそれぞれに追求していったバウホイスラーたちの影響を感じるからです。小川先生は、バウホイスラーの一人ラスロ・モホリ=ナギの研究論文を書かれています。
☆精神の構想を実現するには、適切な素材の性質を知性と感性の両方で体得する必要がありますが、この点に関して芸術的モデルネとして確立したのがバウハウスですね。ベルリンの壁崩壊後のベルリンの都市は、バウハウス流儀の建築ラッシュです。
☆小川先生の授業では、生徒たちは、常に素材の差異を活用して、地と図の反転に驚きを感じる制作をしているはずです。かつて一度生徒さんたちの作品展に訪れたことがあるのですが、そんなことを感じたのを思い出しました。
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