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2007年12月

2008年を首都圏私立中学受験から見る[05]

0712150_22008年を首都圏私立中学受験から見る[04]のつづきです。女子選択校のリストを2つ追加しておきましょう。150人以上200人未満のリストと130人以上150人未満のリストです。

☆そして、200人以上の層、150人以上200人未満の層、100人以上150未満(リストは130人以上です)の層に分けて、それぞれの層における、4つの学校タイプの占有率を比較するグラフもつくってみました。

0712100 ☆男子選択校と同じように、エクセレントスクールが高い人気があるのは当然ですが、エリートスクールだけではなくクオリティスクールも重視されているところが男子選択校の場合と違うところですね。これは21世紀社会において女性がリーダーシップを発揮するチャンスが多いからです。もっとも世界標準において日本の女性進出はまだまだ規制されていると言われています。

07124 ☆しかし、だからこそ女子選択校の重要性は年々増すばかりということでしょう。ところで男女共学校の場合、男子はエリートスクールのベクトル、女子はクオリティスクールのベクトルという両立しがたい状況にあるのが現実です。男女共学の場合は、桐光(男女別学ですが)や渋谷教育学園グループのようなエクセレントスクールを選択すれば、その矛盾を解決できるでしょう。

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2008年を首都圏私立中学受験から見る[04]

2008年を首都圏私立中学受験から見る[03]のつづきです。前回男子選択校の特徴は投資型で女子選択校の特徴は消費型という通念は、考え直した方がよいと述べました。そうは言っても、私の力ではこれは難問です。年明けに私学の先生方のお知恵を拝借するとして、その前の準備をしておきましょう。

☆教育を経済学で見る場合、次の2つの書が役に立ちます。小塩隆士著「教育を経済学で考える」(日本評論社2003年)、荒井一博著「学歴社会の法則 教育を経済学から見直す」(光文社新書2007年)がそれです。

☆ただし、これらは20世紀型産業社会の中で役に立つのだということを忘れずに読んでいただかないと、鵜呑みにしては閉塞状況に陥ってしまいます。ここで成り立つシグナル理論、簡単にいえば、社会的レッテル貼りです。

東大に合格した=優秀な人材=高所得という図式ですね。

人的資本論は、学力が高い=優秀な人材=高所得という図式です。

Photo_2 ☆しかし、これらの資本は収穫逓減の法則にしたがい限界があります。外部環境に対する効果はあげますが、自分の収入にはそれを組み入れられず、熱効率がだんだん悪くなります。それが「学校選択と投資理論」の図にあるように、20世紀型人材の範囲で描く、資本曲線です。

☆ところが21世紀型人材というのは、学歴があるかないかといえばあったほうがよいのだけれど、非学歴の条件でも、かなり裕福な状況を作ることができるのです。クリエイティブクラスというのは、この21世紀型人材を指しています。

☆20世紀型人材の教育環境や社会関係は、消費と投資を区別しています。生産者と消費者を区別します。学歴と人脈の密着性を大事にしています。知識と体系の記憶と安定を大事にしています。物づくり産業資本を何より優先しています。労働者は仕事場に拘束され、グローバルな移動性は原則ありません。労働者は外部経済は回収できません。日本はいまだにこのレベルですね。フランスも似ています。

☆ところが、21世紀型人材の教育環境や社会関係は、消費と投資は表裏一体です。消費者自ら生産のためのニーズを提供します。マーケティングの仕方が全く違うのですね。学歴と人脈よりWeb社会の関係性を重視します。知識と体系は創造的に破壊されるターゲットです。産業資本・金融資本・人材資本・社会関係資本のバランスを最適化することが最重要です。労働者という概念がありません。経営者であり労働者です。これをクリエイティブクラスと呼んでいます。グローバルな移動は当り前で、時間と空間は横断的かつカオスモスです。外部経済は収益に回収します。フィンランドはこのレベルに到達しようとしているのです。イギリスがブレア政権以降、このレベルに到達しようとしています。もちろん、良し悪しは別にしてサッチャー政権の改革が利いているのですけれど。

☆ICT産業が欧米に相当遅れをとってしまったのは、日本の人材概念、教育環境、社会関係環境が、すべて20世紀型だからです。2008年に向けて、金融商品のターゲットは、日本の場合は、まだまだ物づくり企業に投資しようという動きです。しかし株ではなく、為替という金融商品を、ものづくり企業のために軽視しているために、GDPは転落する一方です。

Photo_3 ☆市場経済の中で勝ち組の企業はあるでしょうが、国力はグローバリズムの市場で負けこみます。日本の経済は、市場経済で、戦略的に負けこみます。国はこの状況を救うこともできません。これは欧米の動きとはまったく違いますね。日本は、国家単位では市場も信用できないけれど、国家も信用できないのです。これは困ったことなのでしょうか。それとも起死回生の戦略があるのでしょうか。

Apot ☆日本は国家も欧米のような民主主義国家には育たなかったし、市民社会と国家の葛藤という歴史もなかったわけですから、欧米と同じような国家観や市民社会観を持とうというのがはじめからミスコンセプトだったわけです。日本が進むべき道は、クリエイティブ・シチズン社会ですね。封建社会江戸時代の否定に成り立つ欧米化近代化ではなく、封建社会江戸時代の民主化によるもう一つの近代化、つまり私学の系譜に即したものです。アドバンスモダンへの道といってもよいのですが。

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2008年を首都圏私立中学受験から見る[03]

2008年を首都圏私立中学受験から見る[02]のつづきです。前回「併願校戦略において、リスク分散をする判断として、やはり日本の教育環境や金融経済環境が変わるか変わらないかがポイント」と述べました。もう少し男子選択校のリストを見てみましょう。200人以上250人未満ではどうでしょうか。

0712200☆このリストでもやはり、エクセレントスクールが70%です。30%はエリートスクールかトラディショナルスクールですね。どうやら男子選択校の受験生というか保護者の多くは、日本の教育は変わっても変わらなくてもどちらにも対応できるエクセレントスクールをまず第一志望とし、第二志望以降は、2014年までに日本の教育環境や社会環境には変化はないと判断しているようです。

☆当たり前といえば、当り前なのですが、変わらないと判断しているところは、どのように考えればよいのか、ここは見逃せない問題です。変わることが善でもないし、変わらないことが善ではないということでもないからです。ここにはどいう問題が横たわっているのでしょうか。

☆私自身は変わるのではないかと思っていますが、欧米化するわけではないと思っています。世界標準を乗り越える形で変わると考えています。欧米化するわけではないので、ある意味変わらないと見える可能性もあるわけです。この日本の教育環境や社会環境の変化をどうとらえるかが、2008年以降の課題です。

0712150 ☆ところで、150人以上から200人未満の男子選択校のリストを見てみましょう。するとエクセレントスクールは30%、狭い意味でのクオリティスクールは1校ですから、70%弱がエリートスクールかトラディショナルスクールです。日本の教育環境や社会環境は変わらないと判断していることがよくわかります。

☆ここですぐに男子校は投資型で女子校は消費型だとなるわけですが、ここは考え方を転換する必要があるかもしれません。この当たり前になった考え方に何か誤りPhoto があったとしたら、この通説が日本を閉塞状況にしている原因なのかもしれません。

☆というのも人材に関する考え方が、日本ではずいぶん変わってきているわけです。この変化がエリートスクールには見えないのですが、それは見えないだけなのかもしれません。というのは、この領域は、見えている部分は大学進学実績やパンフレットに表わされている結果です。なぜそういう結果が出たのか、そのプロセスを見える化しているわけではないのです。

☆このプロセスに変化があるとしたらどうでしょう。ここを見るにはどうしたらよいのでしょうか。「組織マネジメント」と「教師の頭脳・ハート」をサーベイするしかないでしょう。それには実は入試問題とシラバス(カリキュラムではなく)と授業の分析が必要だということでしょう。

☆ここを見ない限り、私立中高一貫校の本当のところは見えてこないということでしょう。2008年の私立中学の研究は、私のみならず、マスコミも、そこに焦点をあてていかざるを得ないということになるでしょう。

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2008年を首都圏私立中学受験から見る[02]

2008年を首都圏私立中学受験から見る[01]のつづきです。女子選択校は、志望者数200人以上のリストを作りましたが、男子選択校の場合は、250人以上でリストを作りました。(男子選択校の方が、女子に比べ少ないので、密度が高くなるわけです)

0712250 ☆このリストのうち60.9%がエクセレントスクールです。ほかはすべてエリートスクールです。やはり、狭い意味でクオリティスクールはこのレベルには浮上してきません。ここが女子選択校と違いますね。

☆エリートスクールの中にはMARCH系の付属中が多いのですが、ここには1つの期待があると思います。2008年に中学に入学したら2014年に卒業するわけですが、そのときには日本社会は、もっとフラット化し、経済・金融社会中心になっているはずだ、政治権力的な大学より、商業精神を高揚している道の方が投資効果は大きいと。

☆大学受験勉強にかける時間を、ビジネスの経験値をあげるために時間を傾注できるはずという予測でしょうか。はたして大学付属やMARCHがそういう方向になるかどうかは、不確実性も誤謬性も高いのですが。

Photo ☆そういう意味では、エクセレントスクールの方が投資効果は高い。それはあまりにも当然なのですが、エクセレントスクールからエリートスクール的要素を差し引くと、狭い意味のクオリティスクールになります。クオリティスクールの方が、社会の変化に柔軟に対応できるはずですが、どうしても既存のブランドも欲求するとなるとエリート校の中のMARCH系の付属校ということになるのでしょうか。

☆もっとも、このリストの中で2月1日入試校に限れば、すべてがエクセレントスクールになります。したがって、2月1日以前、2月2日以降の併願校戦略において、リスク分散をする判断として、やはり日本の教育環境や金融経済環境が変わるか変わらないかポイントということですね。

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2008年を首都圏私立中学受験から見る[01]

☆12月23日実施のセンター模試から、どういう学校が人気があるのか、少しだけ確認してみましょう。すでに12月の1回目のセンター模試で傾向をみていますから、そう詳しく見る必要性はそれほど大きくはないのですが、念のため。

☆そして結論的に言うと、センター模試で学校選択の動向を見ることができるのは80%なんです。えっと思われるでしょうが、これはセンター模試自身がいつも表明しいることからもわかります。R4という偏差値は、合格確率80%を示すものですから、当然ですね。

☆逆にいえば、20%は不確実性(uncertainty)だとか誤謬性(fallibility)とか呼ばれる領域です。今まさに受験しようという6年生は、R4偏差値が十分達していても、不安だというのは、この不確実性や誤謬性があるからです。また、R4に達していなくても思い切って挑戦しようと思うのも、この不確実性や誤謬性があるからです。

☆しかし、もしもR3という偏差値を使ったらどうでしょう。この偏差値は合格確率50%なんです。不確実性と誤謬性は50%にもなります。知識と技術以外に、精神や根性がやっぱり受験には必要になるというのはこういうわけです。

☆さて、学校選択の動向については、どうでしょう。実はこれも不確実性や誤謬性は、当然ながらあります。全国中学入試センターが公表している志望校登録者数の情報は34人以上です。34人以上の入試校は、実はほぼ50%なんですね。

☆だから50%の入試校は、公表されていないのです。一般人がセンター模試のデータだけで、学校選択の傾向をみていくと、そこにおける不確実性や誤謬性は高すぎるんですね。ですから、自分の目で、足で学校を見て歩かなければならない理由があるのです。もっとも、他の模擬試験に関しても同様のことがいえるのですね。

0712200 ☆ですから、模擬試験はあくまで参考程度で、最終的には自分で選択校を決定することが重要です。200人以上志望者を集めた学校のリストを見ると、ほとんどがエクセレントスクールあるいはエリート校です。これらの領域の学校は、前者はクオリティをきちんと見える化している学校です。後者は、そこを見える化してはいないけれど、世にわかりやすい成果を数字で出している学校です。

Photo ☆この両スクールのエリアにある学校は首都圏私立中学の50%。50%は見えない。クオリティスクールとトラディショナルスクール。両種類の学校に行ってみると、どちらがクオリティスクールかトラディショナルスクールかは、すぐにわかります。

☆八雲学園、中村中(もっとも八雲学園、中村中はすでに見える化していて実質エクセレントスクールですが)、東京女子学園、白梅学園清修、宝仙理数インター、広尾、かえつ有明(一部の試験をみればエクセレントスクールに属しています)が、いかにクオリティの高い教育を実行しているかすぐに伝わってきます。

☆受験情報誌以外にも最近多くのマスコミが私立中学の情報を流していますが、信頼性の高い情報というのは、結局長い時間取材してレポートされたもののみですね。本来データのほうが客観性を持っているのですが、完全にオープンな組織がつくっているデータではないし、テストセンターとして長年正当性と信頼性を研究してきたメンバーで構成しているわけではないのです。3大模擬試験のデータは妥当性はあるけれど、信頼性と正当性は、学校選択者が自ら判断するしかないし、マスコミもそのことをもっと明確にして、信頼性と正当性の度合いを高める記事を載せる必要があります。

☆2008年、日本の教育が世界標準に追いつけるかどうかは、教育業界、受験業界全体がオープンな組織になるところから始まります。全国学力テストや模擬試験のオープンな活用ができるような仕掛け作りが大切ですね。それを促進するのに大きな力になるのは、マスコミの大きな役目です。デモクラシーの基本は言論の自由なのですから。

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私立学校の理念のタイプ[18]~京北学園の川合校長先生との対話⑧

私立学校の理念のタイプ[17]~京北学園の川合校長先生との対話⑦のつづきです。川合先生の書かれている「月刊学校教育相談 2007年6月号」の「ワークショップ ていねいなコミュニケーション」も興味深い内容です。

☆川合先生は、まず次のような場面設定をします。

<「いつも活発で明るかった子ども。最近、元気もないし、話しかけても言葉数が少なくなったと気にしていた子から、ある日「先生、学校がおもしろくないんです。どうしてこんなに勉強しなくちゃいけないんですか?」と聞かれました。>

☆そして参加している先生方に、「この会話に続いて言葉かけをしてみてください」と問いかけ、カードにその言葉を書いてもらいます。一度回収し、シャッフルしてランダムに返します。今度は、その先生方の言葉に、子どもになったつもりで返事してくださいと。

Photo ☆すると、うまくいかなかった言葉かけが見えてきます。川合先生は、言葉かけの種類を、7つのカテゴリーに分類しています。

☆このグラフを見れば、一目瞭然、先生のせっかくの言葉かけも、子どもの心を閉ざすことになるのがわかります。

☆ただただ伴走するコミュニケーションをするのは、たいへん難しいということがわかります。ここでも「言葉かけの両義性」の問題が問われているのですね。

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私立学校の理念のタイプ[17]~京北学園の川合校長先生との対話⑦

私立学校の理念のタイプ[16]~京北学園の川合校長先生との対話⑥のつづきです。京北学園の校長川合正先生の「ていねいなコミュニケーション論」は、言葉の両義性を経験知として実感できるプログラムだという仮説を立てているのですが、もう少し例をみてみましょう。

☆初めての授業で、川合先生はよくフェルトで作ったボールを使います。「ネームトス」というプログラムです。自分の名前を言って、ボールを相手に渡します。そして渡された生徒は、今度は自分の名前を言って、返します。投げ方によって、ボールを受け取りやすかったり受け取りにくかったりします。

☆すると、川合先生は、このやりとりを言葉に置き換えます。言葉のやりとりがしやすい場合としにくい場合をみんなで考えるわけですね。

☆次にボールの代わりに柔らかいリングを使います。ボールより受け取りにくいので、みな慎重になります。すかさず、リングを言葉に置き換えます。リングを受け取る、つまり言葉に耳を傾けるということは本来は難しいことなのだということについて気づきが生まれます。

☆コミュニケーションの大切さと難しさの2極の中で、生徒たちはいろいろ考えを巡らします。また、ボールと言葉、リングと言葉という比喩は、たとえられるものとたとえるものの2極です。ボールとリングの差異も2極です。

☆両義性の複合的なプログラムが、一見すると単純なやりとりゲームの中で行われているのです。これらの2極の間のどこでバランスをとるのか、あるいは2極から抜け出て新たな極を生み出すのかは、生徒ひとりひとり差異があるのです。この差異をめぐってディスカッションするということが、収まるところに収まるのですね。この収まり具合が、信頼関係の質を定めるわけです。

☆ここにはアダム・スミス的な見えざる手によるベクトルの定まり具合のコンセプトが見え隠れします。コミュニケーションは、基本的にはアダム・スミス的な市場の原理が成り立つかどうかの制度設計にかかっています。川合先生の「ていねいなコミュニケーション論」は21世紀の経済の制度設計にも影響を与える考え方です。

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私立学校の理念のタイプ[16]~京北学園の川合校長先生との対話⑥

私立学校の理念のタイプ[15]~京北学園の川合校長先生との対話⑤のつづきです。京北学園の校長川合正先生の「ていねいなコミュニケーション論」は、実にわかりやすいし、実行力があるのです。

☆なぜ実行力があるかというと論の設計が多角的だからです。たとえば、お母さん方にあんまり怒ってばかりでストレスをかけるのはちょっと考えものですと川合先生が語るとき、ただほめることが良いのだと説教するだけではないのです。

☆人の行動や成長の邪魔をするメッセージのことを「ゴーレム効果」といいます。反対に「親や教師が子どもに対して期待を持ち、その子の長所を伸ばそうという温かい態度で接していれば、彼らも期待に応えて伸びていく可能性が大きい」ことを「ピグマリオン効果」といいます。というように、コミュニケーションの両義性というか多義性をきちんと対比して語るんですね。

☆これで、親は子どもにどのように接するかというと、「ゴーレム効果」と「ピグマリオン効果」の間をいったりきたりするようにコミュニケーションをとれるようになるのです。

☆親子のコミュニケーションで、「ゴーレム効果」だけが使われれば、ものすごい修羅場になります。子どもたちの反発はすさまじいし、最近の悲惨な事件のきっかけは、おさらくゴーレム・コミュニケーションが親から子どもに日常的になされていることからくるのではないでしょうか。

☆逆に親が「ピグマリオン効果」だけ使ってみたと仮定してください。やはり最後は親のがまんが切れて、虐待に転ずるとも限りません。これも悲しい事件をひきおこしているのではないでしょうか。

☆大事なことはこの両方を最適化することなのです。子どもも親も、それぞれ人によって違う(この差異が大事です)のですが、限界一歩手前ぐらいまでのプレッシャーやストレスはないと逆にサバイブする力は生まれないのです。

☆アメとムチとか愛のムチとか矛盾した表現がありますが、これは家庭や社会の知恵ですね。もちろん、どちらか一方に偏るととんでもないことが起こるわけです。

☆川合先生の「ていねいなコミュニケーション論」は、親に対しワークショップで行われますから、体験を通して、言葉の両義性の概念を経験知に変換できるのですね。これによって、親は、今自分のコミュニケーションはゴーレム・コミュニケーションなのかピグマリオン・コミュニケーションなのか意識しながら、子どもと接しながら試行錯誤で限界値を探しながらコミュニケーションをとっていけるようになります。

☆ほどよいダブル・バインド状態を作り出すのが、コミュニケーションの達人というわけです。言葉の多義性あるいは両義性の最適化こそ川合先生のコンセプトです。ところが言葉のどちらか一方を強調するミスコンセプトが時代をおおっています。川合先生のコミュニケーション論が大事なのは、このミスコンセプトに対抗することができるところにあります。しかも経験知として実行力があるという点なのです。

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東大・京大・早大・慶大大学院交流構想

☆年末のこの時期に、なぜか朝日新聞、読売新聞、日経新聞などで、東大・京大・早大・慶大の大学院交流構想が公表されました。相互に研究の行き帰をし、単位の互換などもやるようです。

☆もともと学問の自治・自由が保障されている研究者ですから、いまさらと思うのですが、海外の研究機関と対抗できるということでしょうか。どうせなら国立大学も独立法人化したわけですから、4つの大学が吸収合併してしまえばよいのに・・・。どこが吸収するのかはともかく・・・。

☆しかし、そんなことうまくいくわけないですよね。そうしなくてもオープンな組織体であれば、問題ないのですが、オープンな組織でもないし、とりあえず大学院ぐらいはということでしょうか。

☆おそらく、東大・京大にしてみれば寄付セミナーやOB・OGからの寄付金があてにできるのでしょう。特に慶応の同窓は集金ターゲットになるわけですね。

☆早稲田や慶応にしてみれば、東大・京大のブランドを活用できるわけで、実に経済原理で動いているのではないかと憶測してしまうのですが、それでよいのだと思います。カントが大好きな、かりにカントでなくても、カール・ポパーやバートランド・ラッセルの好きな学者が多いと思いますから、経済原理で動くことが、理念と現実の統合はできるのです。

☆カントは「商業精神」と「金の力」が平和にとって最適な力だと言っていますからね。最近何度もこのことを言っていて、いささか気がひけますが、時代の精神がやっとカントに追いついてきたということを言いたいのです。

☆最前線の知と時代の精神にはこのようにズレがあるわけです。このGAPを埋めるべきか埋めざるべきか、市民感覚が重要か大衆感覚が重要か。日本は後者かな。市民というコンセプトをスルーして大衆感覚でものいう日本。それもありかもしれません。欧米流儀と日本流儀の違いは、ここにあるかもということです。意外と大事な点かもしれません。

☆オルテガの「大衆の反逆」のターゲットはヨーロッパ市民でしょうから、日本の視点は新しいかもしれません。江戸のような民衆文化も、意外と欧米文化と肩を並べたりするのですから^^)♪

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東大のブランド戦略プロセス

☆国際教育研究家岡部憲治さんが、「東京大学 アクションプラン 。。。ブランド戦略の妙」というコラムで、東大のブランド戦略について語っています。これは私立学校も公立学校も参考になるかもしれませんね。

☆この戦略は、小宮山総長が就任して以来構想及び実行してきた中長期計画の1つの総決算でしょう。130周年記念行事の一つでもあるのでしょうが。それにしても、130年前、加藤弘之が初代総理になってから、ダーヴィニズムで、「富国強兵」「殖産興業」「優勝劣敗」(今でいう「勝ち組・負け組」)路線を驀進してきた東大。一方で、おもしろいことに、これに学内で対峙した「私学の系譜」に位置する南原繁、矢内原忠雄、石川角次郎の思想の存在。

☆日本のオールド・モダンもポスト・モダンももう一つのモダンもすべての源泉になっている学問の拠点についてどんなことがまとめられているのでしょうか。文化としての東大という視点でおもしろいと思います。もっとも目次だけからでは、影の部分はあまり書かれていないようですね。安藤忠雄さんや茂木健一郎さん、カリ・オラビ・ライビオ(ヘルシンキ大学 学長)さんなどが登場しているのは、なるほどブランド戦略の妙というわけでしょうか^^)。

☆とにもかくにも、たしかに転機の東大なのでしょう。この転機を追った(断片にすぎませんが)レポートを昔書いたことがあります。参考になるかもしれないので、次にリンクしておきます。

①≪未来を創る学校≫セミナー vs.「小宮山宏東大総長」特別講演会

②東大合格者発表の季節(10)

③東大合格者発表の季節(了)

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公立学校で私学のクオリティ教育を維持することはいかにして可能か?[01]

☆本ブログ「私立学校研究」は、私立学校でなければ教育はできないなんてことを標榜するブログではありません。私立中高一貫校のクオリティ教育とは何か、いかなる条件で成立するのかについて、私立学校の先生方といっしょに考えていくことによって、未来の人材育成の諸条件を明らかにしていきたいと思っているのです。

☆公立学校の教育が、このような私学のクオリティ教育をモデルにがんばってくれるのが何よりなのです。なぜかというと日本全体で、首都圏私立中高一貫校というクオリティ教育をゲットできるのは、同年齢人口の3%に過ぎないのですから、このままではクオリティ教育格差がついてしまうということなのです。

☆学力格差とか経済格差という量の格差は、実はクオリティ教育格差という質の格差があるわけですね。量から質という考え方もありますが、量は質が生むと考えた方がよいのではないかと最近は思っています。アダム・スミスの分業コンセプトとは、そういうことだったんですよね。

☆量といってもいろいろあるんですけどね。大量生産ということだけではありません。希少価値を生み出すという意味でも量です。要するに量とか質とかという考え方は曖昧だということでしょうか。それはともかく、私立学校と同質の教育を、公立学校で可能なのかどうか考えてみることは大事ですね。97%の中学校1年生(日本全体の私立中高一貫校を考慮に入れれば93%)が、公立に通うわけですから。

☆もしも公立学校にお任せ、まる投げでいこうとするなら、うまくいかないでしょう。しかし、これは私立学校においてもそうです。というのは、結局うまくいくかいかないかは、本人のやる気しだいだからです。ただ私立学校のクオリティ教育は、この本人のモチベーションに火を付けるコミュニケーションの質が高いんですね。

☆ですから、公立学校は、子ども自身あるいは保護者が、任せるのではなく、活用することによって、私立学校のクオリティ教育を補完する術を考える必要があります。「公立学校活用術」をみんなで考えていくことが重要ですね。公立学校の教育の質を向上させる教育再生や教育改革なんてことを考えても、自分の子どもにはすぐによい影響があるわけではないのです。

☆むしろより良い環境の公立学校の選択を考えたり、通っている公立学校の質を評価し、不足している部分をどう自衛するかという「公立学校活用術」を考えた方が得策です。これはある意味市場の原理の導入です。市場の原理というと「競争」というのが前面にでてきますが、「競争」が成り立つ条件について議論されることがあまりに少なすぎます。

☆子どもたちや保護者が、自分の学校の質を評価し、使えるところは使うという行為が合理的経済行為です。私立学校のクオリティ教育との格差を、私学に通わせることで補完するか、それができなければ、別の方法で、つまり「公立学校活用術」で補えばよいのです。

☆教育は学校の教師が与えるものではありません。教育は自ら陶冶する行為です。自分の学力や教養がうまく身に付かないのは、教師や学校がダメだからだというのでは、あまりに無責任です。しかし、自己責任だというつもりはありません。税金制度がある以上、その制度設計のチェックは重要です。その結果欠陥があれば、責任追及は当然です。しかし、それは道義上の問題ではなく、あくまでも法律的に解決したいものです。リーガルマインドで接するのは、保護者の権利であり義務ですね。

☆それはともあれ、学校はあくまでもサポートだと決断するところから「公立学校活用術」を考えていきたいと思います。

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私立学校の理念のタイプ[15]~京北学園の川合校長先生との対話⑤

私立学校の理念のタイプ[14]~京北学園の川合校長先生との対話④のつづきです。「月刊学校教育相談」で川合先生が連載している「ワークショップ ていねいなコミュニケーション」は、方法論と考え方がセットになっている論文です。

☆よき雰囲気をつくるコミュニケーションもあるし、そうでないコミュニケーションもあるから、前者のコミュニケーションをつくるにはどうしたらよいかが川合先生のコミュニケーションの両義性という、本質的な問題提起です。

☆同時に、その方法論をワークショップ型で実践していきます。この方法論については、ぜひ論文を読んでいただきたいのですが、いくつかご紹介しないがら、考えてみましょう。

☆まず初対面の授業の場合です。「月刊学校教育相談 2007・4月号」でこう川合先生は語ります。

教師の「伝えたいこと」が、子どもたちの「知りたいこと」と一致するとは限りません。

☆さらりと書かれていますが、このような教師の考え方は、教室の中では、なかなかないのが通常です。よく子ども目線、生徒目線といわれますが、そのような目線、つまり教師の目せんと子どもの目線をどのように一致させたらよいのでしょうか。

☆しかもはじめて会う授業の中で、どうすれば・・・?川合先生は、生徒に教師へインタビューしてもらうチャンスをつくります。生徒の興味と関心が、そこにいきなり開くわけです。「クラス開き」こそ初対面で信頼関係構築の瞬間だということです。

☆これは教師が自分に自信がないとできないことでもありますが、それよりも間違いを自らが恐れない勇気と寛容性がないとできないことです。完全に20世紀型の教師あるいは授業とは違うコンセプトです。

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教師の質[03]~聖園女学院

教師の質[02]~共立女子のつづきです。今日はクリスマス・イヴですね。世界中の教会で人々が、天空の屋根の下で貧しき子どもたちが、そしてなぜか世界中のショッピング・センターで消費者が、イエス・キリストの誕生を静かに、あるいは大騒ぎして祝福することでしょう。

☆昨日、聖園女学院では、中1生・聖歌隊・有志参加の生徒たちのドラマ「クリスマスタブロ」が催されたようです。イエス・キリストの誕生のドラマを生徒たちがどのように演技するのか、拝見したかったのですが、残念なことに都合がつかず伺うことができませんでした。

☆しかし、日頃からカトリック精神に満たされている生徒さんたちですから、そのイメージを自分たちの身体と心と声と身にまとう衣装すべてを適切な素材として、表現デザインしたことでしょう。

☆聖園女学院の生徒たちが、巧みに表現デザインをするにはわけがあるのです。それは国語で言葉による表現内容と表現形式を、宗教で魂による表現内容と表現形式を、美術でイマジネーションによる表現内容と表現形式を学んでいるからです。

☆おそらく社会では、ものごとの背景文脈の表現内容と表現形式を、数学では連続と非連続の表現内容と表現形式を、理科では現象背景の表現内容と表現形式を学んでいるものと推察します。

☆しかし、直接ヒアリングによって、あるいは論文によって私なりに推察できるのは国語、宗教、美術の先生方のものの見方・かんがえ方です。そのうえで、シラバスを読んだとき、特にはっとしたのが美術のシラバスです。

☆中学の美術のシラバスにこんなフレーズがあります。

「美術とは精神と物質のダイナミズムである」といえると思います。精神とは目に見えないことがらであり、物質は色や形のことです。つまり作品づくりは精神的なことがらを色や形に翻訳することを、鑑賞は作品の色や形から精神的なことがらを導き出すことを意味することになります。

☆一方、高校の美術のシラバスにはこんなフレーズがあります。

基本的には作品制作が中心である。いずれの課題もいわゆる自己表現をテーマにしないので、‘心地よい素材との戯れ’を美術表現であるとする考えから距離をおいている。常にテーマと素材・技法の関係の適切さに配慮して制作することになる。

☆ここにはあらゆる物質や他者と隔絶した脆弱な個人の思い込みを厳しく退ける、したがって、逆に自己とまったく隔絶した物質や他者の強制を厳しく退ける美学的修業の道が示されています。

☆おそらく、このシラバスは美術科の教師小川先生が中心となって制作されていると思います。というのも、ここにはナチの圧力に翻弄されながらも自己の道をそれぞれに追求していったバウホイスラーたちの影響を感じるからです。小川先生は、バウホイスラーの一人ラスロ・モホリ=ナギの研究論文を書かれています。

☆精神の構想を実現するには、適切な素材の性質を知性と感性の両方で体得する必要がありますが、この点に関して芸術的モデルネとして確立したのがバウハウスですね。ベルリンの壁崩壊後のベルリンの都市は、バウハウス流儀の建築ラッシュです。

☆小川先生の授業では、生徒たちは、常に素材の差異を活用して、地と図の反転に驚きを感じる制作をしているはずです。かつて一度生徒さんたちの作品展に訪れたことがあるのですが、そんなことを感じたのを思い出しました。

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教師の質[02]~共立女子

教師の質[01]~共立女子のつづきです。この冬、共立女子は、ある宣言文をだしました。それは、来年度からさらに少人数制授業と習熟度授業を充実させるという内容です。そしてもう一つ、重要な宣言文を。

平成21年度から募集人数を360名から320名に変更します。

(1)定員320名・40名以下学級8クラス編成体制に移行します。この体制は年次的に実施します。

(2)基本的な教育指導体制としては

(a)基幹教科を中心として少人数制の授業体制を確立し、生徒の基礎力の増進を徹底化します。

(b)習熟度別授業の体制をより有効にし、生徒の学力を伸長させます。

☆いよいよ大学進学実績を出す方向に舵取りをするのかとお思いでしょうが、この宣言文だけを読むとそう思うかもしれません。もちろん、そうではありません。だいたい、この少子化で生徒が集まらないと困っている学校がたくさんあるのに、わざわざ募集定員を減らすのです。こんな覚悟ができるのは、よほど改革的で戦略的な教師がいるのでしょう。

☆それはともあれ、共立女子は、読書、美術、音楽、体育、部活、イベント、論文といったリベラルアーツがベースになっています。この前提があってはじめて知識の発展を行おうというのでしょう。

☆教養と専門的知識の充実と統合は、この混沌とした世の中を、女性がサバイブしていくには欠かせない要件です。結果的に大学実績は伸張するでしょうが、大学受験を突き抜けた学びをいよいよ実行するというのがねらいでしょう。

☆さて、「習熟度」とはどういう基準で分けるのでしょうか?それについてはまだヒアリングをしていません。今度聞いてみたいと思いますが、予想はつきます。要素還元主義の学習観ではなく、関係総体主義の学習観を基本としているのが共立女子です。したがって、1989年以降の学びのグローバリゼーションは、当然射程に入っているでしょう。

☆世界標準を超える共立女子独自のモノサシで「習熟度」を分けることになると予想します。そしてそのような考え方の教師がたくさんいるというのが共立女子の高い教師の質を担保しているのだと思います。

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教師の質[01]~共立女子

☆年末になって、多くの教育関係者やマスコミの方々と会いました。学校選択のインデックスやサイトのクオリティの話、脳科学や地アタマの鍛え方等々がいつも話題になっていましたが、いきつくところは、やはりいつも教師の質の問題でした。

☆学校を選ぶにしても、学校のサイトのつくりにしても、学びの環境設定にしても、結局は教師の腕にかかっているということになります。

☆しかし、それぞれの学校の教師の質を全部知る方法はありません。業者に対し、頭から恫喝するような教師のいる学校も全体としてはクオリティスコアが高くなったり、クオリティスコアが低い学校の中にもがんばっている優秀な先生がいるという矛盾を日々感じ、ときどき途方にくれます。

☆そんなとき共立女子の渡辺教頭先生から、新しい学内広報誌を何点か拝見させていただきました。すると、共立女子中学校の新聞委員会が編集・発行している「あゆみ」に、数学科の先生がこんなメッセージを載せていました。

20世紀最大の数学者の一人、ゲンツェンは無実の罪で投獄、虐待されました。筆記具すらない獄中にもかかわらず、誇り高くも強い意志で研究は束縛されることなく続けました。私も数学と音楽(ピアノ)と大切な人との信頼関係は全力を守る強固な意志を中学生の時から持ち続けています。みなさんもぜひ生涯を通して大切にするべき崇高なものを見つけ、価値ある人生を歩み始めて下さい。

☆私はこの数学の先生とは面識はありません。しかし、この文章を読んだだけで、20世紀のヨーロッパの数学者たちが、背後に迫るナチの手からあるときは闘い、ある時は逃れながらも現代数学の基礎を築き上げていった姿をイメージできます。

☆あのアンドレ・ヴェイユの勇士の姿を、あのアレクサンドル・グロタンディークの孤高の姿を・・・。そして、数学と音楽と信頼関係の関係総体を大切にする共立女子の数学の先生を彼らに重ね合わさないではいられません。

☆勤勉と教養と愛は、共立女子の教訓に通じます。共立女子の教師の質の高さは、お会いする先生方から確信していましたが、このメッセージからさらに確信を深めました。教師の質は、このような学内広報誌などでも知ることができますね。

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茂木健一郎 さんとPISA 2006

☆半月前に、海城学園の中田大成先生に脳科学と海城の学びの構想の話を聞いていたときに、茂木健一郎さんが新刊「脳を活かす勉強法」(PHP2007年12月)をそろそろ出す予定だということを聞いて、店頭に並んだら買おうと思っていました。

☆そろそろかなと思い、amazon.co.jpを開いてみたら、すでに出版されていたので、昨日ネット上で購入。すると今日の午前中届きました。こんなに速かったかな?と驚きながら、すぐにページをめくりました。いかんいかんと思いながら、やっぱり斜め読みになってしまいました。もう一冊「芸術脳」(新潮社2007年8月)も購入していたので、そちらも読みたかったのです。

☆するとこちらも、いかんいかんと思いながら斜め読みになってしまいました。中田先生が感情教育プログラムを編集し実践している理由が、茂木健一郎さんの理論とピタリと符合したし、学びが楽しくジャンプするアハ!体験直前の状態がフロー状態だったりステュディオス状態だったりするというのが、ハワード・ガードナーの多重知能とも一致するので、そっちのほうに思考が飛んでしまいました。

☆中田先生はドラマのプログラムも構想しているし、それに近い授業をすでに実践されているのですが、生徒たちの状態は、まさにステュディオス状態。この言葉はスタディも連想させますが、なんといってもスタジオの方に近いですね。「芸術脳」の中でそんな話がでてたような・・・。ともあれ、スタジオとドラマは近接しているし、なるほどその感情空間で、生徒たちはステュディオス状態あるいはフロー状態になります。

☆すると五感などのモダリティがリアリティを、記憶と発想に変換するわけです。しかもそのときドーパミンがたくさん出て、心地よい状態になるんですね。この循環が学習を強化するというのです。

☆しかもこのドーパミンは、ルーティンの作業からはあまりでてこないんですね。チャレンジグな状況でたくさんでるという・・・、あっもちろん個人の限界曲線があるので、過度なチャレンジグはダメ。なんと、これはビゴツキーの最近接領域の話ではないですか。

☆しかし、こういうチャレンジングな状態を好む人間は、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスやアインシュタインのように変人なのだと。しかしこの変人としての自由がないとねと茂木さん。

☆ドーパミンが出る脳状態にするには、環境の雰囲気がよくないとということです。日本の教育はチャレンジングではなく、ルーティン作業のための知識の記憶がベースです。しかもその記憶の過程に抑圧的コミュニケーションがはいる。自らタイムプレッシャーをかけるのではなく、教師が強制する。つまり雰囲気は悪くなります。

☆PISAの学習背景調査で、「学級雰囲気」の良し悪しが、学びにどういう影響を与えているのかについて調査中です。PISAがICTや脳科学をベースにしている理由がわかりました。それにしても、茂木さんはベストセラー作家です。日本の教育関係者は何を読んでいるのでしょう。茂木さんは、だれだって天才になれるよ。天才脳の環境をつくればねと言っているわけですから、真に受けて「学級雰囲気」を良くしましょうよ。もちろんこれは企業や官僚、家庭も同じですね。素敵な「雰囲気」こそがイノベーションを起こします。そしてその雰囲気の泉は、芸術からコンコンと流れ出ずるのではないでしょうか。

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格差社会の解決の仕方

文科省は12月21日、「平成18年度子ども学習費調査」の結果を発表しました。その中に、世帯年収を6層に分けて、公立と私立の構成比を比較するデータがあります。それを見ると、たいへんな格差があることが一目瞭然です。

Photo ☆中学のものをグラフ化してみましたので、ご覧ください・・・。私立中に通っている子どもの世帯の50%強が、1000万円以上の年収なんですね。これは驚くべき格差です。

☆さて、この格差社会を象徴するようなデータを、文科省はなぜゆえに作成したのでしょうか。それはわかりませんが、とにかくなんとかしなくてはという不安をあおるためでしょう。

☆わかりやすくいえば、教育の平等をとりもどそうという戦略なのでしょうね。平等とは何か?文科省の考える平等は、配分です。今あるパイを平等に切り分けようという話です。日本国家のパイが小さくなっているのだから、まずは増やそう!とは考えないのですね。まずは目の前のパイをきちんと配分できるリーダーを育てようとするのです。

☆そうすると結局増税ですよね。累進課税をもっともっとということでしょう。だから、富裕層は、どんどん海外に逃げるか、海外に投資する。オフショアを使うという流れになります。

☆日本の経済成長率を4%から5%アップさせれば、増税なんかしなくてもよいのです。税制による規制より、経済成長率をアップさせる人材や産業の育成の平等が重要なのに、20世紀型のものづくり産業を優先させる教育の平等政策をとっているのが日本の官僚や政治家です。

☆労働生産性をあげている欧米、特にフィンランドは、第三次産業というか、それを乗り越えたクリエイティブ・クラスの人材が育っています。そのための平等がフィンランドにはあふれているわけです。

☆平等の質がまったく違うのです。それと格差社会の解決策を、貧困層を救うソフト志向で行っています。もっとも完璧ではないし、落とし穴もいっぱいあるでしょう。しかし、パイが小さくなるままの政策は大問題です。イノベーションに意欲を燃やす人材を輩出する法整備、教育システムの構築こそ重要なのに・・・。

☆格差社会の象徴として、私立学校の存在の足を引っ張るのではなく、私立学校にもっと期待をかける。これが現状の法整備と教育システムの中で最善の方策でしょう。特区のシステムなんて悠長なことをやるより、現状の十分力を発揮できるシステムをきちんと評価すべきですね。東大の教育社会学者の中には、私立学校に対するめちゃくちゃルサンチマンの塊の方が数人いて、結構発言力があるんですね。困ったものです。もっとも経産省や財務省は、文科省のように逆走しないでしょうが・・・。

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2008年私立中高一貫校動向(11)

2008年私立中高一貫校動向(10)のつづきです。2008年の首都圏私立中高一貫校の女子選択校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみていますが、今度は志望者数70人以上100人未満の層を抽出し、志望者数の多い順に並べてみました。

071270 ☆このリストの中で、クオリティスクール(エクセレントスクールも含んでいます)は79.4%を占めています。この70人以上100人未満の層の中にクオリティスクールが多いというのは何を意味しているのでしょうか。

☆センター模試の母集団は、首都圏の実際の中学受験生の30%強のシェアです。ですからこの層の学校は、実際には3倍以上の人数が受験すると考えてよいかもしれません。ということは、実際には、このリストのどの試験も200人以上の受験生が受ける可能性があるわけです。

☆志望者数は一見すると少ないように見えるかもしれませんが、そんなことは全くないわけです。このリストの学校は、学校選択者にとって十分魅力的なのです。そしてその魅力を感じている学校の79.4%がクオリティスクールなのですから、女子の学校選択の嗜好性は、やはり教育の質が優先だということでしょう。

☆早稲田実業の前年対比が転落しているように見えるかもしれませんが、もちろんそうではなく、定員を減らしているので、難しくなることが予想され、敬遠されているだけです。渋谷教育学園渋谷も年々難しくなっています。特に今春の東大などの実績の飛躍によって、ますます難化が予想されるので、多少敬遠もされているでしょう。

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2008年私立中高一貫校動向(10)

2008年私立中高一貫校動向(09のつづきです。2008年の首都圏私立中高一貫校の女子選択校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみていますが、今度は志望者数100人以上130人未満の層を抽出し、志望者数の多い順に並べてみました。

0712100 ☆このリストのうちクオリティスクール(エクセレントスクールも含みます)は66.7%占めています。志望者数200人以上の層では81%。150人以上200人未満の層では91.3%。130人以上150人未満の層では、66.7%でした。クオリティスクールへの期待は、戦略型もしくは変革型リーダーの輩出です。企業に入ってからの役職という狭い話ではないのです。

☆すべての人間は、自分に対してまずリーダーシップを発揮するものです。調整型のリーダーシップもあります。危機管理型のリーダーシップもあります。専門家型リーダーシップもあります。個人尊重型リーダーシップもあります。

☆いずれも選択決定は人それぞれですが、世界で活躍するリーダーは、自分では意識していなくても時代が牽引者として要請します。時代が呼びかけるリーダーは、戦略型もしくは変革型リーダーシップを発揮するリーダーですね。首都圏の私立中高一貫校に進学する生徒は、同年齢人口の3%ぐらいです。

☆この3%に時代は期待をかけるでしょう。もちろん20世紀型リーダーのように政治権力型リーダーではありません。それでは永遠平和はいつまでたっても世界にやってこないのですね。市場経済型リーダーです。カントも永遠平和論の中で、平和は「金の力」「商業精神」で!と言っています。

☆私学人の一人渋沢栄一が「経済道徳合一説」「論語と算盤」を著したのは、やはり普遍的な精神なんですね。麻布学園の創設者江原素六が、教育家であると同時に起業家でもあったのも同じですね。JGの矢島楫子が資金調達に奔走しながら女性の権利を、渡米までして保護する活動をしたのも同様です。あの孫正義さんが、サイバーハイスクール、サイバーユニバーシティを立ち上げているのも同様の考え方にあるでしょう。 本間 勇人 Gate of Honma Note

*参照

①学校選択~07首都圏女子校のクオリティスコア

②学校選択~07首都圏共学校のクオリティスコア

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2008年私立中高一貫校動向(09)

2008年私立中高一貫校動向(08)のつづきです。2008年の首都圏私立中高一貫校の女子選択校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみていますが、今度は志望者数130人以上150人未満の層を抽出し、志望者数の多い順に並べてみました。

0712130 ★するとクオリティスクールのこのリストに占める割合は、66.7%になりました。志望者数200人以上の層では81%。150人以上200人未満の層では91.3%でしたから、女子の選択志向はやはりクオリティスクール(ここではクオリティスクールとエクセレントスクール両方を含んでいます)ということでしょうか。結論は急がず、もう少しみていきましょう。

*選択座標は、図をご覧ください。Photo

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PISA 2006と死刑廃止論

読売新聞(12月19日13時8分配信)によると、

国連総会は18日、欧州連合(EU)を中心とする87か国が共同提案した死刑執行の一時停止(モラトリアム)を求める決議案を、賛成104、反対54、棄権29で史上初めて採択した。
 総会決議に法的拘束力はないが、死刑廃止を求める国際世論の高まりを示した形で、日本や米国など死刑存続国への一定の政治的圧力となりそうだ。

★死刑廃止については、1989年に、国連で採択された「国際人権規約」の「市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書」に随意項目として死刑廃止が存在するようです。これも89年なんですね。ベルリンの壁が崩壊して、冷戦が消失すると同時に議論が世界に広がったとは。

★PISAの話や学びのパラダイム転換も、もちろん連動しています。コミュニケーションのフラットな変化。なるほどなあです。

★銃のアメリカ、呪術の日本は、今だ死刑維持ですね。これは雰囲気がどことなくわるい文化です。日常生活では気づかないのですが、PISAの学びの背景調査では少し見えてきます。

Wikipediaの死刑を行っている行っていないの世界地図の分布をみると、PISAのランキングの高い国と死刑廃止の国が重なっていますね。やはりなんらかの関係があるのでしょう。いずれ考えてみたいと思います。

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2008年私立中高一貫校動向(08)

2008年私立中高一貫校動向(07)のつづきです。2008年の首都圏私立中高一貫校の女子選択校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみていますが、今度は志望者数150人以上200人未満の層を抽出し、志望者数の多い順に並べてみました。

0712150 ★このリストの中で91.3%がクオリティスクールです。雙葉は、校舎の空間とOGパワーがよいですね。田園調布も校舎はもちろん、クリエイティブな教育活動やプログラムが充実しています。横浜共立は雰囲気でしょうか。実践女子は新しい国際教育プログラムにチャレンジ。カウンセリングベースの明るい人間関係が安心です。品川女子の常に新たな挑戦には脱帽。カリタス女子には、新校舎、新カリキュラム、入試改革など常に改善を繰り返すアイディア豊かな仕掛け人がいますね。桜蔭、渋谷教育幕張は説明する必要はないですね。

★鴎友学園女子も創造的教育実践で彗星の如く現れた代表的な学校です。香蘭、東京女学館、日本女子、東洋英和、清泉は、教養とアッパークラスの雰囲気に満ちた学校です。吉祥女子、昭和秀英は、大学進学実績に力をいれているにもかかわらず、総合的な教育のバランスがとれている雰囲気が人気なのではないでしょうか。

★横浜富士見丘についても説明は不要でしょう。和洋国府台女子は千葉エリアのほかの学校雰囲気とは違うところが人気なのでしょう。千葉エリアで楽しく明るく全日制の学園生活を送って進学できるということが魅力なのですね。 本間 勇人 Gate of Honma Note

*参照

①学校選択~07首都圏女子校のクオリティスコア

②学校選択~07首都圏共学校のクオリティスコア

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2008年私立中高一貫校動向(07)

2008年私立中高一貫校動向(06)のつづきです。2008年の首都圏私立中高一貫校の女子選択校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみています。今度は志望者数の前年対比の多い順に並べてみました(志望校登録者数40人以上で、前年対比100%以上を抽出)。

0712 ★共立女子や大妻、湘南白百合、東洋英和など有名校は当然リストの中に名を連ねていますが、横浜女学院、麹町、女子聖学院、八雲、三輪田、香蘭、玉川聖学院のようなスモールスクールで、質の高い教育を実践しているユートピアスクールも浮上してきますね。

★それにしてもこのリストの女子選択校(入試日校)の75%がクオリティスクールです。女子の選択肢の幅の広さを反映しています。 本間 勇人 Gate of Honma Note

*参照

①学校選択~07首都圏女子校のクオリティスコア

②学校選択~07首都圏共学校のクオリティスコア

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2008年私立中高一貫校動向(06)

★ 2008年私立中高一貫校動向(05)のつづきです。2008年の首都圏私立中高一貫校の中で、男子選択校の動向をみてきましたが、今度は女子選択校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみていきましょう。まずは志望校登録者数200人以の学校を志望者数の多い順に並べてみました。

0712200 ★このリストのうちの81%がクオリティスクールです。男子選択校と違い、女子選択校の場合、東大や医学部を目標として選択する受験生や保護者は、限られているので、やはりそれぞれの学校の特徴が際立ちますね。

*参照

①学校選択~07首都圏女子校のクオリティスコア

②学校選択~07首都圏共学校のクオリティスコア

★男子の場合、どうしても日本という国を背負わなければならないので、国内事情のキャリア・デザインに必然的に拘束されます。その点女性の場合は、グローバルな事情に合わせやすい環境にありますから、自然にそういうニーズに対応した学校を求めるし、学校側もいち早く情報を収集して、対応していきます。

★女子校の教育内容を見れば、未来の学校がわかります。逆に男子校を見れば、古き良き日本の学校の良さがわかります。

★たいへんなのは、共学校です。未来型にするべきか、従来型にするべきか、その中間をいくべきか悩むところです。渋谷教育学園は、このジレンマをうまく乗り越えたのかもしれません。女子には帰国子女の環境を、男子には東大の環境をと。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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2008年私立中高一貫校動向(05)

2008年私立中高一貫校動向(04)のつづきです。2008年の首都圏私立中高一貫校の中で、男子選択校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみています。今度は志望校登録者数100人以上200未満の学校を志望者数の多い順に並べてみました。

0712100 ★この中で、志望者数も前年対比も増えている学校に絞ってみましょう。武蔵、海城、神奈川大附、藤嶺藤沢、攻玉社、栄東、渋谷教育渋谷、昭和秀英はやはり強いですね。巣鴨も復活の兆しなのかもしれません。成蹊は新設の二回目の試験ですが、健闘しているともいえますし、学内の期待通りではないという見方もありますか・・・。大事なのは学校選択者の評価です。学内の都合も重要ですが、それを優先する必要はないのです。

★専修大松戸、高輪、桐蔭男子部、獨協埼玉、日大日吉、法政二中、青稜も堅調で、学校選択者にとっては、中学に入ってから、子どもがぐんと伸びる学校あるいはのびのびとできる学校というイメージが定着していると思われます。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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中村中の学び

★ 「成長し続ける学校力[07]~中村中(4)」で、“100”プロジェクトを行っている最中に、環境について学ぶ有志のチームが結成され、すぐに活動が開始されたというニュースを紹介しましたが、このチームの活動の様子について、梅沢教頭先生からこんなメールをいただきました。

中学2年生が立ち上げた環境チーム「CFEP(change future ecology project)」は、本日(2007年12月16日)東邦大学薬学部の秋本先生をお招きして「ダイオキシンって、何?」という特別講義を受けました。「質疑応答」がどのくらいでるのか、その質はどんなものなのか多少心配しましたが、杞憂でした。生徒一人ひとりが秋本先生の話に耳を傾け、自分でじっくり考えたうえで生まれてきた問いかけは、やはり素晴らしいものでした。

★この梅沢先生のメールには、中村中の学びの特徴があらわれています。有志のプロジェクトチームができ、先生によってサポートされるという点です。オープンでボランタリーな雰囲気があるということですね。

★そしてその雰囲気が生まれるのは、教師の指導というかコミュニケーションの方法論が多様だということです。ティーチング、コーチング、ファシリテーション。この3つを時と事情と場合によって使い分けしています。今回梅沢先生はファシリテーターとして役割を果たしたのでしょう。

★さて、秋本先生の講義については、こうあります。

①「プロメテウスが人間に火とダイオキシンを与えた」という導入から入りました。ゼウスはプロメテウスを罰するために、山の頂に縛り付け、毎日大鷲に肝臓を食べさせるという苦しみを与えた、ということです。キーワードは「火」「罰」「肝臓」でした。

②その後講義は、ダイオキシンの毒性・種類・毒の強さ・どうやって体内に入ってくるか・1日で体内に入る量・国による違い・ゴミ処理方法・ダイオキシンを作らない工夫・・・・と1時間続きました。

★ここまで読んで、プロメテウスのギリシャ神話に環境問題のメタファーがあるなんて、ワクワクするような講義だし、こういうメタファーをそれぞれ生徒が自由に読み解くチャンスを作るとは、やはり中村中らしいと感じ入りました。さて、生徒のみなさんはどういう質問をされたのでしょう。

③質疑応答には20分程度時間を取っていましたが、生徒たちからは多数の質問が続き、40分のやりとりとなりました。質問の中には「マスコミの表現をどうとらえるべきか?」というものまであり、生徒の真剣さが伝わってきました。全部で100分の授業となりましたが、分かり易い先生のお話しに引き込まれてあっという間の時間でした。質問の例としては、次のようなものがありました。

1.何故ギリシャ神話にダイオキシンを想像させるようなことが書かれていたのか?
2.1日で空気から取り込まれるダイオキシン量は?
3.ダイオキシンを何かに使うことはできないのか?
4.過去に排出されたダイオキシンを集められないか?
5.東京都と他県ではゴミの収集方法(分別)が違うが何故か?
6.マスコミの報道をどのように受け止めるべきか?

まだまだ多数ありました。

④秋本先生からは「大学生でも90分以上をあれだけ集中できないよ」「中学2年生の質問とは思えないのもあれば、中学生らしい素直な疑問もあって良かった」とコメントをいただきました。

★環境問題そのものについての探究心と環境問題に対するマスコミの表現の危うさがさらに環境問題をつくるのではないかというセンスを持っている中2の生徒の様子がわかります。どんなレポートができるのでしょうか。今から楽しみです。

★それから忘れてはならないことは、1人ひとりの発想を支えるのは、教師だけではなく、生徒たち自身によるチーム力であるということです。梅沢先生は、メールをこう締めくくっています。

また、司会・会場設営・ビデオ担当・カメラ担当・書記担当の生徒たちも頑張っていて、これからのチーム運営が更に期待できる「第一弾特別講義」でした。

★チャンスがあったら、撮影されたビデオを拝見したいものです。今後のCFEPのみなさんがますます活躍されるのを期待しています。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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2008年私立中高一貫校動向(04)

2008年私立中高一貫校動向(03)のつづきです。2008年の首都圏私立中高一貫校の中で、男子選択校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみています。今度は前年対比順(100%以上)に並べたリストをみてみましょう。

0712 ★こうしてみると、志望者数では目立たなかった学校が浮上してきますね。このリストにある学校が、学校選択者にとって様々な意味で人気があるのでしょう。このうちクオリティスクール(の入試)はどのくらいあるのかというと、54.5%ですね。

*参照

①学校選択~07首都圏男子校のクオリティスコア

②学校選択~07首都圏共学校のクオリティスコア

③学校選択~07名古屋圏私学のクオリティスコア

★クオリティより大学進学実績の数に価値をおいている学校選択者も当然いるわけです。当面は日本の社会はオールドモダンで進むだろうから、エリートスクールを選択するという現実投資型ということです。

★2008年に中1になった生徒が6年後に大学入試に突入する2014年までには、OECD/PISAも2回実施されています。来年のポーランドでCOP14、次の2009年がいよいよオランダでCOP15。ここである程度環境問題の決着がつくわけですが、それまでに世界の産業構造のチャートが大きく変わり、それに照準を合わせたPISA型発想の教育に世界は転じるという先見性を行使する人はクオリティスクールを選択するでしょう。どちらが得をするのか?それは不確定です。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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2008年私立中高一貫校動向(03)

2008年私立中高一貫校動向(02)のつづきです。2008年の首都圏の私立中高一貫校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみていますが、男女の選択校の鳥瞰図はそれぞれ作成したので、今度はいくつかの視点に分けて、少し細かくリストを作っていきましょう。

0712_2 ★まずは首都圏男子選択校から。単純に志望校登録者数の多い順に並べてみました。200人以上集めた学校が並んでいます。このリストの41校のうち71%は前年対比がマイナスになっています。

★センター模試の母集団自体が、今年は6%弱減っていますから、多少マイナスになっていても、学校の応募者自体が減るとは限りません。また、この母集団の中で、人数も集め、前年対比もプラスになっているところは、予想以上に学校の応募者自体は増えるかもしれません。

★リストを見ると人気校の顔ぶれは変わりませんが、その中で、ここ数年神奈川大附属の人気が定着していることは注目に値します。大学進学実績もグローバルな発想の総合的な教育も充実しています。神奈川エリアでは、本音の部分で、大学進学実績に力点をおく男子選択校が多いのですが、そんな中で神奈川大付属は少し考え方が違う未来型の学校の可能性があります。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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成長し続ける学校力[11]~小野学園女子の新広報戦略

成長し続ける学校力[10]~中村中(7)のつづきです。本ブログを編集していて気づいたことがあります。このブログはフリーブログです。ですから、スポンサー広告がついているんですね。

★この広告については、私は選択することも排除することもできないのです。ブログを使わせてもらっているわけですから、当然ギブ・アンド・テイクということでしょう。しかし、このスポンサー広告の一つに「小野学園女子」を見つけたとき、あっフリーのブログを使っていてよかったと思いました。私立中高一貫校の応援がいつの間にかできているからです。

★小野学園女子は、私立中高一貫校ではまだほとんど使われていないインターネット広告の手法の一つターゲティング広告を活用しているんですね。

★インターネットを活用した広報には、

SEO対策

リスティング広告

ブランディング広告

ターゲティング広告

リターゲティング広告

メール広告

★などのように多種多様ですね。紙媒体にかけるコストを考えると、効果はその10倍以上なんですね。こういう新しい広報戦略の構想力と実行力をもった先生の存在が小野学園女子の成長しつづける学校力です。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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徳育教科化問題の危うさ

時事通信(12月14日1時0分配信)によると

政府の教育再生会議(野依良治座長)が13日首相官邸で開かれ、今月中にまとめる3次報告の素案を議論。・・・「徳育の教科化」を改めて3次報告に入れることで委員の意見は一致したが、実際の教科化には学習指導要領の改定が必要。出席者らによると、会合に出席した福田康夫首相は賛意を示さず、渡海紀三朗文部科学相は実現困難との考えを示したという。・・・渡辺美樹委員(ワタミ社長)は記者団に「再生会議って何なのか。みんな賛成している徳育さえ教科にならない。次は出るのをやめようかと考えている」と不満を漏らした。

産経新聞(12月14日8時0分配信)によると

町村信孝官房長官は13日夜、首相官邸で開かれた政府の教育再生会議に出席し、再生会議が月内にまとめる第3次報告で提言予定の「徳育の教科化」について、「(教科化は)安心してほしい。(文部科学省に)必ずやらせる」と述べ、教科化実現に積極的に取り組む考えを表明した。

★徳育教科化以前に、教育再生会議のメンバーの意識にたいへんな勘違いがあります。教育再生会議で決めたことが、そのまま実現しないからといって、不満を抱くというのはおかしいですね。民主主義としての理屈からいえばそれは間違いなのです。もっとも、このへんがわからない再生会議のメンバーは少数派でしょう。そういうメンバーに批判的精神をもって記事を書くのが新聞の魂だと思いますが、今日ではそうではないようですね。だとしたら、偏った意見のみを事実として載せるのはフェアーではないでしょう。

★さて、徳育教科化についてですが、哲学者カントは「永遠平和のために」という書の中でこういっています。

道徳は、無条件で命令する諸法則の総体であり、われわれはその諸法則にしたがって行為すべきなのであるから、道徳はすでにそれ自体として、客観的な意味における実践である。・・・したがって、実地の法学である政治と、理論的な法学である道徳との間には、いかなる争もありえない。もっとも、道徳を一般的な怜悧な教え、つまり利益をあれこれ打算する意図にもっとも役立つような手段を選ぶ格率についての理論と考えるなら、話は別である・・・。

★無条件で命令する諸法則の総体としての道徳と現実の政治が一致するというのなら、徳育教科化はすばらしいことです。がしかし、当時カントがわざわざこんな書き方をしたのは、哲学なんて空論で政治には役に立たないという風潮があったからですが、今その風潮がないなんてことはありません。したがって、カントが言う意味での道徳を政治家が求めているわけではないでしょう。町村さんはどうでしょうか。実際に聞いていないのでわかりませんが、どちらかというと利益をあれこれ打算する意図に役立つ道徳ではないでしょうか。

★カントは「永遠平和のために」の中で、平和は国際法や国際市民法でなんとかなるわけではない、道徳には基づかない商業精神、つまり金の力(die Geldmacht)で担保できるのだ。そういう世の中だと当時語っているのですが、今も基本構造は同じではないでしょうか。

★だとするならば、金の力を支える道徳は、道徳ではない打算的にあれこれ怜悧な判断をする道徳なのですね。わかりにくい表現でした。はっきり言うと、仮面の道徳なわけです。

★しかしながら、仮面の道徳は、金の力で平和を勝ち取るわけですから、いいじゃないか、まさに平和憲法日本が今現在やっていることではないか、それがほころびかけているから、仮面の道徳を教科化しようということになりそうですね。

★皮肉にも平和憲法を支えるのは仮面の道徳であり、それが支えるのは金の力です。商業精神、経済力で平和を。これが町村官房長官の考えなのかもしれません。一方安倍政権の本質的継承の流れにある福田総理は、仮面の道徳を顧みず、かといってカントの言う意味での道徳も無視しているわけですが、これは平和憲法の支えをなくすことにつながります。

★金の力で平和をもたらすべきか、暴力で平和をもたらすべきか・・・。どちらも危ういですね。知恵で平和をもたらしたほうがよいのではないでしょうか。つまり哲学ですね。この文脈がカントの本意でしょう。カントはなかなか戦略的で老獪な哲学者だったということになるでしょうか。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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2008年私立中高一貫校動向(02)

2008年私立中高一貫校動向(01)のつづきです。2008年の首都圏女子選択校としての私立中高一貫校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみておきましょう。男子と同じように、志望校登録者数(40人以上)とその前年対比をグラフにして、鳥瞰できるようにしてみました。

0712 ★男子と違うのは、女子の方が散布の広がりが大きいですね。女子校の方が、特徴の違いがはっきりしているからでしょう。横浜富士見丘のように、校名変更、校舎移転、新校舎、新カリキュラム、カリスマ校長などの要素を備えた女子校の人気は、このグラフを見てもすぐにわかります。

★また、女子校の場合、このグラフには表れていないユートピアのような学校もありますね。そこはどこでしょう。それを探すのが女子の学校選択の醍醐味です。いつの間にか、男子の選択校の状況と女子の選択校の状況が大きく変わった感じがします。量から質へ大きく転換したのは女子選択校の方かもしれません。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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PISA 2006結果から[07] 携帯メールがレベル3を超える契機に

PISA 2006結果から[06] 習熟度レベル3を超えられないコトの意味①のつづきです。産経新聞(12月14日8時1分配信)によると

携帯電話を頻繁に使っている小学生の方が、持っていない小学生よりも学力調査の成績が良いことが13日、国の調査をまとめた東京都教育庁の報告書で明らかになった。・・・携帯電話での通話やメールを「ほぼ毎日している」児童と、携帯電話を「持っていない」児童の平均正答率を比較すると、国語A・算数A(知識問題)、国語B・算数B(知識の活用問題)の4種類の学力調査すべで、「ほぼ毎日している」児童の正答率が、0・5~3%も高かった。・・・中学3年生でみると、「持っていない」生徒の平均正答率が「ほぼ毎日している」生徒よりも、0・9%~6・2%も高かった。

★分析データは、今春文科省が実施した「全国学力テスト」の調査によるものですが、これは、今までPISA2006の結果を見てきた経緯からいうと当然ですね。

★そもそもPISA型「全国学力テスト」の問題はレベル3までが中心ですから、携帯電話で毎日メールを行っている生徒のテストのスコアがよいのは当り前です。理由は3つ考えられます。

①携帯の操作が簡単にできるというのは、単純に機能がわかっているレベル2ではないのです。受発信という双方向性機能を知っているということですから、これはレベル3です。携帯電話という物質から想像性という広がり、つまり抽象的な脳の使い方をしているのですから。

②携帯を子どもに持たせる保護者のレベルが高い。携帯の使い方によっては危険性があるが、もろもろの事情を自ら判断して、携帯を活用する方が危機管理ができるという総合判断ができる保護者の姿勢は、子どもの学びのレベルを引き上げる環境を作っているはずです。

③なにより、話をすることやメールをすることは、短時間で行うのですから、具体的なコンテンツを要約しなければなりません。顔文字などつかたっりしていると、より抽象化しなければならないわけですからレベル3からレベル4にシフトする学びを毎日行っていることになります。

★携帯の効用と危機管理は別の問題です。レベル2の知的枠組みだと、別の問題だと支持されないと、つまり世論に支持されないと、危ないから携帯は持たせないという従来の考え方から抜け出ることができないかもしれません。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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PISA 2006結果から[06] 習熟度レベル3を超えられないコトの意味①

PISA2006結果から[05] 数学の習熟度レベル3の意味のつづきです。読解リテラシー、科学的リテラシー、数学的リテラシーをみてきましたが、日本の15歳の生徒たちは、いずれのリテラシーも習熟度レベル3までの割合が50%を超えています。読解リテラシーは69.1%、科学的リテラシーは58.0%、科学的リテラシーは58.1%の生徒が、習熟度レベル4にシフトできていないのです。

★このことは単純に国際ランキングが転落する要因だから、なんとかしなくてはという文科省的発想より、もっと事態は深刻です。すでに見てきたとおり、このレベル3から4にシフトすることは9歳(10歳)の壁を乗り越えることを意味すると思われますから、6割近い生徒が、9歳(10歳)の知的枠組みのまま成長してしまうということです。

★もちろん、この知的枠組みのままで、日本国内で生きていく分には、あまり問題ないのかもしれません。大学入試もそのほとんどが記憶にたよる出題がされているとするなら、レベル2の知的枠組みのまま成長しても問題はありません。

★ものごとを収集するだけの趣味人であれば、レベル2の枠組みで十分です。決められた工程でモノづくりをするだけなら、レベル2の枠組みで十分です。軍隊的な集団で、上意下達のような組織で、上司の指示に従って仕事をしていくのならレベル2の枠組みで十分です。

★1つのことを研究し続け、知的枠組みがレベル3であっても、この知的枠組みでずっと辛抱して研究していると、突然アハ!体験ということはあるのでしょう。具体的ケースやフィールドワークを続けて、「分類・照合」しているうちに、あるときヒラメクということは、天才のケースでよくあることです。しかしこれは万に一つのケースですね。

Photo ★レベル3までの行為は、特に子供のころは大切で、レベル2ではなく、レベル3のレベルで十分なので、体験とちょっとだけ抽象的作業をして、レベル4にシフトするプログラムがあると、すべての生徒がクリエイティブになるのですが・・・。そもそも国語の学習指導要領が、中学でなんとかレベル4に届くか届かないかです。

★しかし、レベル4にシフトできない、本当のこわさは、一般化できないことの深刻な事態なのです。それは集団生活はかりにできても、チームワークやコラボレーションというものができないということなのです。ましてグローバルなリーダーシップは発揮できないし、メンターもできない。したがって、他者の話に耳を傾けることができないのです。他者の話に耳を傾けることができないのですから、寛容性などあり得ないわけですね。

★エコロジカルでアーティスティックでフィロソフィカルな都市再生が、世界で進んでいます。日本もその例外ではないのですが、国や自治体、ゼネコン主体で、市民のアイディアが生かされることは日本はあり得ません。1人ひとりのライフスタイルを創っていくことなどできないというのが深刻な状態です。

★いやICTの発達が、1人ひとりのライフスタイルを支援するはず。それがデジタル資本主義の行方だと言われるかもしれません。そうだと思いますが、このテクノロジーやイノベーションの国際競争力において、欧米やBRICs、韓国などの国々に溝をあけられているのが現状なのです。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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2008年私立中高一貫校動向(01)

★2008年の私立中高一貫校の動向を、12月に実施されたセンター模試でみておきましょう。まずは男子選択校(男子校・共学校)から。今回の志望校登録者数(40人以上)とその前年対比をグラフにして、ざっと鳥瞰できるようにしてみました。

0712 ★浅野のように志望者の人数も多いし、前年対比も100%超えている学校はそう多くないですね。志望者数だけみると、それほど多くはないですが、前年対比は100%超えている東海大高輪2のような学校は、これからの可能性があるわけです。

★芝2のように前年対比がマイナスでも、グラフをみればわかるように、人気は依然高いと判断しなければならないでしょう。

★しかし全体としては、志望者数の多寡はあまり問題ではないことがわかります。前年対比だけみて、大騒ぎしたり、倍率だけみて驚く時代でないことを冷静に確認しておきましょう。結局、偏った情報だけで、右往左往するのではなく、教育の質と子どもの資質が合う学校選びをしたほうがよいわけです。受験生にとって、チャレンジとは偏差値に向けてではなく、どういう生き方をするかに向けてだという当たり前のことを、もう一度確認する、ちょうどその時だと思います。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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PISA2006結果から[05] 数学の習熟度レベル3の意味

★「PISA2006結果から[04] 科学に対する生徒の意識」のつづきです。科学的リテラシーも読解リテラシーも、日本の生徒の習熟度レベルは3から4にシフトする段階でうまくいかなくなっています。数学的リテラシーはどうでしょうか。同じようにグラフにしてみました。

06pisa ★数学的リテラシーの総合国際ランキングの1位は台湾、2位はフィンランド、3位は香港、4位は韓国、日本は10位。5つの国を比較してみたところ、やはり習熟度レベル3から4にシフトするところで、日本の生徒は躓きはじめていますね。

★数学的リテラシーの習熟度レベル3の定義は、OECD/PISAによると、

連続的な計算などの明確に述べられた手順を実行すること。簡単な問題解決方略を選び適用すること。異なる情報源を基に表現を解釈し用い、それから直接推論すること。自分の解釈、結果、推論を報告する短いコミュニケーションを発達させること。

★「連続的な計算などの明確に述べられた手順を実行すること」は「順序」。「簡単な問題解決方略を選び適用すること」は「構成」。「異なる情報源を基に表現を解釈し用い、それから直接推論すること」は「等価」。「自分の解釈、結果、推論を報告する短いコミュニケーションを発達させること」は「構成、近接、順序、等価」すべて。こんなふうに各センテンスを置き換えることができますが、この「構成、近接、順序、等価」というのは、さらに「構造」あるいは「モデル」というようなキーワードに置き換えることができます。

★つまり、数学的リテラシーも、レベル3の段階というのは、具体的な知識や手続きを「モデル化」「構造化」に収れんする準備段階です。レベル3から4にシフトするのは9歳(10歳)の壁を乗り越えるステージを示唆していると考えられます。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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私立学校の理念のタイプ[14]~京北学園の川合校長先生との対話④

★「私立学校の理念のタイプ[13]~京北学園の川合校長先生との対話③」のつづきです。川合先生は、「月刊学校教育相談」で「ワークショップ ていねいなコミュニケーション」を連載しています。「ていねいなコミュニケーション」とは何かについては、私が説明するより、みなさんが同誌を読んだほうがわかりやすいと思いますので、私は、川合先生の提言及び実践について、その重要性について引き続き述べていきたいと思います。

★川合先生がなぜ今「ていねいなコミュニケーション」が必要なのかというのか、しかもそれは日常の生活とか面談とかという場面のみならず、家庭の中や授業の中でも重要だというのはなぜか。この確認がもっとも大切だと思います。

「私立学校の理念のタイプ[12]~京北学園の川合校長先生との対話②」でも述べましたが、川合先生は、人間関係がうまくいかないのは、コミュニケーション不足だけが理由なのではなく、人間関係を悪化させるコミュニケーションというものがあると考えています。

★私もその両者のコミュニケーションを「抑圧的なコミュニケーション」と呼んで、コミュニケーションならなんでもOKだとみなすのは危険だと思っています。川合先生も人間関係を豊かにしていく「ていねいなコミュニケーション」と「人間関係を悪化させるコミュニケーション」の区別をされているわけです。いわばコミュニケーションの両義性というものの見方をしているのです。

★学校の日常の生活や面談では豊かなコミュニケーションを作っていても、家庭にもどった瞬間に人間関係を悪化させるコミュニケーションが存在していたり、同じように授業においてもそのようなコミュニケーションがあったとしたらどうでしょう。ここの領域はある意味閉じられたエリアです。何が起こっているのかわからないのですね。

★それゆえ、家庭においても授業においても「ていねいなコミュニケーション」が必要なのだということだと思います。

★川合先生は、いろいろなところで「9歳の壁」をいかにして乗り越えるかについて講演をされていますが、これも結局「ていねいなコミュニケーション」の実践と浸透によるもの以外にないということでしょう。

★ということは「人間関係を悪化させるコミュニケーション」を持続させている場合、中学生や高校生、大学生、大人であっても「9歳の壁」を乗り越えないまま成長してしまっている場合があるということではないでしょうか。これは恐ろしいですね。この点についてはじっくり考えなければなりませんが、今は「ていねいなコミュニケーション」の話にもどりましょう。

★「月刊学校教育相談2007年4月号」の「ワークショップ ていねいなコミュニケーション№1」で川合先生はこう語っています。

「学力低下」にもコミュニケーションの力が関係しそうです。「基礎学力研究開発センター」(東大21世紀COE)の秋田喜代美教授のプロジェクトチームでは、学力の定着には「学級の雰囲気、その学級のもつコミュニケーション様式が影響を与える」、また「成績の高い生徒は、新たな学校の中でも、1学期のうちに広い友人ネットワークを形成していっている」と、教師と生徒間のコミュニケーションや生徒間の人間関係が学力習得にも大きな影響があることを示唆されました(『東京大学教育学研究科紀要第43巻』2004年4月3日)。

★「ていねいなコミュニケーションは」人間関係を豊かにするだけではなく、学力形成の学習の背景としても重要だということですね。さきほどの「9歳の壁」は、学力の伸びの壁でもありますね。ということは、「ていねいなコミュニケーション」をうまくできないということは「9歳の壁」を乗り越えられない可能性があるわけですから、学力の伸びが停滞するということを意味するのかもしれません。

★以上のような川合先生のものの見方や考え方は、OECD/PISAの報告を読んでいると共通している部分がたくさんあります。特に2003年の報告の「学習の背景」のレポートには、“School and Class Climate”というフレーズがあります。日本語では「学級雰囲気」と訳されていますが、この雰囲気が学力にも影響を与えていると。

★つまり、川合先生の「ていねいなコミュニケーション」は世界標準でもあるわけで、それだけにますます重要な考え方であり同時に実践なのです。実際この「ていねいなコミュニケーション」を基礎とした「プロジェクト学習」を構築した京北学園白山高校教頭の杉原先生の試みは様々な点で大成功を収めています 本間 勇人 Gate of Honma Note

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中村中の図書館は対話の空間

中村中の図書館「コリドール」で、ある重要な編集会議が行われました。なぜ「コリドール」か。それは参加者の心をおだやかにし、思考を柔らかくし、オープンマインドで、互いにアイディアを出し合う雰囲気を生みだす空間だからです。

C1 ★今回初めて「コリドール」に訪れるメンバーが多かったのですが、受付から7階にいたるまでの、中村中の教職員と生徒さんのおもてなしの姿勢に、みな感動を覚えてやってきました。

★撮影の機材や参加メンバーが多かったので、B1からエレベータに乗ってきた生徒さんたちが、「どうぞ、私たちは階段で教室にいきますから」とさっと1階で降りて、メンバーを乗せてくれました。その瞬間のもてなしの気持ちにメンバーはすっかり中村中を気に入ったということでした。

C2 ★そして7階でエレベータを降りて、「コリドール」の入り口があらわれたとたん、メンバーたちからため息がでました。「こういう空間があったのですね」「私の居場所にしたい」「読書が楽しめるし、勉強できるなあ」・・・と様々でした。

C4  ★コリドールとは本来「廊下・回廊」という意味だそうです。人々の交流の場所であり様々なものが出会う場だそうです。中村中の図書館は、1人孤独に内省するだけの場所ではないようですね。中村中のサイトには、「ここコリドールで、情報・人・感性など様々なものと出会い、
豊かな人間性を育んでください。」とあります

C5 ★このような先生方の精神が「コリドール」という空間に表われているのです。学校の空間はたんに物理的な空間ではないのですね。空間から語りかけてくる学校の精神に耳を澄ますのも大事なのです。建築の進路を選択した卒業生は、きっとこの「コリドール」で、読書をしながら、清澄庭園のかなたに広がるランドスケープにみとれていたのでしょう。そのOGがデザインしたイスは、あるコンクールで入賞したのですが、その作品は今中村中の教育空間の一部になっています。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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私立学校の理念のタイプ[13]~京北学園の川合校長先生との対話③

私立学校の理念のタイプ[12]~京北学園の川合校長先生との対話②のつづきです。昨日、中村中である重要な編集会議がありました。子どもたちの未来のコミュニケーション環境や知性・感性の環境を新たに組み立てようと、日々実践している私学の論客4人と国際教育研究家岡部憲治さん、出版社のみなさんが集結しました。いずれ形になると思いますので、楽しみにしていてください。

Photo ★さて、写真は、中村中のロビーで撮影した私学の論客の一人川合正先生(京北学園校長)と岡部憲治さんです。お二人の協働作業は、2005年の未来を創る学校セミナー以来久々ではないでしょうか。しかし、今回のミーティングでも、お二人の話を聞いていて、ジェネレーションも学びの背景もまったく違うのに、非常に似ている点が変わらずあるのに気づきました。

★それは、いつも一般化を少しだけズラす仕掛けを対話の中に持ち込むということです。川合先生は、教育心理学・認知心理学の学者ですから、9歳の壁の定義や9歳の壁を乗り越えられないときの悲惨な状況を事実として冷静に論じるし、論文も書かれているにもかかわらず、予想に反して一般化をしません。

★岡部さんも、自らヘーゲリアン・ウェイを活用していると手のうちを明かしているにもかかわらず、一般化の道に進もうとする危うさをつねに警戒します。岡部さんのサイトを見てもわかると思うのですが、OECD/PISAの研究とアニメやゲームのコメントはフラットですね。

★こういうと、一件ポストモダン的なのですが、ところが倫理に関しては押しつけないし、放任もしないのですね。そこがポストモダンと違います。またトランスモダンは基本的には構造主義的基盤があるのですが、この構造というのが一般化をめざしてしまいます。

★だから構造主義にも与しないというのがお二人のコンセプトです。お二人は対話以外に戦略も戦術もないのです。もともと大きな国家の物語など信じていないし、なんでも自由というスタンドポイントにも立ちません。倫理も自由も≪対話≫の中で常に新たに生まれ、消失します。消失したらまた≪対話≫です。常に混沌とした状況の中で、砂の上に建築物を組み立てる努力。砂上の楼閣という言葉とは逆の作業に挑むわけです。オールドモダンはそんな効率の悪いことというでしょうね。砂の上にコンクリを敷き詰めて、堅固な都市をつくるのでしょうが、そのリニアな連続こそ、オールドモダンの罠だったと、今ではみな気づいていますね。

Apot ★では、オールドモダンでもポストモダンでも、トランスモダンでもないなら、お二人はどこに立っているのでしょうか。まっ、アドバンスモダンなのですが、ではこのアドバンスモダンとは何でしょう。それはまだ広まっていないで、ローカルな現実態でしかないので、これから調べていこうというのが私の立場です。そのヒントは少なくとも≪私学の系譜≫にはあると予想をたてています。

★ですから≪私学の系譜≫にかかわる方々にお会いして、ものの見方や考え方を聞いたり、著書を読んだりしながら、アドバンスモダンの輪郭を明らかにしていきたいと思います。もっとも私一人では力不足です。多くのAモダンな先生方と≪対話≫するしか、やはり道は拓かないでしょう。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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名門校の条件[24]~武相中学の活躍[02]

名門校の条件[23]~武相中学の活躍[01]のつづきです。「武相中」は、「まさにスポーツに、探究に、ビジネスに、自分らしさに、それでいてコラボレーションを大切にする学校」であると書きました。同学園のサイトを見れば、それがわかります。

[2007.12.08] スケート部 アイスホッケー部門  13年連続インターハイ出場決定!    

[2007.11.26] スケート部 フィギュア部門  2007全日本フィギュアスケートジュニア選手権 佐々木選手第2位! 全日本選手権・世界ジュニア選手権出場決定!!  

[2007.11.20] 武相中学 卓球部 私学大会個人戦で1年生佐野雄一が連覇!

[2007.11.20] ボクシング部  「神奈川県高等学校ボクシング新人大会」にて好成績を収め 『関東7県高等学校ボクシング選抜大会』に3名が出場決定!   

[2007.11.16] 図書部・ビジネス研究同好会 合同研究 高等学校社会科研究発表大会 2位の私学理事長賞を受賞

★チームプレイの競技でも個人で挑む競技でも、大活躍です。そしてビジネス同好会の活躍。21世紀は産業資本に金融資本が影響を与える時代です。ファイナンシャルな感覚が重要で、ビジネス同好会が研究しているキャッシュフローゲームは、将来の日本の経済の動向を見るにはピッタリのゲーム。さらに、「鉄研」の活躍。

[2007.10.16] 鉄道研究同好会 【日経エンタテインメント!(2007年11月号)】に自費出版本の記事が掲載されました!! 

★自分たちの趣味の領域を超えて、研究成果を世に問うまでの活動です。1つのテーマを編集過程を経て深めていく場が、ここにはあると思います。近代世界を牽引してきた鉄道。しかし一方で「銀河鉄道」のように未来の夢も運ぶイノベーションの発露。鉄道への憧れは今もこれからもたえることはないでしょう。

★スポーツに探究にビジネスに、1人ひとりの個性や才能を引き出すチャンスがある学校です。同時に孤独へのタフな道と協働という寛容な道、これらは自己探求とリーダーシップを鍛錬する精神の場でもあります。今日では、このような場が、失われているのではないかと世間では言われていますが、武相中は、1人ひとりが大切にするものを見つけられる場として得難い学校ではないでしょうか。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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PISA2006結果から[04] 科学に対する生徒の意識

PISA2006結果から[03] 科学的リテレラシー・レベル3の意味のつづきです。日本の15歳の子どもたちは、なかなかレベル3からレベル4にシフトできていない、つまり9歳(10歳)の壁が越えられないまま15歳を迎えている可能性があるのではという仮説をたててきました。具体的な知識群を、「補助線」「比喩」「モデル」に「置き換える」という抽象的な思考にシフトできていないのではないかという仮説ですね。

★「生きるための知識と技能③ 2006年調査国際結果報告」(国立教育政策研究所編)には、興味深いアンケート調査の報告がされています。生徒の科学に対する認識についての調査です。たとえば、 「モデルの使用や応用を重視した理科の授業に関する生徒の認識」について次の5項目について質問しています。

A)先生は理科で習った考え方が、多くの異なる現象に応用できることを教えてくれる
B)先生は、科学の考えが実生活に密接に関わっていることを解説してくれる
C)先生は、理科を学校の外の世界を生徒が理解する手助けとなるように教える
D)先生は技術的な応用を例にして、いかに理科が社会生活と密接に関係しているかを解説してくれる
E)生徒は、理科で習った考えを日常の問題に応用するように求められる

06pisa ★日本と科学的リテラシー総合国際ランキング3位までの国の比較をグラフにしてみました。生徒の認識ですから、フィンランドなどは、質問の「先生が~してくれる」とか「先生が~教える」という文言に反応して、選んでいないケースも考えられますから、このアンケートと科学的リテラシーの相関を出すのは難しそうです。

★しかしながら、日本はあまりにOECDの平均からかけ離れすぎています。日本の生徒は「モデル」だとか「比喩」だとか「補助線」だとかいう概念を意識しないまま理科の学びの環境に置かれている可能性が大ですね。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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PISA雑感[02] ブルバキとグロタンディーク

PISA雑感のつづきです。OECD・PISAのメソッドを考える際に、フィンランドの教育はたいへん参考になりますが、本当のところは、そうではないのですね。フィンランドの教育はニコル・ブルバキ(といっても個人を指す名前ではないのですが)の存在影響をそのまま継承し実現していると考えた方がよいかもしれません。

★オールド・モダンが支配している日本の公立教育からみれば、フィンランドの教育は「憧憬」なのですが、しかし、時代はニコル・ブルバキを1989年に静かに看取りました。ベルリンの壁が崩壊後、時代の思想や芸術、文化、経済・・・あらゆるもののパラダイムが変わってしまったのですね。その変化にOECD・PISAのメソッドが追い付いていないとも考えられるのです。

★だから、日本のみならずイギリス、フランス、ドイツ、アメリカも国際ランキングは上位にいないのです。日本はオールド・モダンとポスト・モダンの間を揺れ動いています。イギリス、フランスなどはポスト・モダンとトランス・モダンとアドバンス・モダンとの間で揺れ動いています。

★ところがフィンランドはトランス・モダンという安定したパラダイムで、つまりこれはOECD・PISAのメソッドのパラダイムで教育を形成しているのですね。だから、日本はOECD・PISAの考え方に少し遅れているし、英・仏・独・米などはだいぶ先を行っているのです。

★二つの世界大戦の間に生まれたニコル・ブルバキは、ナチに翻弄されながらも、いや翻弄されたからこそ、ヨーロッパ中を巻き込んだ活動として広がったのです。ピアジェもラカンもレヴィ=ストロースもバウハウスも、おそらくル・コルビジェも、デュシャンもシンプルな構造主義をベースに理論を構築していったのです。

★がしかし、ニコル・ブルバキに19世紀末に最も影響を与えたグロタンディーグによって、構造主義のアキレスを発見されてしまったようです。しかし、彼はその後のニコル・ブルバキの成長を促すことなく、ピレネー山中に消えていったということです。

★構造主義のあとは、はたしてポスト・モダンなのか、アドバンス・モダンなのかその回答は私たちが探さねばなりません。PISAの問題提起は、フィンランド教育をモデルにしよう!ではなかったのですね。日経BP社の翻訳本「ブルバキとグロタンディーク」は、混迷の時代である今だからこそ書かれたのでしょう。久々に日曜日一日中読書しました。非連続圏と連続圏をどう結びつけるか、いやその区分としてのレイアーをどう分類するか、脱集合論の話は視界を広げますね。 本間 勇人 Gate of Honma Note 

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PISA2006結果から[03] 科学的リテレラシー・レベル3の意味

PISA2006結果から[02]10歳の壁を乗り越えるためにのつづきです。前回読解リテラシーにおいて、国際ランキング・ベスト3の国と15位の日本の比較をしました。レベル1からレベル5、それぞれに占める生徒の比率を比べたのです。

★そこでわかったことは、レベル3からレベル4にシフトするところで、差がついたということです。レベル3は、さまざまな知識をつなぐ「補助線」をひく段階です。レベル4は論理的思考の段階です。これは9歳や10歳の壁と言われていることと一致するのではないかということになったわけです。

06pisa ★それでは、科学的リテラシーについてはどうでしょう。同じようにグラフにしてみました。読解リテラシーでは1位だった韓国が、科学的リテラシー総合では11位です。数学では4位です。これは気になるので、今回は、日本(6位)と韓国とベスト3国を比較しました。

★すると、やはりレベル3から4にシフトするところで、差がでてきます。韓国の場合如実ですが、6位の日本も同じことがいえます。

★習熟度レベル3とは、次のように定義されています。

状況に応じて、科学的な疑問を明確にすること。現象を説明するために事実や知識を選び、簡単なモデルや探究の方略を応用する。

(「生きるための知識と技能③」国立教育政策研究所編2007年12月10日)

★実際に問題「日焼け止め」と「温室効果」を考えてみて、レベル3の問いは、実験の課題の目的を確認する問題だったり、グラフを言葉で説明する問題だったりします。つまり、課題はすでに問題でだされていますから、別の言葉で「置き換える」という思考をするのです。グラフもなぞればよいだけですから、それを言葉で抽象的に「置き換える」という思考をするのです。

★読解リテラシーのレベル3と同様の段階ですね。具体的な知識どうしを「補助線」で結ぶ。つまり名付けという「置き換える」思考なのです。「置き換える」とはモデル化すると言い換えてもよいですね。

★レベル4に飛べない15歳の生徒が韓国では64.2%、日本では58.1%いるということです。彼らは9歳あるいは10歳の壁を乗り越えられていない学びの状況である可能性があるわけです。

★しかし、韓国の生徒は、読解リテラシーでは、レベル4にシフトしている割合は高いわけです。フィンランド、香港のように3つのリテラシーで高いというわけではないのは、総合的な学習スタイルを取り入れているかどうかの違いなのでしょうか。ここで結論を出すのは早計でしょうが。 本間 勇人 Gate of Honma Note 

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PISA雑感

★「フィンランドの理科教育 高度な学びと教員養成」鈴木誠著(明石書店 2007年10月17日)のページを開いて、執筆している面々を見ると、懐かしくなりました。執筆メンバーは私のことなど知る由もないでしょうが、同時期にフィンランドに訪問しているし、OECD東京センター主催のセミナーにも同席していた可能性もあります。たしか北海道から参加していた研究者が質問していましたが、あの方が鈴木さんだったような気がします。

★また鈴木さんや執筆メンバーの一人である読売新聞社の西村さんがフィンランドでインタビューされた菊川さんには、私や岡部さんもお世話になりました。もっとも私たちは、ストラスブールの仕事がメインだったので、フィンランドのリサーチは2日間というタイムリミットがあったのですが・・・。

★国際教育研究家岡部憲治さんが、「PISA 2006 結果から ③フィンランド訪問記」を書いていますが、同時に私もホンマノオトで、フィンランドシリーズ(1~5)を書いています。

フィンランドの教育の本音(1)~社会システム抜きでは語れない
フィンランドの教育の本音(2)~歴史が形成した国民の性格
フィンランドの教育の本音(3)~社会システムを維持することはできるのか
フィンランドの教育の本音(4)~読売新聞の報告の意味
フィンランドの教育の本音(5)~読売新聞の報告の意味[2]

★そもそもOECD/PISAに目が向いたのは、岡部さんのこんな発想からです。

岡部氏は私のブースの中に入って来て、こう提案した。「中学入試問題をグローバル・スタンダードで評価してみると興味深い結果がでる。おそらく中学入試問題の中には、PISAの評価基準が設定している中で最も高いレベルを凌駕する問題が数多く出題されているはずだ。創造的コミュニケーション力を持った教師がたくさんいると予想した学校の入試問題は、特にそうだろう。つまり、グローバル・スタンダードに照合してハイレベル(難度が高いということでは必ずしもない。あくまで視点や思考の次元)の問題が出題されている学校は、そういう問題をデザインできるクリエイティブな教師が存在するということだ。しかも入試問題の傾向というか、質はそう変わらないわけだから、そういう学校はクリエイティブな教師の層が厚いということになる。」(OECDのPISAを超える中学入試問題 §2~中学入試問題のグローバル化から)

★2004年12月7日に2003年実施のPISA報告が公開され、世の中がPISAショック、特にフィンランドショック(Fショックと私は呼んでいました。)に揺れていたのですが、方法論的にそんなことに動揺する必要はないのだということを証明しようと思っていたのだと思います。

★岡部さんと協働リサーチをしていて、いろいろ書きためていたとき、白日社の編集者鳴瀬さんと出会って、岡部さんは「世界標準の読解力 OECD・PISAメソッド学べ」の執筆活動の準備にはいりました。私も素材集めや編集の議論に加わったのですが、方向性やPISAの事実を報告するだけではなく、具体的な世界標準を超える読解リテラシー「オカベ式『かんがえ型』」を編み出した岡部さんのオリジナリティは賞賛に値します。ここが多くのフィンランドやOECD/PISA関連の本と大きく違うところですね。

★フィンランド訪問を決めることになった発想について、2004年以降ホンマノオトに書いたものが幾つかありますので、次に紹介します。

「衝撃!日本の『学力トップ』陥落」って本当?

OECDのPISAを超える中学入試問題 §1~まずPISAの問題はいかなる性質の問題か

OECDのPISAを超える中学入試問題 §2~中学入試問題のグローバル化

OECDのPISAを超える中学入試問題 §3~開成の問題はレベル6を超える

中山文科相の総合的な学習削減の発言の影響

OECDのPISAが分析する日本の教育処方箋

CCCはOECD/PISAにつながっている

★あいかわらず独断と偏見の記述が目立ちますが、考え方の方向性は、今とそんなにズレていないと思います。

Photo *写真の中の「創造的才能教育」麻生誠・岩永雅也編(玉川大学出版部1997年)は、私も執筆メンバーになっています。私のクリエイティブ・コミュニケーション論の端緒となった書です。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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PISA2006結果から[02]10歳の壁を乗り越えるために

PISA2006結果から[01]のつづきです。読解リテラシー総合国際ランキングのベスト3国は、順番に韓国、フィンランド、香港。日本は15位。前回同様、習熟度レベルごとに占める割合を比較してみました。

06pisa3 ★すると日本のみがレベル4からガクンと比率が下がります。日本の15歳の生徒がレベル3からレベル4に飛べていないという結果が一目瞭然ですね。

★このレベル3からレベル4へのシフトは実は9歳の壁とか10歳の壁とか呼ばれている壁の乗り越えのことを意味します。ですから日本の15歳の生徒の69.1%はレベル3からレベル4にシフトできていないということですね。つまり9歳あるいは10歳の壁を乗り越えられていないということになります。

★レベル3までは体験したり体得した知識を整理する段階です。事実を確認したり分類するまでのレベルですね。しかし、この集積した知識を整理するあるいは分類するときに「補助線」を引けるかどうかがカギですね。知識をつなぐときにもう一つ別の言葉や表現を発見するということです。これが具体から抽象へ飛ぶことを意味します。抽象的に考えることができるということは主体的になるとか能動的になるとか、自分で考えるとか、リーダーシップを発揮するとかということと密接な関係があるのです。

★なんといっても、体験といのはおもしろいだけではなく、つらさを経た体験もあるのですね。これを乗りこえる体験が、ものごとを調整したり解決しようというコツを意識にのぼらせます。そして、これが「経験値」に変容するわけですね。子どもの中で「体験」が「経験値」というアナログからデジタルに変化するのです。

★勉強だけではなく体験が大事だとよく言われるわけですが、体験を「経験値」にシフトする勉強が本当は必要なのですね。もちろんこの勉強は教室の中だけではできません。

★さて、このレベル3からレベル4へシフトすることの重要性については国際教育研究家岡部憲治さんの著書「世界標準の読解力 OECD・PISAメッソドに学べ」(白日社 2007)でも触れられています。そしてそれを乗り越えるオカベ式『かんがえ型』は、大いに参考になるでしょう。 本間 勇人 Gate of Honma Note 

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名門校の条件[23]~武相中学の活躍[01]

名門校の条件[22]~茂木健一郎氏のコンセプトのつづきです。このところ茂木健一郎さんの考え方やものの見方を見ています。茂木さんを通して名門校の条件を映しだそうという試みです。しかし、最近友人たちと話をしていると、白洲次郎さんの生き方についてもよく話題にのぼります。

★白洲次郎さんの奥さん白洲正子さんは、私の義理の父の人生に影響を与えた方で、義理の父が他界した後、私も2度ほどおめにかかったことがあります。凛とした清楚な女性という印象を受けましたが、残念ながら通り一遍のあいさつだけで、お話するまでには到りませんでした。白洲正子さんと義理の父が出版社でいっしょにどのような仕事をしてきたのか、ずっと気にかかっているのですが、その足跡を追えないままになっています。

★しかし、それがかえって、ずっと白洲正子さんや白洲次郎さんのことをいずれ調べてみたいという思いを持続させています。そしてまた、義理の父の家が、白洲夫妻のついの住みかになった「武相荘(ぶあいそう)」に車ですぐいけるところにあることもあって、名称の付け方にも興味を持ちつづけています。

★というのも「武相荘」という名付けに、白洲次郎さんの生き方そのもののコンセプトがこめられていると思えてならないからです。白洲次郎さんのキャラクターは、次のような要素で成り立っています。

①背が高い

②訥弁(とつべん)

③乱暴者

④短気

⑤並はずれた英語力

⑥名門校で学んだ

★まさしく「無愛想」→「武相荘」を彷彿とさせるキャラクター要素です。武蔵の国と相模の国の境にあるからという意味も掛けているそうですが、重要なのは「境」です。戦後の日本をアメリカと対等に渡り合って救った唯一の市民ですからね。

★そして白洲次郎さんの話をしているといつも思い出すのが「武相中」なんですね。「武相荘」と同じころ創設された学校だし、やはり武蔵の国と相模の国の両風景を望む場所に建てられています。

★なにより私が出会った武相中の先生方が、白洲次郎さんの生き方に重なるのです。背は高くはないけれど、ダンディズム。訥弁ではないけれど立て板に水を流すような胡散臭い話し方はしない。乱暴者ではないけれど豪胆な人柄。短気ではないけれど決断が速い。並はずれた英語力というよりは並はずれた交渉力。名門校で学ぶというよりは、名門校を創っている。

★白洲次郎さんはケンブリッジで学んだ・・・というより豪遊したとも言われていますが、いずれにしても英国流儀や騎士道精神を身体と頭脳に叩き込んだ人物です。その学びの姿勢はゴルフにスポーツカーにと幅広く、アメリカ人の英語の間違いを指摘するほどの完璧な英語力を身につけていたと言われています。そうそう背広姿の政治家といっしょに外遊するとき、1人ジーパン姿だったというのも有名なエピソードですね。

★自分らしさを大事にした。しかし、世界の痛みも引き受けた。要するに、政治家や企業家に頼りにされたんですね。そのタフな精神の基礎は、スポーツと時代の先端にたいする好奇心と言語にたいする愛着などなどなのでしょう。

★このように考えていくと武相中は、まさにスポーツに、探究に、ビジネスに、自分らしさに、それでいてコラボレーションを大切にする学校なのです。まだまだ知られざる、でも渋谷から学校まで40分かからない丘の上にある学校です。小学生時代に大いに遊び、大いに読書し、大いにスポーツをし、大いに音楽などの芸術に触れ続けて、中学から大飛躍をという大胆な生き方を望む家庭に育った男の子が選ぶ学校だと思います。 本間 勇人 Gate of Honma Note  

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PISA2006結果から[01]

文科省が2006PISA結果の要約を公開しています。まずはこれからどんなことが見えるのか、つれづれなるままに書いていきたいと思います。

★今回の調査は、科学的リテラシーだったのですが、2009年の調査は「読解リテラシー」ですから、まずはこの分野からいきましょう。

06pisareading ★2006年のPISAにおいて、韓国の読解リテラシー国際ランキングは1位です。日本は15位。この差はどこにあるのでしょう。各習熟度レベルに占める割合を比較するグラフを作ってみました。

★これにより明らかというか、差異があるのですから当然ですが、レベル4以上が圧倒的に韓国の生徒の方が多いということですね。

★しかしこれは当り前ですね。日本の学習指導要領が中3までにレベル4までしか求めていないわけですから。レベル4はロジカルシンキング。レベル5はクリティカルシンキング。創造的な人材育成には欠かせない学びの次元ですね。

★学習指導要領の見直しは、何を考えるかだけではダメです。何をどこまで考えるのかまで設計することとそれがうまくいっているかどうか真実の情報が公開される「全国学力テスト」をコンピュータ・ベースでできるようにならねばなりません。OECD/PISAはこれからますますそういう開発をしていきます。 本間 勇人 Gate of Honma Note

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名門校の条件[22]~茂木健一郎氏のコンセプト

名門校の条件[21]~茂木健一郎氏のコンセプトのつづきです。茂木さんはデジタル資本主義の光と闇の部分を「欲望する脳」で鮮明に描いています。20世紀とは違う、幾何級数的情報の受発信。情報を欲する脳の機能の拡大はすさまじいだろうし、一方で階級格差の固定とその格差維持を欲する脳のすさまじい人格破損の拡大も凄惨です。

時事通信(12月5日10時1分配信)によると、

米疾病対策センター(CDC)は4日までに、電子メールやインターネット上のサイトを通じた「ネットいじめ」が急増しているとの報告書を発表した。ネットを使った中傷により少女が自殺する事件も起きており、法整備に向けた機運が高まっている。

★米国に限らず、デジタル資本主義の国なら今やどこでも起きている悲惨な事件ですね。だから茂木さんは、ダーヴィニズムの勢いを止めることはできないだろうが、どこかですべては利己的であるという考え方から、徹底的に欲望するけれど矩をこえることがない倫理との一致を憧憬せざるをえないということなのでしょう。

★名門校の気概が、孔子の思想や老荘思想、仏教思想、キリスト教思想などの理念にいつも回帰するのは、こういうところにあるのでしょう。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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白梅学園清修の挑戦 世界標準を超える授業

★OECD/PISAの2006年度調査の結果が公表されました。日本全体ではすべてのリテラシーにおいて国際ランキングは転落してしまいました。前回と今回の結果をうけて文科省は教育改革にのりだすのですが、どうもうまくことが運ばないようようです。

白梅学園清修は、開設当初から、世界標準を超える教育の質と方法を確立し、入学してくる生徒たちが将来社会で貢献し、世界の舞台で活躍できる柔軟な知性と寛容さを養うことを目標にしてきました。同時に世界標準から離脱しそうな日本の教育の新モデルとして清修の教育自体が役立てれればという熱い先生方の思いもあります。

Photo_2 ★清修の生徒たちと教育をつくることが、社会や世界の教育に役立つという願いですね。これは名門校としての私立学校の気概そのものです。柴田教頭先生は、「教育の重要な要素に評価があります。生徒の能力をきめつけるのではなく、さらに伸ばす・引き出す評価が重要です。しかし、そのような評価の基準について、日本ではまだそれほど具体的に議論が進んでいないですね。それに、その基準は世界標準のものでなくては困ります。スポーツでも芸術でも世界ルールを知っていないと困るのと同じです」と考えています。

Photo ★したがって、清修の先生方は、世界標準のモノサシについて、いつも独自に勉強会を開いています。今回もPISAの発表がある直前に、数学の戸塚先生と国際教育研究家の岡部さんがミーティングをしました。世界標準のモノサシを確認したうえで、「世界標準を超える授業を見える化することはいかにして可能か」がテーマだったようです。 

★なぜ見える化が必要なのか?戸塚先生は「評価は教師の武器ではないのです。生徒1人ひとりが自分で自分を鏡にうつして身を整えるように、知性や感性も自ら評価して自ら成長するきっかけを見つけられるようになるのが望ましいのです。評価のエンパワーメントですね。それには見える化して世界標準の評価の方法を共有する必要があるのです」と。

★生徒1人ひとりとの対話を大切にする一方、独自の勉強も欠かさない。白梅学園清修の教師は、日本の理想的教師像なのではないでしょうか。

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PISA2006年度結果に対する反応

★昨日夕刻(パリの午10時)に、2006年に実施されたOECD/PISAの結果が発表になりました。日本の結果はといえば、科学的リテラシー、数学的リテラシー、読解リテラシーすべてにおいて国際ランキングがさがりました。

産経新聞(2007年12月4日)によると、渡海紀三朗文部科学相などは相変わらず「ゆとり教育」の失敗を挙げるなどの反応を示していますし、文科省も朝日新聞(2007年12月5日)によると、

今回受験した生徒は現行の学習指導要領が施行された02年春に小学6年だった。文科省は順位が落ちたことを「課題として受け止める」とし、指導要領の改訂で理数の授業増や各教科で言語力の育成などを盛り込む方針。これが、調査で浮かんだ課題への対策の中心となる。

★しかし、マスコミは、前回2003年度の発表の時に比べると、かなり冷静にうけとめているようです。私も「PISA2006年度調査 日本は理科離れ大国で、「一喜一憂」する必要はないですよと述べましたが、同じようなトーンの反応が増えたように思います。

★日経新聞(2007年12月5日)で、苅谷東大教授は、PISAのための勉強などというばかげた動きにならないようにと指摘したり、渋谷教育学園理事長の田村先生は、日本はPISA型の学習環境がなかっただけ、プログラムの改善で巻き返しは簡単だと語ったりしています。

★また、同紙は、フィンランド、香港の考える時間を盛り込んだ学習を紹介したり、PISAの問題例を早速紹介したり、ランキングスコアだけで今回の発表に対して反応しているわけではない点が評価できます。

毎日新聞社説(2007年12月5日)も、次のような冷静な論調で書かれています。

前回のOECD調査で読解力の順位が下がったことで、ゆとり教育批判がにわかに強まり、教科学習を再び増やす学習指導要領の改定決定や、全国学力テスト実施に結びついた。ゆとり教育の手法や成果、OECD調査結果との因果関係について十分な検証が行われないまま、「ゆとりが学力低下の元凶」論が高まった面がある。

今回の結果で、実験を工夫するなど理科教育の改善が進むことは期待したい。しかし、「やる気の薄さ」はこの分野に限ったものではなく、社会全体の問題、これからの日本の幅広い人材育成で避けて通れない問題、ととらえる視点と覚悟が必要ではないだろうか。

単なる授業量増加が即効薬ではない。意欲、動機づけ、興味、関心などは、なかなかつかみどころがなく、これまで本格的に掘り下げて取り組みにくかった問題だが、もう先送りにはできない。

★ランキングでいえばあまりに好調なフィンランド。新しい試みというより、市民全員がリベラルアーツ的学びを受けられる環境にあるからです。国民の人口が600万人に満たないし、社会福祉制度も日本と違います。PISAの報告は大いに参考になりますが、これを利用して日本の子どもたちの学びを恐怖に変えないで欲しいですね。

★学力低下巻き返しという抑圧的風潮が、いじめや不登校増加の一因である可能性もあります。PISAの結果を針小棒大に扱うのだけはみんなで避けましょう。

★ただし、高校時代に1年間フィンランドに留学した経験を『受けてみたいフィンランドの教育』(文芸春秋)につづった立教大の実川真由さん(19)のコンセプトは肝にめいじましょう。

「生徒に対する教師の要求が非常に高い。PISAの問題に出るような自分の頭で考えて表現する授業をいつも行っているので、得点が高いのだろう。日本の教育が極端に劣っているとは思わないが、フィンランドの方が教育の質は高い」と指摘する。(産経新聞 2007年12月4日)

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PISA2006年度調査 日本は理科離れ大国

★PISA2006年度調査の報告によると、日本の高校生(15歳)の理科離れは加速しているようですね。時事通信(12月4日18時31分配信)によると、

経済協力開発機構(OECD)は4日、15歳を対象とした2006年の国際学習到達度調査(PISA)の結果を世界同時発表した。日本は、数学的応用力で03年の前回調査の6位から10位に後退、得点も下がった。読解力も、大幅に落ち込んだ前回並みだった。科学への興味、関心がOECD平均に比べて低いことも判明し、「理数離れ」の傾向が鮮明になった。11月に公表済みの科学的応用力でも、日本は前回の2位から6位に順位を下げた。文部科学省は、11年度からの新学習指導要領で理数の授業時間を大幅に増やす方針。

★文科省の判断はおそらく間違っているでしょう。というのも、「理科離れ」や「科学的リテラシー」ランキングの転落の理由は、

①高校入試や大学入試で「理科」という教科が入試科目として選択または必要がないために、「理科」を学ぶモチベーションがアップしない。

②「理科」だけではなくすべての教科が、入試のための勉強で、探究としての学びとして意識されていない。入試制度の在り方の問題が大きい。「受験脳」を養う環境をつくっているのだ。

③今回の15歳(2006年当時)の高校生が10歳のころは、2001年。総合的学習の時間の必要性がまったく理解されていない時代である。座学形式、講義形式の授業が中心の時代で、理科の学びのおもしろさを感じる環境にはなかった。

★したがって、学習指導要領の問題というより、10歳のころの学びの環境の問題の方が重要。もし今の10歳前後の子どもたちの学びの環境が、「受験脳」ではなく「創造脳」を養うものになっているとしたら、OECD/PISAの結果なんか気にする必要がないはずです。

★文科省の教育政策は、時代認識とコンセプトがポイント。OECD/PISAのスコアで一喜一憂しては困りますよ。もっと自信をもたなければ。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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PISA2006年度結果公表される

★PISA2006年度結果が予定通り公表されました。ランキングについては岡部憲治さんの「世界標準の読解力」サイトPISA 2006年度 ランキング発表!! 第三弾で見ることができます。

★科学的リテラシーも、読解リテラシーも、数学的リテラシーも前回2003年度のランキングを下回りました。このことに関して、NPO「教育テスト研究センター」の鎌田恵太郎理事は冷静な判断をしています。リテラシーという概念についても、私同様幅広い考え方を提示しています。

★今日の朝刊から新聞紙面では、大騒ぎになるでしょうが、日本の子どもたちの暗記学習を促すような論調はやめて欲しいと思います。

★いい学校に行って、自分はエリートだと思いこむようなバカな教育(茂木健一郎さんもそう言っているんですね)にだけには偏らないようにと望みます。

★それから、大事なことは、どうやったら世界標準リテラシーを鍛えることができるかという新しい学びの開発をすることですね。従来の学びの方法の時間を増やすというだけでの量的教育改善は、自律する時間を子供たちから奪い、画一的な学びの方法論を押し付けることになりかねません。

★教育の本意は、金融資本や産業資本に直接役立つような知識を覚えることではありません。クリエイティブ人材資本、社会関係資本を最適化することです。OECD/PISAの目的も、ここにあります。もっともOECD/PISAの世界標準化は、欧米は金融資本に基づいたクリエイティブ人材資本、社会関係資本を、アジアは産業資本に基づいた労働人材資本、垂直社会関係資本をという役割分担化を方向づける戦略であるかもしれません。

★日本の文科省は、この戦略に盲目的に便乗し、自らをアジア型の資本形成に貢献しようということなのかもしれませんね。暗黙の了解なのか、無意識のオリエンタリズムなのか、よくわかりませんが・・・。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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今日、2006年PISA結果公開予定

★今日(2007年12月4日)、2006年に実施されたOECD/PISAの結果が公開される予定です。すでに今回の中心的調査の科学的リテラシーの世界ランキングベスト10は公開されています。日本は前回2位から6位に転落。数学的リテラシーと読解リテラシーはどんな結果になっているのでしょう。

★結果はどうあれ、まずこの3つのリテラシーについて、基本的な理解が重要でしょう。読解リテラシーを読解力と同じものだと誤解したり、科学的リテラシーを科学的応用力だとか科学的活用力だとか矮小化したりせずに、OECD/PISAの考え方をまず尊重したいものです。

★詳しくはいずれお話したいとは思っていますが、それぞれのリテラシーを考えるときの基礎となる3つのプロセスを列挙しておきます。

[数学的リテラシー]

●再現クラスター

●関連付クラスター

●熟考クラスター

[読解リテラシー]

●情報の確認

●テキストの解釈

●熟考と評価

[科学的リテラシー]

●科学的現象を記述し、説明し、予測すること

●科学的探究を理解すること

●科学的証拠と科学的結論を解釈すること

★この3つのプロセスに①・②・③と番号をあえてふらなかったのには理由があります。番号をつけると、その順番に思考するのかと誤解を生むからです。思考のプロセスは、同時進行で多元的な機能が複雑に絡み合います。上記の3つのプロセスも同様です。

★それぞれの説明は、今日予定の発表以降考えてみたいと思っていますが、少なくとも、読解力や科学的応用力(活用力)という表現からイメージする内容より幅広いということは了解できるはずです。最新の調査の発表が楽しみですね。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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成長し続ける学校力[10]~中村中(7)

Photo_2成長し続ける学校力[09]~中村中(6)のつづきです。清澄庭園の夜の紅葉がライトアップされたというので、庭園の好きな私にと、中村中の教頭梅沢先生が、わざわざ庭園内から撮影してくれました。また、生徒たちが勉強しているとき、ふと顔を外に向けたときに見える癒しの庭園風景の写真もいただきました。紅葉と赤本の調和が中村らしいですね。教養と知識が結びついているということを示唆しています。

Photo_3 ★さて、“100”プロジェクトチームの進捗状況のお知らせもありました。チーム名は、地球環境チーム「Change Future Ecology Project」通称CFEPだそうです。CFEPはさっそく活動を開始。12月15日(土)の午後「特別講義」を開催するそうです。速いですね。構想力と実行力!タイトルは「ダイオキシンって、何?」。講師として東邦大学薬学部の秋本先生をお招きするということです。企画成立には「おやじの会」のお父様が仲介してくれたというのですから、学内リソースを巧みに活用していますね。

★それに娘の学校をサポートしたいという意欲をひきだす梅沢先生はさすがです。CFEPのメンバーは、全校生徒にも特別講義のお知らせを発信し、メンバー+希望生徒の計50名くらいが受講することになったということです。自発的にはじめた小さな渦が、まわりを巻き込んで大きな影響力のある渦に成長していくというのは、中村中らしいボランティア精神の発露です。

★「後日研究発表をするとともに、“100本表現”を製本する予定です」と梅沢先生。生徒の活躍と成長を目を細めて見守っている姿が思い浮かびます。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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名門校の条件[21]~茂木健一郎氏のコンセプト

名門校の条件[20]~茂木健一郎氏のコンセプトのつづきです。茂木健一郎さんは、自己と他者の利益のどちらを優先するのか、それともどちらも優先するのか、はたして後者は可能なのかについて、「欲望する脳」で問いつづけていますね。

基本的には自分の利益を図る人間同士がぶつかるから、社会の中に様々な軋轢が生まれる。デジタル資本主義の下、貧富の差が拡大し、階層が固定化される傾向のある現代、社会というのは人間の欲望がぶつかり合う野蛮な場所であるという現実認識に肯く人は一昔前より増えてきたのではないか。夏目漱石が晩年「則天去私」の境地に憧れたのも、友人を裏切って自殺に追い込んでしまったことに対する悔悟を抱えて生きる「先生」の葛藤を描いた『こころ』に表われているように、人間のエゴを正面から見つめるその心性ゆえであろう。・・・これらの思索は、欲望する自分というものに対して消極的である点において、欲望の解放をこそ是とする現代社会に対するアンチテーゼと成り得る。(「17 不可能を志向すること」から)

★たしかにアンチテーゼと成りうるのですが、基本的には自分の利益が大事なのだから、欲望を多少抑えたところで、程度問題で、どこで抑えるかその線引きは曖昧です。この曖昧さが、議論になると自己の利益のために欲望を解放して構わないのだ、結果的に最適化するからという発想に勝てないのでしょう。

★そこで、茂木健一郎さんは、この両方の葛藤を乗り越えるには、孔子の境地が有効であると言うのです。

孔子の「七十而従心所欲、不踰矩」の境地は、欲望する存在としての自分を引き受け、いろいろとやっかいなことのある人間にとどまりつつ、しかもいかに生きるべきかという倫理の問題をクリアするという、積極的なものである。そのような欲望の錬金術が果たして可能なものなのかどうか、いろいろと難しいことのように思われるが、欲望という「毒」の暴走する現代における「解毒剤」として、欲望の周辺のことをもう少し考え続けよう。(同上)

★欲望の昇華ということだろうが、それはいかにして可能なのか、それが問題ですね。しかし魅力的であることにかわりはありません。欲望を抑えない、でもうまくいっちゃうという思想だからですね。現代社会は、欲望を抑えたがらない、それでは困るというのは文科省。つまり欲望抑圧説ですね。これに対し、茂木健一郎さんは、欲望昇華説。欲望変態説と呼んでもよいかもしれません。これに対し夏目漱石は欲望解脱説ですね。

Apot ★ここに欲望に関しては4つの価値観がはっきりしましたね。「欲望昇華説」「欲望解放説」「欲望抑圧説」「欲望解脱説」。これらの背景価値は、それぞれ「アドバンスモダン」「ポストモダン」「オールドモダン」「トラスモダン」という4つの近代APOTに対応します。

★どうやら名門校の条件は、オールドモダンではなく、アドバンスモダンに根っこがあるようです。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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名門校の条件[20]~茂木健一郎氏のコンセプト

名門校の条件[19]~茂木健一郎氏のコンセプトのつづきです。茂木健一郎さんの教養は、「欲望する脳」(集英社新書)の24のエッセイに通奏低音のように響いています。ですから、名門校の条件としての教養とはこれだと結論づけるとそれで終わってしまいます。24のそれぞれの素材に魂のように宿っているその教養の部分を取り出すのではそれこそ解剖して心臓や脳をとりだすがごとしで、生命を失ってしまいます。

★あるいは茂木さんはクラッシック音楽が好きだそうですが、楽譜だけみて、各パートの楽器の音を想像しているような感じで、なんとも妙な感じです。茂木さんのような作家の文章は、解釈や分析するのではなく、読み味わうのが一番良いようです。まっしかし、おもしろいと思うところを抜粋しながら貧困ではあるけれども、思いを巡らすことも避けられません。それほど読み手にインスパイアーさせるエッセイなのですね。

★そんなわけで、抜粋を続けましょう。

脳とは、結局は生物が生き延びるために進化させてきた臓器である。生存のための臓器としての脳は、徹頭徹尾利己的に作られている。ダーウィンの進化論のパラダイムは突然変異と生存競争を通しての自然淘汰であるが、生存競争において勝ち残るためには利己的であるしかない。自分以外の人間のことを思いやり、行動する「利他的行動」や、社会全体のことを考える公共的精神もまた、拡大し、変形した利己的な動機に基づくと説明される。(「17 不可能を志向すること」から)

★のちのち明らかになりますが、茂木さんはダーウィン自身の戦略は決して「弱肉強食」「勝組負組」「優勝劣敗」という理論でなかったと冷静に判断されていますが、日本の官僚近代は、どういうわけかそのように理解したのですね。その流れは新自由主義まで貫徹しています。

★このことは日本の官僚近代思想だけではないですね。実はイギリスの政治経済政策も分析学派やカール・ポパーのような思想家の手によると、日本の官僚近代思想流儀のダーヴィニズムに偏りがちになります。

★彼らの戦略は、情けは人のためならずです。他者を思いやっておくと、回りめぐって自分の利益になるという戦略ですから、人間なんて利己的なものなんだと割り切れてしまえるんです。そしてこういう言い方ってどこか賢そうに聞こえるのですよね。

★みんなが利己的に振る舞えば、結果的には社会厚生につながるベクトルが生まれるという発想は、アダム・スミスもそうだったし、まさに市場の原理もそうなのです。

★しかし、アダム・スミスは道徳感情論を大事にするし、市場の原理も、配分の正義を考慮するかどうかで、ダーヴィニズムとは微妙に差異がでてきます。

★ダーヴィニズムは実証主義につながりますから、目に見えないものやデータに基づかないものは考えないという傾向に陥ります。1+1が2以上でも以下でもないという要素還元主義の傾向になるわけですね。

★ところが私立学校の過半数以上は、要素還元主義ではなく、関係総体主義だし、シナジー効果を生むことを望みます。要素還元主義にボランティア精神はないでしょうね。犠牲的精神などはもってのほかでしょう。

★名門校の精神の条件とは結局、要素還元主義とは相いれないようです。茂木健一郎さんも、「欲望する脳」の中で、一貫してそのことにこだわっていますね。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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成長し続ける学校力[09]~中村中(6)

成長し続ける学校力[08]~中村中(5)のつづきです。中1と中2の廊下には、キャリア・デザインの一環としてのワークの成果がありました。生徒一人ひとりが遠くに思いを馳せ、次の瞬間に我にかえって、目の前の一歩を踏み出すプランを立てたピースが、クラスのメンバー全員分集められて、ディスプレイされていたのです。

2 ★CAになりたいという夢が1つのピースに書かれ、そのためには今英語を得意になろうというふうにもう1つのピースに書かれているのですね。将来の夢は小説家、だから今は読書三昧がんばろうというのもありました。なんか自分の趣味をおもいきり正当化していて、ほほえましいですよね。

Photo_9 ★キャリア・デザイン・プログラムの大きな役目は、モチベーションをいかに内面から燃やせるかだと思いますが、毎年続けていけば、6年間で夢の輪郭がはっきりするのと、そのために今やっていることをPDCAの過程で軌道修正していけるので、かなり緻密なプログラムになっていると思います。

★しかも“100本”プログラムが同時に展開しているので、絵に描いた餅ではなく、実体験と脳内体験の統合過程が進みます。いったい誰がこんな緻密かつ大胆なプログラムを作ったのでしょう。小林理事長先生に聞くと「そりゃいつも未完のプログラムだよ。なるようになる。いやあ、収まるところに収まるものだろう。これだけ先生方が創意工夫しているんだから」という回答が返ってくるに違いありません。

★トップダウンとボトムアップの統合というか、調和というか、ハーモニーというかそういう循環がうまくいっている組織が機能しているということでしょう。このような組織が持続可能になるには、やはり常に創意工夫、未完の授業の追究に尽きるでしょう。それが成長し続ける学校力の糧になるのだと思います。

P.S.多くの受験産業のプロの方々が、学校を見るとき、教育やマネジメントの最前線の成果をきちんとつかって評価されることを期待します。自分の本や情報誌が売れることしか考えない編集になってきているのが中学受験情報誌の現状です。教育の中身について、世界標準のモノサシで解釈・評価することが、日本の教育の質を正当に取り出し、世界に発信することにつながるでしょう。それが回りまわって、日本の子どもたち、そして世界の子どもたちの生きる力に役に立つはずです。中学受験産業の社会貢献(CSR)を考える時代がやってきたのではないでしょうか。中村中の先生方の創意工夫、保護者の協力、生徒の活躍、そしてそれらの情報開示は、中学受験産業にとっては学びのフィールドです。私もいつも学びのチャンスをいただき、心から感謝しています。未来を創る「The授業」のミーティングと発想を巡らす教育空間の回遊散策、本当にありがとうございました。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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成長し続ける学校力[08]~中村中(5)

成長し続ける学校力[07]~中村中(4)のつづきです。夜の中村中の空間散策に話はもどります。中1と中2のクラスの廊下に訪れたとき、美術の作品やキャリア・デザインの一環としてのワークがディスプレイされていました。

Photo_5 ★美術の作品は表意文字としての漢字を活用したデザインです。漢字の意味からインスパイアーする想像力をデザイン化するわけですが、通り一遍の意味から生徒一人ひとりの個性を引き出すトリガーになっていますね。想像力は科学においても、人間関係づくりにおいても重要な才能です。それを引き出すプログラムが美術の中にあるのです。他教科に影響を与える芸術プログラムは、クオリティスクールを形づくる重要なポイントです。

Photo_6 ★「切」という漢字のイメージの違いもなかなかおもしろいですね。2人の生徒の「切っているときの意識」が違うのが伝わってきます。1人はハサミという道具を使ってきちんと切り込みをいれています。破壊は次の制作のためのプランですね。一方、もう1人の生徒の「切っているときの意識」の感情の起伏は強烈です。シンプルさが、かえって破壊のすさまじさと破壊のあっけなさの両方を伝える効果を生んでいます。

Photo_8★想像力には、エモーションがいったん脳を通過した後に生まれる感情をとらえる力があります。このとらえるとき同時に知性が働くのです。脳神経学的な学びのプログラムを美術の時間にトレーニングしているのですね。アントニオ・R・ダマッシオの「感じる脳」、ダニエル・ゴールマンの「SQ 生き方の知能指数」、ハワード・ガードナーの「未来を創る5つの精神」(ガードナーの邦訳はまだでていないので表題の訳は筆者による)の論理がここですでに実践されているのには驚きました。

★また女性は言語能力が男子よりすぐれていると言われています。女性の左脳が右脳よりも先に発達しやすい社会環境にあるというだけだと思いますが。ともかく、そういう脳差の社会環境を踏まえて、言語から右脳をトレーニングするプログラムが展開されたのではないでしょうか。昼間とはまた違い、夜のしじまの力のおかげで、表現空間からそんなふうに語りかけてくる体験は、実にすてきでした。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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成長し続ける学校力[07]~中村中(4)

成長し続ける学校力[06]~中村中(3)のつづきです。未来を創る「The授業」のミーティングが終わった後に、教頭の梅沢辰也先生に、お話をうかがう機会をもらいました。梅沢先生は、学内で最も遠い先を見ている学校経営陣の一人です。それでいて一歩先のこともきちんと考え、日々新たな事を生み出すクリエーターでもあります。一歩先の身近なことをおろそかにすると遠い先のビジョンにつながらないのです。

★実はこの一歩先のアイディアを生み出して遠くにジャンプするというのは、天才教育哲学者ビゴツキーの「最近接領域」を実践しているともいえます。生徒一人ひとりの一歩先が違うのですから、それを読み取りアイディアを共有する教師とはすぐれているとしかいいようがないのです。前回も書きましたが、最高級ホテルのサービスでいえば、エクストラマイルの発想にも通じます。

★ですから梅沢先生に何か新しいすてきなことが起きているでしょうから、教えてくださいというと、もちろんありますよと目を輝かせて語ってくれました。

★中村のキャリアデザインの一環として、“100”プロジェクトが実施されています。2009年に中村は創立100周年を迎えるところから発想が結実したようです。

①100分学習=努力の習慣→中1で毎日100分自宅学習。学年ごとに100分ずつ増やし、高3では毎日360分自宅学習。

②100冊ノート=知識力→中1から暗記用ノートをつくり、「100冊」達成する。

③100本表現=知識運用力→中1から年間20本小論文や作文を書き、高2で「100本」達成する。

★小論文は国語とは限らず、教科横断型です。梅沢先生は体育科ですから、心身と自然と社会のエコロジーを大切にしています。ですからおのずと生徒たちは環境をテーマに新しい切り口で小論文を書くことになったようです。

★さてここでエクストラマイルいやいや最近接領域の一歩先を読む発想がピンとくるわけです。茂木健一郎さん流儀でいえば、「アハ!体験」です。あまりに生徒たちの着眼点がおもしろかったので、環境について紙の上だけではなく、フィルドワークしてはどうだろうと一歩先の問いを投げかけると、すぐに有志が集まってプロジェクトチームができたそうです。(有志を集うというボランティア的発想も中村の伝統ですね。自学自習の姿勢はボランティアからしか生まれないはずなんですね。)

★このチームの活動プロセスと成果はどこかで発表になるでしょうから、今から楽しみですが、独断と偏見で分析させていただくと、ここにはすばらしい教育学的視点が存在しています。自宅学習と知識力と知識運用力は、自発的な体験を通してはじめて関係づけられます。関係の輪が見つかれば、どんどん知識は磁石のようにくっついてくるし、豊富な知識はあるところまでは過冷却状態で、知識のままですが、あるとき雪の結晶が瞬時にでき(つまりこれが「アハ!体験」)、いっせいに地上を美しい雪のベールが包みます。アイディアが生まれるわけですね。

★脳科学的には、体験を通して脳にインプットした知識は、レム睡眠時に、日常では見えない「補助線」によって整理されて、運用できるようになるんですね。この「補助線」は自発的体験によって5感で情報をインプットしていないと引けないのです。

★能の道でいえば、「序破急」。剣の道でいえば「序破離」。体育科ならではの発想でもありますね。

★学内全体が一丸となって新しいことに取り組む。しかし全く同じように取り組むのではなく、先生方1人ひとりがいい味を出す。創意工夫をするということです。このいい味を引き出す役目を理事長や校長、副校長、教頭、部長が果たしている。これもまた成長し続ける学校力を育てるエネルギーですね。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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成長し続ける学校力[06]~中村中(3)

成長し続ける学校力[05]~中村中(2)のつづきです。未来を創る「The授業」の会議のブレイクの間に、新藤先生に夜の構内を案内していただきました。中村中は清澄庭園のすぐ近くにありますから、回遊式の廊下をあるいていると、夜のシジマが想像をかきたてて、庭園につつまれているようなイリュージョンがただよいます。

Photo ★廊下の随所には、椅子や机がおいてあり、昼間はぎゅうぎゅうになって座って歓談したり議論したりしているのだろうなと想像しながら散策していたところ、高3生がそこで勉強しているではないですか。20時までは学校に残って勉強してよいのだということでした。先生にいつでも質問できるし、夜の学校は静かで、また別の居心地のよさがあります。ぐるっと回って職員室の前に3 でると、彼女たちが先生に質問しているところに遭遇しました。

★それにしても大学入試過去問の赤本が廊下というオープンスペースにギャラリー風に設置されているのはなぜだろうとたずねようとしたら、新藤先生が察知して、こちらがたずねる前に、説明してくれました。高校3年生以外の学年、中学生も含めて、大学のことやどんな問題を出題するのか見たいと思う生徒がいるし、はやいうちからキャリア・デザイン・プログラムを用意しているので、関心を持っている生徒がすぐに閲覧できるようにということでした。

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★最高のおもてなしの瞬間ですね。こちらの望みを先読みしてすっと適切な会話をする。最高級ホテル・リッツ・カールトンのサービスマニュアルでは、これを「エクストラマイル」と呼ぶそうですが、最高級のサービスは、茶の道のおもてなしに通じるものがあるのでしょう。

Photo_3 ★さて、中村中の教育空間は先生方が亭主のロールプレイをすることによって、庭園空間に変容するのですが、ロールプレイは先生方だけではありません。廊下にディスプレイされている芸術作品や生徒の作品、建築科に進んだOGの受賞作品群も一役買うわけです。

Og ★それゆえ中村中は地域の人やおやじの会に開かれていて、狭い意味での教育空間以上のもてなし空間=庭園空間として実際に親しまれてもいるのです。つまりリスペクトされているわけですね。

Photo_4 ★新藤先生をはじめ中村中の先生方は謙遜されるいや謙虚な方が多いので、私のような書き方は遠慮されがちなんですね。でも、この謙虚さは、実に中村中の伝統なんです。この本当に偉い人は奉仕する人だというイエス・キリストの言葉は、ミッションスクールではないのにもかかわらず、中村中の伝統的な構えなのです。あるいはプロテスタントでいえば、米国聖公会的な発想ですね。ただ、アメリカ西海岸がよく映画で揶揄するアメリカ東部のエスタブリッシュなマナーとはまたちがって、ほどよい謙虚さですが。

★いずれにしてもこのもてなしの心こそ欧米の名門校が育成する教養の1つです。国際的な最高級ホテルのサービスが常日頃準備しているのがこの教養あるサービスです。そしてサービスのステップは、すてきなサービス(=プラスアルファーのサービス)→賞賛されるサービス(=感動を生み出すサービス)→神話となったサービス(=口コミになったサービス)→伝説のサービス(=未完のサービス)という進化をたどるそうですが、中村中は神話となったサービスまで進化しています。*(  )内は筆者註。

★あとは伝説のステージに上るだけです。成長し続ける学校力は本当の意味でのサービス=奉仕=ボランティアの心を大事にしているところにもあるのですね。 [本間 勇人 Gate of Honma Note

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