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2008年問題<03>

2008年問題<02>のつづきです。時代認識について考えているのですが、時代認識を誰がしているのかというと、現状では見識者やマスコミ、そしてそれをマーケティングしている企業人がしているのです。大きな物語は消失し、国家→企業→個として言動の主体は移行しているというシナリオは、もちろん生活世界の中から生まれていて、それを見識者、マスコミ、企業が、そのニーズの論理を後付けしているということになっているのですが、鶏が先か卵か先か実のところ不確定です。

☆おそらくどちらが先か論じるには相当な歴史の情報をリサーチしなければならないので、そんな力も余裕もない私には無理な話です。歴史的事実をたどることはそれこそ研究者に任せて、結局「系譜学」的アプローチでなんとかいくしかないのです。

☆学校文化の系譜、私立学校の文化の系譜、ディズニー文化の系譜、アキバ文化の系譜といった具合に・・・。しかし、これは系譜なのか、マックス・ウェーバー的なタイプ論なのか、これまた難しくてわかりません。

☆結局それぞれの系譜を理論づけている代表的な著者の考え方を批判分析することぐらいしかできないのです。学校文化の系譜を代表しているのは、ある意味文科省と東大教育学部ですね。

☆私立学校文化の系譜を代表しているのは、なんとそれぞれの学校で、1つに管理されたり、集約されたりしたものはありません。それゆえどのように網掛けするかは、これからですが、今回はフェリックス・ガタリの「エコゾフィーの実践と主観的都市の復興」という遺稿(1992年)をヒントにしたいと思います。ガタリのアンチ・フロイト主義や精神と社会と自然の3つのエコロジーを横断するカオスモーズの考え方は、私立学校の系譜と重なるところが多いからです。ガタリは現代思想家に位置付けられますが、ポストモダンに与しませんし。

☆ディズニー文化の系譜やアキバ文化の系譜については、あまりに多くの人々が論じていますが、それらを鳥瞰でき、かつ通説を組み立て、ポストモダンを解説する枠組みを作り上げたのは、1971年生まれの3人―森川嘉一郎さん、東浩紀さん、北田暁大さん―でしょう。森川さんの中等教育時代はイギリスやオーストラリア、大学・院時代は早稲田。東さんは、日能研渋谷校→筑駒→東大。北田さんは、聖光→東大。いわゆる公立学校文化から少しズレているところが、おもしろい視点につながっています。

☆名門校の条件を考えるヒントを与えてくれた鈴木祐介さん(今春ベストセラー「名門校人脈」に続く書を出版する予定とか。楽しみです)のお話を聞きながら、3人のおもしろさに気づきました。

☆3人は、それぞれの立場で、たんにポストモダンの歴史的文脈や輪郭を描くだけではなく、そこに生きる人々の考え方や感じ方まで分析しています。東さんに至っては、考え方や感じ方のプロセスや構造まで分析しています。ICTやオタクの環境情報の中で、それらが具体的にどんな脳内プロセスを構築していくのか、その構築された情報のやりとりがどのようになされ、さらにその情報がどのように再生いや再構築いや脱構築されていくのかその過程を分析したりまでしています。

☆ですから、かなりその構想力は、若い人たちの考え方や感じ方に影響力がありますね。しかし、それは本当にナノレベルのミクロの世界とあまりにいまここでのリアルな日常化した世界の分析がゆえに、私の頭ではついていけないですね。東さんの理解については海城の中田先生や駒東の佐藤先生、それから鈴木さんにお話を聞いたことがあります。したがって東論は先生方と鈴木さんにお任せして、今回は森川嘉一郎さんの「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」(幻冬舎2003年)をヒントに考えてみましょう。

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