2008年問題<04>
☆2008年問題<03>のつづきです。≪学校文化の系譜≫、≪私学文化の系譜≫、≪ディズニー文化の系譜≫、≪アキバ文化の系譜≫を見ていくことで、ポストモダン的な文化の浸透という時代認識は違うのではないか、むしろガタリの言うカオスモーズという時代認識が2008年の出発点ではないだろうかという仮説を立てたいと思っています。
☆Web2.0などもポストモダンの文脈で語られている可能性がありますが、はたしてそうでしょうか。多くのラブコメがドラマ化されテレビで実写されていますね。年末から正月にかけて「ごくせん」や「のだめ」の総集編をやっていましたが、原作はマンガです。
☆とくに「のだめ」の背景の空間は、あの洗足学園です。キャンパスのほとんどが洗足学園です。≪私学文化の系譜≫と≪アキバ文化≫のある意味親和関係がなされている典型例です。ここからも≪私学文化の系譜≫も≪アキバ文化の系譜≫もポストモダンの流れとはちょっと違うのではという気づきが生まれます。この気づきは直観的なものでしかありませんから、どこかで再考できればと思っています。
☆今回は森川嘉一郎さんの「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」(幻冬舎2003年)をヒントに考えてみるということでした。話題をそこに戻しましょう。森川さんの目の付けどころは、都市空間に趣味が露出しているじゃないかというところにあります。
☆マンガやアニメのキャラクターが、路上や広告で、街を埋め尽くしています。テレビも同じです。電車の中もそうですね。この現象の集合体が今では≪アキバ文化≫として秋葉原にあるということなのですね。だから都市は「趣都」化しているよと。
☆森川さんが≪アキバ文化≫と比較するのが≪ディズニー文化≫なんですね。もともとディズニーのマンガやアニメを日本流儀に変容させていったのが手塚治虫という設定ですから、ここに両文化の差異を見出そうとするのはとっても自然なんですね。しかし、ここが危ういのです。東さんや北田さんは思想家ですから、ポストモダンを単純にオールドモダンの次に生まれたという歴史順序的にとらえることは慎重に回避します。
☆しかし、現代思想を自分なりに読解している見識者は別として、自分の専門領域を持っているという意味での見識者は、ポストモダンの系譜学的読解をふだんからしているわけではないので、歴史的連続性を根拠とします。しかし、ディズニーと手塚治虫に歴史的連続性はあるのでしょうか。同時代性という意味ではそうかもしれません。あるいは影響力という意味でそうかもしれません。しかし継承という意味では違うでしょう。だから差異があるわけです。
☆森川さんのものの見方に話を戻しましょう。森川さんは日本の文化趣味には2つあるとしています。1つは「海外志向の構造」で、遣隋使以来続いた外国の文化を権威として指向するあり方です。これによって「上位文化に染まる趣味」が形成されるのです。鹿鳴館なんてのはこのあり方の象徴ですね。
☆もう一つは「オタク趣味の構造」で、森川さんの文章を引用すると、
ディズニーはセルアニメによって、ヨーロッパの童話を徹底して衛生化した。ヨーロッパという上位文化を、自らの趣味に同化させるべく加工したのである。そして戦後のアメリカと日本の階層関係の下、今度は手塚治虫がディズニーアニメを染めた。ディズニーが衛生化に使ったまさにそのセル画の肌具合いの中に、幼女的エロティシズムを見出すことによって。この手塚によるディズニーの変換の延長線上に、オタク趣味は位置している。ポルノ化はパロディの手段なのである。(同書13ページ)
☆271ページもの大著ですが、モチーフはここに集約されています。ここに日本のオリジナリティという正しい理解としかしそのオリジティナリティがディズニー文化の掌の上でころがされているという錯覚が入り込む余地をつくってしまっています。
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