« 2008年問題<04> | トップページ | 2008年問題<06> »

2008年問題<05>

2008年問題<04>のつづきです。森川嘉一郎さんは、こうも述べています。

日本中の都市が個性を失い、均質化されてしまっていると指摘されて久しい。あらゆるものを相対化する資本というものの性格が、コマーシャリズムとともに、歴史に根差した街の貌(かお)をことごとく塗りつぶしたのである。ところが秋葉原では、旧来場所の固有性を決定してきた諸構造とはまったく異なる仕組みで、自然発生的に、新たな個性を街が獲得し始めたのである。

☆ここには官主導、そしてそれにぶらさがってきた古いタイプの企業が作ってきたオールドモダンの都市とは違って、ポストモダンのアキバがあると置き換えられます。官主導は、海外ものまね指向で、アキバは個性的な独自指向ということでしょう。

☆官主導ではないポストモダンな企業としては、ディズニーに傾倒する企業ですね。官主導の文化こそ、≪学校文化の系譜≫です。そして官主導にぶらさがってきた企業を批判するのは私立学校ですね。しかし私立学校はすべての企業を批判するわけではないのです。≪ディズニー文化の系譜≫の延長上にある企業に対しては、ある程度寛容です。しかし、完全に受け入れるわけではありません。

☆なぜなら≪ディズニー文化の系譜≫は、feel-goodに反するものは排除するからです。おもしろくないことや嫌なことには目を背ける傾向にあるからです。なんでもポジティブ・シンキングでいくわけにはいかないのです。しかし、アメリカという空間においてはそれでなければダメなんですね。

☆≪アキバ文化の系譜≫が≪私学文化の系譜≫と重なるところは、そこの部分です。ネガティブな要素を排除しないのですから。ここは≪学校文化の系譜≫とは決定的に違うところです。だから、私学という法人の形をとっているところでも、≪アキバ文化の系譜≫とこの点で明確に違うところは、≪私学文化の系譜≫には属さないのです。学校の設置者が違うだけで、発想法は公立学校という私学もあります。どうしようもありませんが・・・。

☆≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫の共通点は、官主導の文化から排除される人や文化を抱え込むところなのですが、≪私学文化の系譜≫系の学校でも、教育心理学に支配されている学校は、≪アキバ文化の系譜≫のような人間の性的要素を取り扱う際に、混乱をきたします。

☆≪学校文化の系譜≫や官主導の発想では、これは簡単です。排除して抑圧すればよいのです。超自我の復権というのが、この文脈ででてきますが、完全にフロイト主義です。河合隼雄さんのユング派というソフトなフロイト主義に日本の教育心理学は支配されてきたことからもそれはわかりますね。河合隼雄さんは尊敬すべき見識者ですが、神ではありません。昨年お亡くなりになりました。冥福を祈っていますが、ある意味このフロイト主義から教育が解放される転機だとも思いますが、どうでしょうか。

☆いずれにしても、≪ディズニー文化の系譜≫も根本はフロイト主義です。無意識の世界、特に性的な要素は完全に排除する、森川さんの言葉で言うと「衛生化の徹底」です。ただし、官主導の≪学校文化の系譜≫と徹底的に違うところは、権威や権力によるコントロールではなく、環境設定型コントロールで、権威や権力は微分化されていて気付かないような仕掛けになっています。

☆ここが決定的に≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫と違うところです。≪ディズニー文化の系譜≫はオールドモダンな官主導の≪学校文化の系譜≫に対してはフラット化は進んでいますが、それは権力を排除しているわけではないのですね。これこそまさにオールドモダンに対するポストモダンでしょう。

☆どうやら≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫はポストモダンには与しないようですね。にもかかわらず、一般には≪アキバ文化の系譜≫はポストモダンだと思われているし、≪私学文化の系譜≫は≪学校文化の系譜≫と同じだと思われています。

|

« 2008年問題<04> | トップページ | 2008年問題<06> »

文化・芸術」カテゴリの記事