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2008年問題<10>

2008年問題<09>のつづきです。フェリックス・ガタリの遺稿テキストは92年のものですから、まだウィンドーズ95は世に出ていない時ですね。当然インターネットもまだまだ普及していない時代です。ファミコンはすでにあったでしょうが、そのときから預言的に論じているところがすごいですね。

現在の地球規模における行きづまりからの脱出口は、文化や民族、国家を横断する新しい土地を創出し、領土化された権力の呪縛から解放された横断的な価値の世界をつくりだすことによってしか見いだすことはできないだろう。

☆89年のベルリンの壁崩壊後、EUは急速に横断的になりますが、学びも同時にそうなりますね。プロジェクトベース学習型になっていきます。フィンランドも教育改革をその線でやっていくわけですね。OECD/PISAの準備もはじまるわけです。EQだといかMIとかいう新しい学習理論、脳科学の促進も始まります。

☆日本はずいぶん遅れています。バブルが崩壊して経済の空白時代を迎えています。そのときこそ権力の呪縛から解放されるチャンスだったのですが、逆向きに動いてしまったようです。教育改革もこの新しい流れに乗ろうとしたのですが、総合学習の失敗を招いてしまいます。

☆様々な体験を経験知に変換し、関係総体を思考できるパラダイムにシフトしていくはずの総合学習が、体験だけで終わったり、経験知をすっとばして議論や探究をするものだから、思考が深まらないという結果になりがちだったのですね。だいたい小さな権力の集合体である≪学校文化の系譜≫において、権力の呪縛から解放されようなどという運動が広がるはずがなかったのです。

☆要するにフラット化嗜好の≪アキバ文化の系譜≫は公立学校では受け入れられなかったというわけです。しかし、モバイルやマンガは水面下では浸透していったわけです。学校文化の表層では、抑圧機制が働いているのですが、ここをいくら教育改革で強化しても的外れなだけなのです。

☆だから≪アキバ文化の系譜≫をはやめに見える化し、ガタリの文脈でいう理想的なポジションを確立した方がよいのです。日本独自のそれでいて島国的な独りよがりでは決してない文化を浸透させることです。一見するとカオスですが、同時にコスモスであり、それをオスモーズ(浸透)させる、つまりカオスモーズのきっかけを≪アキバ文化の系譜≫は持っているのです。そこに気づけるかどうかが2008年問題ですね。

☆どうやって?残念ながら議論という本位をつかって変わるような日本ではありません。あくまでも経済原理でしか変わらんでしょう。普遍的思考は、≪学校文化の系譜≫は苦手ですから、数の論理=売れていればOKという発想でしか変わらないのです。だから≪ディズニー文化の系譜≫は受け入れられます。ポストモダンはOKなのです。

☆しかし、≪アキバ文化の系譜≫は、このポストモダンともゲームの領域やキャラクターの領域でつながっています。もちろんアキバのほうはキャラとキャラクターを区別できるほど高度な文化です。

☆それに比べ、≪ディズニー文化の系譜≫はそんな難しいことは関係ありません。難しいことは売れないのです。売れないと日本では浸透しないのです。DSやWiiはゲームの領域ですが、これはどちらかというと≪ディズニー文化の系譜≫ですね。だから学校でも受け入れられる。一足飛びに学校文化が≪アキバ文化の系譜≫を認めるわけにはいかないですが、DSの学びの道具振りは学校文化でもパフォーマンスは高くなるでしょう。

任天堂の岩田社長のゲームの敵だった母親に認めさせる戦略=精密なゲームや壮大なストーリーのゲームは売れない、まず母親が受け入れてくれるゲームづくりというのが効を奏したようです。経産省のゲーム促進。金融庁の金融教育の励行。これらは≪アキバ文化系譜≫社会的受容のために学校文化という巨城の外堀を埋めました。そして任天堂は内堀を埋めることになるでしょう。

☆しかしこのことを市場に任せっきりにしておくと、≪アキバ文化の系譜≫は日本の独自のしかしグローバルな浸透力のない内向きの力としか理解されない、つまりそのような誤解あるいはネガティブファンタジーを生み出し、またまた市場の原理が自ら座礁することになりかねません。

☆この危険性が2008年問題なのです。≪アキバ文化の系譜≫の論理をつくらないとこの危機管理ができないのです。しかも≪アキバ文化の系譜≫はモバイルやパソコンという法整備が整っていないインターネットというサイバースペースにつながっていますから、常に両刃の剣です。批判的精神と創造的精神の両方で接近しなければ危険です。それゆえカオスモーズなのです。

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