首都圏 中学受験 2008 [33]
☆聖園女学院は、とても大切な学校の一つです。この日本の混迷状態の中で、隣人のため、社会のため、世界のために大事な働きをする人材が輩出される場だからです。タレントとテクノロジーなら他の学校でも公立学校でも養えるよと言う人もいるでしょう。
☆たしかにそうですね。だから大切な学校の「一つ」なのですが、この「一つ」は聖園の場合本当に得難いという意味も含んでいるのです。
☆一般にタレントやテクノロジーは、稼ぐために必要だと思われています。しかし、悲しことに、中東の国々やアフリカなどの国々を想い起してみてください。どんなにすぐれたタレントやテクノロジーを持っていても貧富の格差があります。それは戦争があるからです。この戦争誘因にわたしたちも無縁ではありません。しかし、そのことに私たちはふだんは気付かないのです。
☆このことに1人で個人的に気づき、なんとかしたいなどと思う気遣いが生まれるのはまれです。他者との関係の中で気づくものですね。しかし、今日本でこの他者との関係が危ういのです。いやそんなことはない、モバイルであれだけ、どこでもいつでも他者とおしゃべりしているじゃないかと言われるかもしれません。たしかにおしゃべりはコミュニケーションの第一歩で大事です。これがある限り、そこに心を溶かせれば、なんとかなるなと消えそうで消えない希望があります。
☆しかし、その心を誰がどうやって溶かせるのでしょう。混沌の中でのこの働き、まさにカオスモーズなのですけれど、この決定的なカオスモーズを促進できるのは誰でしょう、どこにあるのでしょう。それは私立中高一貫校だと言いたいのですが、すべての私立中高一貫校がそうなのではありません。ただ、その中で聖園女学院は心を溶け込ます豊かな泉なのです。
☆しかも、それには歴史的な必然という計画が聖園女学院の背景にあるからです。単純にいまここで大切なのではありません。首都圏で大切なのだというのではありません。日本ででもないのです。実はこの混迷の日本を世界の普遍的な精神につなげる刻印をおされた学校の1つなのです。
☆織田信長の時代に、カトリックが日本にたどりつきました。単純に聖園女学院がそこにつながっているということではないのです。その後カトリックが迫害され殉教された多くの信者がいるという存在の事実に聖園女学院がつなっがているということを言いたいのですね。フェリス女学院などは、野蛮人(このことばは明治期に宣教師たちが日本人をそう呼んでくださったのですね)の近代市民教育、とくに女性を野蛮人の奴隷から解放しようという救済教育の拠点だったと思います。日本の女性は感謝しなければならないのです。
☆一方聖園女学院は、日本人の女性の手によって修道院が設けられたのです。外からではなく内側から世界につながる普遍的な精神を作り上げようということです。この原点が江戸時代に代表されるような殉教なのです。死を覚悟する、何にも代え難い意志以上に純粋で強い心はないでしょう。この静かなる情熱を内側から燃やし続けているのが聖園女学院の伝統です。その火は隣人同士の瞬間の会話の中にともされればそれでよいのです。そんな些細なできごとなんかで満足できないという人もいるでしょうね。でもそれはまったく浅薄です。目先のことに囚われすぎています。
☆世界の人々が、そんな会話で心地よく満たされる日々があるとしたらそれこそ理想郷ではないしょうか。世界の平和があって、はじめてすべての人のタレントとテクノロジーが生かされるのです。カントが永遠平和は商業精神やお金の力で保障されると言ったのは、永遠平和が本当に訪れたら、結果として商業精神やお金の力はうまく作用するよねということにすぎません。現在は商業精神やお金の力は一部でしか作用していません。つまり平和でないことの現れです。
☆先にタレントとテクノロジーをどんなに鍛えようとも、他者への気遣いという寛容(トレランス)がなければ、経済は常に不安定です。不安定ということは貧富の差があるということです。貧富の差があるということは戦争があらゆるところで起こっているということです。よく貧富の差は市場の原理が生むと誤解されますが、それは違います。市場の原理が働かないから貧富の格差が生まれるのです。
☆タレントとトレランスとテクノロジーという父と子と聖霊の三位一体(3T)という正統性(つまり混迷を生み出している近代社会はタレントとテクノロジーという二元論の異端的発想)を日本人、しかもその中で虐げられてきた女性の内側に継承しているのが聖園女学院なのです。フィンランドをはじめとする北欧や欧米では、この3Tを有したクリエイティブ・クラスの人々が大活躍していますが、そのことに日本人はまだまだ気付いていません。しかし、再びカトリックが日本と遭遇したように、クリエイティブ・クラスとの遭遇が始まっています。聖園女学院の時代がやってきたわけです。
☆この寛容(トレランス)という世界の歴史につながる背景が、聖園女学院の出願のときに見え隠れします。鳩先生はこう語ります。
毎年出願くださいました受験生に高1から高3(受験を控えていても心を込めて書いてくれます)の在校生が一枚一枚書いた手書きの応援メッセージをお渡ししています。昨年も在校生の応援カードをお守りにして合格しましたと報告いただきました。また、このカードを読み確信を持って聖園に入学を決めましたとの報告もいただきました。中学入試の前になりますと、中・高別の学校長のお話のある朝礼でも、各クラスの朝礼・終礼でも、聖園の受験生だけでなくどの受験生も体調に気をつけて十分力が発揮できるように皆でお祈りをいたします。
☆在校生のささやかな小さき行為、聖園を受けない生徒に対してまでもの気遣い。この一瞬に無限の普遍的な精神が広がっているのですね。
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