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2008年問題<了>

2008年問題<13>のつづきです。首都圏では帰国生入試が始まります。一般入試は埼玉の中学入試から始まります。中学受験突入の時の到来ですから、本シリーズは、前回の問いにガタリ自らが用意したビジョンを確認して、ひとまず終了します。中学受験を通して≪私学文化の系譜≫について引き続き考えていくことができるでしょう。

☆二極化構造に対して、ガタリは次のような問いを設けていました。

このような覇権的な価値化のシステムしかありえないのだろうか?このようなシステムが社会全体が一貫性を保つために必要不可欠な唯一の定理なのだろうか?

☆さらに、こうも投げかけています。

別の価値化の様式(連帯の価値、美的価値、エコロジー的価値といった)を解き放つことはできないだろうか?

☆そして、これらの問いに対し、

エコゾフィーが作動するのはまさにこうした別の価値化の展開においてにほかならない。

☆エコゾフィー的再構築は、

①言表行為、協議、実行といったものの集合的な動的編成の再定義をうながす。

②60年代のカウンター・カルチャーの願望であった<生を変える>ことに通じるだけでなく、都市計画、教育、精神医療などのあり方を変える。

③さらには、政治の仕方や国際関係の運営の仕方をも変えていくことになるだろう。

④<自然発生主義的>な諸概念や単純な自主管理に戻ることはできない。

⑤以上は社会と生産の複雑な組織を精神的エコロジーとまったく新しいタイプの個人横断的諸関係とによってすみずみまで把握するという作業である。

☆①はコミュニケーションの変化を示唆しています。鍵は≪私学文化の系譜≫。「ていねいなコミュニケーション論」の地平線がやっと見えてきましたね。

☆②は≪学校文化の系譜≫としての共同主観的存在構造の転換、つまりフロイト主義からの脱出を意味します。欧米・BRICsはベルリンの壁崩壊以降、この動きに拍車をかけています。日本は遅れてしまいました。がしかし、欧米はフロイト主義から抜け出せないのですね。BRICsはたぶんもともと関心がない?ここはわかりません。日本は遅れたのだけれど、そのおかげで≪アキバ文化の系譜≫が露になったという逆説的現象が起きています。これを見逃したくないのです。

☆③は新しい寛容の意味の生成を予言しています。寛容はリチャード・フロリダのクリエイティブ・クラスのキーワードですが、アリストテレスが人間は社会的動物だと言ったように、人類が誕生するやこのことについてずっと考えられてきたでしょう。マイケル・ウォルツァーの「寛容について」(みすず書房2003年)も示唆的です。いずれ紹介したいとは思っていますが・・・。

☆④は≪アキバ文化の系譜≫が、自然発生的存在から離在へシフトする必然性の認識です。このことについてウダウダ語ってきました。うまくまとめられなかったので、どこかでシンプルにと思ってはいますが・・・。

☆⑤の作業とは、ひと・もの・かね・情報のグローバリゼーションを精神のオープンシステムによって新たな次元にシフトする新しい学び・学としての「かんがえ型」の生成なのです。ここにすでにチャンレンジしている私立学校はいっぱい離在しています。

☆以上によって、目の前のいま・ここでからグローバルな地政学的・エコロジー課題を読み解くリテラシーと問題解決能力を発揮できるような領域が、教育、経済、政治、金融、福祉、環境などのあらゆる領域で生まれるかどうかが2008年問題でしょう。

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