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2008年1月

首都圏 中学受験 2008 [47]

☆リクルートが発行しているフリーペーパー「R25(№177)」におもしろい記事が載っています。テーマは「ちょっとワルい男が女性にモテル理由って?」です。

☆「ちょっとワルい」というのは、本当のワルとは違うようです。

「法律を簡単に破ったり、弱い者イジメをするなどの本当のワルはモテません。なぜなら女性は本能的に、良い父親になれそうな男性を求めているから。世の中に適応できないような本当のワルでは、生活能力が高いとはいえませんよね。モテるとは最低限のマナーを心得ているもの。それでいて、他人の領域にズカズカと接近していくずうずうしさ、“積極性”を兼ね備えているんです。」

☆そしてなぜ「ちょっとワル」なのが魅力的なのか。それは5つのキーワードがあるそうです。

①相補性(両極端は一致するんですね)

②母性愛(放蕩息子こそかわいい?)

③ギャップ(ジキル&ハイドは永遠の魅力?)

④積極性(強引さも必要ということでしょう)

⑤優越感(自分だけ見てくれいるって感じ)

 (    )内は筆者の感想です。

☆これがなぜ中学受験と関係するのかって叱られそうですが、人気のある学校のリーダーは確かにこのような要素を持っていると合点がいったからです^^)♪この場合は男性女性関係なく、ちょっとワルなんですね。ワルというか遊び心があるというか、それでいて集中力と気概があるのです。

☆白梅学園清修のS先生、宝仙理数インターのF先生、湘南白百合のY先生、聖園女学院のH先生(女性ですが男性顔負けの繊細かつ豪胆な先生です)、晃華のK先生(シスターですが大胆かつ気配りがいきとどいています)、麻布のH先生、開成のH先生、京北のK先生、中村のK先生とU先生とS先生(人材が豊富です)、かえつ有明のT先生、渋谷教育渋谷のS先生、東京女子学園のS先生とT先生、八雲学園のK先生とY先生、富士見丘のY先生、JGのK先生、海城のN先生、共立女子のW先生、かつての東京女学館のS先生とF先生、共栄のN先生とY先生(すてきな女性の先生)、春日部共栄のY先生、横須賀学院のY先生、洗足学園のM先生、東横学園のY先生、聖学院のH先生、武相のF先生・・・。

☆イニシャルで表現しました。もしこれでイメージがわくようでしたら、相当魅力がある先生ですね。これ以外の私学の先生は魅力がないということではありません。純粋で真面目で正義感の強い先生がたくさんいます。しかし、そのうえで少しワルなのは、やはり魅力的ということです。

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首都圏 中学受験 2008 [46]

☆2008年1月30日現在、日能研の倍率速報によると、東京エリアの共学校の2月1日入試で、出願者数が昨対比100%を超えている学校の割合は、36.8%です。かえつ有明と共栄などのように、ここ数年のダイナミックな学内改革を経て、募集が安定している学校もあり、単純に出願者数だけを昨年と比べるわけにはいかないのですが、出願者数が増えている学校は、時代のニーズを集めていることに間違いはありません。そのニーズを感じるために、出願者数がたくさん集まりかつ昨対比100%超えている学校を見てみましょう。

☆まずは、渋谷教育学園渋谷 1回、順天 1回午前・午後、宝仙理数インター 1回、淑徳巣鴨 特進1回・特進選抜1回、桜丘 1回・2回、青稜 1回A・Bというグループです。エクセレントスクール渋谷教育学園渋谷に象徴されるように、大学進学実績をアップさせるプログラムも充実していますが、EQだとかSQだとかHQだとかMIとか呼ばれている幅広い知性を生徒たちが身に付けることができるプログラムが創意工夫されている私学です。

☆特に開設2年目の宝仙理数インターは、初年度のきめ細かいサポートと興味と関心を引き出す教育の実践が高い評価を受けたのでしょう。教師1人ひとりの個性も強烈ということも忘れてはいけませんね。一方、淑徳巣鴨は、学内の先生方の前向きで奥行きある教育実践がここにきてやっと認められてきたのだと思います。学校選択者の審美眼が磨かれてきたということだと思います。

☆日本大学第二 1回、法政大学 1回、東海大付属高輪台 1回、東海大学菅生 1回、立正 1回午前・午後、帝京 1回という大学付属校も人気があります。中高時代のクオリティライフを中心にした学校選択の判断は、これからますます重要視されてくると思います。

☆そして、東京電機大学 1回、日本工業大学駒場 1回、工学院大学附属 1回A特待選抜という理工系グループの人気。コンピュータサイエンスとロボット工学など、工業系の高校は、生徒一人ひとりのタレントとテクノロジーの開発に関して、直接的なプログラムを設定できるので、体感授業が多くなるでしょう。現代あるいは未来のダ・ヴィンチ工房のようなイメージを
想起できるのではないでしょうか。

☆もし工業系の私学が、宝仙理数インターのようなリベラルアーツのプログラムも導入するならば、21世紀型の最先端の教育ができるでしょう。期待は大きいですね。

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首都圏 中学受験 2008 [45]

☆白梅学園清修のホームページは、シンプルですが、学校サイトとしては、いや見方によっては、あらゆるサイトの中で、最も優れたネット広告なのかもしれません。ネット広告やモバイル広告のシステムというのは巧妙だし、複雑です。

☆基本的にはクリック数という量を追求し、そのうえで資料請求へのコンバージョン率をあげクオリティスコアを上げるという戦略です。しかし、このクオリティスコアは私の学校選択のクオリティスコアと同じ言葉を使っていますが、全く違うものです。

☆私立学校の選択指標としてのクオリティスコアは、定性的なものをスコア化したものですが、ネット広告でいうクオリティスコアは、認知されるだけではなく販売に直接どれくらいつながるのかという定量的なものをさらに絞って直接的利益につながるかどうかという指標です。

☆この複雑なシステムはまだここ2年ぐらいで流行りはじめたばかりですから、今のところ効果的ですが、いずれ飽和状態になり、結局本当の意味でクオリティスコアを指標とせざるを得なくなると想定されています。

☆しかし、白梅学園清修は、すでにその地点から出発しているのですから、すごいですね。それを象徴的に表しているパーツは、柴田教頭先生のブログ「 清修だより ~緑浄春深~ 」の存在です。

☆このブログには、たんなる事実の羅列ではなく、柴田教頭先生が、保護者や生徒と外部のスタッフ、他校の先生方と対話をした情報とそれに対する柴田先生の考え方や感じたこと、つまり清修の創造性と知恵と責任が語られているのです。だから、ほかには絶対あり得ない情報が刻まれているのです。

☆他にはない情報でありながら、教育という公共的な情報でもあるわけです。特殊かつ普遍というバランス理論ですね。ですからマスコミからの問い合わせが多いですね。そして、これは最高のブランド戦略でもあります。宣伝にお金をかけなくても、周りの見識者が広報してくれるのですから。桜蔭や女子学院、雙葉なども宣伝しなくても、新聞や雑誌が取り上げてくれますね。それと同じなのです。

☆ですから、出願の時期に柴田先生のブログの更新率が下がると、病気にでもなったのではないかと保護者も外部の私も心配したりするのですね^^)。しかし、先生のブログは、対話と表現のバランスで成り立っています。この出願の時期にバランスが崩れて、対話に力がはいるのは当然です。

☆しかし、1月30日現在、出願者数をみると、いつの間にか1回目と2回目の4科目入試の志願者は昨年を上回っています。この間、柴田先生の対話の気合いはすごかったことでしょう。でも、ブログが再開されています。見通しが立ったというサインです。

☆経営と組織と人材のマネジメントの手腕はかなりのものです。でもそれはひとえに一期生と二期生のためでもあるのです。「あなたがたが選んだ清修は間違いなかぁ。未来の学校を選んでくれる生徒が続いているのが証拠だ。あなたがたの信頼を引き受けたからには、身も心も捧げる」という―柴田先生は口にはださないでしょうが―結局生徒に対する愛がそうさせているのでしょう。

☆だからこそ四国から教育委員会の方が学校視察にきたり、鴎友の先生方が探究にきたりするのでしょう。さて、そこで目にするものは何でしょう。これがまた知のめまいを生み出す教育デザインなんですね。このデザインに共感できる方は、倫理的―審美眼の持ち主で、エコゾフィカルなコモンセンスを備えた方です。

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首都圏 中学受験 2008 [44]

☆中村中の梅沢教頭先生からこんなコメントが送られてきました。

・・・今日お知らせしたい事は入試当日の保護者控え室対応についてです。本校の保護者に「控え室の対応」について質問したところ、他校に進学しているお友達や本校の保護者にリサーチしてくださいました。その結果、私たちが受験生保護者対応をしようよ!となりました。

そこで依頼の発信をしたところ30名以上の方が申し出てくださいました。さらにユニークなのは「受験会場で待機している時って、読書していても、心ここにあらず。一時でも何かに集中していられると気分転換ができるのにねえ」「入試問題を即公開してくれる学校もあるけど、余計に緊張してしまう」ということでした。この、親の気分転換がこどもたちに与える影響は計り知れないと言うのです。そこで考えてくださったのが「DVDを見よう!」です。

我々の感覚では思いもしない発想でしたのでビックリです。内容も保護者の方が選んでくださって、準備しています。また、お茶のサービスもあり、さらにはちょっとしたお菓子をラッピングして用意してくださってます(連日来校して)。時には厳しいお言葉をいただく保護者の方々ですが、私たちには何ができるのかと一生懸命やってくださる姿に感動しています。おもてなしの心が間違いなく本校のDNAとして浸透していることを嬉しく思います。この対応によって受験生が力を発揮するためにちょっとでもお役に立てたら幸いです。

☆1月29日現在の中村中の出願者数は、今年も多いですね。昨年比は減少しているように見えますが、2教科入試の減り方が大きく、4教科入試の方は微減です。そもそも減ったといっても、一回目の特待入試の倍率は14.6で、二回目の特待入試は18.8です。とても難しい入試だと学校選択者も考え、いろいろ迷った上で、第一志望として選んだ選択者が最後まであきらめなかったという傾向だと予想します。

☆さて、梅沢先生は、中村のDNAは「おもてなしの心」だと、保護者とのかかわりの中で、改めて発見して感動しています。私も前々からそう確信していましたから、メールを通してその感動を共有できるのが嬉しいですね。

☆最近、リチャード・フロリダ教授のクリエイティブ・クラスの考え方に共鳴して、こういう創造的才能者を輩出するクオリティスクール探しが間違いなかったと確信を持っているのですが、この創造的才能者の3つの条件は、才能(Talent)、技術(Technology)、寛容(Tolerance)だとフロリダ教授は言います。中村中のおもてなしの心とは、このToleranceに相当するのですね。

☆また「多重知能」理論で有名なハーバード大学のハワード・ガードナー教授は、昨年新たな研究成果をたくさん発表しています。ガードナー教授の関心は、“Creativity, Wisdom, and Trusteeship”という著書のタイトルにそのまま表れています。

☆賢さは創造性を含むけれど、創造性は必ずしも賢さを含まないという考え方がTrusteeshipのようです。中村中に置き換えると、「本物の勉強は受験勉強もカバーできるが、受験勉強は本物の勉強をカバーできないという考え方の根底におもてなしの心がある」ということではないでしょうか。

☆ガードナー教授の学習理論は、すでに中村中では実践され続けているのです。

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首都圏 中学受験 2008 [43]

☆2008年1月28日現在、東京エリアの2月1日入試で、東京女子学園①午前入試、八雲学園①の入試の出願者数も昨年を超えてきました。すでに富士見丘will入試と一回目の午後入試は昨年を超えていたので、これで3校とも2月1日入試は昨対比100%を超えたことになります。

☆なぜこの3校に注目したのかというと、それは3校とも理事長・校長が、東京私立中高等協会の会長あるいは理事など重責を担っているからです。

☆何も偉い先生方がいるからという意味ではありません。東京私立中高等協会の役員ということは、自分の学校だけではなく、広く他の私立学校のサポートもしなければならないからです。特に東京私立中高等協会は、東京の私立学校だけではなく、全国の私立学校と連携して、私学の位置づけや意義を行政側にアピールしていく影響力を持っています。

☆したがって、3校の理事長・校長先生方は、全国(海外もリサーチに行かれますね)を西に東に奔走しているのです。

☆そのような多忙な中で、自分の学校の経営もしなければならいし、それで応募者も順調に集まるとなると、それは、強力なリーダーシップの持ち主であることの証しだし、学内の組織化も充実している証拠なのです。

☆しかもその組織はオープン・システムでなければ持続可能性はないし、オープンであるということは一方でセキュリティーやリスクのマネジメントにも長けていなければならないということになります。このような学校こそクオリティスクールなのです。

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首都圏 中学受験 2008 [42]

私の独断と偏見の教育ニュース批評ベースのブログ「教育のヒント」の記事やはり教育の壁にNHKの方からこんなコメントをいただきました。

NHK番組からのお願い (清水真人)

2008-01-24 18:23:38

ブログを拝見しました。NHK「日本の、これから」のディレクター清水真人です。この番組は一般市民による3時間の生討論番組でこれまでに「憲法9条」「いじめ」「年金」など社会問題を取り上げてきました。次回3月8日(土)テーマは「学力」です。
昨今、日本の子供たちの学力低下が問題視されています。
ゆとり教育の功罪。公教育・教師への不信感。無責任な親。やる気のない子供たち。地域社会の崩壊。原因は色々考えられます。
番組では学力低下の背景を整理し、日本という国の将来を担う子供たちにどんな教育が必要なのかを徹底的に議論したいと思っています。国際競争に打ち勝つための優秀な人材育成に力を入れるのか、経済至上主義ではなく心豊かな大人に育てるべきなのか。学力を考えることは日本の向かうべき方向性を考えることにもつながります。
番組では立場の異なる多くの方からの意見を募集しています。・・・
http://www.nhk.or.jp/korekara/

☆このサイトを拝見すると、ベースはPISAと学習指導要領ですね。私としては、すでに学習指導要領が子どもたちの学びの可能性を押さえていることを語っています。

☆また、国際教育研究家の岡部憲治さんと、PISAと私立中高一貫校の入試問題を素材として協働研究をして、論理的思考と批判的思考と創造的思考を分けて考えることが子どもたちの学びのエコゾフィーを構築するのに役に立つという仮説を立てています。その成果は岡部さんが著書で発表していますね。

☆そして最近、私は学習指導要領に拠っていたのでは、この論理的思考に飛べないということをPISAの結果から導き出そうと試みています。

白梅学園清修の先生方と数学、英語、国語、金融教育のコラボ授業をさせていただいたとき、中1の生徒さんたちが軽やかに学習指導要領のレベルを乗り越えてしまうのに驚きました。白梅学園清修の数学科の戸塚先生とは夏前にまたコラボ授業を企画しています。先生方と実際にコラボするのは岡部さんで、私はコーディネーターにすぎません。写真撮影係です^^)♪

☆大事なことは読解リテラシーにおいては、私立中高一貫校の入試問題のほうが、考え方のレベルにおいてPISAのレベルを突き抜けているということです。これは本来ショッキングなはずなのですが、その重要性を無視しているのが、さすがは文科省ですね。NHKの今回の企画は、真摯なものですが、学習指導要領とPISAをベースにしている限り、子どもたちの学力の広がりを、結局制約することになるのではと少し心配です。

☆多角的な視点で編集されるようですが、n次元で終わる可能性大です。それだけでもすごいことに変わりありませんが、少し欲張って、私立中高一貫校の入試問題の思考過程をきちんと探究する要素も加えてくてれればよいのですが・・・。つまりn+1次元で。ともあれ、みなさんもディレクター清水さんの編集するサイトでアンケートに回答してみてはいかがでしょう。思考のためのアンケートになっていて、なかなかおもしろそうです。

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首都圏 中学受験 2008 [41]

☆四谷大塚の入試情報センターの速報によると、慶応湘南藤沢中の最終出願者数は男女合わせて713人。昨対比は97.4%で少し減少しています。今のところ(2008年1月26日現在)、神奈川エリアの2月2日入試の状況は、男子校で増えている割合は14.3%、女子校では16.7%、共学校では12.5%ですから、SFCだけが減っているということではありません。

☆SFCの年間学費は120万弱です。寄付も任意ですが、1口10万円で、できれ3口以上。少子化といえども、子どもが2人いると、中学受験を希望している70%の家庭は、余裕で投資できるという金額ではありませんね。

☆しかも最近では、SFCにいかなくても、同じような質の教育を受けられる可能性があります。そこに賭ける学校選択者もあるでしょう。慶応の人脈こそ得られませんが、人脈の作り方は、同窓ネットワークばかりではありません。Webの時代は、学歴ネットワークという人的資本より、クリエイティブ資本が優先します。

☆150周年をトリガーに慶応は、神奈川エリアに小中一貫校をつくるようですが、もしかしたらこの流れを取り込めない義塾内部環境の防衛コストに対する危機感の現れかもしれません。新設小中一貫校の周りには、洗足学園、桐光学園があります。両校は小学校も持っていますから、慶応にとっては、相当厳しいものがあるでしょう。お受験塾も、あざみ野駅やたまぷら駅あたりに続々できると言われています。

☆結局田園都市線沿線の私学市場を刺激するだけで、ROIを考えると慶応はそれほど優位に立てません。むしろSFCと競合することになる可能性もあります。いずれにしても二子玉川からあざみのにかけての田園都市線沿線は、クオリティスクールの拠点になり、地価もあがりますね。笑うのは福沢諭吉翁ではなく大東急建設を果たした五島慶太翁ということになるのでしょうか。慶応も誘致したのは慶太翁だし。

☆田園調布は私鉄インフラがないのに開発されました。どんなに良質のコンテンツがあっても、つながるインフラがなければ人は来ません。渋沢栄一翁が田園都市株式会社を作った自分の息子のサポートのために若き五島慶太翁を招いたのですが、慶太翁の野望は、今も東急グループに継承されているということなのかもしれません。

☆二子玉川といえば、高島屋ですが、今駅の周りは東急の開発が急ピッチで進んでいます。田園都市線のクオリティライフ合戦が始まります。私学は特にその影響を受けるし、逆に与えもするでしょう。

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首都圏 中学受験 2008 [40]

☆橋下さんの知事当選を通して、見えて来ることは、いろいろあるでしょうが、新人類世代、団塊ジュニア世代の保護者は、

①子どもの未来の環境に関心が高い

②人脈づくりは老若男女、異業種横断的

③マルチメディアの活用が巧み

④ウェブやモバイルを駆使

⑤組織に属さないでサバイブできる技術習得に関心

⑥グローバルな仕事をしている

⑦ステイクホルダー戦略に傾注

☆私立中高一貫校を通して社会構成を考えていこうとする時、教育関係者、広告代理店、出版社、新聞社などの関係も視野にはいります。

☆特に最近ではネットを使った広告、メディア戦略が重要です。私立中高一貫校では、まだこの新しい道具は使われていませんが、今後は無視できないでしょう。紙媒体よりも安価だし、ターゲットにかなりの確率でいきつくし、コミュニケーション型のPRが可能だからです。

☆そして、この流れのベースになる考え方は、広告のクオリティです。発信するメッセージの質を、発信しながら並行してチェックしていきます。そしてその質をクオリティスコアと呼んで、膨大なデータをシンプルにまとめながら、ステイクホルダーと理解を深めていきます。

☆橋本さんの選挙活動は、リアルな空間がベースですが、その動きはネット広告のシステムをアナロジーとして語ることができるでしょう。

☆もちろん、ネット広告上のクオリティスコアと私の学校選択論のクオリティスコアでは、算出の仕方や考え方は違いますが、大きなベクトルは同じです。新人類世代、団塊ジュニア世代は、偏差値も、大学進学実績もスコアですから、興味がないわけではありません。しかし、その信頼性、妥当性が、自分の子どもの未来の環境選択の指標として有効かどうかをチェックする習慣がついています。

☆ステイクホルダーという言葉をこの世代の富裕層が使うとき、少なくとも次のようなポイントがあります。

①広い人脈

②選択指標

③投資戦略

④フラットなコミュニケーション

⑤クオリティライフ

☆私立中高一貫校は時代認識を大切にしています。保護者世代が、そろそろ大きく変わり始める時期がやってきましたね。

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首都圏 中学受験 2008 [39]

☆大阪府知事選で橋本さんが当選確実というニュースを聞きました。橋本さんは69年生まれですね。いわゆる新人類世代生まれ。新人類世代や団塊ジュニア世代すべてが、冒険的で、周りの目を気にすることなく、世の中をゆさぶりながら、なんといってもフラットな言動で自分のペースで生きていくというわけではないですが、リーダーシップを発揮したり、ベンチャー企業で成功している方々は、そうですね。もちろん、全員と話したことがあるわけではないですから、断言はできませんが。

☆大学院を辞めてからの私の生活は、この新人類世代、団塊ジュニア世代といっしょに仕事をする機会が多かったので、割と同じようにコミュニケーションがとれてきたと思ってきましたが、まだまだこの若き世代に比べると階層コードでリーダーシップを発揮してきたと思います。

☆この若き世代は、階層コードの言説でコミュニケーションしていくと、才能を発揮しないんですね。自由とフラット、でももちろん新しい倫理感もあるのですが、ともかく雰囲気がよくないと才能を発揮しないようです。がまんはしないのです。一見そう見えても、それはがまんではなく損得を合理的に計算しているのです。

☆だから組織を階層コードではなく世代コードで活性化するか、組織から抜け出てフラットなベンチャー企業を創るかしなければ気がすまないメンバーと組織の中でストレスを感じないでマイペースで生きていくメンバーと極端に分かれてしまう世代でもあります。しかしとにかく会社のために、お国のためになんて言葉は、新人類世代や団塊ジュニア世代にはナンセンスです。

☆ただし、コラボレーションは大事にします。しかし、そこに支配-被支配関係はあるはずはないのです。だから階層コードで無理やり引っ張っていくと、動かなくなります。それにこの世代は哲学が大好きですね。これは団塊、断層世代とは大きく違うところかもしれません。

☆ただし電脳哲学だったりアニメをアナロジーとした哲学です。断層世代以前の世代の中にたまに哲学を語る人もいますが、まともにカントだウェーバーだヘーゲルだを論じちゃう野暮な輩なわけです。けれども、新人類世代は、ガンダムやパプリカやエバンゲリオンやDSなどのゲームなどをアナロジーとして思想を語りますね。

☆最近私の仕事のクライアントは、新人類世代、団塊ジュニア世代で会社経営をしている人ばかりですが、みなさんゴルフの話から、ガンダムの話から、政治の話から、金融市場の話から、組織の在り方から、財務の話から、ロックの話から、高級車の話から、不動産の話から、モバイル広告の話から、何でも一度に短い時間で、カーッと話をします。

☆私立学校の先生方との対話とは、またちょっと世界が違うコミュニケーション空間があって、それはそれで楽しいですね。しかし、そんな新人類世代、団塊ジュニア世代の経営者のみなさんと話をしていて、必ず出るのは自分の息子と娘の教育の話題です。

☆自分たちも中学受験経験があったり、海外留学の経験がある人が多いですから、教育に関する理屈は相当なものです。まだ年長ぐらいの子供が多いですが、あと5、6年もすれば、つまり2013年前後には、その世代の子どもたちが中学受験に参入するわけです。

☆新人類世代、団塊ジュニア世代で私立中学の環境を考えている富裕層は、東大が頂点という学歴ピラミッドの発想は持っていないし、だからといって勉強を無視することもないですね。むしろ本当の勉強の仕方を知っています。だから、受験勉強が勉強のすべてだとは思っていないし、学びの場は海外であってもよいと考えているはずです。それに教育は選択するものであり、選択されるものではないという信念を持っているのは明らかです。選択意志決定、クオリティへのこだわり、個人がまずあって、互いに利益をえる組織づくり、クリエイティビティなどに興味と関心があるのです。

☆私がクオリティスクールやエクセレントスクールなどの学校選択論を模索しているのは、近未来の私学市場は、間違いなく多様な指標で、子どものクオリティと才能を最適化する学校とマッチングをかけるという行動志向になっているからです。

☆したがって、団塊あるいは断層世代が牽引しているようなあるいはフラットな組織ではなくピラミッド型組織の塾や情報センターが編集している情報は、あまり役に立たなくなるでしょう。私立学校の選択理論は、学校の教育の質だけではなく、受験生を結びつける塾という社会的機能の質の問題も関係してきます。

☆合格すればそれでよいという時代は、すでに終わっているはずですが、まだまだそれは変わっていません。ここを変えるには、私立中高一貫校それぞれが模擬試験のような入試問題を、まずは作成しないことです。

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首都圏 中学受験 2008 [38]

☆東京エリアの中学入試の出願中間集計(2008年1月26日現在)によると、今のところ、2月2日の男子校の入試チャンスのうち、増えている学校は18.5%です。まだまだこれからでしょうが、少し勢いが感じられませんね。

☆そんな中で、エクセレントスクールである攻玉社②が増えています。攻玉社はどちらかというと、以前はエリートスクールのイメージが強かったのですが、おそらくここ数年でビジョン・ベクトルに変更があったのだと思います。そのゆらぎと隔年現象が重なって、昨年は応募者減という事態も招いていましたが、今年は単純に隔年現象ではなく、人気の持続可能性の兆しだとみなしたいところですが、それは来年の入試の時にならないと証明できませんね。

☆超クオリティスクールである京北③が増えています。それに対して、足立学園②と特別奨学生②の応募者も増えています。足立学園は2日入試だけではなく、1日入試も増えています。足立区の公立学校の苦難は、新聞でも報道されているくらいですから、地域の学力向上の拠点として期待されているということもあるでしょう。今のところはトラディショナルスクールですが、まずはこの学力という点で水準をアップし、エリートスクールにシフトし、次にエクセレントスクールという戦略を経営陣は描いていると予想します。ホームページの作りがそうなっていますね。

☆足立学園は新校舎を完成させました。応募者増にはその影響も少なからずあるでしょう。ただし、それは見た目の新しさとかいう問題ではありません。校舎が建つ過程は、いばらの道で、学内では相当ゆらぎがおこるはずです。もし経営陣にまかせきりの建築活動だとしたら、ゆらぎは起きず、教育とはかけはなれたホテルのような建物になるか、牢獄のような監視がいきとどいた校舎になるかどちらかでしょう。それでは、募集にとってマイナス効果です。

Photo ☆学内で、どういう教育を空間で表現するのか議論と検討と他校の事例をフィールドワークする作業が、ゆらぎをある大きなコンセプトを成長させることにつながります。まさにカオスモーズですね。建築を通して学内はパラダイムシフトするのです。

☆超クオリティスクールの京北はまだ新校舎建設の話はでていないかもしれませんが、そろそろ時期でしょう。というのも教育の質が世間に評価されている今のタイミングで、新校舎を建てる作業をすれば、学内はゆさぶられながらも先生方は新しい構想を生み、それを実行するタフな力をトレーニングすることができるからです。

☆そうなれば、超クオリティスクールが超エクセレントスクールにシフトするスピードは加速します。京北の戦略は論理必然的にそうなるしかないと外から見ていて勝手に思っています。

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首都圏 中学受験 2008 [37]

☆東京エリアの中学入試の出願中間集計(2008年1月26日現在)によると、今のところ、2月2日の女子校の入試チャンスのうち、増えている学校は22.1%です。

☆2日から一回目の入試を開始する光塩①、晃華①、聖ドミニコ学園というカトリック学校が増えています。3校ともそれぞれ大きな特徴がありますね。光塩の生徒一人ひとりを学年担当の先生方が全員でサポートしていくシステムは他校にないプログラムです。

☆晃華は、かつて大名庭園だった校地の地形を生かした新校舎の中に教育のソフトを溶け込ましているところが他校にない先進性があります。聖ドミニコ学園は、晃華と同じ国分寺崖線上に位置し、やはりかつて政財界人の別邸跡地を活用した校舎や聖堂が独特の雰囲気をつくっています。しかし、他校にない特徴は、中学から高校にシフトする段階で、クラスの数を変えるところです。もともと少人数制の学校で、1学年80名ですから、2クラス体制だったのを中学段階では3クラスにしています。中学では思春期を乗り越えるサポート体制が教育の中心で、高校では知性を豊かにする教育プログラムが展開されるわけです。

☆八雲学園②は相変わらず増え続けています。バランスと革新性がDNAのようにらせん状に組み合わさっている教育が特徴的です。今話題の和田中のシステム(似て非なるものですが)はずいぶん前に導入して成果をあげているほどです。

☆東横②、東京女子学院②の増加は、ここ数年の学内改革の努力が実ってきた兆しかもしれません。

☆2月1日だけではなく、2日も応募者が増えているのは、戸板、麹町学園女子、女子聖学院、大妻多摩、文京学院大学女子です。それぞれいろいろな特徴がありますが、教育空間の雰囲気がみな顕著に違っているので、訪れると直観的にそれぞれの学校の良さを感じることができます。

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首都圏 中学受験 2008 [36]

☆2008年1月26日現在、東京エリアの中学入試の出願は、まだまだ中間集計の途中ですが、今のところ、2月1日の女子校の入試チャンスのうち、増えている学校は29.2%です。

☆吉祥女子①は、東大をはじめ大学進学実績が飛躍的に伸びているので、それが増加の大きな理由かもしれません。京華女子①午後が増えているのは、もともと人間形成のプログラムを先駆的につくってきたのが、ここにきて真価を発揮したというのが本当のところでしょうか。たしかに広報活動も積極的なのですが、表現する実質があるから、それもできるのです。

☆共立女子Aの増加は、重要な意味がありますね。2月1日の教育の質の競争を促進する働きを増すからです。大妻多摩①、女子聖学院①、三輪田①、東京純心①、富士見丘Will&①午後、玉川聖学院①、桐朋女子、戸板①、文京学院大①も教育の質の競争を促進する学校として、出願者を増やしているのは意義があります。

☆小野学園女子特待、宝仙学園女子①午前&午後も伸びています。教育の質と経営の論理の両方を学内で改革しているその成果があらわれてきたといえるでしょう。

☆それにしても麹町学園女子①午前&午後の増加は驚くばかりです。ここ数年毎年伸びているからです。授業にかける情熱、ディベート・プログラム、キャリアデザイン教育のための「みらい科」の実現、新校舎デザインなど、明確なビジョンを独自の路線で創意工夫しているところが注目されているのですが、もっとほかにも理由があるはずです。果たしてそれは何でしょう。それはもはや外から見ているだけではわかりません。いずれ探究してみたいと思います。

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首都圏 中学受験 2008 [35]

☆四谷大塚の本日26日の入試情報センターの速報(12:05)によると、雙葉の最終出願者数が確定したようです。これで、桜蔭、JG、雙葉の最終出願者数が出そろったわけですね。

  2008年 2007年 昨対比
桜蔭 561 573 97.9%
JG 807 845 95.5%
雙葉 456 411 110.9%
合計 1824 1829 99.7%

☆それぞれ昨対比を出すと、雙葉だけが増加して、桜蔭とJGは減っています。しかし、3校の合計出願者は、昨年に比べマイナス5に過ぎず、昨対比にするとほぼ100%です。

☆来年は2月1日が日曜日ですから、いつものようにサンデーショックになり、盛り上がりそうですが、今年はどうでしょうか。感覚的には合格の確率を高くすつためにリスクをヘッジしている受験になっているような気がします。つまり冒険はしないということですね。

☆たしかに、特に女子校は冒険しなくても質の高い学校がたくさんあります。しかし、冒険をしないということは偏差値輪切りになるので・・・。だからといって、本当は何も変わらないのですが、偏差値が高いとよい学校とか優秀な生徒がいるとかくだらない幻想・フィルターができるのが困りますね。

☆昨年の宝仙理数インターのように渋谷幕張に合格したけど、宝仙理数インターに入学したとか、桜蔭に合格したけれど理数インターに入学したというようなケースがどんどん増えれば、偏差値は関係なくなりますね。

☆いやそうなれば宝仙理数インターの偏差値があがるだけですね。相対的指標とは、かくも変幻自在です。やはり選択眼には、ある種の意志が必要になります。他者への気遣いは重要だけれど、他者の目は気にしないということでしょうか。

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首都圏 中学受験 2008 [34]

☆2008年1月25日現在、東京エリアの中学入試の出願は、まだまだ中間集計の過程。2月1日の男子校の入試チャンスのうち、増えている学校は26.3%です。

☆その中で超クオリティ・スクールである京北①(午前)、エクセレントスクールである芝①と攻玉社①、超エクセレントスクール麻布の応募者数が増えています。麻布に「超」がつくのは、何かに収まりきれない何かがあるからです。京北の場合の「超」は、時代が欲しているけれどまだ普及していない未来のコミュニケーションシステムが授業の中に日常的にあるからです。

☆このコミュニケーションシステムは、おそらく宮台真司さんや北田暁大さんが論じているコミュニケーション論と共通しているものがあると思います。

☆一方、麻布のコミュニケーションシステムは、宮台さんや北田さんがベースにしている私立学校-東大(宮台さんは麻布→東大、北田さんは聖光→東大)というハビトゥスからだいぶはみ出しています。宮台さんは麻布出身じゃないかと言われるかもしれませんが、ターゲットが日本という現実分析をベースにしているので、おそらく制約を受けているのではいでしょうか。

☆とにかくそういう意味で麻布は「超」エクセレントスクールです。開成や武蔵は麻布に比べると「超」はつかないのです。客観的に証明はできないですね。麻布に入学した生徒たちや卒業生と私がコミュニケーションをとってきた経験からくる倫理的―審美的直感からとしかいいようがないのですが・・・。

☆現状の麻布に行けない制約のある子どもの豊かなクオリティが、京北があることによって消滅しなくて済むというのが良いのですね。応募者が増えて、こういう学校を選ぶ倫理的―審美眼をもった学校選択者がいることに、日本の未来があることを予感させますね。

☆倫理というのは、国や社会や学校や家族が無反省に子どもたちに押し付ける道徳や制約の信頼性・正当性・妥当性をチェックする複数視点を生み出すタレントであり、審美眼とはその複数視点の関係づけを創造することです。だから制約をはみ出て新しい知識や概念を創造することが可能なのです。村落共同体ではスケープゴートの役割を演じさせられますが、今後のグローバルな社会では大活躍するでしょう。そのことに気づいている学校選択者が多くなっているのかもしれません。

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首都圏 中学受験 2008 [33]

聖園女学院は、とても大切な学校の一つです。この日本の混迷状態の中で、隣人のため、社会のため、世界のために大事な働きをする人材が輩出される場だからです。タレントとテクノロジーなら他の学校でも公立学校でも養えるよと言う人もいるでしょう。

☆たしかにそうですね。だから大切な学校の「一つ」なのですが、この「一つ」は聖園の場合本当に得難いという意味も含んでいるのです。

☆一般にタレントやテクノロジーは、稼ぐために必要だと思われています。しかし、悲しことに、中東の国々やアフリカなどの国々を想い起してみてください。どんなにすぐれたタレントやテクノロジーを持っていても貧富の格差があります。それは戦争があるからです。この戦争誘因にわたしたちも無縁ではありません。しかし、そのことに私たちはふだんは気付かないのです。

☆このことに1人で個人的に気づき、なんとかしたいなどと思う気遣いが生まれるのはまれです。他者との関係の中で気づくものですね。しかし、今日本でこの他者との関係が危ういのです。いやそんなことはない、モバイルであれだけ、どこでもいつでも他者とおしゃべりしているじゃないかと言われるかもしれません。たしかにおしゃべりはコミュニケーションの第一歩で大事です。これがある限り、そこに心を溶かせれば、なんとかなるなと消えそうで消えない希望があります。

☆しかし、その心を誰がどうやって溶かせるのでしょう。混沌の中でのこの働き、まさにカオスモーズなのですけれど、この決定的なカオスモーズを促進できるのは誰でしょう、どこにあるのでしょう。それは私立中高一貫校だと言いたいのですが、すべての私立中高一貫校がそうなのではありません。ただ、その中で聖園女学院は心を溶け込ます豊かな泉なのです。

☆しかも、それには歴史的な必然という計画が聖園女学院の背景にあるからです。単純にいまここで大切なのではありません。首都圏で大切なのだというのではありません。日本ででもないのです。実はこの混迷の日本を世界の普遍的な精神につなげる刻印をおされた学校の1つなのです。

☆織田信長の時代に、カトリックが日本にたどりつきました。単純に聖園女学院がそこにつながっているということではないのです。その後カトリックが迫害され殉教された多くの信者がいるという存在の事実に聖園女学院がつなっがているということを言いたいのですね。フェリス女学院などは、野蛮人(このことばは明治期に宣教師たちが日本人をそう呼んでくださったのですね)の近代市民教育、とくに女性を野蛮人の奴隷から解放しようという救済教育の拠点だったと思います。日本の女性は感謝しなければならないのです。

☆一方聖園女学院は、日本人の女性の手によって修道院が設けられたのです。外からではなく内側から世界につながる普遍的な精神を作り上げようということです。この原点が江戸時代に代表されるような殉教なのです。死を覚悟する、何にも代え難い意志以上に純粋で強い心はないでしょう。この静かなる情熱を内側から燃やし続けているのが聖園女学院の伝統です。その火は隣人同士の瞬間の会話の中にともされればそれでよいのです。そんな些細なできごとなんかで満足できないという人もいるでしょうね。でもそれはまったく浅薄です。目先のことに囚われすぎています。

☆世界の人々が、そんな会話で心地よく満たされる日々があるとしたらそれこそ理想郷ではないしょうか。世界の平和があって、はじめてすべての人のタレントとテクノロジーが生かされるのです。カントが永遠平和は商業精神やお金の力で保障されると言ったのは、永遠平和が本当に訪れたら、結果として商業精神やお金の力はうまく作用するよねということにすぎません。現在は商業精神やお金の力は一部でしか作用していません。つまり平和でないことの現れです。

☆先にタレントとテクノロジーをどんなに鍛えようとも、他者への気遣いという寛容(トレランス)がなければ、経済は常に不安定です。不安定ということは貧富の差があるということです。貧富の差があるということは戦争があらゆるところで起こっているということです。よく貧富の差は市場の原理が生むと誤解されますが、それは違います。市場の原理が働かないから貧富の格差が生まれるのです。

☆タレントとトレランスとテクノロジーという父と子と聖霊の三位一体(3T)という正統性(つまり混迷を生み出している近代社会はタレントとテクノロジーという二元論の異端的発想)を日本人、しかもその中で虐げられてきた女性の内側に継承しているのが聖園女学院なのです。フィンランドをはじめとする北欧や欧米では、この3Tを有したクリエイティブ・クラスの人々が大活躍していますが、そのことに日本人はまだまだ気付いていません。しかし、再びカトリックが日本と遭遇したように、クリエイティブ・クラスとの遭遇が始まっています。聖園女学院の時代がやってきたわけです。

☆この寛容(トレランス)という世界の歴史につながる背景が、聖園女学院の出願のときに見え隠れします。鳩先生はこう語ります。

P1000595 毎年出願くださいました受験生に高1から高3(受験を控えていても心を込めて書いてくれます)の在校生が一枚一枚書いた手書きの応援メッセージをお渡ししています。昨年も在校生の応援カードをお守りにして合格しましたと報告いただきました。また、このカードを読み確信を持って聖園に入学を決めましたとの報告もいただきました。中学入試の前になりますと、中・高別の学校長のお話のある朝礼でも、各クラスの朝礼・終礼でも、聖園の受験生だけでなくどの受験生も体調に気をつけて十分力が発揮できるように皆でお祈りをいたします。

☆在校生のささやかな小さき行為、聖園を受けない生徒に対してまでもの気遣い。この一瞬に無限の普遍的な精神が広がっているのですね。

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首都圏 中学受験 2008 [32]

☆2008年1月15日現在で、神奈川エリアの出願状況は、昨年に比べると、それほど沸騰しているわけではないかもしれません。まだまだ中間集計ですから、なんとも言えませんが、神奈川エリアの中学受験生の数はとりあえずしばらく横ばいになるのかもしれませんね。

☆今のところ、昨年より応募者を増やした受験チャンス(2月1日と2日分)の割合傾向は、男子校は11.8%、女子校は36.0%、共学校は、27.5%で、神奈川エリアの2月1日と2日の受験チャンス全体で応募者が増加した割合は27.5%です。

☆この傾向は、おそらく学校選択者が自分の子どもの未来を真剣に考え選択判断をするようになっているからでしょう。つまり、6年後の教育投資を大学進学実績にだけ力点を置いているのではなく、今後の社会構成では、クリエイティブな人材、互いのクオリティ・ライフを尊重できる人材、ゆとりある豊かな精神をもった人材などが望まれるはずなので、自分の子どもに適った人間形成が可能な学校を探しているからでしょう。

☆この点について、武相中の神保先生はこう語ります。

今年特に変化を感じたのは、受験生・保護者が本当に武相に入学したいと強く希望し、来校される方々が増えてきたのではないかという点です。何年か前に、受験生・保護者に学校や生徒をもっと知っていただきたいと思い授業公開をはじめたところ、おそらくある先入観があったのでしょう。本当にこんなに熱心でおもしろい授業をいつもしているのですかというような非常に厳しい質問を多く受けました。しかしながら数年たち、特に今年度来校された保護者の方々は、授業を受けている本校の生徒を見て、自分のお子さんが武相に入ったらこのような生活が待っているのだという感覚、つまり希望や優しさを持って授業見学をされている方が明らかに増えたと感じました。この点は昨年や一昨年と比べ、一人あたりの出願回数が増えていることからも間違いはないのではと思っています(昨日1月24日までの総出願数を実受験者数で割ってみると、同じ時期で一昨年は2.19回、昨年は2.30回、今年は2.41回と増えています)。

☆学校説明会やオープン授業に保護者が参加すると、武相のようなクオリティスクールは目から鱗ということになるのですね。だいたい偏差値の違いって何でしょう。日本全体の6年生で首都圏の私立中高一貫校に進学するのは3%ほどです。その母集団の中で、偏差値の差異が何を意味するのでしょう。入学時の小さな学力範囲での出来不出来の差です。その差異が、子どもの将来のどんな差をうむのでしょうか。

☆たしかに冷戦があったときまでは、その学力差が将来の収入差につながる可能性が大だったのですが、これからはそんな期待可能性はないのです。激変の社会で大事なことはタフでユニークで寛容な人間です。

☆それにしても、学校のイメージをフィールドワークをしてすり合わせるのは、契約社会では当然の行為なのに、学校選択の段になると、意外とそこをスルーするケースがまだまだ見受けられます。電化製品やパソコン、不動産を購入するのに、ショップや現地にあれだけ足しげく通い比較し、選択判断に熱心なのに、もっとも重要な人材育成の環境としての学校の選択をするときに、なぜ偏差値と大学進学実績だけで決められるのか不思議です。

☆だから、武相を訪れ、あっ!と驚く学校選択者は、真摯に自分の目で確かめ判断できる倫理的―審美眼の持ち主です。神保先生の話は、そういう審美眼をもった学校選択者が、中学入試で増えてきた証拠の1つなのです。

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首都圏 中学受験 2008 [31]

毎日新聞(1月24日12時1分配信)によると

県教育委員会は23日、県立千葉中学校の2次検査の結果を発表した。合格者は募集定員と同じ、男女それぞれ40人の計80人。・・・1次検査は2142人(男子1145人、女子997人)、2次検査は478人(男子240人、女子238人)が受検した。・・・村山元信・同校開設準備委員長(千葉高校長)は「伝統ある千葉高の重厚な教養主義に見合う、意欲ある子供を集めた。教育に重い責任を感じている」と話した。

☆「伝統ある千葉高の重厚な教養主義」という言説は、他の公立中高一貫校には見られません。この教養主義が知識重視型の教養なのか、批判的精神重視型の教養なのかは、まだわかりませんが、「伝統ある」という言説を使っているわけですから、批判的精神より知識を重視する教養主義であるのは間違いないでしょう。

☆しかし、たとえそうだとしても、1878年に創設されて以来130年の伝統を理念にできる公立中高一貫校は珍しいかもしれません。ある意味私学以上に私学である側面ももっているといえるでしょう。

☆ただし、批判的精神より教養主義だとすると、国際標準のモノサシをあてると、レベル3か4(最高はレベル6)どまりということを意味します。今のところこのリテラシーレベルで、十分大学に入れるので、誰も気づいていませんが。

☆そうそう大学の偏差値と国際標準のレベルの関係はどうなっているかというと、レベル4までの集団を母集団とする偏差値であることをしっかり認識しておいてください。レベル5や6は、私立中学の入試においては認められますが、日能研、四谷大塚などの模擬試験は、残念ながら麻布や開成のような問題を出題するわけにはいかないので、レベル4までの問題がベースです。それ以上のレベルの思考は、それらの模擬テストでは、採点の都合で、測ることはできません。

☆したがって、偏差値は入試問題の問いのレベルには届かない模擬テストの問いのレベルができるかできないかの成績分布に過ぎないのです。つまり、模擬テストで測れるレベルと入試問題で測れるレベルには大きなズレがあるのです。

☆テストベースのテスト会と授業ベースのテスト会では、パワーが違うのは、授業は模擬テストのレベルを超えた内容を学べるからですね。授業ベースでない模擬テストの結果はあくまでも参考程度にしかならないのはそういうわけです。テストベースの企業が塾に買収されたり、塾を買収したりするのは、そういう弱みをもっているからですね。

☆必要悪なのかどうなのかはともかく、グローバルなモノサシでみると、進学塾の学びのレベルが高いのは明らかです。しかも、そのレベルは批判的思考や創造的思考を補うのですから、生徒たちが小学校より私立中学受験準備塾の方が楽しいというのは当然なのですね。

☆ところが、こういうシステムの違いを認識しないメディアは、そうそう文科省も、教師の責任にするんですね。学びのシステムの質の差異(リテラシーのレベル差)が楽しいかどうかを決めているのです。日本の学習指導要領は、レベル3どまりですから、楽しくないのは言うまでもないでしょう。公立における、すぐれた教師もレベル3を超える授業を設定できませんから、楽しい授業を構築できないのですね。教師の質を問う前に、学習指導要領のレベルを問う必要があるのですね。

☆すぐれた教師は、学びのレベル6のシステムをマネージメントすることが主要な役割です。一生懸命レベル3の枠組みの中で教える情熱があっても、それだけでは生徒は好奇心も、疑問も抱くことは不可能です。つまり、おもしろくない授業が惰性で続くことになるのですね。公立ではレベル6の授業をやりたくてもできないのですから、そうなるのはしかたがないのです。ところが私学はすぐれた教師が生きる環境にあるんですね。このシステムがあるということが本当の私立優位の理由です。

☆リベラルアーツと教養教育はしたがって全く質が違うのですね。そこはあまり区別されていませんが、リベラルアーツは批判的思考、創造的思考というレベル5あるいはレベル6の学びのシステムをさすのです。教養教育は、広く深い知識の体系をさすのであって、それはレベル3か4、つまりまとめる力と論理的思考どまりなのです。私立学校の先生方がリベラルアーツという表現をよくするのは、そういう違いがあるからなのです。

☆そうそう、麻布の氷上校長先生の実践されている教養教育は、リベラルアーツの意味なのは言うまでもないでしょう。県立千葉中学校の言っているのが、もしもリベラルアーツではなく、教養教育だとしたら、そこが限界になるでしょう。それでも東大はたくさん合格するでしょうが・・・。

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首都圏 中学受験 2008 [30]

☆各私立学校が、毎日の出願を集計しながら、次の戦略を練るシーズンが今です。私立学校は、教育の質と経営の論理のバランス、いやシナジー効果を生み出す力を持っています。このテクノロジーを公立中高一貫校が持たない限り、持続可能性はないでしょう。また、公立学校も教育行政に従うだけです。

☆そういう意味では和田中の塾との提携は、「教育の質×経営の論理」を公立が試みる画期的な例なのでしょう。個人的にはやり方にはあまり賛成はできませんが。

☆さて、出願開始から5日経ったところで、共立女子の教頭渡辺先生に、中間集計の現状分析を聞きました。

昨年の5日目と本日の比較をしてみると、1日(A日程)14%増、2日(B日程)17%減、4日(C日程)23%減で、3日間の合計は6%減です。隔年現象が一般的な中で、2年連続で増加し続けていましたから、さすがに3年目はないと思っていました。説明会の状況からも、上記の件は全くの予想通りでした。2日と4日の偏差値が上がっていますので、敬遠されてしまうことは予想の範囲内だったのですが、全体の合計では予想外に志願者は集まっているとの印象を持っています。学内の改革と受験生のニーズが相乗効果を生み出せるよう心掛けます。

☆共立女子は、すでに少人数教育の準備を進めています。学校の先見性と受験生の期待可能性が合致する戦略を常に構想し、実行している学校なのです。

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首都圏 中学受験 2008 [29]

☆日能研の倍率速報の中に「首都圏入試倍率サマリー」があります。神奈川エリアの共学のページを開くと、トップからずらりと、鶴見大学付属中学の入試が並んでいます。

☆共学化し、制服を新しくし、新校舎にしただけでこうは急上昇しないでしょう。何かありますね。難関進学コース・進学コース・特進コース・看護・医療技術系進学コース・総合進学コースなど一見すると新しいコースを設定しているわけでもないですね。それなのになぜ・・・。

☆おそらく医療技術と使命及び国際的視野、そらから学力を結びつけるビジョンが明快に語られ、その実効性が高いという判断を学校選択者に促す何かがあったのだと思います。

☆たしかに日本社会は、今では医者不足です。実際に国際舞台で活躍する人材も少ないですね。学力低下も問題になっています。これらを決定的に解決する学びの環境と信念が伝わらなければ人は集まりません。

☆やはり同じ曹洞宗大本山総持寺の系譜にある世田谷学園もかつて急激に進化して現在のエクセレントスクールに変容しているわけですから、鶴見大学付属中学も同じように進化する可能性は大ですね。

☆「使命感に支えられた学力の発揮こそ、真の智慧」という学校長伊藤先生の言葉が現実のものとなることを大いに期待したいと思います。

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首都圏 中学受験 2008 [28]

☆慶応普通部が昨日22日出願を締め切っています。今年の応募者は756人で、昨年が849人ですから、昨対比は89.0%です。この減少は、隔年現象だとか、敬遠とかいう理由なのでしょうか。

☆慶応というブランドの帝国性を受け入れるより、変革に集中している東大志向が学校選択者の中で急上昇ということでしょうか。経済ではなく金融なんだ!マクロでもミクロでもなく、それをつなぐ骨太の思考力なんだ!かつて慶応SFCはそのメッカであったけれど、起業家ではなく企業家の集団になってしまった!とか・・・。

☆そんなことがあるわけありませんよね。慶応の人脈は永遠に不滅です。ただし、世の中の人脈の作り方に変化があることも確かですね。経済人脈という安定人脈からモバイル人脈という不確定人脈に移行しているし、仕掛けとしての必然性から偶然としての必然性にシフトしているし、福沢諭吉先生は株式市場はあまり好きではなかったかもしれません。

☆ウダウダ考えましたが、日本の経済が不安定、景気が悪いからという単純な理由が応募者減の理由というのが妥当でしょう^^)。正当性はありませんが・・・。

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首都圏 中学受験 2008 [27]

☆中学入試の出願の集計は、まだまだ中間集計に過ぎないのですが、確定するまでの過程でいろいろなものが見えてきます。NTS教育研究所の客員スタッフの川頭さんのコラム「入試が語る学びのコンセプト~かえつ有明中学校~」を読んで、アッと思ったことは、同校は入試問題の設定のハードルや質を本気であげるのだなということです。

☆国語では、「・・・説明文と物語文合わせて6000字程度の長文問題が出題される。・・・なかでも文章全体の展開やテーマを捉える力と、自分の言葉で表現する力が大切になる」と書かれています。算数では、「・・・、与えられた条件に隠された法則性を読み取る発想力が求められるし、平面や空間の図形をイメージする力も求められる。・・・」とあります。

☆国語にしても、算数にしても具体から抽象へ、あるいはその逆に抽象から具体へいったりきたりする思考力が求められているわけです。その反転の媒介は、言葉だったり、図だったり、数式だったりと、どの道具を使えるのかプログラムされた試験にするのでしょう。

☆理科と社会では、「・・・様々な知識を組み合わせて解答を導き出すような問題や、実験結果や統計資料、リード文を読み取る問題が出題される。・・・」ようです。ここでも実験や統計資料という文章のように連続していない、つまりOECD/PISA的に言えば非連続型テキストの読解リテラシーが問われるのです。

080122 ☆しかし、こういうハードルの上げ方をすると(ここの考え方は注意しなければなりませんね。ハードルを上げざるを得ない選び方を学校選択者がしているから、学校がそれに応えたというのが正しいかもしれんません)、偏差値も上がります。実際、日能研のR4偏差値で50を超えるかえつの入試日があります。そうすると、出願者の中には敬遠する生徒もでてきますね。1月22日現在の出願者数は、数だけ見ていると、もう十分という感じですが、昨対比で見ると、もっともっと応募者がチャレンジしてもよい状況です。

☆いずれにしても改革をダイナミックに遂行すると、外部に対しても内部に対しても波風が立ち、先生方は相当タフネスにならなければならないわけです。多層なジレンマを乗り越えて、崩れる官僚日本に代わる新しい日本の社会構成を再構築する人材を育てる拠点を作っていただきたいと期待しています。

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首都圏 中学受験 2008 [26]

☆東京エリアの都立と区立の中高一貫校の応募者数が21日に締め切られています。一般枠と特別枠・帰国枠などを合算した総数を昨年と比べるリストを作りました。

08 ☆立川国際中等教育学校と武蔵高等学校附属中学校の2校が新設されたわけですから、東京エリアで公立中高一貫校にチャレンジする生徒は増えるのは当然です。しかし、その2校を除いて昨対比を出すと、86.6%と減っています。

☆これは少子化の原因でしょうか、それとも敬遠してということでしょうか。それらもあるでしょうが、理想と現実のGAPからでしょうね。千代田区の九段中等教育学校も校長が代わったということもありますが、新設当時から感じていた校長を頂点とする先生方の階層コードの言説・表現があからさまな文化は、新人類世代の保護者に合わなかったのではないでしょうか。もちろん倍率は、相変わらずものすごいので、大勢に影響はないと、学校当局は感じているでしょうが。

☆それにしても新設時の盛り上がりは相変わらずです。多摩地区の立川国際中等教育学校と武蔵高等学校附属中学校の出願者の数は目を見張るものがあります。

☆多摩エリアは、早慶・MARCHの付属中学が集結しているエリアです。そこに偏差値的にはわりと高く(私は実際には43ぐらいだと思うのですが)予想されている学校が、参入してくるのですから、どうなるか興味がありますね。

☆来年は2月1日が日曜日でサンデーショックが予想されているし、2010年には中央大学の付属中学校も開設されるので、今後も多摩エリアの中学入試は目が離せません。

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首都圏 中学受験 2008 [25]

☆前回、日本社会構成の変化と学校選択の関係について少し考えると述べましたので、その件について少し。

朝日新聞(1月20日)によると

東京大学が留学生向けに、アジアを調査分析する大学院の新コースを設ける。国内では珍しい米国流の「講義はすべて英語、(やる気や独創性を評価する)AO入試で10月入学」を採用することで、米国の名門大に流れているアジアの優秀な学生を取り込み、「日本育ち」のリーダーを輩出させる狙い。「地元の利」と長年にわたる研究の蓄積を活用する。「世界の知の頂点」を目指す東大の国際化戦略として注目されそうだ。

☆東大は、2005年に就任した小宮山総長のもとで、世界の拠点を目指して、改革を断行してきましたね。そのためのアクションプランも制作・出版までしています。経済学部に金融工学の学部を新設したりもしていますが、経済のグローバリゼーションに対応した動きです。

☆NHKやフーズ業界、ゼネコンなど相次ぐ不祥事・・・。アメリカの政策金利も下げられ、世界同時株安も。

☆これらは地下水脈でつながっているはずです。それは何でしょう。戦後の階層コードの消失です。それに代わって、世代コードの台頭、つまり新人類世代の思考スタイル、感じ方、フラット化、エコロジー発想などの表現が大きな流れになっているのです。

☆つまり敗戦から抜け出るターニングポイントを迎えているのだと思います。日本の起こした戦争を冷静に振り返り、是非を認めたうえで、フラットな経済社会へ、つまりハードの輸出に依存した産業社会からソフト創造社会へのシフトがやっと起ころうとしています。

☆ただし、東大の世界の知の頂点への道のりは、まだまだ遠いのですね。ハーバードには今のところかなわないのは言うまでもありません

☆ですから、グローバルな視野でオープンな学問拠点を目指していかねばならないわけで、それでアジアの留学生に来てもらえる環境をとなっているのでしょう。しかし、もう一つ東大を世界の知の頂点に押し上げる方法があるのですね。

☆それが東京エリアの男子校が、エクセレントスクールになることなのです。東大に入学する学生をたくさん輩出しているのは、男子私立中高一貫校だからです。エリートスクールは、東大にはいることのみが目的なので、それでは国内で活躍する視野しか育ちません。

☆東大自身が、日本の社会構成の変化に対応する研究環境を整えようとしています。それを促進するには、東大にはいればよいだけではなく、戦略的で改革型のリーダーシップを発揮できる学生が東大に入っていくことも重要です。そのためにもエクセレントスクールがたくさん生まれる必要性があります。

☆学校選択者もそれを望み、エリートスクールがエクセレントスクールに変容するよう促す必要があります。選択判断がそれを望めば、私立学校も変わるはずです。

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首都圏 中学受験 2008 [24]

☆2008年1月21日現在の出願のうち、東京エリアの私立中高一貫校の出願状況を見ています。前回同様、男子選択校と女子選択校にわけ、250人以上350人未満の出願件数のある中学入試を多い順に並べました。

00121250 ☆「首都圏 中学受験 2008 [22]」で述べたように、男子選択校は、エリートスクールも多いですね。これはもともと男子選択校の中にクオリティスクールがそれほど多くないという学校側の問題の結果でもあるし、学校選択者が望むのは要は大学進学実績なのだという選択者側の問題の結果でもあります。

080121250 ☆さらには、もはや言うまでもなく、明治開国後、政府の国づくりが、日本の産業構造や労働環境で、クリエイティブな人材よりも、戦略型実業型の人材を重視し、89年のベルリンの壁崩壊後も、大きな転換を生んでこなかったという社会構成上の問題もあるでしょう。

☆しかし、やっとここに変化が見られるようになってきました。白梅学園清修の秋田先生にお会いすると、いつも喝々と笑いながら、「本間さんのおっしゃることは飛びすぎよ。いつも思い出すのは、ベルリンの壁崩壊後の人づくりが、私立中高一貫校に大いに関係あるという言い方ね。」と笑い飛ばされます^^)。

☆この真意は、本間さんは男性目線で見ているから、そういう感じ方になるのだろうけれど、女性目線で言ったら、明治以来ずっとですよという助言なのですね。名門校の条件というのはこのような校長の言説に表れます。

☆さて、この変化の兆しと学校選択はどのように関係するのでしょうか。次回少し考えてみましょう。

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首都圏 中学受験 2008 [23]

☆2008年1月21日現在の出願のうち、東京エリアの私立中高一貫校の出願件数を抽出し、リストをつくりました。いつものように男子選択校と女子選択校にわけ、350人以上の出願件数のある中学入試を多い順に並べました。

080121350_3 ☆麻布、開成、武蔵、海城、駒東、芝は予想通りはいっていました。攻玉社、世田谷学園もそうでしょう。本郷と巣鴨は、現状ではエリートスクールにはいっているのですが、そろそろエクセレントスクールにはいるのかもしれません。この両校がエクセレントスクールに仲間入りすれば、男子校の学校選択者の価値判断も学びのグローバリゼーションをベースにできるのですが、なかなか微妙なポジションにありますね。

080121350_2 ☆女子選択校に関しては、豊島岡と大妻を除いてクオリティスクール(広義の意味で)です。豊島岡は、桜蔭、女子学院、雙葉を受験した生徒の併願校の運命を背負っていますから、理念的な考え方に力点をおくわけにはいきません。したがって、客観的なスコアで、教育の質を証明するしか道はないのですね。しかし、これが逆説的ですが、生徒の内面の自由を保障することになるのではないでしょうか。

☆大妻は、本来理念的な思想がベースなのですが、実用的なものの見方をしている先生が多いような気がします。やはり、ハイデッガー的理念を「恥を知れ」というなんともわかりやすい実用的な表現に置換えているのですから、日本流儀の教育観があるのではないでしょうか。

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首都圏 中学受験 2008 [22]

☆今日で、東京エリアの私立中高一貫校は、すべて出願を開始したことになりました。すべての学校の出願件数がオープンになったわけではないのですが、学校選択判断の大きな流れは浮き彫りになりました。

080121 ☆東京エリアで、200人以上の出願のある学校を、3つの層に分けて、その層それぞれに占めるクオリティスクール(ここでは広い意味で使っているので、エクセレントスクールも含みます)の割合について、男子選択校と女子選択校と比較してみました。

☆男子選択校は女子選択校に比べ、もともとクオリティスクールが少ないので、グラフのように女子選択校と比較すると差が出ますが、なるべくクオリティスクールを選択したいという結果になっています。そして女子選択校はそれが顕著ですね。

☆こうして書いている間に、世界は欧米先進国だけではなく、インドや中国も株安、つまり世界同時株安で金融市場は混迷しているというニュースが報道されています。もちろん日本も例外ではありません。このように混迷しているのですが壊滅するわけではないカオスモーズのような社会で、サバイブしていくにはどうしたらよいのでしょう。

☆金融市場の原理は価値相対主義です。平均すれば株安でも、そこで儲けている投資家はいるんですね。そうでなければ成り立ちません。しかし、ムードとして危機のとき、金融市場はどう対応するのでしょうか。物価を上げるんですね。インフレです。バブルです。そしていずれ崩壊する。しかし再び・・・。これが価値相対主義の偶然の必然というやつです。

☆こういう社会でサバイブするには、なんといってもかけがえのない希少価値を創造することです。価値がとんがっていればいるほど、とんがっている価値創造ができるクリエイティブ人材であればあるほど、社会に影響を与え、舵をとり、サバイブしていく環境を形成することができます。

☆出願数から見て、あふれるほど多く集まらなくても、クラス増や倍率がアップしている学校があります。京北学園の川合校長先生は、「第一志望の出願が増えたねぇ。一クラス増やせるかもしれない。中学の授業では、先生方全員が『丁寧なコミュニケーション』を行っているから、そこが世の中にやっと受け入れられるようになってきたかな。」と今年の募集の状況について語ってくれました。

☆白梅学園清修の道元(みちもと)先生は、「朝早くから、説明会に何度も来校してくださった保護者の方々が並ばれました。お互いに顔を知っていますから、気持は通じるのですが、説明会の時とは違って、やはり緊張するものがありました。入学試験は選別試験でもありますから・・・」

☆おもてなしの心のある学校の先生方が、ジレンマと戦う日々が始まったわけです。毎年中村中の教頭梅沢先生の笑顔の陰に苦悩のしわが刻まれる日々がやってきたのです。こういう子どもたちの痛みを了解でき、しかし出会ったことのかけがえのない価値を互いに見出せる関係をつくることができるクオリティ・スクール。それは、受験生の選択判断基準が、作り上げていくとも言えます。

☆共立女子の選択者は、目先のことよりかけがえのない価値の創造を求めます。豊かな関係性を望みます。だから共立女子の教育はそのような質を形作っていくのだとも考えられます。

☆世界同時株安の状況で、資本力を期待されているのは、政府系ファンドです。資本を増やす原資は、原油やダイヤモンド。しかし、シンガポールの政府系ファンドは、そのようなとんがった物質的価値ではなく、ソフトそのものが資本。日本も物質的資源がない。しかし、ソフトそのものの価値ではなく、ものづくりという物質的二次資源に依存してきた。二次資源は相対的価値の変動幅が大きい。だから世界同時株安の中で、マイナスに触れる幅が大きいのは日本。独自の価値、ソフトパワー、創造性などなどが、これからの世界で重要であることは、もはや明らかです。

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首都圏 中学受験 2008 [21]

今朝の日経新聞に、「自治体ごとに基準にばらつきがあると指摘されていた指導力不足教員の認定について、文部科学省はガイドラインの素案をまとめた」という記事が載っていました。

☆このガイドラインは、すでに昨年の12月27日に文科省のサイトに公開された「『指導が不適切な教員に対する人事管理システム』に関するガイドラインについての中間整理(案)」に依っているのでしょう。このレポートによると、

「指導が不適切である」教諭等とは,知識,技術,指導方法その他教員として求められる資質,能力に課題があるため,日常的に児童等への指導を行わせることが適当ではない教諭等のうち,研修によって指導の改善が見込まれる者であって,直ちに後述する分限処分等の対象とはならない者をいう。

☆ということらしいのですね。たしかにこういう教員が研修などによって、復帰できるシステムは大事です。しかし、問題はこの認定の手続きと方法です。校長が市町村教育委員会に報告し、市町村教育委員会が都道府県の教育委員会に申請し、指導状況の把握という動きになるのです。

☆ここには難しい問題が横たわっています。スコアやデータの積み重ねがない中で、判断するわけですから、判断者の恣意性を排除できないシステムだからです。

☆教員の地位については、1966年に「ILO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告」が世界標準として採択されています。これに照らし合わせて、公立の校長や教育委員会が判断できるかどうかは、疑問です。できる資質はあるのかもしれませんが、公開議論ができるオープンシステムが盛り込まれていない以上、難しい・・・。

☆教員が違法行為を働いた場合は、裁判システムがありますが、指導力不足の判断は法律に照合することはできません。ガイドラインがあるじゃないかというのですが、これは判断者の順番が決まっているだけで、価値判断のガイドラインではないのですね。下手をすると人権問題で、泥沼化するもとです。もっともこの法化現象の流れに気付いていない教員の方が多いのかもしれませんが。

☆その点、私立学校は教育委員会のコントロール下にはないので、この認定システムに乗る必要は全くないのです。ただし教育基本法が改正され、教育委員会の強制力が忍び寄る可能性が針の穴ほどの大きさですがあいています。私立学校の先生方が、危機感をもっているのも当然でしょう。

☆さて、では私立学校の先生方の質のチェックは誰がするのかということですが、それは市場の原理によります。出願の時期である今が、まさにそのチェックの瞬間なのです。応募者が多いところが、質の高い教員が多いと思われている学校です。そして、入学後、もしそうでなかったということがあったなら、保護者は黙っていないでしょう。

☆文科省のガイドラインに指導力不足の例が次のように載っています。

① 教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため、学習指導を適切に行うことができない場合(教える内容に誤りが多かったり、児童等の質問に正確に答え得ることができない等)
② 指導方法が不適切であるため、学習指導を適切に行うことができない場合(ほとんど授業内容を板書するだけで、児童等の質問を受け付けない等)
③ 児童等の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合(児童等の意見を全く聞かず、対話もしないなど、児童等とのコミュニケーションをとろうとしない等)

☆私立学校の場合、①・②については、間違いなくそれぞれの学校の中で独自の研修が行われています。大学進学実績が十年以上右肩下がりという学校も稀ですが、そういう私立学校は生徒が集まりません。ただ、③については、まだまだですね。京北の校長川合先生とゆるやかなネットワークをついないでいる私立学校は、コミュニケーションの本格的な研修を行っているでしょうが、そうでないところは、説明会などで、自ら保護者がチェックしなければならないのです。麻布や開成の先生が川合先生のネットワークとつながっているのは、さすがですね。東大の基礎学力研究グループが、川合先生のコミュニケーション授業に注目して、協働研究をしたことがありましたが、東大もなかなかやるものですね。

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首都圏 中学受験 2008 [20]

080120 ☆今日1月20日は、東京エリアの中学入試の出願初日です。日曜日のため、明日から出願受け付けという学校が多く、全貌はまったくつかめませんが、初日で200名以上の出願があった学校のリストを作ってみました。男子選択校と女子選択校とわけましたが、共学校の中には男女分けしないで中間集計しているところも多く、今のところ正確なリストではありません。

080120_2 ☆あくまでどういう学校が選択されているのか、大雑把な傾向がつかめる程度にすぎませんが、女子選択校は、90%がクオリティスクールとエクセレントスクールです。男子選択校のリストでは、国立中学と攻玉社と世田谷学園がエクセレントスクールとして応募者を集めていますが、今のところ、エリートスクールに応募者が集まっているという傾向が強いようです。

☆明日以降どうのようにこの流れが変わるのか見ていきたいと思います。第一志望校の変化はそうないと思いますが、併願校は変動します。実は入試のときこそ、親は集中して選択判断をする瞬間の連続を体験することになるのです。

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首都圏 中学受験 2008 [19]

☆東京エリアの中学入試の出願がいよいよ始まりました。今日は日曜日のため、明日から出願を受け付ける学校も多いです。また、郵送出願の学校やインターネットでの出願も増えていて、すべての学校の出願初日の件数の集計がわかるわけではありません。

☆そんな中で、中村中の出願受け付け方法は、直接窓口でのおもてなしになっています。先生方と受験生・保護者のこころの交流の一瞬です。

一人一人と顔を合わせて、「お願いします」「ようこそいらっしゃいました」「風邪には気をつけてくださいね」「ちょっと質問していいですか?」「おかあさんも頑張ってくださいね!」「湯島天神の合格祈願えんぴつをどうぞ!」等々となるのですね。

☆やはり、中学入試の願書受付のシーンは、こうであって欲しいものです。中村中の教頭梅沢辰也先生は、この場面について、こう語ります。

私はこれを「真実の一瞬」と言うのだと思っています。すでに説明会に来校してくださっている受験生・保護者が出願に来られたら、「今この方にどう声をかけようか」考えますし、初めていらした方の場合、「校内の案内や説明を希望されるか聞いてみよう」などとおひとりおひとりと丁寧なコミュニケーションをとろうと心がけています。この中村スタイルが中村の教育だと信じています。

☆中学受験人口は、大学の人口の10%ぐらいですから、ていねいなおもてなしと一期一会の配慮が可能です。そのチャンスに挑戦するかしないかは、その私立中高一貫校の教育の質があらわれるところです。

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首都圏 中学受験 2008 [18]

☆昨日の大学入試センター試験の問題と解答が、新聞各紙で公開されています。おそらくサイトでも。英語の問題は、中学入試問題と直接関係ありませんが、問いの作り方は参考になります。4コマ漫画の内容を英語で説明する、つまり絵を文章に置き換える問題は、中学入試の国語の問題でも出題されますね。

☆簡単なんで、小学生3年生・4年生が日本語で200字ぐらいで説明してみてはどうですか。日曜日だし。このマンガの内容を表現することわざ・慣用句あるいは故事成語なんか考えてみるのもおもしろいですね。

☆現代国語のエッセイ(第1問め)は、文章の難易度も、問いの難易度も中学入試より少し易しいので、小学校5年生(6年生は受験なので今さらやめておきましょう)でチャレンジしてみるとよいですね。半分でもとれたら励みになるでしょう。

☆しかし、そんなことよりも、こんな見方があったのかとうものの見方を学ぶよい文章ですね。昼と夜の時間性と空間性の違い、視覚とそのほかの感覚の差異、日本文化の奥性と欧米の上昇性の差異など、論理と時間と発想と文化などに対する考え方を提示している文章です。おもしろいと感じたら、それはそれでよいのでは。受験もバカにできない例になるでしょう。むしろふだん考える時間がない分、皮肉にも受験勉強で考える時間を確保するということでしょうか。

☆現代社会の問題は、中学入試にも通じます。これはできるできないというより、第1問は憲法問題、第6問は市場経済の問題で、知識の整理として、受験生もチェックしておいてもよいかもしれませんね。

☆それから地理Bの第6問は受験生はチャレンジしておいた方がよいかもしれません。特に開成受験生。もちろんこの問題が直接、開成では出題されることはないでしょう(もし仮に出題される予定になっていても、今日の時点で差し替えるでしょうね)が、問いのたて方が非常に参考になります。

☆広島市の年代の違う地図を比較しながら都市デザインや地形を読み解いていく問題が出されていますが、これは開成の修学旅行そのもののプランです。また調べるためにはどうするか、調べたことを地図やグラフに置き換えるにはどうするか、他市との産業構造の比較なども開成の地理の授業で行っているし、中学入試でも出題されますね。都市が広島ではなく東京エリアの場合が多いというだけで、考え方は同じです。

☆センター試験問題も私立中学入試問題に意外と役立つというわけです。これはちょっと考えると当り前です。大学入試問題を毎日のように研究している私立学校の先生方が、自分の学校の入試問題を作成するのですから、連動するのは必然的なのです。だいいち科目によっては、センター試験より中学入試の方が難しいということのほうが当たり前なのです。学力低下問題の実態とはかなり違う構造が、中学受験には存在しています。文科省もこういうところをヒントに考えれば、国際学力競争で悩む必要はないのですが・・・。

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ホンマ ハヤト: 首都圏 中学受験 2008 [17]

☆ここのところ中学受験における2008年問題とは?をウダウダ考えています。従来、学校や教育、受験や入試を分析したり取材したり記事にしたりする際に使われてきた言説・表現コードは階層コードでした。中学受験も例外ではなかったのですね。私も含め(部分的には抗ってきたものの)、中学受験を分析する教育研究所や情報センター、受験雑誌で使ってきた言説コードは階層コードに一致するものばかり。

☆大学進学実績や本来の使い方とは違う偏差値は階層コードを象徴する表現ですね。しかし、これでは新人類世代の親とその子どもたちの生活と教育についてうまく語れない現状がでてきたのですね。

☆だから、新人類世代の生活感覚に合う分析コードで語らざるを得ないというのが中学受験における2008年問題だと思います。宮台真司さんやその仲間たちの多くは新人類世代の言説コードで語ります。階層コードから世代コードへというシフトを明確に認識して語っているからです。これはモダンからポストモダンへ、カルチャーからサブカルチャーへ、モノからコトへという対照関係に重なります。

☆しかも宮台さんや東さん、北田さんなどは中学受験組で、サブカルチャーは東京の私立中高一貫校の役割が大きいと考えている節があります。ですから宮台さんたちの分析コードや道具を活用しながら、中学受験を分析する新人類世代のライターや教育研究所、情報センターがそろそろ出現することでしょう。

☆しかし、宮台さんたちは決して世代コードだけで語ろうとしているわけではないのです。分析はしていますが、その結果別のコードを模索しようという段階だと思います。しかし、世間というのは、階層コードか世代コードかどちらかで語ります。相原博之さんの「キャラ化するニッポン」がわかりやすいのはそういうわけです。

☆また宮台さんたちは、社会学といっても、廣松渉を取り巻く現代思想の関係性を分析したうえで、独自の社会学理論をつくっていますから、教育社会学者のような単純な論理は展開しません。ある意味教育の分析が現実に合わなくなっているのは、教育社会学者の言説が階層コードのままであるからかもしれませんね。佐藤学さんは苅谷さんとは違うのではと言われるかもしれません。たしかにポストモダンを標榜していますが、階層構造からみたポストモダンで、実践的ではありません。

☆それはともかく、文化的階層コード、世代コード、富裕層コードは、まだ結びついてはいないので、それぞれ断片領域として表現されています。しかも文化的階層コードは、階層間の関係性を表現するコードを持っていません。抑圧と疎外の関係性ですから当然ですね。

☆世代コードも世代間の関係性を表現するコードを持っていません。断絶がキーワードですからしかたがありません。富裕層コードも層間の関係性を表現するコードはありません。格差がキーワードですから当たり前です。

☆3者のコードのどれが良いのかという無意識の判断が行われている趣味化し、微分化した生活圏がたくさんできているのが現状で、この多層で多様ないりくんだ層間にディスコミュニケーションが生まれているという状況が現状です。この現状を変えていく人材が育つ環境がどこにあるのかという分析が必要なのですね。ですから、階層コードだけでも、世代コードだけでも、富裕層コードだけでも中学受験や中学入試を鳥瞰することも分析することもできないのです。

☆できないということは、子どもたちをディスコミュニケーションの中に陥没させることになります。そこで事件が起こるわけです。だから京北学園の川合校長先生は「ていねいなコミュニケーション」を実践し、心と学力の危機管理をしているのです。共立女子の渡辺教頭先生、海城の中田先生は、現代思想をベースに新しいプログラムにチャンレンジしているのです。明大明治の松田先生は、ディスコミュニケーション空間に代わる居場所空間を形成しているのです。

☆さて、世代コードと階層コードと富裕層コードをどのように関係づけたらよいのでしょう。関係づけると新たなコードが生まれ生活世界は変わります。この関係づけるという補助線がエコゾフィー的発想かなと思っています。

☆宮台さんは、サブカルチャーとしての「少女マンガ―音楽―宗教」を分析しています。この分析こそ新人類世代のコミュニケーションや関係性の分析ですが、この分析の中に3者のコードを関係づける糸口がすでにあります。少女マンガの3分類の中のひとつである萩尾領域、音楽の4分類の中の1つ中島みゆき・尾崎豊系象限、現代宗教の3分類の中の覚悟系にあるのですね。これはみな私立中高一貫校のハビトゥス(文化資本の再生産システム)に関係するものばかりです。

☆モダンでもポストモダンでもない考え方が、この領域に見え隠れしているのです。ここをなんとか表現しようと学校文化を取材している企画・編集の仕掛け人が鈴木隆祐さん(「名門高校人脈」「最高の授業」などを執筆)で、新しい学びの理論と方法論を編み出しているのが岡部憲治さん(「世界標準の読解力」など執筆)ですね。そして9歳・10歳の壁を超えるための学びの情報誌を編集しているアスコムの中村智哉さんです。私もウダウダこうして考えていますが、何せ団塊・断層世代ですから、なかなかシンドイものがあります。^^)♪

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首都圏 中学受験 2008 [16]

毎日新聞(1月19日10時49分配信)によると、「大学入試センター試験が19日、全国736会場で始まった。センター試験を利用する大学は621校(国立82校、公立73校、私立466校)で、初めて600校台に乗った前年度よりも14校多かった。短大も前年度を8校上回る156校(公立17校、私立139校)で、いずれも過去最高を更新した。」

☆昨今の私立大学のセンター試験の利用の仕方は、驚きべきものがあります。センター試験のスコアだけで合格が決まるという試験があるんですね。出願するだけで、大学に受験しに行くわけではないのです。5校ぐらいだしておくと、いつの間にか合格通知がきているというような試験です。

☆これが良いのか悪いのか判断はにわかにはつきませんが、センター試験の合格基準というものが、どこまで信頼性、正当性があるのか、きちんとチェックした報告書が公開される必要があります・・・。

☆そういうこともあって、聖学院大学などはセンター試験を利用しないんですね。国家がやっているというだけで、正当性を認めろという性質のものは、聖学院の教育理念や創設の歴史的原点に立ち戻れば、できないのは必然なのです。

☆さて、なぜ聖学院大学を紹介したのか?それは聖学院大学は3000人のスモールサイズの大学で、学生の探究活動を教授陣が丁寧にサポートする大学だからだし、またその専門領域で活躍している講師を他大学からも招き、学生の探究心をさらに刺激するからでもあります。刺激されて大学院は東大に行ってしまうとか、他大学の准教授にまでなるとか、学問に対し純粋に真摯に取り組める環境があるのですね。ウィーン交響楽団の団員が、聖学院のオーケストラの指導をするというような連携プロジェクトも実行されています。これはものすごい人気で、ウィーン交響楽団の団員の指導を受けたいという動機で入学してくる生徒もいるほどです。

☆そして、何より開学以来定員割れが一度もないということです。学問の質の高さが口コミで広がっているんですね。いわゆるいろいろな難関高校からも入学しています。ただし、高校時代大学受験勉強優秀児だから入学してくるのではなく、むしろ自分のやりたいことを優先して高校時代を過ごしたために、大学受験勉強がおろそかになった才能豊かな生徒だから、聖学院ならば探究できると判断して入学してくるのです。

☆中学受験のあとは6年後の大学受験も気になるでしょうが、聖学院大学のような未来型の大学があるわけですから、いくらでも可能性があることを思い起こし、がんばってほしいものです。共立女子の教頭渡辺先生は、中学受験勉強がそのまま社会のことを考える影響を与えられるような入試問題作りを心がけていると語ります。多くの私立中高一貫校の入試問題についても、同じだと思います。中学受験勉強自体価値があることなんですね。

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首都圏 中学受験 2008 [15]

☆本ブログの「2008年問題<了>」で、「目の前のいま・ここでからグローバルな地政学的・エコロジー課題を読み解くリテラシーと問題解決能力を発揮できるような領域が、教育、経済、政治、金融、福祉、環境などのあらゆる領域で生まれるかどうかが2008年問題でしょう。」と締めくくりました。このあらゆる領域で横断的に関係性を再生・創造することをエコゾフィー(エコロジー×フィロソフィー)とガタリは呼んだと思うのですが(独断と偏見にすぎないかもしれません。私がそう思っているだけかもしれないですね・・・)、このエコゾフィー的雰囲気のある学校が、クオリティ・スクールやエクセレント・スクールです。

☆エコゾフィーを数式化するのは難しいですが、仮にこんなふうに立ててみましょう。

エコゾフィー=論理×P×D×C×時間性×寛容性×構造×オープン・システム

 P=共同主観を容認する主観性

 D=共同主観を批判する主観性

 C=共同主観を創造する主観性

☆論理をトレーニングする学びの構造、物理的時間を乗り越える内面的時間性を重視する習慣、他者や多様性、異質なものを受け入れる寛容性、組織が構造化していて、その構造がオープン・システムとして開かれている。そして、P<D<Cの条件を満たしていれば、エクセレントスクールでしょう。

☆この条件に比較して、構造あるいは論理が整備されていないと、クオリティ・スクールになります。

☆エクセレントスクールに比較し、P>D>Cで寛容性がないという条件のときエリートスクールになります。さらにオープン・システムの条件を満たさないとトラディショナルスクールです。

☆このシリーズで紹介している共立女子、白梅学園清修、中村中などは、エコゾフィー的雰囲気に満ちていますね。

Photo ☆<学校選択の12の指標>と<偏差値>で算出したクオリティ指標とエコゾフィー的雰囲気で分類したエコゾフィー指標とでは、少しズレがでてきます。いずれ調整したいと考えています。

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首都圏 中学受験 2008 [14]

☆以前、本ブログ「中村中の学び」で、中学2年生が立ち上げた環境チーム「CFEP(change future ecology project)」の活動を紹介しましたが、このCFEPが一ヶ月もたたいないうちに、第2弾の活動を実行しました。

☆その内容については、中村中のサイトの中学2年生CFEP研修会第2弾!「花王株式会社」に詳しく報告されています。

P1010377s ☆それにしても、この報告に次のようにあるのは必見ですね。

日頃接点のない企業の方々とのやりとりはそれ自体が意味深いものでした。更に奥田さんからは「私たちの活動の参考にするために、みなさんの感想を聞かせて欲しい」と全員に意見を求められました。次回は1月29日に株式会社資生堂を訪問します。報告を楽しみにしていてください。(*写真は教頭梅沢先生が送ってくれました。)

☆中村中は、正しい市場の原理を活用しているわけですね。企業の外部経済をなんとか社会や人材の内生的成長にとりこめないものかというCSRや環境保護の動きとジョイントしているのですから。まだまだたいていの企業は、外部経済を切り落とし、エコロジカルな動きはできていませんね。それはCOPの日本政府や企業のかかわり方から伝わっています。

☆しかし、だからといって個々の企業がミクロな動きをしていないわけではありません。ただし、それはなかなか伝わってきません。ところが中村中のCFEPのような活動は、それを世間にこうして見える化することになるし、企業に刺激も与えることになります。教育の市場の原理の活性化に役立つ格好のケースですね。

☆2週間後は資生堂訪問ですかぁ。資生堂も女子校を招くことができ、喜んでいることでしょう♪。好奇心と発想力豊かな生徒とその才能を生かす教師の存在。それが中村中です。ここ数年の中村中の人気の本当の理由はここにあるのでしょう。

☆明日から中村中の出願が始まります。学校選択者がこのような質の高い教育環境のある私学を選択することを期待しています。

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首都圏 中学受験 2008 [13]

☆今月20日から、東京エリアの中学入試の出願が始まりますが、その前に神奈川エリアの栄光と聖光一次試験は出願を締め切りました。両者とも昨年対比は減で、栄光は826人から763人(昨対比92%)に、聖光一次試験は812人から728人(昨対比90%)になりました。

☆これだけの出願数ですから、学校当局では、問題視していないでしょう。それに今年の両校の東大をはじめとする大学進学実績のすさまじさに、敬遠したのかもしれません。

☆しかし、2月2日の神奈川エリアの他の男子校に、その分回ったのかというと、今のところその動きはないですね。まだまだ締め切っていないし、20日以降の東京エリアの出願動向によって、変動するのかもしれませんが、どこも昨対比は100%を超えていません。

☆神奈川エリアの女子校も、フェリスや横浜共立A・B試験、横浜雙葉、湘南白百合、鎌倉女学院一次試験、清泉などは出願を締め切っています。横浜共立を除いて若干昨対比100%を切っていますが、男子に比べると、神奈川エリアの女子校はまだ勢いがあります。たとえば、横浜富士見丘の出願数の増え方はピーキーですね。神奈川学園も聖園も、全体としては昨年より出願数を集める動きになっています。

☆しかし、いずれにしても神奈川エリア全体の中学受験は、出願数だけからみたら昨年を超えるには到らなかったという結果に終わるような今のところの推移です。中学受験の熱で動くのではなく、冷静に学校選択が行われるようになっていくということでしょうか。

☆出願数が減ると、質が下がるという先生方もいますが、そのように判断する基準は、意外と偏差値なんですね。定員割れの事態を防ぎ、入学してきた生徒それぞれの才能を発掘し、伸ばすというのが私立学校の重要な役目なのですが、いつしか、偏差値の高い生徒が入学してきて、彼らが勝手に受験勉強して、大学進学実績を出して、その学校の本来の教育をスルーしていくということがないわけではありません。

☆そんなことに気づいた学校選択者が、本物の学校を探し始めたという流れができればよいのですが、本当のところはそういう大きな動きになっていくわけではないでしょう。兆しはたしかにありますが、やはり大きな流れにはなかなかならない。それは経済事情が結局大きいということでしょう。

☆せめて、私立学校は正しい(?)市場の原理にエールを送らないと、日本の市場が縮小に向かうと、結局その余波が自分たちに影響します。公立学校のように統廃合を進めればそれでよいというわけにはいかないでしょうから。私立学校の市場の形成とは、私立学校それぞれの独自の教育の特徴を形成していく競争原理ということを本来は意味します。

☆大学進学実績の高低でも市場競争は起こるのですが、正しい(?)市場の原理ではないような気がします。もっともこれが正しいか正しくないかは市場が決めることですが・・・。

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首都圏 中学受験 2008 [12]

Photo ☆先日15時15分から16時50分まで、白梅学園清修で、興味深いチャレンジ講座が実施されました。中1の生徒が16名と途中から中2の生徒が2名参加していました。当初は、数学の戸塚先生、国際教育研究家の岡部憲治さんとのコラボ講座の予定したが、午前中の最終打ち合わせの段階で、急きょ英語の道元(みちもと)先生が参加することになりました。

Photo_2 ☆テーマは「関数って何?」。関数を年齢と収入という生活自分史で、感覚的につかむアイスブレイキングから始まりました。生徒さんの反応がたいへんよかったですね。小学校で学んだ比例を関数の感覚にシフトするために金融教育の手法をプログラムに導入。戸塚先生と岡部さんのプログラム編集のやりとりの苦労とそれに費やした膨大な時間を知っているだけに、こういうシンプルな切り口になったのは感動でした。

Photo_3 ☆そのあと、いよいよ「関数って?」という哲学的数学にはいるわけです。岡部さんの「かんがえ型」という手法を活用するシーンですね。考えることは置き換えることです。シフトするということと置き換えてもよいですね。岡部さんはブツけるといいます。私はズレとか差異とか言いますが、この表現の違いが、手法の違いにつながります。岡部さんはプロセス重視だし、私もそうだけれど、やはりズレとか差異とか結果が想定されています。

Photo_4 ☆岡部さんのやり方は、だからソクラテスの想起を徹底します。私の方は、プロセスと言いながら、仮説から逆算してプログラムをつくるわけです。この違いは重要です。生徒が本当におもしろいと思うのは岡部さんの手法なんですね。私の手法は、プログラムの見た目は岡部さんと実はあまり変わらないのですが、学びの当事者は、直観的に操作性を感じるのですね。そこがおもしろさを半減させるのです。

Photo_5 ☆清修の先生方は、その違いを明確に認識しているのですね。この操作性がないからこそ、道元先生は、急きょコラボに参加したのだと思います。岡部さんは、functionという英語を関数という日本語にブツけたら生徒はどんなことをどう考えるのかというコミュニケーション、つまり関係性を創る生徒のコトバに着目します。英語でどういう場面でfunctionが使われているのかは、道元先生の出番ですね。

3 ☆数学と言語(国語・英語)のリテラシーそして金融教育、それから忘れてはならないのはOECD/PISAの世界標準指標(レベル)を掛け合わせた講座は、白梅学園清修の生徒さんたちの無限の可能性を証明したし、授業の合間や夜中にメールや電話でやりとりしながらコラボする脳力のある先生の存在、一方で瞬間的にコラボできる瞬発力のある先生の存在も証明しました。それにしても、朝から授業で勉強していた生徒のみなさんが、放課後90分強の講座を集中しながらも笑いの絶えない授業にしたてあげるその好奇心とオープンマインドには感服。

Photo_6 ☆白梅学園清修の授業は先生だけがつくるのではなく、生徒のみなさんがつくっているのです。岡部さんはみごとに生徒のみなさんにもてなされたのでした。^^)/♪

*参照(教育ルネサンス)→岡部さんは共立女子で社会科とのコラボ授業もしています。

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首都圏 中学受験 2008 [11]

☆本日夕刻、白梅学園清修で、おもしろいチャレンジ講座が実施される予定です。中1の幾人かの生徒と数学の戸塚先生、国際教育研究家の岡部憲治さんとのコラボ講座です。

☆柴田教頭先生は、「生徒一人ひとりとの対話を直接間接一日中しているのが清修の特徴なのは、本間さんはもうわかってくれていると思うけれど、生徒たちとの対話、コミュニケーションが、一日一日そこで終わってしまっては、もったいないんですよ。」と禅問答を、いつものようにしかけられました。今回もこれがきっかけで、コラボ講座のチャレンジ構想が生まれたんですね。

☆清修のコミュニケーションは、緻密に構想され実行されています。

①見守るコトバ

②癒しのコトバ

③愛されていることに気づくコトバ

④愛するコトバ

☆「このようなコトバのカテゴリーを緻密に計算して組み立て、勉強より大事なことがあるということを説教するのではなく、生徒さんたちが一人ひとり気づくコミュニケーションの関係性をつくっていると感じていますが・・・。」と回答すると、柴田先生は、ニカッと微笑んで(その瞬間、またやられたなと気づくのですが)、「そうそう。でもそれだけでは瞬間の永遠のつながりにならんでしょう。」と。

☆一回生、二回生、そしてこれから入学してくる三回生は、清修のアイデンティティと歴史をつくっていきます。それは自分たちが、かけがえのない青春を生きた証しになります。そのためにはコミュニケーションの豊かな関係性を互いに育んでいく・・・。

☆「それは大事ですよ、たしかに。でもね、私はそれだけで終わる部活をたくさん見てきているんでね。そうでない私がかかわってきたようなラグビーのような部活のコミュニケーションの関係性も必要だと思っているんです。」

☆部活ではなくエリコラをやっているのは、そのためのプレステージだったのかと思っていると、「コミュニケーションの関係性というのは物理的なひもで結びついているようなイメージだと、縛られていて苦しいと思うときもある。だから、6年間の中高が終わると、そこから解放されて、それっきりになるものなんですよ。離れている友人に対しても、また自分が過ごした6年間にはすでに卒業しているOGに対しても、コミュニケーションの関係性を維持できるコトバを見つけたいんですね。」

☆たしかに、今の日本社会では、コトバは断片化し、小さなサークルで出会った人どうしでなければコミュニケーションできない文脈が私秘化しているコトバが多くなっています。

☆「コトバというのは、人の気持ち、社会性、考え方、生活とのむすびつきなどの関係性を広げていく特色があるんだけれど、今は断片化しているでしょう。これを回復し、さらに創造していくには、実は授業がカギなんですよね。清修の先生方とは、そこをいつも話し合っているんですが、毎日顔を合わせているから、いつもすぐに共振して、共鳴してしまいます。それがかえって、気づきを鈍感にする場合もある。だからイギリスに行ったり、校外教育活動をしたり、エリコラをやるんです。清修の生徒と教師と岡部さんとのコラボも、何か発見できるような気がするんですね。」と。

☆清修のコミュニケーションには、⑤関係性を回復し創造するコトバというカテゴリーがあったのですね。それがいかなるものなのか、今日の講座が楽しみです。

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首都圏 中学受験 2008 [10]

☆昨日(1月15日)、栄光とフェリスは出願を締め切りましたね。と同じぐらいに、武相と横浜が出願を始めました。栄光もフェリスも昨年と比較すると応募者は若干減りました。栄光は826名から763名に、フェリスは462名から456名に。

☆このレベルの学校は倍率が3倍前後あればよいわけですから、この減り方は学校当局にとっては痛くもなんともないでしょう。しかし、私は問題があると思います。このような結果になったのは市場の原理を阻害する要因があるからです。

☆栄光やフェリスを受けたいのに、偏差値を考えると難しいから受けないという合理的経済原理が働いているから、立派に市場の原理が働いていると言われるでしょうが、果たしてそうでしょうか。

☆たしかに合理的ですが、それは受験直前の選択判断なのです。しかし、そこに到るまでに、消費者の欲求を前面にだしながら、巧みに偏差値という指標で受験生の配分を行っているのです。本来偏差値は、市場の原理の指標に過ぎないのです。ある意味オークションです。人的資本が不足しているから、もっと創ろうという指標のはずです。

☆ところが、4年生ごろから、人的資本の創造をストップさせる配分という市場の原理を阻害する機能が働くのです。親の方も多くはその阻害要因をありがたいアドバイスだと錯覚してしまうし、実は私立学校の先生方にも、入学するのは一握りだから、そんなに塾が煽って一部の学校の倍率があがるようにしかけないで欲しいという先生もいますね。

☆私立学校が栄光とフェリスしかなければ、それはそれで問題だし、すべての私立学校の受験日が同じだと、これもまた配分になってしまいます。しかし、入試日が複数日あるわけですから、必ず戦略的に合格できるのです。ですから、その戦略は学校選択者自身が決定する環境を作らなければならないのです。

☆しかし、今はアドバイスは方向付けになり、偏差値による受験校の配分的役割を果たしつつあるのではないでしょうか。もちろん、市場の原理というのはそんな純粋ではなく、誤謬性があるものですから、それはしかたがない。

☆問題なのは、それをチェックする情報センターがないということです。最近では心ある保護者や私が心あるかどうかは別として、そのような情報を公開できるインフラ整備がされているので、活用していますが、まだまだ足りませんね。もちろん私の考えなんかも偏っている部分はあるでしょうから、ときどき他のブログや掲示板で、言いたい放題言われていますが、それも市場の原理の機能の一つだと思います。

☆浅野はその市場の原理を巧みに利用している戦略的学校です。麻布や栄光を受験した生徒が2月3日に受験します。偏差値の高い生徒が受けに来る学校だとういうくだらない教師もいますが、それは受験生が怒りますね。そんなことを言う教師は、麻布や栄光を受験するために勉強する内容を全く知らない不勉強な人です。

☆彼らは、知識も豊富だけれど、複眼的思考と自分なりの考え方を表明する言説を鍛えている生徒たちです。精神的にもman for othersを知っています。受験勉強でこのレベルまでやるのです。もっとも、知っているから、日本のfor othersが村落共同体的鬱屈で充満していることに気付いて反発するのです。

☆イエズス会はそのことを知っていて、キリスト教世界観をその日本流の共同体に忍び込ませて布教するので、学内で神父とやりあう知的不良が噴出するのです。そういう純粋な知的不良をみて、馬鹿だなあ、そういう理不尽なルールがあるのが現実だぜ、悪法も法なんだよ実社会では。神の国でしか解消されないというのがキリスト教だろうとメタ的な発想を持っているすてきな人も輩出されます。典型例として知っている人と言えば、前者は横浜国大で経済学の教授をやっている方ですね。後者は脳科学者で、知っている人も多いかもしれませんね。

☆麻布は≪私学の系譜≫の源流ですから、日本の官僚近代とは全く違う近代社会を夢見て、知的で芸術的教育活動をしている学校で、教師自身がすでに知的不良です。最近は日本の教育行政は規制を厳しくしているので、したたかにルールを逆手にとる行動を取っているようですが、生徒たちもそっくりですね。ただ中途半端にちょいわるだと居場所はちょっとないかもしれません。探究するにも反発するにも極端じゃないとね。麻布学園はヘルマン・ヘッセの描くギムナジウムの雰囲気や友情のあふれる学校だと思います。ヘッセは両極端は一致するという思想の持ち主です。

☆ヘッセの描く物語の背景には、プロテスタンティズム、ヘーゲル、カント、トマス・アキナス、フロイト、ブッディズム、シュタイナー、バッハ、セザンヌ・・・・などの教養がぷんぷんしていますね。もっとも麻布とヘッセを重ねる人はあまりいないでしょうから、ここは完璧な独断と偏見です。しかし、ヘッセは、実は日本のアニメ界にも影響を与えているし、アメリカのロックにも影響を与えている小説家というより思想家です。

☆とにかく、そういうおもしろい勉強をして破格の人的資本―私はここを最近クリエイティブ資本(リチャード・フロリダから影響されて)と呼んでいますが―を自己形成している人材をつくる原野が中学受験です。日本の教育行政では無視されている開かれた原野光が中学受験です。ハイデガーなら存在の光とでも呼んだでしょうかね。そうはいいながらも原作筒井康隆さんの「パプリカ」のアニメを文化庁は支援しているんですね。官僚の中にもハイデガーの世界を夢見ている人もいるんですね。もっともハイデガーはヒットラーを救世主だと一瞬間違ってしましましたが・・・。両義性、両刃の剣、ジレンマ、矛盾、カオスモーズ・・・。

☆こんなこと真面目に語るのはヘンだと思われる方多いかもしれませんが、大妻女子大の理事長だった中川秀恭先生などはそういうことを真剣に論じていたし、麻布学園の氷上校長はもちろん今も語り続けています。

☆話がそれましたね。もとに戻しましょう。浅野はそういうクリエイティブ資本を形成している生徒を受け入れる時間差という市場の戦略を実行しているのです。浅野自身がそのようなクリエイティブ資本を生かしているかどうかは別です。おそらく人的資本としては相当豊かにしているでしょうが・・・。そこが私が浅野に不満なところなのですが。これも私の感想です。まだまだ日本は、人的資本とクリエイティブ資本の差異が認識できるような産業構造社会ではないので、ここは浅野のせいではないことは多少弁護しておきますが。

Photo ☆だから、栄光やフェリスにむけて良質の受験勉強を、この学校に行きたいと欲求している生徒は、偏差値による配分的正義(一見正義ですね)に惑わされず、思い切って勉強して臨んで欲しいですね。そしてそういう生徒が武相や横浜中も受けるというのがあってよいのです。特に武相は学内が一丸となって、クリエイティブ資本をたくさんもった人材を育成する学校です。横浜中は一部の強烈な教師がそこを守っています。その先生がいなくなれば、人的資本形成に逆走するかもしれませんが、当面その恐れはないだろうし、そのうち学内が大きく変わるでしょう。

☆大事なことはクリエイティブ資本を蓄積できる受験勉強をするには、そのような人材を形成することを標榜している学校を選択し、そこに向かって勉強していくということでしょう。もっとも標榜は明確にはされていませんね。だから私がおせっかいにも、そういうエクセレントスクールとクオリティスクールを探しているのです。

☆持論ですが、エクセレントスクールとクリエイティブスクールを生徒が選択するようになると、トラディショナルスクールもエリートスクールも質を改善すると思います。もっともこれも市場の淘汰で決まることですから、余計な意見は市場の原理の阻害要因になるかもしれません・・・。

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首都圏 中学受験 2008 [09]

☆東京エリアの私立中高一貫校の出願は1月20日から。その間にほかのエリアの動向や帰国生入試の動向を中間集計からみています。今回は前回の帰国生入試の総応募者数リストにはあらわれてこない聖学院の戦略が気になるので、少し考えてみましょう。

☆聖学院の1月中の帰国生入試の定員は15名ですから、この段階で受験生が10倍になるということはありません。そのため、今のところ前回のリストには載っていませんが、実は2月1日の英語選抜入試がすごいのです。条件は次のようになっています。

①英語選抜入試は英語検定3級以上が条件になります。
②一般>面接(条件:英語検定3級以上の取得者。出願時に合格証を提示)
③<帰国生>面接(条件:英語検定2級以上の取得者。出願時に合格証を提示)
 ※但し、準2級の取得者も受験できるが、英語の筆記試験を課す。

☆これだけのハードルですから、受験生が多いわけではありません。重要なことはこの英語選抜入試をうちだしたことで、他の一般入試の受験生に内発的影響を与えているということです。

☆具体的には、英検3級に満たないけれど、4級なら持っているとか、英検は受けていないが海外経験があり英語がかなり活用できるという受験生(80人ぐらいいるそうです)、そしてこれから英語を学びたいと意欲を燃やしている受験生(英語ははじめてでもそのサポート環境があるから安心です)が、入学後の英語の学びや海外文化の学びのチャンスに期待をかけているということです。参考までに、聖学院のサイトから、在校生たちのものの見方を引用してみましょう。

帰国生 中1 C君

小学生のころはロサンゼルスで過ごしたので、「大学はUCLAに行きたい」っていう想いが小さい頃からあります。まだどの学部がいいとか、どういう勉強をしたいとか、そこまでは決まってないですけど。

帰国生 中2 F君

僕は物理の勉強をしたいと思っています。論文はどれも英語で書かれていますし、最先端の研究をするならやっぱり海外へ行かないといけません。英語はそのために絶対必要になってくるものなので、今からしっかり勉強しています。

一般生 中2 H君

まだ「これをやりたいから英語をがんばる」という具体的なものはないのですが、英語って人生を通じて使えるツールじゃないですか。なので、せっかく英語をみっちりやれる中学に入ったのですから、きついですけどがんばろうと思っています。

☆聖学院の英語教育は、聖学院グループ全体で気運が高まり、かなりの成果をあげています。英会話とかいうレベルではなく、英語で議論し論文を書くというレベルまでめざしています。それは大学受験のためというより、聖学院全体(幼稚園・小学校・中高・大学・大学院)の雰囲気が、探究する精神で満ちているので、英語の文献をリサーチしたり外国の見識者と議論するチャンスが多いという環境が徐々に広がっているからです。

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首都圏 中学受験 2008 [08]

☆帰国生入試の応募者数が少しずつ決定してきました。まだまだ中間集計ですが、リストを作ってみました。実践女子は、帰国生と一般生の両方に対して国際学級の門戸を開いていますから、その総数の結果は表のようになっています。

080112_2 ☆渋谷教育渋谷がまだ未公表ですから、わかりませんが、実践女子、洗足学園と総数の数で競うことになるはずです。別にランキングを競うことが何か意義があるわけではないのですが、帰国生にとって魅力がある学校と一般生にとって魅力がある学校というのは若干違いがあるはずです。

☆しかし、このリストにある学校は両者にとって魅力があるわけですから、学びのグローバリゼーションが実行されているのではないかと予想してもよいのではないでしょうか。

☆もちろん聖光のように、学びのグローバリゼーションというよりは大学進学実績に貢献する生徒が集まってくるという実利戦略を含んでいる学校もあります。攻玉社も国際学級立ち上げのときは、実利を優先したでしょうが、今では学びのグローバリゼーションの学内浸透による教育の質の向上を大切にしていますね。

☆それから湘南白百合は、帰国生の出願数は少ないように見えますが、そもそも一般生の定員も60名と少ないのですから、この28名という応募者数が少ないかどうか、簡単には判断できません。同校は本当に量より質の教育を実践していますから、受験する側の心構えや気概や見識は相当なものだと理解するのが妥当でしょう。

☆ともあれ、帰国生と一般生のコミュニケーションというオープンシステムを整備している学校は、生徒の未来に必ず良い影響を与えるはずです。帰国生入試を実施している学校を選択する場合、帰国生と一般生のシナジー効果や互いの影響について検討してみることも重要です。

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首都圏 中学受験 2008 [07]

☆昨日聖光学院も出願を開始したので、神奈川エリアの男子選択校の中間集計を見てみましょう。複数入試回数と帰国生入試を合算したのべ数の多い順(500名以上)に並べたリストを作りました。慶応湘南藤沢と慶応普通部は、集計中ということだし、武相と横浜の出願開始は14日以降ですから、リストの中にははいっていません。

080112 ☆まだまだ各学校の出願数は増加するでしょうが、だいたいの傾向がすでに表れている考えてよいでしょう。藤嶺藤沢がこのリストの中に入っているのは大いに注目したいところです。校長の濱谷海八先生は、ご自分の学校だけではなく、神奈川エリアの私立中高一貫校のベクトル作りに関してもリーダーシップを発揮しているカリスマ校長です。

☆現実志向のリーダーが多い中で、理想と現実のダイナミズムを抱え込んで的確な学校経営をしています。塾とも適度な距離を保ちつつ、マーケットを無視することのない意志決定ができる学校ですね。

☆濱谷校長先生と同質の考え方や思いを持って、がんばっている広報の先生方がいるのが、まだこのリストの中には顔をだしていませんが、武相、横浜中、横須賀学院です。このような気概のある広報の先生方の力を生かせるリーダーが学校経営陣にいるかいないかが、今後、3校の盛衰を決めるでしょう。

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首都圏 中学受験 2008 [06]

☆フェリス女学院の出願が始まったところで、中間集計をしてみましょう。神奈川エリアの女子選択校(女子校・共学校)の総応募者数(200人以上)の多い順にリスト(2008年1月12日現在)をつくってみました。複数回数、帰国入試などの応募者をすべて加算した数字ですから、出願者ののべ数です。実受験者のような数字は、言うまでもなく、まだまだわかりません。

080112 ☆ただ、これで2008年の中学受験で勢いのある学校がどこかはわかります。横浜富士見丘や横浜女学院は、午後入試や入試回数が多いので、応募者総数は膨らみますが、この膨らむという勢いがあることは認めなければなりません。

☆そうすると、鎌倉女学院、横浜共立、洗足学園は、入試回数も少ないですから、それでここまで応募者を集めているというのは、ただただすごいとしか言いようがないのです。しかし、私が注目したいのは、神奈川学園と聖園女学院です。このポジションは、相当がんばっていますね。両校とも決して広報活動がうまい学校だとはいえません。

Photo ☆図を参考にして考えれば、鎌倉女学院のリーダーはかなり現実志向の持ち主です。見えやすい成果主義者です。そうでなければ、急激にここまで伸ばせなかったでしょう。かつての洗足学園の校長(今の前田校長先生はそのときの教頭です)のような強引なカリスマ性と同調する意気投合する世間の人は多いですよね。田中角栄のようなキャラが好まれやすいのと同じ感覚です。ヒットラーもそうですね。極端な言い方になってしまいましたが、横浜富士見丘の豊岡校長もこのタイプのカリスマ校長です。

☆同じカリスマ校長でも、世田谷学園の故山本校長先生のように、理想的なことは現実的、現実的なことは理想的という二兎を追うリーダーもいます。現在の洗足の前田校長や桐光の伊奈校長のリーダータイプは、この類型に属すると思います。

☆そういう意味では神奈川学園と聖園は、理想主義的なベクトルが強いですね。にもかかわらず、これだけの応募者を集めているというのは、オープンな組織だからでしょう。受験生や保護者に、教育の成果ではなく、教育のプロセスを見える化する努力をしています。これは広報の戦略・戦術というより「もてなし」の徹底ですね。「もてなし」も戦術ではと思われるかもしれませんが、両校のもてなしは、人間どうしの絆を大切にする共感力という品格がベースです。売れればよいという戦略・戦術がベースにはなっていません。

☆だからといって、経営感覚がないかというとそれは違います。古くて新しい名門校の戦略です。広報をしないという戦略です。フェリス女学院、湘南白百合、横浜雙葉は、一回しか試験がありませんから、総数で比較することは本当はできないのですが、逆にそれでもこのポジションです。3校の募集戦略こそ広報をしないという広報戦略の典型例です。

☆湘南白百合の柳先生の広報力はすさまじいと聞き及んでいますが、それは広報力ではないのです。表現力なのです。湘南白百合の教育のプロセスや教育の質という見えにくい本質部分を10分で、聞き手にイメージさせる言説能力が極まりなく高いのです。

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首都圏 中学受験 2008 [05]

☆今日、フェリス女学院の出願が始まりましたが、日能研の倍率速報では、集計中です。四谷大塚の入試情報センターでは、情報を公開しています。神奈川を拠点としている日能研がフェリスの出願初日の数を公開できかなかったというのは興味深いですね。日能研の受験に対する基本的な考え方・パラダイムが次のステージにシフトしたのかもしれません。

☆日能研というのはある意味でカオスモーズで先端を行っている塾です。2代目の高木代表というのは、かなり先見性のあるオーナーで、今日の日本の教育で話題になっている論点は、すでに22年前にCIを行ったときに検討し始めていました。コンピュータを駆使して、授業―テスト―面談(EQ的要素も含む)―カリキュラムをコンピュータでDB化し、PDCAサイクルを早々とやっていたし、86年には入試情報センターを開設して、私立中高一貫校の情報を収集して、今の「進学レーダー」のような情報誌で中学受験のマーケットを創出していました。

☆トフラー夫妻が、「パワー・シフト」を出版した当時、たぶん出版講演で日本を訪れていたときだと思いますが、ふらっと日能研渋谷校に寄って、知識産業社会が日本でも興っていると感慨深げに去って行ったものです。

☆高木代表とそのブレインは、日本の東大を頂点とする学歴社会を超えるステージやビジョンを明確に描いていましたが、内部では不思議なことに学歴コンプレックスを無意識のうちにもっていて、それをポジティブに転換できず、日能研をあくまで従来型の受験塾でよいと考えるブレインもいました。とくにSAPIXとはちがって、80%の生徒は超難関校には進まないわけですから、その80%の顧客の満足を重視せざるを得ないわけで、いつしかそちらの立場に完全に同調してしまうというケースもなかったわけではないでしょう。

☆塾としては、いわゆる超難関校にたくさん合格させる必要があるのですが、ある意味受験の百貨店ですから、あらゆる中学に進学する状況も作らねばならないわけです。それで、合格した学校が自分にとって最高の学校だという表現戦略を遂行したのでしょう。

☆しかし、時代の流れは、「費用対効果」という魔法の言葉をみな使いたがり、目先の利益を考えることが経営センスがあるということになり、みなそこに進んでいく傾向になります。こういうとき一番先に予算が切りつめられ、人材の育成を止められる部署は、シンクタンクですね。これはどこでもそうです。

☆日能研は、そこで今新たな戦略にでているのだと思います。このインターネットの時代、何も自前の情報部署をもっている必要はないのですね。情報部署は最小限に節約し、お金が入ってくる流れだけを、つまり営業力だけを強化すればよいわけです。学びのシステムは、自動化しているわけだから、生徒たちは自ら学び、自ら振り返り、自ら学習方略をステージアップしていけるのです。

☆そうはいっても、自立した学習者になるまでには、サポートが必要です。また壁にぶつかったとき、フォローしたり、ピアカウンセリングしていく必要があります。このサービスは、お金を直接回収できる知的営業行為です。一般的でマクロな情報を収集するシンクタンクは、外部にあればよく。スタッフがWebでタダ同然で個人的に取得すればよいのです。

☆マクロより、個々の生徒のミクロの情報収集のほうが優先だし、この情報は一人ひとり違うので、シンクタンク的な発想の情報収集分析では役にたたないのですね。日能研のシステマチックな学びのカウンセリング路線は、企業の人材育成分野では先端を行っているわけです。

☆ただし、そういう高木代表のビジョンや構想を実行に移すブレインがどのくらいいるのかは、今となっては不明です。私立中学という最高の知的領域に近接していながら、知的なものをちゃかす人材も一方でいます。学びの組織としての構想はすばらしい。でも経営マネジメントは混沌。まさにカオスモーズです。中学受験の動向は、塾という組織構造・機能・影響力なども考慮にいれる必要があります。

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首都圏 中学受験 2008 [04]

☆本日10時30分、共立女子の帰国生入試の合格発表がありました。応募者は64人で合格者は38人。応募者は昨年対比91%で、少し減少しましたが、それにはワケがあると思います。

☆外部環境の変化としては、帰国生そのものの数と保護者の海外赴任先の多様性があると思います。海外の長期滞在の勤務が減ってきているだろうし、未婚者の海外勤務が中心になってきているのではないでしょうか。それに欧米勤務より、BRICsやアジア勤務が多くなってきていると思います。

☆共立女子の帰国生は、欧米滞在者ばかりではありません。共立に限りませんが、滞在先は様々です。

☆すると帰国生入試は英語がベースでは成り立たないわけですね。英語のできる生徒を募集する目的の学校もありますが、共立女子はそこに重点をおきません。もちろん、英語ができる生徒が多いのでしょうが、そのテクノロジーを重視するのではなく、多様な価値観や文化の体験を大事にしています。

☆ですから学力的に一般試験で入学してくる生徒と差が開きすぎても困るわけです。そのため、国語と算数の試験は、一般入試と全く変わらない傾向ですし、難度もそれほど差がありません。帰国生でも中学受験の準備を万全にしておかねばならないわけです。このような共立女子の入試の方針のために、帰国生にとって、ハードルは高いでしょう。

☆渡辺教頭先生によると、「国語と算数の準備を相当してくる生徒が年々増えていますよ。2科目入試だけなら一般試験でも合格するぐらいです。それに入学してから活躍する生徒も帰国生の中にはたくさんいます。ただし、在校生の間では、特に帰国生学級があるわけではないので、だれが帰国生なのか明らかになっているわけではないのです。すべての生徒が、1人ひとり違う体験を生かしながら学園生活を送るのだから、帰国生の体験だけ特別扱いする必要はないのですね」と。

☆この基本ビジョンに共感する帰国生が共立女子を受けるわけです。とはいっても、海外でのコミュニケーション体験は、いわゆる教科学習を超える大きな知的エネルギーになっているのも事実で、読書感想文連続1位をとるような生徒もいるそうです。

☆たしかに、共立女子の帰国生の入試科目に面接と作文があります。社会と理科がない分なのでしょうが、このいわば口頭試問と作文という名の完璧な小論文試験にパスしてくる生徒ですから、おもしろいタレントの持ち主ばかりであることも否めないでしょう。

☆帰国生入試の中身によっては、英語力だけではなく、豊かなタレントの持ち主の獲得戦略が講じられている可能性があります。一般生にとっては、そのようなタレントと遭遇できるチャンスのある学校を選ぶのも一つの考え方かもしれませんね。

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首都圏 中学受験 2008 [03]

☆神奈川エリアの中学入試の応募はまだすべての学校で始まったわけではありませんが、10日現在で、すでに横浜富士見丘の2月1日入試は昨年比113.4%で、予想通り驀進しています。

☆その理由はここで説明する必要はもはやないし、多様で複合的ですが、なんといってもカリスマ校長豊岡先生の戦略的リーダーシップの力が大きいでしょう。校長が変われば学校が変わると言われるときがありますが、まさにその典型例ですね。

☆豊岡校長は、長い間、サレジオ学院の教頭職につかれていましたが、同学院も豊岡先生の広報戦略でずいぶん変わりました。10日現在の応募者の状況も、浅野、栄光、鎌倉学園とともに順調に集まっているようです。

☆しかし、横浜富士見丘のように爆発的イメージがありません。神奈川エリアの男子カトリック校の中では、栄光、聖光についで3番目の学校というイメージが定着しています。実にここが不満です。私立中学入試のマーケットは、高校入試と違って、公立学校が配分してくれるわけではないので、すべて塾に依存しています。しかし、塾は民間ですから、市場の原理で動きます。

☆私立学校の経営陣は、教育と経済のバランスを戦略的に構想できるリーダーと教育と政治のバランスを戦略的に構想できるリーダーとにざっくり分けられ、たいていはどちらかなのですが、豊岡先生は、戦略的に教育と経済と政治のバランスを総合的かつ戦略的に構築できるリーダーの一人です。

☆ですから、塾という市場を尊重しつつ、塾に迎合することはなく、政治的には活用することができます。だからクオリティスクールだし、いずれエクセレントスクールにシフトするでしょう。ただし、豊岡先生が今実行しているエンパワーメントがうまくいけばです。現場の教師は豊岡先生ほどステイクホルダー戦略ができていませんから、自前主義の方もいるでしょう。これはどこの学校もそうです。ただ、そういう先生方を、教育と経済と政治のバランスを戦略的に構想できるようにトレーニングしたりマネジメントしたりしているのが豊岡校長です。

☆今後この学内の動きがうまくいけば、神奈川県の女子私立学校のクオリティスクールチャートは大いに変わるでしょう。そのとき豊岡先生は、自分の学校だけではなく、神奈川エリアの女子のクリエイティブ資本を形成した功労者になります。先生自身はそんなのは関係ないと思っているでしょが。

☆さて、一方同じような土壌が豊岡先生によって耕されているはずのサレジオ学院ですが、3番手で甘んじているのが気に入らないですね。栄光も聖光も、大半は社会貢献ベースのエリートが多いのですが、一方ではエゴ・ベースのエリートも多いと思います。生徒より教師のほうがそうかもしれません。こういうカオスや矛盾をかかえながら、学校を経営していく苦労が伝わってきます。

☆しかし、サレジオ学院にはそれがありません。学校経営している神父さん集団は、戦略的リーダーであるよりも改革型リーダーであるはずです。まさか学内改革のリーダーシップを発揮して満足しているはずはないでしょう。カトリック・ミッションはそんな狭いものではないはずです。聖光の場合、校長先生は神父ではありません。にもかかわらず、カトリック使命に燃えていますし、豊岡先生同様に、教育と経済と政治に関して鋭いバランス感覚を持っています。

☆それに比べ(本当は比べる必要はないのでしょうが)、サレジオ学院の経営陣である神父さん集団は、改革型リーダーシップを本気で発揮していないですね。人的資本論やシグナル理論を超えたクリエイティブ資本を形成し、広めていくという改革型リーダーシップに挑戦すべきです。塾には迎合していないのですが、栄光に比較して、超然としていないのが気になります。

☆才能にあふれた生徒がたくさん入ってくる環境があるのだから、もっとタレントを引き出す内発型のプログラムを組むべきでしょう。それからまずは入試を3回にするとよいのでは。2月1日は募集人数を80名に減らします。2月4日は50名にします。するとあと30名を募集する必要がありますから、2月2日か2月3日に3つ目の試験を設定します。

☆そうすれば、聖光、浅野を揺さぶることになるでしょう。ならなければサレジオ学院は、結局塾が構想するチャートに便乗していたということが証明されるだけです。

☆それから国語の入試問題を新しい入試の時には変えるべきですね。もっとタレントを開発する読解リテラシーの問いを開発すべきでしょう。あまりにもテクニカルで、思考の本質に迫る問題が出題されていませんね。栄光と麻布の間くらいの読解リテラシーのレベルを測れる問題作りが必要です。入学してくる前からタレントが開発されてくる仕組みをサレジオ学院は作らなければどうしようもありません。

☆聖光の国語の問題は、むしろサレジオ学院に近いのではないかと反論されるでしょうが、それは中学入試の仕組みを全く理解していないということを露呈するよなものです。

☆聖光は、2月2日が第一回目の入試です。2月1日に麻布や慶応普通部、駒場東邦、桐朋を受験した生徒が受けに来るのです。かりに聖光の問題が模擬試験のようなスタイルでも、2月1日の受験校の問題は、記述をベースにした批判的思考や創造的思考を前提とした問題を出題していきますから、そこでトレーニングされて聖光に入ってくるのです。併願による他校のリソースをうまく使えるのです。

☆ところがサレジオ学院は2月1日から入試があるし、2月4日の入試は、聖光と芝とぶつかります。併願による他校のリソースをうまく使えないのです。だから自らその部分を強化しておく必要があります。

☆そんなことしたら塾の先生方が、そのレベルの生徒を教えるのはたいへんだから、今までどおりにしてくれというかもしれません。生徒のタレントが開花する状況をつくるのが塾の使命ではなく、合格することが第一ですからと。志の低い、倫理―審美観なんて関係ないという塾関係者(そうではない志の高い塾関係者もたくさんいますからご安心を)に出会うと、サルトルの「嘔吐」を思い出します。子どもの実存を無視するのですからね。サレジオ学院はこのような状況を突破する改革型リーダーシップを発揮する神の計画があるはずです。もっとも神の計画は知る由もない私なので、この願いは無視されるのがオチでしょうが・・・。ともあれ、私の願いと期待が聞き届けらることを祈りたいと思います。栄光は父と子と聖霊と、そしてサレジオ学院に。初めのように今もいつも世々に至るまで・・・。

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首都圏 中学受験 2008 [02]

☆1月9日湘南白百合の帰国生入試が始まっているように、首都圏全体では帰国生入試がすでに始まっています。すべての募集の締め切りが終わっているわけでもないし、データが完全に公表されているわけでもないので、まだ1月9日現在の倍率速報データ段階のものですが、募集人数の多い順に20校並べてみましょう。

洗足学園
攻玉社
頌栄女子学院
実践女子学園
渋谷教育学園幕張
聖光学院
大妻中野
大妻
学習院
学習院女子
共立女子
立教池袋
江戸川女子
白百合学園
東京女学館
湘南白百合学園
逗子開成
横浜女学院
高輪
三輪田学園

☆渋谷教育渋谷は、まだ募集人数が公開されていませんが、おそらく洗足学園とトップを競い合うでしょう。このリストは例年とそれほど変わっていないように見えますが、実践女子と大妻中野、高輪、三輪田が帰国生募集に力を入れ始めています。昨年のデータといずれ比較しますので、そのときにもっとはっきりします。大妻中野や高輪は現状ではトラディショナルスクールに分類していますが、クオリティスクールにシフトすることになるかもしれません。

☆ただし、帰国生の力を借りて、大学進学実績を出そうとい戦略だとしたら、実績がでた段階でエリートスクールにシフトします。学校当局はどちらの選択判断をしているのでしょうか。経営陣と現場とのGAPを調べてみるとその結論は年内にでるとは思いますが。

☆また、このリストにはまだ入りませんが、聖学院、かえつ有明、宝仙理数インター、武相も帰国生募集に力をいれる戦略を前面にだしています。まずはクオリティスクールとしての質をもっと充実しようという戦略ですね。クリエイティブ資本と社会関係資本の形成を重視しているわけです。

☆帰国生入試をどれくらいそしてどちらの方向にむかって力をいれているかで、学校のビジョンがはっきり見えます。いずれにしても帰国生入試で成功している学校は、かなり教育の質は高いと思います。帰国生入試は学校選択の重要な試金石です。

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首都圏 中学受験 2008 [01]

☆首都圏中学受験が始まります。関西エリアでは4日から始まっていますし、首都圏でも、推薦入試は千葉エリアですでに12月に実施されています。2月半ばまで、日本列島は、中学受験、そのあとは高校受験、大学受験と3月いっぱい受験シーズンですね。

☆受験というのは、①選択判断の価値意識の差異②学びのパラダイムの差異③学びの方法の差異が現れる場です。これら3つは、実は相互に関係する事柄で、これらの関係を見ていくことによって、時代の認識や方向性、求められる新しいライフスタイルなどが見えてきます。経済的な側面からは、日本のクリエイティブ資本や社会関係資本の成長の是非もまた見えてくるでしょう。

Photo ☆このようないくつかの視点を確認するために、4つ学校選択の分類をしています。次のような≪12の学校選択指標≫を集計して算出しているものです。

(1) 自己実現プログラムの自覚的実行力
(2) 教師の創造的コミュニケーション能力
(3) 時代の変化への対応力
(4) 本格的論文編集指導力
(5) プログレッシブな授業構築力
(6) 総合学習と他の教育活動の有機的結合力
(7) 現地校で耐えられる英語教育力
(8) あらゆる教育活動でのIT活用力
(9) 他教科に刺激を与える芸術教育力
(10) キャリア・デザインとしての進路指導力
(11) 生徒の潜在能力を引き出す教育空間デザイン力
(12) 説明会の表現力(教育理念の具体的展開のプレゼン)

Photo_2 ☆こうして4つに分類した中で、クオリティスクールは、理念を現実化する質の高い構想力をもった学校で、ここ数年の新設校に多いパターンですね。クオリティスクールの課題は、コミュニケーションという当り前の本質にこだわるので、なかなかそのよさが伝わらず、実績に関して即効性がないという点です。実行力と即効力を混同してしまうのが、目先の利益を選択する人たち(消費者だけではなく生産者も、こういう考え方をする人が多いのが世の常です)の嗜好性です。

☆各クオリティスクールの戦略として、「①教育の質を重視する人だけ集める。②目先の利益を考える人の中にいる持続可能性や予見可能性も重視する人も巻き込む。」というような2つの経営者の意志決定があるはずです。どちらの選択判断をする学校が多いのか、受験生の集まり具合で、おおよそ見えるでしょう。

☆エリートスクールは実行力はあるわけで、実績主義ですが、その実績の出し方、過程の中に、倫理的―審美観が生まれている場合があります。このような学校は本来エクセレントスクールなのですが、能書きなんてどうでもよい、大学実績がでればよいのだという雰囲気が支配していて、そのエッセンスを見える化していない場合があります。現場の先生方が倫理的―審美観を持って実績をだしているエリートスクールもあるし、経営陣はそういう感性を持っているけれど現場で無視されているエリートスクールもあります。

☆エクセレントスクールは構想力も実行力もありますから、当然倫理的―審美観が浸透しています。経営陣は必ずこの感覚をおさえています。現場では中にはとんでもない教師もいますが、そのような教師のある才能を受け入れる寛容な環境があり、全体として、雰囲気はとても良いという学校です。経営陣の質が変われば、エリートスクールになったり、トラディショナルスクールにシフトしますが、名門校としてのエクセレントスクールは持続可能性のほうが高いですね。

倍率をみている限り、埼玉エリアでは、今のところエリートスクールの人気が高いですね。エクセレントスクールである春日部共栄がどこまで孤軍奮闘するか期待がかかります。千葉エリアでは、エリートスクールは相変わらず人気が高いのですが、エクセレントスクールとしての昭和秀英が今年も応募者を増やしています。同じ日に入試の渋谷教育学園幕張の方は応募者減(態勢に影響はないです)ですから、市場の原理がうまく働きだしたのではないでしょうか。特に千葉県立千葉の中高一貫校は、公立学校でありながらエクセレントスクールの様相を呈していますから、千葉の中学受験の市場は、倫理的―審美観を背景にした健全で刺激的、したがってクリエイティブ資本や社会関係資本を生み出す人材輩出の環境が整備される可能性が高いですね。

☆東京・神奈川エリアの出願締切は、まだまだこれからです。もう少し集計の全体像がみえたら、コメントしたいと思います。

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2008年問題<了>

2008年問題<13>のつづきです。首都圏では帰国生入試が始まります。一般入試は埼玉の中学入試から始まります。中学受験突入の時の到来ですから、本シリーズは、前回の問いにガタリ自らが用意したビジョンを確認して、ひとまず終了します。中学受験を通して≪私学文化の系譜≫について引き続き考えていくことができるでしょう。

☆二極化構造に対して、ガタリは次のような問いを設けていました。

このような覇権的な価値化のシステムしかありえないのだろうか?このようなシステムが社会全体が一貫性を保つために必要不可欠な唯一の定理なのだろうか?

☆さらに、こうも投げかけています。

別の価値化の様式(連帯の価値、美的価値、エコロジー的価値といった)を解き放つことはできないだろうか?

☆そして、これらの問いに対し、

エコゾフィーが作動するのはまさにこうした別の価値化の展開においてにほかならない。

☆エコゾフィー的再構築は、

①言表行為、協議、実行といったものの集合的な動的編成の再定義をうながす。

②60年代のカウンター・カルチャーの願望であった<生を変える>ことに通じるだけでなく、都市計画、教育、精神医療などのあり方を変える。

③さらには、政治の仕方や国際関係の運営の仕方をも変えていくことになるだろう。

④<自然発生主義的>な諸概念や単純な自主管理に戻ることはできない。

⑤以上は社会と生産の複雑な組織を精神的エコロジーとまったく新しいタイプの個人横断的諸関係とによってすみずみまで把握するという作業である。

☆①はコミュニケーションの変化を示唆しています。鍵は≪私学文化の系譜≫。「ていねいなコミュニケーション論」の地平線がやっと見えてきましたね。

☆②は≪学校文化の系譜≫としての共同主観的存在構造の転換、つまりフロイト主義からの脱出を意味します。欧米・BRICsはベルリンの壁崩壊以降、この動きに拍車をかけています。日本は遅れてしまいました。がしかし、欧米はフロイト主義から抜け出せないのですね。BRICsはたぶんもともと関心がない?ここはわかりません。日本は遅れたのだけれど、そのおかげで≪アキバ文化の系譜≫が露になったという逆説的現象が起きています。これを見逃したくないのです。

☆③は新しい寛容の意味の生成を予言しています。寛容はリチャード・フロリダのクリエイティブ・クラスのキーワードですが、アリストテレスが人間は社会的動物だと言ったように、人類が誕生するやこのことについてずっと考えられてきたでしょう。マイケル・ウォルツァーの「寛容について」(みすず書房2003年)も示唆的です。いずれ紹介したいとは思っていますが・・・。

☆④は≪アキバ文化の系譜≫が、自然発生的存在から離在へシフトする必然性の認識です。このことについてウダウダ語ってきました。うまくまとめられなかったので、どこかでシンプルにと思ってはいますが・・・。

☆⑤の作業とは、ひと・もの・かね・情報のグローバリゼーションを精神のオープンシステムによって新たな次元にシフトする新しい学び・学としての「かんがえ型」の生成なのです。ここにすでにチャンレンジしている私立学校はいっぱい離在しています。

☆以上によって、目の前のいま・ここでからグローバルな地政学的・エコロジー課題を読み解くリテラシーと問題解決能力を発揮できるような領域が、教育、経済、政治、金融、福祉、環境などのあらゆる領域で生まれるかどうかが2008年問題でしょう。

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2008年問題<13>

2008年問題<12>のつづきです。日本の身近な生活の中では、マイクロ・ファイナンスに投資できませんから、国内格差社会における機会均等論議で終わってしまいがちですが、改めてガタリの言葉で、重要な問題性を確認したいところです。教育とは何かということですね。

極貧状態は富裕な社会がいやがおうでも被らざるをえない単なる残存物として存続しているのではない。貧困は資本主義システムによって<望まれている>のである。資本主義システムは集団的な労働力を発動するためのテコとして貧困を利用しているのだ。個人は都市の規律や賃金生活の要請、あるいは資本の収入といったものに従わざるをえない。個人は社会的体系のなかで何らかの場所を占めざるをえない。そうしなければ、貧困か生活保護、場合によっては犯罪の淵に沈むことにもなる。したがって、資本主義によって支配された集合的主観性は、富裕/貧困、自律/保護、統合/崩壊といった二極構造をもった価値の磁場に組み込まれている。しかし、このような覇権的な価値化のシステムしかありえないのだろうか?このようなシステムが社会全体が一貫性を保つために必要不可欠な唯一の定理なのだろうか?

☆このガタリの問いかけに真摯に取り組んでいる領域はどこだろう?ということなのです。官主導の≪学校文化の系譜≫は、すぐに機会均等という「超自我」を持ち出し、二極構造の負の極をネガティブに抑圧します。否定の否定ですから、表層としては安心安全です。意識としては無意識に負の極を抑圧しますから、あたり障りのない心地よい気分、feel-goodなわけですね。

☆ポストモダンとしてはさらに横断的かつ多極化というわけですが、実は二極構造の中を横断的かつ多極化するだけですから、結果的にオールドモダンを強化することになってしまうんですね。≪ディズニー文化の系譜≫には、feel-goodしかあり得ないわけです。

☆しかし、それでよいのかとガタリと同じような問いに気づいた主観性が(共立女子の渡辺先生だったら、ポストモダン的共同主観的存在構造の条件に気づく主観と言うでしょう)、いろいろな現象として≪現れ出つつある自己≫として多様かつ多層に出でるのです。その新たな共同主観の領域が≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫です。

☆これらの系譜は、抑圧に対し、サルトルのように「嘔吐」するわけです。フランス哲学者の合田正人さんなら「むかつき」というでしょう。教育社会学者本田由紀さんなら「『ニート』って言うな!」と言うでしょう。愛光中のドミニコ会神父なら「なまぬるい。熱いか冷たいかどちらかでありなさい。そうでないなら吐き出そう」と聖書のフレーズを投じるでしょう。二極構造の中から出なさいということですね。

☆ガタリはだからといって、黙示録的ユートピアを構想するのではなかったのでしたね。あくまでもこの二極構造の中にいて、この構造を問い返そうということです。この中にいるから身体的に「むかつく」し「嘔吐」するのです。そしてその昇華がアキバ的エロティシズムといことになるのかもしれません。マンガ、ゲーム、アニメ、モバイル、サイバースペース、コスプレ、ニートなどなどは、新たな欲求の現象ということでしょうか・・・。吉原的なエロスは、抑圧されたストレスの転移にすぎないわけです。ガス抜きですね。アキバ的なエロスはそこを突き抜けるわけです。これは≪学校文化の系譜≫にとって不安のターゲットです。この不安をどのように解消していくか。抑圧か寛容かが問われるわけです。

☆ここで注意しなければならないのは、オールドモダンの寛容は抑圧だということなのです。あらゆる個性を認めるけれども、近代共同体に同化させなければ気が済まないのです。同化という名の抑圧が、近代のプロジェクトの戦略です。

☆サルトルのいう寛容の存在のあり方は、「実存」ですが、これは翻訳がわかりにくいですね。存在と実存の差異がわかりにくいのです。exsitenceはex-istenceとすると「現れ出つつ在る」ということですね。つまり「離在」です。ここまでくると、私の手には負えません。しかし、≪私学文化の系譜≫の成果の一つである戦後の教育基本法を巡る思想のルーツはこの「離在」です。

☆エロスは人間存在の重要な現象です。これを抑圧するのではなく、寛容に受け入れながら「離在」としての存在に昇華するということです。エロスは他者への関心がベースですから。ただモダニズムにおけるエロスはカントではないですが、手段なのです。存在ではなく・・・。

☆ガタリは存在の科学ではなく、むしろ存在の倫理を重視しているはずです。客観的データに基づいて人間の存在について議論するコミュニケーションではなく、主観性の倫理に基づいて人間存在について議論するコミュニケーション、つまり川合先生の「ていねいなコミュニケーション論」が重要なのです。

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2008年問題<12>

2008年問題<11>のつづきです。ガタリの表現は、ヨーロッパのリベラルアーツとしての教養に彩られていて、私にはついていくのが大変です。要約のしようもありませんから、引用が多くなりますが、ご了承ください。

子どもを対象とする精神分析家であり民族学者でもあるダニエル・スターンが<現れ出つつある自己>と呼ぶこの主観性を、われわれは絶えず生み出しつづけなければならないのだ。専門家やテクノクラートの干からびた光明のない視点に取って代えて幼年期や詩の視線を奪回すること。ここで、黙示録に描かれているような新たな<天空のエルサレム>のユートピアなどをもちだして、われわれの生きているこの現代のきびしい必要性に対応しようなどというのは論外である。そうではなくて、この必要性の核心部分に<主観的都市>を打ち立て、テクノロジー的、科学的、経済的な目標、国際的諸関係(とくに北と南の関係)、マスメディアの巨大機械といったものの方向づけを改めて設定しなおさなければならないのである。

☆「<現れ出つつある自己>と呼ぶこの主観性」とはクリエイティブ資産のベースです。「専門家やテクノクラートの干からびた光明のない視点に取って代えて幼年期や詩の視線を奪回すること」ととは官主導の≪学校文化の系譜≫が抑圧してきた子どもの才能を開放することと置き換えられます。中学受験の位置づけもそういう開放の領域だと、思ってやってきたのですね。岡部憲治さんが、マンガを使って、麻布や桜蔭の問題を読解する授業をやったのも、アインシュタインの目を読解する4年生のカリキュラムを私が作ったのも、そういう思いだったのですが、変人扱いされました^^)。今では、そんなことを思ってやっている塾は少ないでしょう。中学受験もマスメディアの巨大機械の歯車になりつつあるのだとしたら問題ですね。これも現象としては、2008年問題の対象です。

☆この開放に関しては、ガタリはユートピア的空論ではなく、実践的な「方向付け」として論じているわけですが、今の日本に≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫として既にあるのだということに気づけるかどうか、ここを無視するのは官主導だと得意なわけですが、だからこそ2008年問題がここに横たわっています。

☆そして<主観的都市>とは、森川さんのいう<趣都>と置き換えることができます。ガタリが今も生きていたら、テクノロジーや巨大機械をどのように読み解いたでしょうか。リアルスペースとサイバースペースの個々の主観的な動きを統合という名で画一化する意味でバーチャルという言葉を使っているポストモダンに対し、どういう対決をはたしたのでしょうか。

☆脳科学とITの複雑性を読み解くには、この二元論から離在する必要があるはずですが、今となっては≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫でそのような思考の方向性を見出していくしかないようです。で、この2つの系譜は、今のところ日本にしかないのですが、今のところはニッチな領域だという共同幻想があるのですね。まさにバーチャルに過ぎないと思うのですが・・・。

☆そうそう今再びカントだということです。国際立憲問題を解くには、カントの「永遠平和のために」が今でも有効だからでしょう。「商業精神」と「金の力」が平和のポイントというカントの指摘はたしかに有効です。

☆この経済力について、カントはほかの書でどう説いているのか気になるところですが、それは専門家にまかせましょう。カントは「物それ自体」は不可知だとしたのですが、存在は認めたのですね。もしだれも知ることができないのなら、無くてもよいとなって相対主義があらわれるのですが、これはバーチャルを三批判的構造として、リアルを物それ自体とすると、そうはいかなくなります。

☆リアルな経済力を物それ自体、学としての経済をバーチャルと設定するとよいのではないでしょうか。エコゾフィー的には、おそらくそうなるのでは^^)?

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2008年問題<11>

2008年問題<10>のつづきです。ガタリのいうエコゾフィーについての考え方をみてみましょう。

人間的、エコロジー的なはね返りを無視して、ひとえに量的な拡張をめざす経済成長―しかも、利潤経済とネオリベラリズムの排他的な支配下におかれた―の時限爆弾のような仕掛けを取り除いて、人間の欲望の対象の特異性と複雑性を復権する新しい質的なタイプの発展をめざさなければならない。こうした環境的エコロジー、科学的エコロジー、経済的エコロジー、都市のエコロジー、社会的エコロジー、精神的エコロジーといったものの連結を、私はエコゾフィーと名づけた。それはこのようなそれぞれに異なったエコロジー的アプローチをある同一の全体的なイデオロギーの中に包含するためではなくて、逆に、多様性、創造的分岐といったものにむかっての倫理‐政治的な選択、差異と他性に対する責任の選択というパースペクティブを指し示すためである。生を構成するひとつひとつのセグメント(切片)は、そのそれぞれのセグメントを超え出る個人横断的な門(フィロム)のなかに挿入されながらも、根本的に単一的なものとして把握することできる。誕生、死、欲望、愛といったもの、時間や身体、あるいは生命のある形や生命のない形との関係といったものは、それらを新たに見つめ直すための何ものにもとらわれない澄明なまなざしを要請する。

☆同一性とか全体性という名の画一性に対し、人間の欲望の対象の特異性と複雑性を重視するというのは、まさに≪アキバ文化の系譜≫に結びつくのではないかと思います。

☆そしてそれを復権するには、環境的エコロジー、科学的エコロジー、経済的エコロジー、都市のエコロジー、社会的エコロジー、精神的エコロジーといったものの連結をするエコゾフィーという視点がポイントだということですね。

☆この「連結」は、決して一般化でも同一化でもないのですね。線で関係づけられるものでもない。ヨーロッパの伝統的な考え方であり、忘れられた「離在」だと思います。官→民間→個という流れなのですが、この個は決して国家や企業の歯車としての個ではないのですね。

☆しかし、現在の総合学習の発想や環境保護のためのエコロジーの考え方には、この意味を問い返さないため、新自由主義的な全体包摂論になりかねないわけですね。ここにガタリはこだわります。

☆ポストモダンは、このこだわりがないとオールドモダンに逆戻り、むしろ促進役になってしまうよということです。ではこのこだわりはどうやって・・・。

☆それはコミュニケーション、ことばの特異性と複雑性の構想力と実践力です。京北学園の川合正校長の「ていねいなコミュニケーション」や国際教育研究家岡部憲治さんの「かんがえ型」共立女子の渡辺眞人教頭の関係総体主義に、わたしがたびたび言及するのはそういうワケがあるのです。

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2008年問題<10>

2008年問題<09>のつづきです。フェリックス・ガタリの遺稿テキストは92年のものですから、まだウィンドーズ95は世に出ていない時ですね。当然インターネットもまだまだ普及していない時代です。ファミコンはすでにあったでしょうが、そのときから預言的に論じているところがすごいですね。

現在の地球規模における行きづまりからの脱出口は、文化や民族、国家を横断する新しい土地を創出し、領土化された権力の呪縛から解放された横断的な価値の世界をつくりだすことによってしか見いだすことはできないだろう。

☆89年のベルリンの壁崩壊後、EUは急速に横断的になりますが、学びも同時にそうなりますね。プロジェクトベース学習型になっていきます。フィンランドも教育改革をその線でやっていくわけですね。OECD/PISAの準備もはじまるわけです。EQだといかMIとかいう新しい学習理論、脳科学の促進も始まります。

☆日本はずいぶん遅れています。バブルが崩壊して経済の空白時代を迎えています。そのときこそ権力の呪縛から解放されるチャンスだったのですが、逆向きに動いてしまったようです。教育改革もこの新しい流れに乗ろうとしたのですが、総合学習の失敗を招いてしまいます。

☆様々な体験を経験知に変換し、関係総体を思考できるパラダイムにシフトしていくはずの総合学習が、体験だけで終わったり、経験知をすっとばして議論や探究をするものだから、思考が深まらないという結果になりがちだったのですね。だいたい小さな権力の集合体である≪学校文化の系譜≫において、権力の呪縛から解放されようなどという運動が広がるはずがなかったのです。

☆要するにフラット化嗜好の≪アキバ文化の系譜≫は公立学校では受け入れられなかったというわけです。しかし、モバイルやマンガは水面下では浸透していったわけです。学校文化の表層では、抑圧機制が働いているのですが、ここをいくら教育改革で強化しても的外れなだけなのです。

☆だから≪アキバ文化の系譜≫をはやめに見える化し、ガタリの文脈でいう理想的なポジションを確立した方がよいのです。日本独自のそれでいて島国的な独りよがりでは決してない文化を浸透させることです。一見するとカオスですが、同時にコスモスであり、それをオスモーズ(浸透)させる、つまりカオスモーズのきっかけを≪アキバ文化の系譜≫は持っているのです。そこに気づけるかどうかが2008年問題ですね。

☆どうやって?残念ながら議論という本位をつかって変わるような日本ではありません。あくまでも経済原理でしか変わらんでしょう。普遍的思考は、≪学校文化の系譜≫は苦手ですから、数の論理=売れていればOKという発想でしか変わらないのです。だから≪ディズニー文化の系譜≫は受け入れられます。ポストモダンはOKなのです。

☆しかし、≪アキバ文化の系譜≫は、このポストモダンともゲームの領域やキャラクターの領域でつながっています。もちろんアキバのほうはキャラとキャラクターを区別できるほど高度な文化です。

☆それに比べ、≪ディズニー文化の系譜≫はそんな難しいことは関係ありません。難しいことは売れないのです。売れないと日本では浸透しないのです。DSやWiiはゲームの領域ですが、これはどちらかというと≪ディズニー文化の系譜≫ですね。だから学校でも受け入れられる。一足飛びに学校文化が≪アキバ文化の系譜≫を認めるわけにはいかないですが、DSの学びの道具振りは学校文化でもパフォーマンスは高くなるでしょう。

任天堂の岩田社長のゲームの敵だった母親に認めさせる戦略=精密なゲームや壮大なストーリーのゲームは売れない、まず母親が受け入れてくれるゲームづくりというのが効を奏したようです。経産省のゲーム促進。金融庁の金融教育の励行。これらは≪アキバ文化系譜≫社会的受容のために学校文化という巨城の外堀を埋めました。そして任天堂は内堀を埋めることになるでしょう。

☆しかしこのことを市場に任せっきりにしておくと、≪アキバ文化の系譜≫は日本の独自のしかしグローバルな浸透力のない内向きの力としか理解されない、つまりそのような誤解あるいはネガティブファンタジーを生み出し、またまた市場の原理が自ら座礁することになりかねません。

☆この危険性が2008年問題なのです。≪アキバ文化の系譜≫の論理をつくらないとこの危機管理ができないのです。しかも≪アキバ文化の系譜≫はモバイルやパソコンという法整備が整っていないインターネットというサイバースペースにつながっていますから、常に両刃の剣です。批判的精神と創造的精神の両方で接近しなければ危険です。それゆえカオスモーズなのです。

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小学校4・5年生でも読める茂木健一郎

☆最近は中学入試の国語の素材文として、茂木健一郎さんの本もかなり活用されているようですが、小学4・5年生にはまだハードルが高いかなと思っていました。

☆しかし、昨年4月に出版された「感動する脳」(PHP研究所)は、小学校4・5年生でも十分に読める文章の長さと漢字比率です。内容も読んでいてやる気を生み出せそうなものばかりですね。

☆茂木健一郎さんの文章としては、ちょっと良い子ちゃん像(NHK的雰囲気というか就職マニュアル的というかそんな匂いがただよっているのは編集の問題かもしれません)が前面にでていて、私としてはそれほど好みの編集になっていないですが、中学受験の読解リテラシーの素材としては基本書になるかもしれません。

☆将来麻布や武蔵を受験しようと考えている生徒は、この茂木健一郎さんの考え方をどのように批判的にとらえられるかにかかっているわけで、そういう意味でも4・5年生の読書リストには加えたい一冊ですね。

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聖園女学院で美しい人に[02]

聖園女学院で美しい人に[01]のつづきです。「にじいろのクリスマス・プレゼント」は7つありますが、まずは一番目。「きくことのプレゼント」のページを開いてみましょう。

かみさまの こえに みみを かたむけよう

おとうさん おかあさんのこえに みみを かたむけよう

こまっているひとの こえに みみを かたむけよう

Dsc06954 ☆ここまででもとても大事なことがプレゼントされているのですが、もしかしたらわかったような気になっておわってしまうかもしれません。しかし、次のフレーズが加わります。

さびしいひとの こえに みみを かたむけよう

☆どうです。おそらくこれはひとごとではないのですね。かみさまのことなど多くの人たちはピンとこないし、おとうさんやおかあさんのこえは頭の中ではわかっているけれど、もっともきかなくても済んでしまうケースがほとんどでしょう。こまっているひととは遠くにいる人たちのことでやはり実感がわかないのです。それほど精神は麻痺しているのかもしれません。

☆しかし、さびしいひととは、自分のことでもあります。愕然とするでしょう。すると前の3つのフレーズのことが振り返ってわかってくるのです。聖園女学院の教育のあり方そのものですね。

*写真のクリスマスカードは、聖園女学院の中学生が受験生のために真心こめてつくったものです。

Dsc06949 

Dsc06952

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2008年問題<09>

2008年問題<08>のつづきです。さて、ガタリの語りを引用します。

音楽、モード、広告のコピー、ガジェット(アイディア商品)、さまざまな系列産業の宣伝などなど、今日巷にはありとあらゆるものが行き交っている。しかしながら、製造されたものどうしの差異があいまいなうえに、なにもかもが交換可能な規格化された空間のなかにあるために、すべてのものが動かないでいるかのようにみえる。たとえば、ツーリストは同じ客車、同じ飛行機で運ばれ、エアコンのきいた同じホテルを利用し、すでにパンフレットやテレビで幾度となく見たことのあるモニュメントや景色の前を通りすぎていくといったふうに、旅といってもほとんど動かないも同然の旅行をするのである。かくして主観性は化石化の危機にさらされている。主観性は差異や意外性、特異な出来事といったものへの嗜好を喪失しつつある。テレビ放映されるさまざまな競技、あるいはスポーツやバラエティー番組、政治活動なのでにおける<スター・システム>といったものが、神経を弛緩させる麻薬のように主観性に作用し、主観性を苦悩から守るかわりに、主観性を幼児化し、主観性の責任を解除する。では、かつてのような安定した標識の喪失を惜しむべきであろうか?歴史が突然停止することを願うべきであろうか?ナショナリズム、保守主義、外国人排斥、人種差別、原理主義といったものへの回帰を宿命として受容すべきであろうか?

☆少々長い引用であったかもしれないですね。しかし、森川さんや東さん、北田さんと問題の認識は共有されているということが確認できたと思います。ガタリ風に言い換えると、≪学校文化の系譜≫は主観性の化石化の危機にさらされているということになりますね。主観性という嗜好性は、しかし、ガタリの時代には喪失されてつつあったのですが、≪アキバ文化の系譜≫はその嗜好性、つまり趣味を喪失どころか、逆に生み出しているわけです。

☆ガタリはポストモダンのような考え方とは多少ズレていますから、≪ディズニー文化の系譜≫も主観性を幼児化し、主観性の責任を解除するシステムだと明快に答えるでしょう。するとガタリが希求していた主観性という嗜好性は、≪アキバ文化の系譜≫に脈々と流れていると理解することが可能なのです。

☆日本全体の流れでは、≪学校文化の系譜≫と≪ディズニー文化の系譜≫はなんとかサバイブできるようにしなければならないけれど、≪アキバ文化の系譜≫はモラルハザードとして超自我によってなんとか抑圧しなければならないし、≪私学文化の系譜≫は格差社会を促進するシステムとみなされます。しかし、自由契約社会であり、市場の原理が働いている社会であり、完全に停止させることは法原理上無理です。あの手この手を使いますが・・・。

☆それゆえ、あたかも秋葉原や私立学校という小さな世界のことに過ぎないと思うようにしているのでしょう。ところがマスコミやメディアは、逆にそこに光をあてます。売れるからですね。しかし、売れるということは市場の原理に忠実だとも言えるし、ガタリの言うように主観性を麻痺させるような一面もたしかにあるのだけれど、オープンにすることによって、逆に活き活きとさせてしてしまうわけです。オープン・システムはそれぞれの当事者の思惑とは別に淘汰する機能を持っているわけです。

☆そういう意味ではガタリが思っているようには≪ディズニー文化の系譜≫は主観性を麻痺させませんね。逆説的なのでしょうか?いやそれだけ、≪学校文化の系譜≫が意外性や差異性がなく同質化しているわけです。そこは日本の官主導の法人の特徴でしょうね。欧米に比べて・・・。

☆このようにガタリ的な視角で見ると、≪アキバ文化の系譜≫は、≪学校文化の系譜≫や≪ディスニー文化の系譜≫に対しカウンターの位置にあるのではなく、かえって理想郷としての位置にあることになります。

☆それにしてもガタリのアイロニーは預言的ですね。今日の日本は、かつてのような安定した標識の喪失を惜しんでいるし、歴史が突然停止することを願っているし、ナショナリズム、保守主義、外国人排斥、人種差別、原理主義といったものへの回帰を宿命として受容しています。だから≪アキバ文化の系譜≫や≪私学文化の系譜≫を大手をふって受け入れようとしないのです。

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2008年問題<08>

2008年問題<07>のつづきです。前回「ひと・もの・かねのフラット化はポストモダニズムの≪ディズニー文化の系譜≫はなしとげているのですが、精神(知性と感性)のスーパーフラット化は≪アキバ文化の系譜≫の独自性です。ヨーロッパは精神の階級制度をまだまだ破壊できていません。アメリカは精神の階段状の発達心理学によって、精神の成長階層構造が眼前としてあります。≪アキバ文化の系譜≫はそこはカオスモーズなはずです。」と書きましたが、ここでそろそろフェリックス・ガタリの遺稿を手がかりに2008年問題をとらえることにしましょう。

☆「フェリックス・ガタリの思想圏 <横断性>から<カオスモーズ>へ」(大村書店2001年)の中に収められている「エコゾフィーの実践と主観的都市の復興」という生前最後の語りおろし「遺稿テキスト」をヒントにします。

☆1999年にNTS教育研究所を創設するときに、ガタリの書「三つのエコロジー」や廣松渉の書「知のインターフェース」などを読み漁っていたことを思い出します。ガタリの書は、当時は工学院の校長をされていた城戸先生や東京女学館の校長福岡先生とお話をする中で、妙に結びつく不思議な気持ちに満たされていました。ゆるやかな私学の共同体をいかにしてつくっていくかの着想を得たひと時でした。

☆初代のNTS教育研究所の所長は、今の国際教育研究家の岡部憲治さんでした。私は研究所設立のための支援者としての立場で、スーパーバイザーをやっていましたね。ITとコミュニケーションと庭園の3つを結びつける学習環境の提案という点で私たちは共有していたし、ピラミッド構造の組織ではなくフラット化の組織(ガタリやドゥルーズの言葉で言えばリゾーム)へという発想も共有していたのですが、私は岡部さんの「アキバ文化論」について尊重していたけれど、きっと理解ができなかったのでしょう。岡部さんも私の「庭園建築空間論」について尊重していたけれど、共有するまでには、当時はいかなかったと思います。

☆コミュニケーションについても、岡部さんはガーフィンケルのエスノメソドロジーで、徹底した権力批判論、私の方はハーバーマスのコミュニケーション行為論で、共通点はあるけれど、ミクロ論・プラグマティズム的ヘーゲリアンウェイに対し、マクロ論・トマス的市場原理主義である私とは差異があったのでしょう。ITに関してもテクノロジーベースに対し、コンテンツ重視だったし、庭園論に対しても、バーチャルリアリティに対し、リアルの中のバーチャルな感覚を重視する私とはズレがあったと思います。

☆対話形式のセミナーをやったり、私立学校のアドバイスを協働でやったりしましたが、差異は共有という形というより、開く方向に進みました。Honda「発見・体験学習」のプログラムをつくるときに、岡部さんはすでにE-ラーンニグベースを考えていましたが、私の方はプロジェクト学習ベースを考えていました。もちろんインターネットは使うのですが、あくまで道具でしたから、二人のズレは決定的なものとなりました。

☆私は支援者ではあったけれども、そこまでのインフラ整備を会社を動かしてまで行うことはできなかったのですね。力がなかったわけです。その後岡部さんはいったんベンチャー企業やIT企業で活躍をしますが、再び国際教育情報室長としてもどってくることになりました。当時は能力主義で人材登用する経営者が存在したわけです。

☆今度はズレをズレとして尊重し合い、NTS教育研究所のメンバーたちと私たちが中心となって、「未来を創る学校」というテキストやセミナーを実行しました。そしてついに時代の精神をつかみかけたのですが、民間の研究機関ですから、目の前の経営に役立たないものは価値がないのですね。今度は私たちは経営と大きなズレを見出してしまいました。

☆私たちの企画は、まだまだ一部ですが、マスコミや出版社の仲間に受け入れられました。社内に応援者もたくさんいたのですが、経営陣を説得する時間を、私たちの企画を社会に広める時間に費やすチャレンジをする選択決定をしました。うまくいくかどうかわからないのですが、とにかくこうして私たちはNTS教育研究所から離在することに決めました。

☆私たちは、今こうして自分たちのスタンドポイントで企画を広める領域にそれぞれが立っています。しかし、まだまだ直観的に位置しているだけで、時代が求めている領域かどうかは検証しつつ活動していかざるを得ません。2008年問題の考察も、この領域の検証活動の一つです。

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聖園女学院で美しい人に[01]

☆昨年のクリスマスには、聖園女学院の鳩先生から、お正月には清水校長先生からお手紙をいただきました。その中に「にじいろのクリスマス・プレゼント」という小冊子が入っていましたが、お二人からそれぞれ同じものをいただいたのです。そこにはかなり重要なメッセージがありましたが、うかつにも、はじめは、あまりにかわいらしい絵だったし、ひらがなで読みやすかったので、子どもたちにプレゼントしたサンプルだと思い込んでいました。

Dsc06947 ☆ところが、改めて読んでみると、子どももおとなも、すべての人々に呼びかけられた優しい言葉だったのです。にじいろですから、7つのプレゼントが贈られています。

①きくことのプレゼント

②ほほえみのプレゼント

③ゆるすことのプレゼント

④かんしゃのプレゼント

⑤ほめることのプレゼント

⑥いのることのプレゼント

⑦しんらいのプレゼント

☆カトリック学校ですから、このような聖なるプレゼントはある意味当り前です。ですから、この項目だけをみて、浅薄にもわかったような気になっていたのです。「時」というのは実に感慨深いですね。わかったと思っていると、あたかもそれを見通しているかのように、もう一度呼びかけらるのですから。「時」とはメッセージに開かれる「時」を意味するのでしょうか。

☆聖園女学院の優しさは、この「時」を常にプレゼントしてくれるということだったのです。そして、いつかメッセージに開かれた「時」、美しい人になるのだということです。

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2008年問題<07>

2008年問題<06>のつづきです。森川嘉一郎さんは、≪学校文化の系譜≫が≪アキバ文化の系譜≫を批判する、いや抑圧することにカウンター的な論理を展開していますが、一方で≪ディズニー文化の系譜≫にも≪アキバ文化の系譜≫をカウンター的に位置付けています。森川さん自身は≪私学文化の系譜≫に関してはどこにも位置付けていないし、表面化していないようですが、東浩紀さんや北田暁大さんは、ご自分たちのある思考の拠点や原点としてつねに中学受験や中高一貫校時代を引き合いに出しますから、かなりの部分≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫は重なっているかもしれません。しかし、ここはあくまで大雑把な予想にすぎません。

☆ともあれ、森川さんは、≪学校文化の系譜≫と≪アキバ文化の系譜≫を相対化、フラット化し、前者のフロイト主義に対し、超自我的存在の抑圧性を暴く論の展開になっていると思います。圧倒的なケースメソッドで、≪学校文化の系譜≫が、現代社会の中でいかに無効化されているかを論証していきます。

☆学校当局がいかにフロイト主義で抑圧システムを維持しようとそれはしょせん防衛コストを高めているだけで、その水面下は≪アキバ文化の系譜≫で満ちているのだということです。しかも学校を一歩外に出れば、そこには「趣都」が広がっているのだと。

Photo ☆今や≪学校文化の系譜≫は学内でのコミュニケーションがいかに了解し合えない状況をつくり、生徒たちの「個室化」を浸透させ、≪アキバ文化の系譜≫を拡大しているかということですね。学校文化はいかに≪アキバ文化の系譜≫とコミュニケーションできるのか、飲み込むのでも飲み込まれるのでもないコミュニケーションはいかにして可能なのか。この点に関しては京北の校長川合先生国際教育研究家の岡部憲治さんの思想が参考になるでしょう。

☆≪学校文化の系譜≫は≪アキバ文化の系譜≫といかにしてコミュニケーションが可能か。これが2008年問題の1つです。そしてもう1つは、≪アキバ文化の系譜≫は≪ディズニー文化の系譜≫といかにしてコミュニケーションが可能なのかということです。

☆森川さんは批判的思考のターゲットが≪学校文化の系譜≫だったので、この点については積極的に展開していないのですが、だからこそ重要な論点です。≪ディズニー文化の系譜≫にルーツを求めながらも、反抗しているというスタンドポイントが日本の行方を暗くしていますね。

☆せっかく≪アキバ文化の系譜≫はフロイト主義ではなく、無意識と意識のフラット化、相対化をしているという事態を了解できそうなところにきているのですが、この点を明確にしないために、結局超自我批判や超自我を何にするかのすりかえをいつの間にかしているというまさにオリエンタリズムの構造にはめ込まれてしまうリスクが横たわっています。

☆≪学校文化の系譜≫に対してフロイト主義の構造全体を批判できるのに、結局その超自我が国家道徳の押し付けではないかという話にすり替えられてしまうのです。≪ディズニー文化の系譜≫に対しても結局フロイト主義の超自我がホワイトアングロサクソンプロテスタントではないか、≪アキバ文化の系譜≫はそれとは違って独自のスーパーフラット化という超自我を持っているのだということになります。

☆スーパーフラット化された超自我は中空点だし空集合だから、「趣都」で生活する分では独自性を保てるのですが、グローバル都市では、結局フロイト主義的枠組みの中でコミュニケーションを強いられ、超自我の世界標準を突き付けられてしまいます。そこでイニシアチブをとれません。とる必要もないのかもしれないのですが、それでは気がついたときは発展途上国の経済生活やワークライフを強いられてしまうというのがもう1つの2008年問題です。

☆したがって、どんなに≪学校文化の系譜≫を≪アキバ文化の系譜≫によってゆさぶっても―もちろんゆさぶらないと始まらないのですが―、≪アキバ文化の系譜≫はフロイト主義的枠組みからははみだしてしまうということを積極的に論じていく戦略がポイントになるでしょう。ひと・もの・かねのフラット化はポストモダニズムの≪ディズニー文化の系譜≫はなしとげているのですが、精神(知性と感性)のスパーフラット化は≪アキバ文化の系譜≫の独自性です。ヨーロッパは精神の階級制度をまだまだ破壊できていません。アメリカは精神の階段状の発達心理学によって、精神の成長階層構造が眼前としてあります。≪アキバ文化の系譜≫はそこはカオスモーズなはずです。

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2008年問題<06>

2008年問題<05>のつづきです。森川嘉一郎さんは、≪学校文化の系譜≫が≪アキバ文化の系譜≫を批判というより非難する視点をこう述べます。

アニメ絵のキャラクターと恋愛や性愛を疑似体験させるような内容のゲームをプレイするという行動に関しては、オタクに対して向けられてきたさまざまな人格的批判を関連づけてみることが可能である。退行的で社会性に乏しく、アニメから卒業できないまま大人になった。あるいは仮想と現実が混同気味になっているのではないかという類である。ギャルゲーの説明づけとしてしばしば登場するのは、対人的コミュニケーションが不得手で現実の女の子と付き合えないから、架空のキャラクターを代償にしているのではないかという見方である。社会が強制的に担わせようとする、女性をリードすべき“強い男性”というジェンダーロールに対する屈折が介在していると解釈する向きもある。(同書99ページ)

☆この「“強い男性”というジェンダーロールに対する屈折」の介在こそ≪学校文化の系譜≫そのものです。文科省という官主導でこれをつくりあげてきたのですね。経産省はむしろ≪アキバ文化の系譜≫をなんとか売ろうとしていますが、別に「“強い男性”というジェンダーロールに対する屈折」を改善しようという意図はないでしょう。市場の原理ですから、市場価値が高ければそれでよいのです。だからゲームやアニメを官主導で売ろうとしていることに変わりはありませんね。

☆さて森川さんは、上記のような偏向的批判に目くじら立てるのではなく、むしろ日本よりアメリカの方がパソコン中毒が蔓延しているし、ディズニーのように先行的な文化があるのに、アニメ絵に公然と性愛的要素を求めないのはなぜなのかという点に焦点をあてます。

☆東浩紀さんもそうですが、日本はアニメは昔から得意だったし、江戸時代の浮世絵にルーツがあるという理由づけは、1つの見解にすぎないと前面に押し出すことはありません。東さんはそもそも≪アキバ文化の系譜≫をポストモダンとして≪ディズニー文化の系譜≫に見ています。

☆一方森川さんは、東さんの問題意識を共有しながら、日本の場合、美的感覚や芸術的感覚の判断が「趣味」であることが大きく関係しているのではないかと論じます。

☆おそらく東さんも森川さんの思想を尊重しつつも、さらに一歩進めて「認識論」あるいは「表現論」のシステムの違いであり、それがパソコンという道具の活用によって、より鮮明に見える化されたと考えているのではないでしょうか。

☆江戸時代や浮世絵やもっと前の鳥獣戯画にルーツを見るのは、おそらく間違いではないのでしょうが、その指摘だけでは、現象的、存在的で、学として捉えられていないというのが森川さんや東さんの考えでしょう。

☆しかし、そうはいっても、≪ディズニー文化の系譜≫と≪アキバ文化の系譜≫の共通点と相違点が比較され、差異が強調されるわけです。

☆≪アキバ文化≫の独自性を際立たせるために、東さんは記憶装置や物語の構造の違いを論じるし、森川さんは、アメリカのプロテスタンティズムと日本の趣味の違いを説きます。プロテスタンティズムにせよ趣味にせよ、権力にとりこまれつつも、常にそこから離在しようという境地に立つシステムを持っています。上位文化に染まる趣味ではなく、上位文化を染める趣味。これが≪ディズニー文化の系譜≫と≪アキバ文化の系譜≫の共通点だと森川さんは語るわけです。

☆しかし、前者は徹底した「衛生化」で、女性や子供は純粋なロールプレイをします。しかし、後者は女性や子供を純粋に表しながらも性愛的な要素を付与します。なぜか官主導というより文科省主導の≪学校文化の系譜≫はこれを抑圧し排除します。

☆一方、経産省はこれをイノベーションとして大いに支援します。おそらくNHKでもどこでも、子どもたちに歌われている「おしりかじり虫」は、アメリカではそう簡単に売れないのではないでしょうか。マスコミなどの公器で「おしり」という言葉はタブーです。デュシャンの作品「泉」(素材は便器そのもの)が世を震撼とさせたことからも予想がつきます。

☆しかし、日本ではテレビでもネットでも街中でも、子どもも大人も「おしりかじり虫」をうたうのに抵抗を感じる人は少ないでしょう。この歌の作曲者でありプロデューサーのうるまでるび夫妻は経産省からスーパークリエイターとして表彰されているぐらいです。たしかにうるまでるびさんのキャラクター作品は、どこか村上隆さんの作品に通じるものがあると思います。

☆電車でも当たり前のようにエロティシズムが前面にでる広告が毎日のように発信されています。何もパソコンやネット、モバイルの中だけのことではないのです。森川さんはこのような≪アキバ文化の系譜≫を「個室化」とも呼んでいます。秋葉原のみならず、電車も、パソコンも、モバイルも個室化していますね。マンガ喫茶は≪アキバ文化の系譜≫の胞子ではないでしょうか。

☆フロイト主義の≪学校文化の系譜≫は、この事態を抑圧し排除し、無意識のかなたに葬り去ろうと必死です。超自我の復権はこういう流れなのです。ところがです。日本の文化は、無意識が個室化して見える化してしまっているのです。

☆プロテスタンティズムがカトリック修道院の世俗化というのなら、日本の趣味は洗練されたしかし悲しい花魁文化のつまり粋の文化、あるいはわびさびの文化の世俗化なのかもしれません。九鬼周蔵、岡倉天心、京都学派、芭蕉、利休、信長が大切にしていた表現システムの系譜の世俗化・・・。

☆電車吊り広告で露にされても、それを抑圧しようというフロイト主義者は野暮で、何も無意識のかなたに追いやる言動は必要がないという粋な趣味、あるいは教養というのが、つまりスーパーフラットで、無意識と意識という階層構造をもたない認識および表現システムが≪アキバ文化の系譜≫なのかもしれません。

☆≪私学の系譜≫は、この≪アキバ文化の系譜≫に接近しつつも、趣味や教養はリベラルアーツでさらに独自の進化をとげているのです。フロイト主義でもないけれども、生理的欲求としての性愛指向もありません。性愛ではなく人類愛やアガペー、友愛という昇華の仕方をしているはずです。だからイギリスのパブリックスクールなどの欧米の私立学校の流れをくみながらも、独自の進化をとげているのです。

☆アメリカのプロテスタンティズムは、結局巧みにフロイト主義に結びついたのでしょう。欧州ではフロイト主義は科学の基礎としての役目を果たし、キリスト教という宗教を政治経済から切り離す政治的ロールプレイを果たしてきたと思います。現段階では仮説というより感想に過ぎないですが、ともあれ日本の≪私学文化の系譜≫とは差異があります。私学によってはこの差異より、パブリックスクールやプレップスクールのものまねをしている学校もあります。完全に模倣できればそれにこしたことはありませんが、たいていは中途半端ですね。

☆さて、話を元に戻しましょう。日本はとにかく不思議ですが、キリスト教もフロイト主義も結局根付いていないわけです。甘えの構造とか島国根性とか、昔から言われてきましたが、仲間同士では、すべて露呈しています。仲間の中ではオープンですね。腹を割って話さないとだめな文化なのでしょう。しかし、外に対しては閉じています。

☆文科省主導の≪学校文化の系譜≫はこのことを理解しないで、せっかく仲間だけでもオープンになっているのに、抑圧して仲間同士で閉じた関係というコミュニケーションを作り出してしまったのです。子どもたちが学校文化の水面下に≪アキバ文化の系譜≫を持ち込むのは当然の力学、市場原理なのです。そして、それを発見した教師が再び超自我の名のもとに抑圧します。恐怖とストレスで煮えたぎっている密室がときとして爆発しているのが現状の凄惨な事件の背景です。

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2008年問題<05>

2008年問題<04>のつづきです。森川嘉一郎さんは、こうも述べています。

日本中の都市が個性を失い、均質化されてしまっていると指摘されて久しい。あらゆるものを相対化する資本というものの性格が、コマーシャリズムとともに、歴史に根差した街の貌(かお)をことごとく塗りつぶしたのである。ところが秋葉原では、旧来場所の固有性を決定してきた諸構造とはまったく異なる仕組みで、自然発生的に、新たな個性を街が獲得し始めたのである。

☆ここには官主導、そしてそれにぶらさがってきた古いタイプの企業が作ってきたオールドモダンの都市とは違って、ポストモダンのアキバがあると置き換えられます。官主導は、海外ものまね指向で、アキバは個性的な独自指向ということでしょう。

☆官主導ではないポストモダンな企業としては、ディズニーに傾倒する企業ですね。官主導の文化こそ、≪学校文化の系譜≫です。そして官主導にぶらさがってきた企業を批判するのは私立学校ですね。しかし私立学校はすべての企業を批判するわけではないのです。≪ディズニー文化の系譜≫の延長上にある企業に対しては、ある程度寛容です。しかし、完全に受け入れるわけではありません。

☆なぜなら≪ディズニー文化の系譜≫は、feel-goodに反するものは排除するからです。おもしろくないことや嫌なことには目を背ける傾向にあるからです。なんでもポジティブ・シンキングでいくわけにはいかないのです。しかし、アメリカという空間においてはそれでなければダメなんですね。

☆≪アキバ文化の系譜≫が≪私学文化の系譜≫と重なるところは、そこの部分です。ネガティブな要素を排除しないのですから。ここは≪学校文化の系譜≫とは決定的に違うところです。だから、私学という法人の形をとっているところでも、≪アキバ文化の系譜≫とこの点で明確に違うところは、≪私学文化の系譜≫には属さないのです。学校の設置者が違うだけで、発想法は公立学校という私学もあります。どうしようもありませんが・・・。

☆≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫の共通点は、官主導の文化から排除される人や文化を抱え込むところなのですが、≪私学文化の系譜≫系の学校でも、教育心理学に支配されている学校は、≪アキバ文化の系譜≫のような人間の性的要素を取り扱う際に、混乱をきたします。

☆≪学校文化の系譜≫や官主導の発想では、これは簡単です。排除して抑圧すればよいのです。超自我の復権というのが、この文脈ででてきますが、完全にフロイト主義です。河合隼雄さんのユング派というソフトなフロイト主義に日本の教育心理学は支配されてきたことからもそれはわかりますね。河合隼雄さんは尊敬すべき見識者ですが、神ではありません。昨年お亡くなりになりました。冥福を祈っていますが、ある意味このフロイト主義から教育が解放される転機だとも思いますが、どうでしょうか。

☆いずれにしても、≪ディズニー文化の系譜≫も根本はフロイト主義です。無意識の世界、特に性的な要素は完全に排除する、森川さんの言葉で言うと「衛生化の徹底」です。ただし、官主導の≪学校文化の系譜≫と徹底的に違うところは、権威や権力によるコントロールではなく、環境設定型コントロールで、権威や権力は微分化されていて気付かないような仕掛けになっています。

☆ここが決定的に≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫と違うところです。≪ディズニー文化の系譜≫はオールドモダンな官主導の≪学校文化の系譜≫に対してはフラット化は進んでいますが、それは権力を排除しているわけではないのですね。これこそまさにオールドモダンに対するポストモダンでしょう。

☆どうやら≪アキバ文化の系譜≫と≪私学文化の系譜≫はポストモダンには与しないようですね。にもかかわらず、一般には≪アキバ文化の系譜≫はポストモダンだと思われているし、≪私学文化の系譜≫は≪学校文化の系譜≫と同じだと思われています。

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2008年問題<04>

2008年問題<03>のつづきです。≪学校文化の系譜≫、≪私学文化の系譜≫、≪ディズニー文化の系譜≫、≪アキバ文化の系譜≫を見ていくことで、ポストモダン的な文化の浸透という時代認識は違うのではないか、むしろガタリの言うカオスモーズという時代認識が2008年の出発点ではないだろうかという仮説を立てたいと思っています。

☆Web2.0などもポストモダンの文脈で語られている可能性がありますが、はたしてそうでしょうか。多くのラブコメがドラマ化されテレビで実写されていますね。年末から正月にかけて「ごくせん」や「のだめ」の総集編をやっていましたが、原作はマンガです。

☆とくに「のだめ」の背景の空間は、あの洗足学園です。キャンパスのほとんどが洗足学園です。≪私学文化の系譜≫と≪アキバ文化≫のある意味親和関係がなされている典型例です。ここからも≪私学文化の系譜≫も≪アキバ文化の系譜≫もポストモダンの流れとはちょっと違うのではという気づきが生まれます。この気づきは直観的なものでしかありませんから、どこかで再考できればと思っています。

☆今回は森川嘉一郎さんの「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」(幻冬舎2003年)をヒントに考えてみるということでした。話題をそこに戻しましょう。森川さんの目の付けどころは、都市空間に趣味が露出しているじゃないかというところにあります。

☆マンガやアニメのキャラクターが、路上や広告で、街を埋め尽くしています。テレビも同じです。電車の中もそうですね。この現象の集合体が今では≪アキバ文化≫として秋葉原にあるということなのですね。だから都市は「趣都」化しているよと。

☆森川さんが≪アキバ文化≫と比較するのが≪ディズニー文化≫なんですね。もともとディズニーのマンガやアニメを日本流儀に変容させていったのが手塚治虫という設定ですから、ここに両文化の差異を見出そうとするのはとっても自然なんですね。しかし、ここが危ういのです。東さんや北田さんは思想家ですから、ポストモダンを単純にオールドモダンの次に生まれたという歴史順序的にとらえることは慎重に回避します。

☆しかし、現代思想を自分なりに読解している見識者は別として、自分の専門領域を持っているという意味での見識者は、ポストモダンの系譜学的読解をふだんからしているわけではないので、歴史的連続性を根拠とします。しかし、ディズニーと手塚治虫に歴史的連続性はあるのでしょうか。同時代性という意味ではそうかもしれません。あるいは影響力という意味でそうかもしれません。しかし継承という意味では違うでしょう。だから差異があるわけです。

☆森川さんのものの見方に話を戻しましょう。森川さんは日本の文化趣味には2つあるとしています。1つは「海外志向の構造」で、遣隋使以来続いた外国の文化を権威として指向するあり方です。これによって「上位文化に染まる趣味」が形成されるのです。鹿鳴館なんてのはこのあり方の象徴ですね。

☆もう一つは「オタク趣味の構造」で、森川さんの文章を引用すると、

ディズニーはセルアニメによって、ヨーロッパの童話を徹底して衛生化した。ヨーロッパという上位文化を、自らの趣味に同化させるべく加工したのである。そして戦後のアメリカと日本の階層関係の下、今度は手塚治虫がディズニーアニメを染めた。ディズニーが衛生化に使ったまさにそのセル画の肌具合いの中に、幼女的エロティシズムを見出すことによって。この手塚によるディズニーの変換の延長線上に、オタク趣味は位置している。ポルノ化はパロディの手段なのである。(同書13ページ)

☆271ページもの大著ですが、モチーフはここに集約されています。ここに日本のオリジナリティという正しい理解としかしそのオリジティナリティがディズニー文化の掌の上でころがされているという錯覚が入り込む余地をつくってしまっています。

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2008年問題<03>

2008年問題<02>のつづきです。時代認識について考えているのですが、時代認識を誰がしているのかというと、現状では見識者やマスコミ、そしてそれをマーケティングしている企業人がしているのです。大きな物語は消失し、国家→企業→個として言動の主体は移行しているというシナリオは、もちろん生活世界の中から生まれていて、それを見識者、マスコミ、企業が、そのニーズの論理を後付けしているということになっているのですが、鶏が先か卵か先か実のところ不確定です。

☆おそらくどちらが先か論じるには相当な歴史の情報をリサーチしなければならないので、そんな力も余裕もない私には無理な話です。歴史的事実をたどることはそれこそ研究者に任せて、結局「系譜学」的アプローチでなんとかいくしかないのです。

☆学校文化の系譜、私立学校の文化の系譜、ディズニー文化の系譜、アキバ文化の系譜といった具合に・・・。しかし、これは系譜なのか、マックス・ウェーバー的なタイプ論なのか、これまた難しくてわかりません。

☆結局それぞれの系譜を理論づけている代表的な著者の考え方を批判分析することぐらいしかできないのです。学校文化の系譜を代表しているのは、ある意味文科省と東大教育学部ですね。

☆私立学校文化の系譜を代表しているのは、なんとそれぞれの学校で、1つに管理されたり、集約されたりしたものはありません。それゆえどのように網掛けするかは、これからですが、今回はフェリックス・ガタリの「エコゾフィーの実践と主観的都市の復興」という遺稿(1992年)をヒントにしたいと思います。ガタリのアンチ・フロイト主義や精神と社会と自然の3つのエコロジーを横断するカオスモーズの考え方は、私立学校の系譜と重なるところが多いからです。ガタリは現代思想家に位置付けられますが、ポストモダンに与しませんし。

☆ディズニー文化の系譜やアキバ文化の系譜については、あまりに多くの人々が論じていますが、それらを鳥瞰でき、かつ通説を組み立て、ポストモダンを解説する枠組みを作り上げたのは、1971年生まれの3人―森川嘉一郎さん、東浩紀さん、北田暁大さん―でしょう。森川さんの中等教育時代はイギリスやオーストラリア、大学・院時代は早稲田。東さんは、日能研渋谷校→筑駒→東大。北田さんは、聖光→東大。いわゆる公立学校文化から少しズレているところが、おもしろい視点につながっています。

☆名門校の条件を考えるヒントを与えてくれた鈴木祐介さん(今春ベストセラー「名門校人脈」に続く書を出版する予定とか。楽しみです)のお話を聞きながら、3人のおもしろさに気づきました。

☆3人は、それぞれの立場で、たんにポストモダンの歴史的文脈や輪郭を描くだけではなく、そこに生きる人々の考え方や感じ方まで分析しています。東さんに至っては、考え方や感じ方のプロセスや構造まで分析しています。ICTやオタクの環境情報の中で、それらが具体的にどんな脳内プロセスを構築していくのか、その構築された情報のやりとりがどのようになされ、さらにその情報がどのように再生いや再構築いや脱構築されていくのかその過程を分析したりまでしています。

☆ですから、かなりその構想力は、若い人たちの考え方や感じ方に影響力がありますね。しかし、それは本当にナノレベルのミクロの世界とあまりにいまここでのリアルな日常化した世界の分析がゆえに、私の頭ではついていけないですね。東さんの理解については海城の中田先生や駒東の佐藤先生、それから鈴木さんにお話を聞いたことがあります。したがって東論は先生方と鈴木さんにお任せして、今回は森川嘉一郎さんの「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」(幻冬舎2003年)をヒントに考えてみましょう。

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2008年問題<02>

2008年問題<01>のつづきです。今年は現象的には、京都議定書の約束期間を迎えます。ポーランドでCOP14 が開催されます。洞爺湖サミットがあります。北京オリンピックがあります。ロシア大統領選、アメリカ大統領選があります。韓国では李明博新大統領が就任します。東京ディズニーランドは開園25周年を迎えます。

☆テクニカルにはわかりませんが、このようなイベントを日本がイニシアチブをとってやれるわけではないので、専門家が言っているように、円高になる気配はないですね。円高にならないと、とりあえず、自動車産業が活況を帯びます。産業資本に投資が進み、金融資本やクリエイティブ資本、社会関係(これは実はコミュニケーションスタイルがポイント)資本にリスク分散されませんから、どんなに生産量を海外で増やしても、生産性はあがらない、つまりGDPはまたまた転落ということになります。

☆現象面から見ていても2008年問題は語れるのですが、ポイントはこの現象をネガティブに見ることしかできない日本の思想界・専門家のものの見方がもう1つの大きな2008年問題なのです。

☆たとえば、この現象をポストモダン的に解釈すると、大きな物語は終焉したから、国家の威信を、日本は失ったのだ。個人の判断で横断的にクオリティ・ライフを楽しめる時代がきた。日本の国はスーパーフラット化したんだ。個人の判断といっても、それは趣味。自分の興味と関心のあること以外には無関心という、趣味でライフ・スタイルを作っていこうとしている・・・。とかなんとかなるわけです。

☆その趣味の象徴が、キャラクター、コミック、ゲーム、モバイル、アニメ、パソコンなどなどということになります。そして森川嘉一郎さん(1971年生まれ)は、そのような象徴でいろどられた都市を「趣都」と表現しました。

☆たしかに、電車に乗れば明らかですね。大人もマンガを読んでいるし、年配の人もDSをやっているし、四方八方の人々がモバイルでメールをやり取りしている光景は、日常の風景です。

☆この風景に対し、モラルハザードとして、ポストモダンに対し道徳や徳育を持ち出しているのが学校文化です。徳育の教科化まで持ち出しているほどです。しかし、何かとらえ方が違うのですね。政府側も徳育の教科化を実行できないでいます。

☆電車は、アキバ文化の分身です。電車吊り広告は、まさにミニアキバの雰囲気です。渋谷と秋葉原は違うというのも確かですが、小さな差異を結ぶ横断的な電車は、すべての都市に共通する文化を載せて、日本の文化を地下にリゾームとして形成しています。

☆そしてそこから成長した現代日本文化典型の大輪の花が秋葉原の電脳原野に咲いたのです。大輪の花は、やがて実を結び、日本にやってきた韓国人・中国人に運ばれ、アジアの地でも開花しています。地下鉄網で首都圏は「趣都」化し、自由貿易という法整備のおかげで、フランスやフィンランド、もちろん米国でも開花しています。

☆しかし、なんといってもアキバ文化のエイジェントは中高生。モバイルフォーンのメールや写メールで寸暇を惜しんでコミュニケーションして学校文化の基礎を実はアキバ化しています。ところが学校当局は、この現象を即モラルハザードとしかとらえないから、日本で起きている現象をネガティブファンタジー化してしまうのですね。

☆これに対し1971年前後生まれの専門家や見識者(森川嘉一郎さん、東浩紀さん、北田暁大さんらなど)は、アキバ現象をポストモダンの典型として思いきり承認します。ただし、そうでありながら、専門家や見識者は、ネガティブなんですね。途中から公共的正義論を持ち出して、ポストモダンを修正しようということになってしまいます。専門家や見識者は、アイロニーというレトリックを使わなければならないという超自我が作動しているみたいに、斜に構えるのです。

☆無批判で手放しのリベラリズムなんてという前提というか大きな枠組みがあるものだから、どんなにおもしろい分析や解釈も、結論にいたるや興ざめすることになります。結局学校文化に包摂されてしまうのです。ポストモダンの流れは押しとどめることなどできないけれど、なんとかしなくてはという学校文化に。そしてこの学校文化こそ、日本社会のシステムの原点なのです。日本社会システム生産工場なのです。私立学校の一部が明治以来、公立学校と違うもう一つの近代、オールドモダンでもポストモダンでもないアドバンスモダンを模索してきたのは、歴史的にきわめて重要なポジションを占めているわけです。

☆私立学校の選択問題には、こういう未来のビジョンを選択する意志決定要素があるのですが、そこまで意識して学校選択はなされていないし、その必要もありません。選択肢として歴史の中で存在し続けてきたこと、これからも存在し続けることが、市場の原理からみて、重要なのです。見えざる手が働く環境があることがポイントなのです。

☆アキバ文化も日本社会のシステムを生産する1つの選択肢ですが、それを承認するしないにかかわらず、アキバ文化がアキバ文化として機能する環境整備はまだまだ不十分です。カオスモーズにはなっていませんね。この言葉は、フェリックス・ガタリの創造したキーワードで、カオス(混沌)とコスモス(秩序)とオスモーズ(浸透)の融合態を意味します。アキバ文化はまだカオスという機能しか認められていません。

☆スーパーフラットというコンテンポラリーアートを生み出した村上隆さんが、ニューヨークを拠点にし、秋葉原を拠点に活躍できていないことからもわかります。まだまだアキバ文化はクリエイティブ資本としてグローバリゼーションに耐えられるだけのカオスモーズに成長していないところが2008年問題の端緒です。

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2008年問題<01>

☆ここのところ「2008年を首都圏私立中学受験から見る[01]」というエッセイを書いています。5回目までで抽象的な問題を、さしあたりまとめることができたと思います。

①学校選択にあたり、もはや投資型判断か消費型判断かによって、意思決定がなされているわけではないのではないか。

②投資といってもシグナル理論や人的資本だけでもうまく説明できないのではないか。

③内生的成長理論や外部経済の要因を加えても釈然としない。それは、パラダイムや前提が20世紀型人材論で、21世紀型人材論に拡大されていないからではないか。

Photo ☆このように、仮説をまとめてみましたが、結局、時代認識とかパラダイムとか背景とかいう土台の部分を検討しないで、判断基準を見定めようとしても、それは無理だという当り前のところに立ち戻ったわけなのです。

☆教育、特に首都圏の私立中学受験という現象は、良かれ悪しかれ、日本の政治・文化・経済などの未来が最も希求されている場です。この場で受験生や保護者、教師、塾などのステイクホルダーがどのような言動をとるのか、その現象を分析することによって、日本の抱えている問題の本質とその解決策を講じることができるはずです。

☆それなのに、従来は私立中高一貫校をシグナル理論という名のレッテル貼りや20世紀型の人的資本論といいいながら、教育にお金をどれだけかけているかというイビツナ見方だけで把握してきたため、大学進学実績や偏差値というスコアに依存する分析しかされてこなかったのです。

☆そのため、OECD/PISA、GDP、食生活、健康生活、建築空間生活、人口問題、平和問題といったクオリティ・ライフを形成する条件が悪化したり詐称されたりしているにもかかわらず、ネガティブな雰囲気を一掃できないでいるのです。すべてのスコアが右肩下がり、あるいは基準を満たしていないどうしよう。そうだ学力をアップすればよい!しかし学力アップの方法は従来のままだから、沼にはまった自分の体を、自分の髪の毛をひっぱって抜けだそうとしているようなもので、悪循環・・・。いったいどうしたらよいのかという暗い雰囲気が新年を迎えても漂っています。

☆この雰囲気を一掃するためには、時代認識の誤謬性がどのくらいなのか考えてみる必要がありますね。この時代認識は、ポストモダンという認識ですが、どうやらそれは誤謬性の度合いが高いのではないでしょうか。

☆今日の日本の現状をポストモダンだと見ている人は大変多いし、教育に大きな発言力を持っている東大出身の見識者はたいていこの立場です。そしてその仲間たちもそうですね。そのポストモダンの象徴は、教育にはおよそ関係ないと思われているアキバ文化。しかし、その実態は学校そのものの文化とかなり重なる空間です。それゆえ現象的にはポストモダンなのでしょうが。。。

☆マンガやアニメ、キャラクター、パソコン、モバイル、ゲームなどの道具文化を学校はどのように対応したら良いのか日々考えているぐらい、学校で子どもたちは教師以上に、これらの道具を軽やかに使いこなしています。

☆学校では、教師と生徒との間で、葛藤もありつつ認めざるを得ないというジレンマ状況が普通の風景なのでしょうが、かといって、学校生活の中で、これらの道具を無視することはもはやできません。企業は、学校に比べかなりセキュリティのビジョンがはっきりしているし、就業規則やコンプライアンスのアグリメントなどで規制ができています。

☆ところが学校は、きめ細かなルールを作れないので、許可するかしないかの二者択一か、全面的に認めてしまうかどちらかというのが現状でしょう。法律というより道徳で対処しようとしますからなおさらです。学校の法化現象が増えているところからも、学校の対応のまずさがわかります。

☆家庭は父親の影響はかなり大きいので、企業と同じような状況になっているところが多いと思います。もっとも契約とかによってではなく、父親の考え方とか方針とかいうもので規制されます。それこそが家庭内で紛糾する原因でもありますが。

☆さて、家庭、学校、企業では、これらの道具は結果的に規制を被るのですが、アキバにおいては、比較的その規制はないわけです。この規制が相対的にないアキバを家庭や学校、企業がどう見るかが、日本の現状の時代に認識になるのです。そしてこれが誤っていたとしたら、家庭も学校も企業も、葛藤やルール付の舵を取り直さなければならないのです。この舵取りの見直しが、2008年問題です。学校はアキバ文化をどうとらえるのか。見識者はどうとらえるのか考えていきたいと思います。

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