首都圏 中学受験 2008 [54]
☆2008年中学入試も後半に入ってきました。それとともに、各塾の合格者数もサイトで公表され始めましたね。日能研とSAPIXのいわゆる塾業界で言われている「難関10校」と「御三家」の合格者数の比較表を作ってみました。一目瞭然、両塾で、これらの学校の定員に占める割合であるシェアは50%をはるかに超えているのです。この意味をつれづれなるままに・・・。
☆「難関10校」とは、15、6年前に日能研が掲げた戦略の名残です。当時は日能研はまだまだ神奈川で強い塾というイメージでした。東京は、桐杏学院、国立学院(今のENAの前身)、TAP(SAPIXはここから枝分かれ)、何といっても、テスト会の四谷大塚が拮抗していました。
☆ですから、いわゆる「御三家」で比較すると、経営上うまくいかないわけです。かといって、当時日能研からたくさん合格していた麻布や栄光、聖光、フェリス、慶応普通部で比較してどうだと言ってみたどころで、栄光に合格する生徒が麻布に合格しただけで、神奈川エリアで強い塾というローカル塾を脱することができなかったのですね。
☆もともとは、今から22、3年前に麻布が、2月1日・2日両日入試を1日のみにしたのが、日能研を首都圏全域に進出させる大きな誘因となりました。もともと慶応普通部、栄光に入学させる塾だったのですが、麻布―栄光という併願ラインが組めたわけですから。このとき二代目の今の高木代表が、跡目相続^^;をしたわけです。同時に大型コンピュータ戦略も始めたわけです。ビジネスチャンスに機微だったと思います。当然コンピュータ戦略は情報戦略でもありますから、情報センターも設立。ここから中学受験のマーケットをいかに日能研流儀(日本を救う教育拠点私学をいかに応援するか、それが結果的に輝く目を持つこどもたちを救うことになるという信念)に仕上げていくか社内全体が大きなベクトルに向かっていくことになりました。
☆そのためにも神奈川エリアの塾から首都圏そして全国全域の塾に拡大しなければならなかったのですね。高木代表以前は、日能研は合格販売株式会社という異名を自ら語っていたわけですが、それでは、教育をサポートする役割を担えないのですね。そこでコンピュータのDB作成によって、テスト測定学と入試情報(当時は噂情報が中学受験のマーケットを怪しいものにしていましたから)を普遍化していく戦略を実行していきました。
☆全国の日能研教室を使って、全国学力調査テストもとっくにやっていましたよ。そのレポートは毎年立派なもので、臆面もなく私立学校に送りつけていました。アカデミックに私学の門をたたき、門前払いもくらいましたね。しかし、当時の情報センター所長は、メディアを使って、私学の使命や市場開放性を筆圧で攻めました。ほとんどデマゴーグ^^)でしたが、効き目というか影響力はありました。麻布の数年後開成も両日入試をやめます。ただし、開成は麻布との関係でそうするかどうか決断したのであって、日能研の情報センターに知恵などは借りていないという慎重な作戦で動きました。だから、結果的に時期が遅れました。
☆しかし、それが当時の情報センター所長と教務次長ともちろん今の高木代表のねらいだったのでしょう。当時の日能研にとっては、時間が必要だったのです。開成―栄光の併願ラインがすぐにできると、麻布の合格者が開成受験にシフトしてバランスが崩れて、首都圏進出の足がかりを失うことになるのですから。
☆首都圏では神奈川の日能研から麻布の日能研へとまずはイメージシフトし、生徒を確保しつつ、首都圏の日能研にチェンジしていこうという戦略のためには、開成が両日入試をやめることがポイントでした。ただし、開成がその動きにでるのは、市場の原理からいって明らかだったのです。神奈川の優秀生が麻布―栄光―浅野ラインで堰きとめられて開成にこなくなるのが学内で問題になるのは想定しやすかったですから。
☆だから、その時期を少しずらして欲しかったのです。開成というレベルの学校は、田舎塾の言うことなんかに耳を傾けるはずはないですから、煽れば時期をずらしてくるはずだと予想したのでしょう。
☆この時間稼ぎの間に、開成に合格する秘策を練りました。実戦レベルでは、24年ぐらい前の塾間の市場競争で有名な(?)津田沼戦争で力をつけた日能研津田沼校が中心に開成合格者を出すノウハウをつけていきました。教務のシンクタンクでは、カリキュラムの大改訂を行い、「授業―テスト―評価―面談」サイクルと「4年―五年―六年の序・破・急急」というダイナミックプログラムを開発していきました。
☆そして、開成が両日入試を2月1日にシフトしたときから数年もたたないうちに実行したのが「600作戦」です。2月1日校の中から、御三家ではまだ勝てないので、「難関10校」というデファクト・スタンダードをつくってしまおうという戦略です。当時開成合格者数は25名までは達成していましたが、倍増しなくては首都圏進出のインパクトはないと考えていました。
☆しかしながら、開成だけではだめだったのです。全社が取り組める求心力あるかつ効果的なプランが必要だったのです。日能研の教室長は、基本的に1人ひとりの生徒の受験戦略のサポートをします。ですから、開成だけのためには動かないのです。今も合格がなかなか決まらない生徒のケアと朝の応援に奔走しています。彼らには偏差値は関係ないのです。外から見ていると、不思議でしょう。しかし、それが逆説的なんだけれど、日能研の伝統です。おそらくあれだけの生徒数をかかえているのに合格率はどこの塾にも負けないですね。それだけ、私立中高一貫校全体を教育拠点だと信じているわけです。そこが日能研の強みであり弱みでもあるのかもしれませんが。
☆ともあれ、そこで、「難関10校」に600人合格という目標を掲げました。10校総定員数のシェア25%をまずは超えることが目標ということになったのです。これは初回からは達成できませんでしたが、まずは麻布の合格者を減らさずに、開成の合格者を50名ぴったり、つまり予定通り倍増することはできました。ちなみに私はそのときの開成プロジェクトチームのメンバーの一人でした・・・。
☆しかし、この「600作戦」は両刃の剣です。パラドックスやジレンマがあります。シェアを30%ぐらいにしておかないと、日能研は成立しないのですね。今年の結果で、開成と桜蔭に関してはSAPIXに相当やられましたが、全体としては当時の戦略が良い形で、受け継がれています。それに、来年は、日能研もさすがに黙っていないでしょう。
☆でも大事なことは、日能研にとって、「難関10校」だけが私立中高一貫校ではないということです。子ども1人ひとりにとってクオリティスクールはどこか、子どもと保護者といっしょに考え、今も続く中学受験で、子どもたちを支えています。それは外から見ていただけでは、なかなか理解し難い支援行為だと思います。この支援行為を純粋に取り出すと、世界の痛みも癒すことができるかもしれません。中学受験の文化の中で生まれたその部分の普遍化が貴重なリソースだと思うのは、教育のパラドックスかもしれませんが、このパラドックスの解を出さない限り、日本の教育の未来は見えてこないと感じるのは、私だけでしょうか。
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