学び野[21]共立の表現教育の媒介性
☆この時期になると共立女子の渡辺教頭先生からいただく作品集があります。「ともだち」という同校の中学の文集プログラムの成果です。読むたびに共立女子の表現教育のベースが問答スタイルであることがわかります。
☆同校の教育の基礎は自問自答と対話の統合です。最初は豊かな体験から直観的に受け入れた知識。それが自問自答と他者との対話の中で、現実と一致し、知識の広がりが生まれます。あるいは深まります。自問自答によって知識を表現する言葉を拓いていきます。そのプロセスの1つの成果が「ともだち」です。やがて、豊かになった知識は、新たな現実を逆に創りだすことにすらなるでしょう。
☆文集の表紙は、美術の時間に描かれた想定自画像です。体験の中のリアルな自分でも、体験を通して成長してしまった自分でもなく、その間にあって、どちらの方向へ進むべきか、何をすべきか、自分の壁は何かなど自問自答しているプロセスの間の自画像です。渡辺教頭先生なら、物象化された自分ではなく、関係総体をあれこれつなごうとしている自分とでも言うでしょうか。ともあれ、言葉の知性と美学的空間が交差するプログラムが共立女子では創意工夫されているのです。
☆笹山久さんの「四万十川―あつよしの夏」の読書感想文を中学1年生が書いていますが、まさにこの美学的空間と言葉の知性が内的連関を働かせていることがわかる作品です。幼いころにあつよしは大蛇を見た→いつしかあつよしは大蛇が自分の内にいることに気づきはじめる→父親との対話との中で「何もせんがじゃ、何も変わらんし」という言葉にはっとする。→大蛇は遠くにしか見えず、自信が前面にでてくるという流れを書いています。
☆そしてその中1の生徒は、自分の中にいる大蛇と重ねます。あつよしと自分のそれぞれのレイアーのシフトと同期をとる多重構造の意識の豊かさに驚かされます。
☆平野英雄校長先生は、その巻頭言でこう語ります。
私たちは先人たちの教えをまず知識として学びます。しかし、どんなにそれが豊富でも、社会の中で有用な働きができるとは限りません。状況をくみ取って知識を生かし、的確な判断ができる力が必要です。そして、それに基づいて、例えどんなに困難な状況であっても正しい方向に向かわせる実行力があれば、社会はよくなっていくものです。この各段階を、知識、見識、肝識と言うようです。
☆この段階は、体験→媒介項→経験値の段階にも重なります。共立女子の教育は、体験<経験値という変化が生まれる媒介項が設計されているのです。
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