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2008年3月

世界を変える学校[05] 海城学園③

世界を変える学校[04] 海城学園②のつづきです。】

☆「海城中 社会科 卒業論文集 第14集 2007年度」で、中田先生が書かれている「序」を読み進みましょう。

②の結果(設問別得点率を見たとき、例えば「読解力」を問う問題であれば、OECDが設定する難易度レベル最難のレベル5に当たる「批評的思考力(クリティカル・シンキングの能力)」を測る設問の得点率)が示していることは何か。それはすなわち、日本の子供たちはテキスト(グラフや図表などの非文字型テキストも含む)から情報を正確に読み取る能力を(上記基準でレベル1~4に当たる)はそこそこあるが、それについて考え、自分なりの意見をまとめ、表現する能力や意欲に欠けているということです。しかし、経済がグローバル化し、社会の成熟化が進むこれからの時代において最も要請される能力は、実はこの日本の子供たちが不得手とする能力なのです。

☆中田先生が「世界を変える知性」を明確にしている箇所ですが、先生の視点が最前線のものであることがわかりますか。知識だけじゃダメだ、思考力や表現力が大事だよという言い方をしていないというところですね。

☆OECD/PISAは、世界の国々の生徒が解くわけですから、知識は最小かつ共通するものだけしか使わないのですね。ですから、レベルが1だろうが5だろうが、みな思考力や表現力を使うのです。

☆日本の教育は知識ベースだから、大量の知識とレベル3ぐらいまでの思考力と表現力で満足してきたわけです。中田先生は、そのことを語られているのです。これからの世界では、レベル4や5の思考力や表現力が必要とされているのだと。

☆ところが東大の入試問題でも、思考力や表現力の問題レベルはせいぜい4レベルなのです。日本の優秀生といえば、情報の収集、整理まではたいへん有能だけれど、新しい分析視点やクリティカル・シンキングはトレーニングされていないのです。まさに官僚の能力としては最適ですね。

☆クリティカル・シンキングというのは、批判的あるいは批評的思考ということになっているのですけれど、選択の意思決定思考という意味も背景にあります。もうわかりますね。学校選択から政策選択から職業選択から、何から何まで、日本人は必要とされていなかった、ベルリンの壁が崩れ、バブルがはじけ、それではいかんといういことに、最近気づいたわけです。しかし、フィンランドなどの東西ヨーロッパに挟まれた国、しかも人口が600万人いない国にあっては、市民一人ひとりが、常に選択に迫られてきたわけです。クリティカル・シンキングがすべての市民に必要だったのですね。

☆日本も国民みんなで選択しなければならない局面にぶつかっていますが、もはや大きな物語は失われています。国が面倒をみてくれることはないのです。だから、海城学園のような「世界を変える学校」を選択する視点が肝要なのですね。

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世界を変える学校[04] 海城学園②

世界を変える学校[03] 海城学園①】のつづきです。

☆今回も「海城中 社会科 卒業論文集 第14集 2007年度」で、中田先生が書かれている「序」を読んでみましょう。

さて、昨年の12月上旬、一昨年の(2006年)OECD(経済協力開発機構)が実施した第三回PISA(学習到達度調査)の結果が発表されました。残念ながら、日本は「読解力」、「数学」、「科学」の全ての分野で前回よりも順位を落としてしまいました。このうち「読解力」については、発表時の「PISAショック」が走った3年前の順位の14位からさらに一段落ちる15位でした。どうして、このような結果に終わってしまったのか。その後様々な分析が出されましたが、その中で確かなこととして見えてきたことは次の二点です。①得点者分布を見たとき、日本は得点下位の層が成績上位の国に比べ厚くなっている②設問別得点率を見たとき、例えば「読解力」を問う問題であれば、OECDが設定する難易度レベル最難のレベル5に当たる「批評的思考力(クリティカル・シンキングの能力)」を測る設問の得点率が日本の場合特に低い。(この点に関しては私も触れたエッセイがあります。→「PISA2006結果から[02]10歳の壁を乗り越えるために」)①については取り敢えず措き、ここでは②の傾向について言及したいと思います。

☆この後をすぐに読みたくなるでしょうが、ちょっとお待ちください。この箇所に、はやくも海城の教師がいかに「世界を変える学校」たらしめる視点を持っているかが表れています。

☆意外にも、私立学校の教師の中には、OECD/PISAの問題を見て、なんだ易しいじゃないか、これでは大学入試には役にたたないと吐き捨てるように言う方もいるのですね。そういう考え方の先生は、中田先生の指摘されている①の得点にのみ興味と関心があるのだと思います。②のような観点はなかなか持てないようです。

☆ところが、中田先生は、考え方のレベルを把握されているんですね。おそらく生徒たちと対話しながら、この生徒は偏差値や得点力がどのくらいだというだけではなく、どこまで考えられるのか、表現できるのかを把握されているのです。だから、ここを突破すれば、思考や表現を次のステージにジャンプできるなという実感を持てるのです。

☆そのような観点は、一般の日本の教師の場合だと奥義や秘儀ですし、体験によって無意識のうちに身に付いた、いわば芸です。ところが中田先生は、学内の先生方と議論し、そこをプログラム化し、見える化するわけです。「卒業論文集」のプログラムもその一つですね。思考や表現の能力をアップさせるための細かいステージをしりつくし、共有しているから、海城のすべての生徒が論文編集に取り組むことができるし、14年も学校全体で継承できるのです。

☆どこの学校でも、私立学校の場合は特に、「世界を変える教師」の一人や二人はいるでしょう。しかし、それではダメなのです。すべての教師が一丸となって、取り組まねばなりません。それには方法論以上に、1人ひとりの生徒の思考や表現の能力の状態を見極め、1人ひとりに適切なアドバイスができる必要があります。これを本当の評価というのでしょう。

☆そのモデルがOECD/PISAなのです。どんな問題か興味はありますが、それ以前に問題というのは問いかけです。それぞれの生徒の思考や表現の能力を高めるための問いかけはいかにして可能なのかを探求しているのがPISAプログラムです。その真意を見抜ける教師集団が形成されているのが海城学園なのですね。

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08 東大合格発表の季節[11]

☆3月22日に東大後期試験の合格発表があり、今年の大学入試もほぼ終了です。世の中は春休みに入っているし、桜もすでに開花。しかし、私立中高一貫校の先生方は入学式に向け、準備で忙しいことでしょう。

☆サンデー毎日(2008年4月6日号)には、東大の前期と後期の両方の合格判明分をまとめているので、それを活用して、前回公表した表を更新しました。

08 ☆武蔵の合格発表数も掲載されているので、改めて表にして公開しておきますね。それにしても、武蔵の東大合格者の減り方はすごいなぁ。学内で何かあったのか、それとも2000年前後から、武蔵に大量に合格者をだしていた塾の学習指導会の経営が紆余曲折したからなのかはわかりません。

☆いずれにしても、武蔵自体はオープンな学校ではなかったので、塾とのつながりも、学習指導会以外にはなかったのでしょうね。塾を教育的立場から歓迎していなかったのでしょうが、学習指導会だけはしかたがなかった・・・。創業者が武蔵出身だったのですから。

☆教育的立場からの塾批判は賛否両論あるでしょうが、私立中学受験のマーケットは、公立の小学校ではなく、中学受験塾なのですね。ですから、マーケティング的には、おさえておかなければならなかったわけですが、それができなかった学内の戦略不全症候群があったのでしょう。

☆もちろん、東大だけが進路の道ではないですから、クリエイティビティを養う環境が持続していれば、それはそれでよいわけです。とにかく武蔵はなんらかの路線変更を迫られていることは確かです。

☆入試問題がとてもおもしろいのですが、テスト測定学的には、偏差値53以上の差がつきにくい問題なんですね。だから、それを逆手にとる塾が学習指導会の衰退とともにあらわれたわけです。開成、麻布、武蔵の受験生の特徴をよくつかんで、振り分けをするのですね。塾にしてみれば、偏差値なんて関係なく武蔵に受かる生徒がいればそれでよいのです。偏差値の高い生徒はなるべく開成や麻布を受けてもらうという仕掛けをするのです。

☆東大の後期試験なんかも、実は武蔵と同様の可能性がある。しかし、センター試験で基礎学力は担保しているわけで、才能はあるけれど実効性に欠ける学生は選抜でふるいにかけられるわけです。

☆基礎学力(知識)と思考力のバランスが悪いと、武蔵のようになる可能性はあるわけですね。そのへんは、開成、麻布、海城、筑駒はバランスが良い。しかし、このバランスが悪い武蔵には、一条の光というか期待可能性があります。勤労勤勉でなく、働かず遊ぶ才能に長けている、それでいて世界の舞台ではじけることができるなんて人材が生まれる可能性があるからです。

☆武蔵の生徒は、東大を前提にしないで生きていける独自のパワーを持っている可能性がありますね。それは開成や麻布もそうです。しかし、東大にがんばってはいるその受験勉強の時間を自分の好きなことにすべてあててしまおうとまでは思わない生徒の方が多いのかもしれなません。ところが武蔵のハビトゥスを押し進めると、自分の好きなこと以外はやらんという極端な生徒が多くなるわけです。

☆世の中、キャリア教育だ、就活だと躍起になっています。しかし、働かないという労働のあり方もあるのですね。また何を言っているのかと叱られそうですが、日本の若者の雇用システムほど、サバイバルモードの高い先進国はないかもしれませんよ。働くということに関してこれほどハイリスク・ハイリターンになっている国はないのかもしれません。日本は金融学は学者でない人によって進化を促されています。経済学はおそらく金融学に逆転されているでしょう。

☆経済学は、市民社会の配分の正義の学ですからね、基本的には格差をいかになくすか。自由市場は、瞬間格差は生まれるけれどゼロサムですから。金融学は、実物労働以上に巨万の富を稼げるシステムです。なんのためにそこまで暴利を貪るのかわからんというぐらい教養なき富裕層が生まれています。

☆だからこそ、武蔵の生徒のように、あえてそんな環境に身を置かないという決断をするというケースもあるのではないでしょうか。実は開成や麻布にもそのような生徒がいるはずです。みんなが東大・早慶にいくわけではないですからね。そしてタレント的にはみなあるわけです。でも偏差値が足りないから東大を受験しないではなく、東大を選ばないという生徒がいるのだという事実を忘れてはならないでしょう。そして、彼らこそ、こんな日本なんてどうでもよいと思いながら、結果的に自分たちの言動が、日本を救うことになるというパラドックスを生み出してしまうのです。

☆武蔵の東大合格者の減少は、日本社会の凋落に即しているのではないかなぁ。そんなベクトルに乗らず、思いきり外れようという一見風変りな言動が、日本社会の凋落を救う言動のヒントを生み出しているのかもしれませんね。と考えてみるのもたまには必要かもしれないということでしょうか。

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世界を変える学校[03] 海城学園①

☆今春3月19日、海城中では、第7回社会科卒業論文報告会が開催されました。この出来事だけで、同学園が≪世界を変える学校≫であることがすぐに了解できます。10,000字以上の論文を作成するプロセスがいかに多くのフィールドワークとインタビューを経ているのかを想起させます。また、収集した情報の編集過程において、教師と何度も対話が織り重ねられたことでしょう。そしてそれをプレゼンテーションするというのですから、この卒業論文の媒介性の効果は絶大なはずです。

☆もちろん、多くの学校で大学入試のための小論文指導は行われているし、読書感想文などの文集も発刊されています。しかし、それだけでは≪世界を変える学校≫とは言えないのですね。林間学校、臨海学校、工場見学をいくら繰り返しても≪世界を変える学校≫とはすぐには言えないのです。

☆重要なのは、体験<経験値という効果が上がるプログラムになっているか、あるいは仕掛けになっているかということです。中には体験>経験値なんてプログラムもあります。強制的で義務的で押し付けがましく国家道徳的で、つまらないというやつですね。好奇心も開放的精神もなぜ?という疑問も生まれてこないようなプログラムもあります。それはそれなりに負の世界に誘うわけですから、世界を変えるということにはなるのでしょうが・・・。

Photo ☆さて、しばらくの間、海城中の「社会科 卒業論文集」を読み解いていきましょう。ハードカバーの立派な論文集です。装丁からして意気込みが違いますね。表紙を開くと、すぐに学年主任の中田大成先生の「序」が目に入ってきます。

☆ここでもなんて海城の学校組織が開かれているのかがわかります。一般的にはこの手の論文集の巻頭言は校長先生が書かれます。それはそれで全く問題ないのですが、ときどきKYな文章が書かれているのを目にします。

☆あっ、この論文集に校長はかかわっていないなぁ。権威として儀式として掲載されているだけだなと思われるものも結構あります。もちろん、麻布の氷上校長のように、嬉々として生徒たちの思考回遊に伴走し、自らも論を生徒にぶつけて知的遊びを楽しんでいることがわかるすばらしい巻頭言もあります。

☆いずれにしても、すでにここで≪世界を変える学校≫であるかどうかがわかってしまうのですね。権威や形式だけというのは、すでに防衛コストが高い学校であり、そんな学校に希望を持つことはできません。もちろん、権威と尊敬とは違います。

☆中田先生の「序」は感謝の言葉から始まります。

学年の生徒たち全員が三年間に亘ってひたむきに取り組んだ“学び”の一つの結晶である「卒業論文集」がここに無事刊行の運びとなりました。先ずは、直接指導に当たられた二人の社会科教員はじめ、生徒たちの取材に応じて下さった官庁や企業の方々など生徒たちの健気な取り組みに御協力いただいた全ての関係者に心よりお礼申し上げます。

☆150字ほどのセンテンスに、次のようなポイントが見え隠れしています。

①海城中の教師の生徒への温かい眼差し

②受動的勉強ではなく、自ら動く学びの環境の存在

③教師のリーダーシップとフォロワーシップの両立

④ステークホルダーへの気配り・目配り

⑤生徒の知性・感性の成長につながる変化の生成

☆①、②は、他校でもありそうですが、③、④、⑤は意外と意識されていないポイントです。このような巻頭言は、グローバルな姿勢そのものですね。こういうところに、他の学校の論文集とは似て非なる海城中の良質な教育が表れています。

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世界を変える学校[02] はじめに②

世界を変える学校[01] はじめに】の続きです。

☆方法論としては、ガードナーとOECD/PISA、フェリックス・ガタリの3者の考え方をもとに、しばらくの間≪世界を変える学校≫探しの旅にでかけたいと思います。その方法論を適用する素材ですが、「中学入試問題」と「論文集」の2点を分析していきます。その両者には、学校選択をする際の「12歳のための12の学校選択指標」がすべて内包されています。

(1) 自己実現プログラムの自覚的実行力

(2) 教師の創造的コミュニケーション能力

(3) 時代の変化への対応力

(4) 本格的論文編集指導力

(5) プログレッシブな授業構築力

(6) 総合学習と他の教育活動の有機的結合力

(7) 現地校で耐えられる英語教育力

(8) あらゆる教育活動でのIT活用力

(9) 他教科に刺激を与える芸術教育力

(10) キャリア・デザインとしての進路指導力

(11) 生徒の潜在能力を引き出す教育空間デザイン力

(12) 説明会の表現力(教育理念の具体的展開のプレゼン)

☆ですから≪世界を変える学校≫探しは、内包されているコトを外に示すコトです。そして副次的には、その外延化する過程で「学校選択」のための学校の質も見えてくるはずです。内包されているものを外示する方法論が、ガードナーとOECD/PISA、フェリックス・ガタリの3者の考え方というわけです。

☆ガードナーとOECD/PISAは究極のモダニズムですから、少し窮屈で、あまり遊びがないのですね。ときどき斜めから切り込まないと、モダニズム讃歌になってしまいます。ポスト・モダニズムだと単純にカウンターになって、評論で終わってしまいかねません。

☆モダニズムをニュー・モダニズム(私学の系譜の連続性)にシフトするときには、ポスト・モダンな人と思われているかもしれないけれど、決してそうではないフェリックス・ガタリの考え方が有効だと思います。スピノザもいいんですけれど、あくまでコンセプトとしてですね。スピノザを分析視点で使うのは、私の手には負えません。本当はガタリも手に負えませんが、邦訳が手に入るので、四苦八苦しながら・・・^^)。

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世界を変える学校[01] はじめに

☆「世界を変える学校」。少し大げさなテーマだと思われるかもしれません。「世界」といっても、人によって様々なイメージがあることでしょう。ここではものの見方や感じ方というどちらかというとmindにかかわることを意味していますが、mindでない世界が果たしてあるのかどうか、精神と物質はそもそも区別できないなどいう哲学的論議はさしあたりしないまま進みましょう。

☆私が今興味を持っている見識者はハワード・ガードナーです。多重知能(MI)で有名なハーバード大学の学者ですけれど、このMI理論は、どうやら日本ではあまりうまく伝えられていないようですね。例によってかなりなまって活用されています。独自の活用というわけですからそれはそれでよいのでしょう。

☆しかし、ガードナーの最近の成果によると、MIはあくまでガードナーの学びの理論の1つにすぎず、それだけを前面に押し出して活用しても、それほど意味はないのかもしれません。

☆MI理論と最近の研究成果の橋渡しになる研究は“Changing Minds”という本になっています。2004年版はすでに邦訳されていますが、あまり話題になっていませんね。相変わらずMI理論が有名です。しかし、2006年版には、序文が加わっていて、この本のベクトルがわかりやすく説明されています。この序文がなくても、2004年版を丁寧に読めばわかるのですが、忙しい教師や教育関係者には、その時間がない可能性が高いですね。まして保護者にはその時間は皆無でしょう。しかし、知らないでいるわけにもいきません。欧米はこの路線を模索しているからです。今はじまったわけでもないのですが・・・。

☆とにかくMindsの変化は、4つのメディアと6つのエリアと7つのREの複合によって生まれる「Mindsのコンテンツ」と「Mindsのフォーム」であるMIとの関係総体で生まれるのです。それからそれから「Mindsの作用するフィールド」は、3つ想定されています。たいへん複雑です。この関係総体の中からMI理論だけ単独で取り出してみてもそれほど効果はあがらないでしょう。

☆もっともこれは日本だけではなく、アメリカの学校現場でも同じことが言えますね。MI理論の実践研究はすでに行われていますが、どうもMI理論だけが突出しています。それを翻訳して日本の教育現場に伝えようとするので、ますます日本では形だけになってしまうのです。

☆ここで1つひとつの説明はできないので、翻訳版をお読みいただくことにして、肝心なことは、ガードナーの学びの理論によって、子どもたちの世界は変わるということです。子どもだけではなく、組織も、研究者も、大人たちも。

☆日々の小さな変化の積み重ねが、やがて突然大きな成長を生みだすんですね。そんな学びの理論があれば、最高ですね。でもですよ、そういう学びの理論というかプログラムが、日本の学校にすでに存在しているのです。

☆ガードナーの理論を学びつつも、やはり実際の学校のプログラムも見ていった方が、家庭内で自分の子どものことを配慮しつつ、自分の子どもの才能を伸ばす学びの環境を選択する場合、精度の高い意志決定ができるでしょう。「世界を変える学校」、それはまた「世界標準以上のフォースを身につけられる学校」でもあります。「世界を変える学校」探しは、「世界を変える授業」探しでもあります。

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復活祭と桜と私学と

☆今日23日(日曜日)は春の陽気に誘われて、朝から散歩。そして、フランシスコ会の神学院の教会に立ち寄ってみました。教会はあふれんばかりの信徒のみなさんが集まっていましたね。フランシスコ会のシスターとドミニコ会のメール(シスターのことです)の方々もお祈りにきていました。あの森村学園の・・・。

☆瀬田の丘の近くは、聖ドミニコ学園がありますから、そこの修道院からメールの方々もきたのでしょう。なぜ森村家がというと、なんてったって、ここ瀬田や岡本の隣接地帯は、江戸時代より政財界人の別邸が立ち並んでいた国分寺崖線の地です。五島慶太翁の邸宅(今は五島美術館)や岩崎家の別邸(今は静嘉堂文庫という美術館)、高橋是清の別邸や大平首相の邸宅などがずらりです。聖ドミニコ学園は岩崎家の別邸の1つの跡地にあります。大名庭園の面影が見る人が見ればあるのがわかります。

☆国分寺崖線を多摩川上流に遡れば、晃華学園がやはり財界人の別邸の跡地にありますね。そんなわけで、瀬田や岡本と言えば、人知れず連綿と続く政財界人(もちろん現役の方も含め)の居住地区なのです。

Photo ☆彼らがフランシスコ会の教会にどうして集まっているのでしょうか。ほとんどの日本人には関係がないけれど、グローバルな人たちには大いに関係のある日です。そう、今日は復活祭なのですね。イースターと言った方がわかりやすいでしょうか。

☆世界が新しく変わる瞬間です。欧米の人々にとっては、永遠の命の糧である、イエス・キリストの身体が復活した日です。復活祭のミサで、神父さんは「永遠の魂が復活したのではないですよ。永遠の身体なのですよ」とお説教。ウムなんて難しいのだろう。身体は身体でも肉体ではないが、魂でもないと。

☆この知恵の輪を解くような思考をイエス・キリスト誕生以来欧米人は続けてきたし、それが日本のミッションスクールにも継承されているという悠久の時の流れに少し眩暈がしました。

☆そこで、教会を出て、さらに用賀の方に歩いてみました。ここにも戸板という私立中高一貫校があるし、清泉インターナショナルスクールもあります。聖公会の神学院もあります。悠久の時間がここ二子玉川から用賀の地にも流れ込んでいるんですね。

Photo_2 ☆そしてなんて美しいさくらが開花し始めていることでしょう。ハナミズキに流れる赤い色は、キリストが十字架にかけられたときの血が流れていると言われていますが、もしかしたら桜の花にもと思いたくなるような美しい色です。清泉インターナショナルスクールに隣接する川べりには桜が開花し始めています。

☆入学式の前に満開になってしまうと、桜の花はすぐにちってしまいます。気づいた時にはというやつですね。日本の社会では気づかれない瞬間の一日。卒業式と入学式の間に訪れます。

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学び野[26]白梅清修の戸塚先生の媒介性(了)

学び野[25]白梅清修の戸塚先生の媒介性②のつづきです。今年の清修の算数の入試問題で気になる点があったので、戸塚先生にたずねてみました。

本間)戸塚先生は、「清修としては、条件反射的に答えを出す力よりも、問題文に書いてある情報を丁寧に読み込み,それを式で表現したらどうなのか?・・・こういった、大切な情報を結びつけ、自身の考えを述べる思考力と表現力を見るようにしています」とおっしゃいましたが、その一つの例として、今年の入試で、数学の領域の計算問題を出題されたと理解してよろしいのでしょうか。

戸塚先生)今年度の大問2の問題のことを言っているのですね。その通りです。今年は、第1回の入試では、「累乗の計算」問題、第2回めでは、「三角比の計算」問題、第3回めでは、「行列の計算」問題を出題しました。

本間)いずれも計算法則を例示していますから、受験生は数学の問題だとは思わず、規則性あるいは通常とは違う計算ルールを読み解く問題だと思って解いたでしょうから、逆に思考力や論理力が見えたということでしょうか。

戸塚先生)そうです。「累乗の計算」では、計算法則を例示し、それに従って規則を理解し正しい結果を得られるかがわかります。「三角比」では、サインとコサインの定義を図解し、これを応用してsin(90-θ)=cosθ、cos(90-θ)=sinθの作り方を示し、その上で正しい結果を例を元に得られるかがわかります。情報を丁寧に読み解く力があるかということです。「行列」でも、計算法則を例示し、それに従って規則を理解し正しい結果を得られるかがわかります。

本間)まさに情報力、思考力、論理力の連関がポイントになるわけですね。しかし、例示があるから難しくはない。算数から数学の移行が、入試問題からスタートしているのも先生のアイデアならではですね。

戸塚先生)単に入学者を選抜するためだけの試験ではなく、受験生の段階から「へ~、なるほど」と思えるような知的体験を提起する機会をつくりたいと思っています。それから、教科どうしの連動だけではなく、教科内の連動の例でもあります。通常これらの学習範囲は高校1年~高校2年の間が主なのですが、これらは高校生でないと分からない代物ではないのです。基本的な計算能力と文章読解能力さえあれば解決出来る問題。大事なのはこの数学的知性と言語的知性の連動こそが、学年の壁を超える状況をつくるということなのです。清修の数学の授業の中では、中1でも必要に応じて大学入試問題も紹介しています。

本間)「この問題は高校で解くとか、大学入試だから中学では解けない」という先入観を常に崩す体験の機会をつくっているということですね。

戸塚先生)そうです。問題が解ければよいという発想ではなく、大事なことは考えることです。いつどんな問題に直面するのか人生なんてわからない。そのとき、私はまだ解き方を学んでいないから解決できませんでは、困ります。清修中学校に入学してから卒業までの6年間の中で、問題の解き方だけではなく、数学的思考力そのものを使えるようになってもらいたいと思っています。

本間)数学的知性とか数学的思考力とはどんなイメージをもてばよいのでしょうか?

戸塚先生)全ては独立した点ではなく、連結している線であり、隣接している面であり、結合している空間であるという発想、その第一歩が清修の入試です。

☆このように、戸塚先生と話をしていると、白梅学園清修の教育の通奏低音が身体中に響いてきて感動せざるを得ません。連動的とか横断的とか連関とか関係性とかいう言葉は、数学的知性あるいは発想がベースにあると、イメージしやすいということを改めて了解しました。

☆清修の一期生は、いよいよ中3。高校数学を学ぶ時期を迎えます。算数から中学数学へのシフトは終わり、中学数学から高校数学への新たな挑戦。しかし、そのシフトの準備はすでに中学入試のときから包含されていたとは、驚くべきことではないでしょうか。

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08 東大合格発表の季節[10]

☆今年の東大後期試験の合格発表は22日。このへんで、いったんまとめにはいって、あとは後期の発表後にコメントを書き込みたいと思います。

☆9回にわたり、日本の教育文化再生産装置を強化する学校とパラダイム・チェンジのトリガーになる学校をみてきました。前者の学校は東大に入る学力形成を真摯に考えているところです。後者は世界標準以上の学力を形成している学校です。

☆このような見方によって、学校選択をする際に、とにかく東大とそれに準ずる大学に入ることに価値をおいているか、未来の社会で生きる際、日本だけではなく広く世界に目を向けられるようになることに価値をおいているか、はっきり自覚できるようになると思います。

☆どちらの価値観も、よいとかわるいとかは決定できません。現実派か理想派、あるいは危機感駆動型か希望駆動型か、あるいは第三の道駆動型か、選択する側の意思決定の嗜好性の問題なのです。

☆ただし、もし希望駆動型や第三の道駆動型だとすると、ドメスティックな傾向が大好きな日本社会にあって、悪玉ストレスをかかえなくて済むかもしれませんね。危機感駆動型それ自体がストレスをかけて先に進む方法論です。

08 ☆どの嗜好性で選択するか参考になればと思い、表のように、今年東大合格者を輩出した首都圏の私立中高一貫校(佐久長聖や筑波大附属駒場はあえていれておきました)の学力観の差異をリストアップしておきました。

08_2 ☆またそのリストをベースに、学力観の差異の分布もグラフにしてみました。パラダイム・チェンジを起こしそうな学校がまずまず健闘していることがわかります。グラフは学校数のシェアを表していますが、合格者数で計算すると、前者の学校から合格している生徒は77.8%です。細かく出すと、◎印の学校から合格している生徒は602人、○印からは108人、東大合格力を形成する学校からは203人です。

☆602人あるいは○印も含めて710人の学生の中に改革者型リーダーがいる可能性があります。戦略型や専門家型リーダーは、社会や組織の持続可能のためには欠かせない存在です。そのうえで、今日本社会というか世界が求めているのは改革者型リーダーです。もちろん、表やグラフで表現されている首都圏の私立中高一貫校の60%ほどの学校だけに改革者型リーダーがいるということはないのです。

☆ただ、果たしてどのくらいいるのだろうかというと仮説を立てる際の指標としてとらえているだけです。改革者型リーダーは、おそらく組織の中に3%いるかいないかでしょう。東大の1学年の在校生が3,000人ぐらいですから、その中に90人いれば、なんとかなります。ということは東大という組織に限れば、なんとかなりそうですね。

☆しかし、高校卒業生は、文科省の学校基本調査によれば、少子高齢化といえでも、120万人弱(平成19年度)はいるわけです。フィンランドの人口の20%以上がいるんですね。この3%ととなれば、3万6000(人/年)程の改革者型リーダーが育たないといけないことになります。

☆だから東大だけでは、日本の社会のパラダイムシフトはできても、パラダイム・チェンジなんてのはあり得ないのですね。大事なのはそれゆえ私立中高一貫校なんです。≪私学の系譜≫というのは、改革者型リーダーを輩出することをミッションとしています。ところが私学でありながら≪私学の系譜≫に属さないところがあるわけですね。日本全体の私立中高一貫校の1学年の生徒数は7万人ほどです。もしこの7万人がすべて≪私学の系譜≫に属する環境で育てば、改革者型リーダー育成の場としてかなり期待がもてるわけですが、そうはいきませんね。

☆しかし、それでも、私学の40%が≪私学の系譜≫に属しているとしたら、つまり3万人弱の生徒は≪私学の系譜≫に属する私学に進学していることになります。これはやはり≪私学の系譜≫に属する私学に期待がもてるわけですね。

☆東大の日本の教育文化再生産装置としてのハビトゥスの問題点はこんなところ、つまり改革者型リーダー育成の量と質がおいつかないというところにあるのです。この点を東大内部で解決することは710人(1学年)に任せるとして、残りは≪私学の系譜≫に属する私学と別の機関(これは新たに創出するプロジェクトが必要です)とで、改革者型リーダーをあと3万5000人/年創出できるシステム環境の構築。これが喫緊の課題です。

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学び野[25]白梅清修の戸塚先生の媒介性②

学び野[24]白梅清修の戸塚先生の媒介性 ①のつづきです。白梅学園清修の天才数学教師戸塚先生からは、「生徒の皆さんが世界標準以上の学力を身につけられる授業やテストとはいかにして可能なのかというテーマ」のお話をいつも拝聴しています。戸塚先生は、教科連動型の発想やコラボ型授業のプログラム作りの重要性を常々論じられています。

Photo ☆教科連動型の発想やコラボ授業が、生徒の清修体験を豊かな経験値に変換する媒介項だということなのですが、この媒介性とは具体的にはどういうことなのでしょうか。発想にしても授業にしてもポイントは連動、コラボですから、一見異質なものでもつなげてしまう、置き換えてしまう環境が、生徒の体験を思い出で終わらせるのではなく、使える知識や技術を形作り、その形=型が新たな発想を生み出すという経験値を高めていくことになるということなのです。

☆しかし、その「一見異質なものでもつなげてしまう、置き換えてしまう環境」とはまたいかにして可能なのでしょうか。このことを考える上で、戸塚先生が算数の入試問題の作り方について語られた中にヒントがあります。一部をご紹介しましょう。

本間)白梅学園清修の算数の入試問題を学ぶことは、一般的な算数の受験勉強するのとどんな点が違うのですか?

戸塚先生)中学入試の算数というのはある種特殊技能と感じられるものがあります。確かに、限られた短い時間で、正解を導くための手法が求められるときもあるでしょう。

本間)塾などで教えると言われている、「テクニック」というものですね。

戸塚先生)そうですね。本当のところは意外と本質的な思考を「テクニック」と言っているだけのこともあり、感心させられるときもありますが。それはともかく、清修としては、条件反射的に答えを出す力よりも、問題文に書いてある情報を丁寧に読み込み,それを式で表現したらどうなのか?グラフや図で表現したらどうなるのか?こういった、大切な情報を結びつけ、自身の考えを述べる思考力と表現力を見るようにしています。

本間)大切な情報を結びつけるというのはポイントですね。どうも算数とか数学となるとデータという言葉は思い浮かぶのですが、情報という言葉は思い浮かばないのですが、戸塚先生にそのように説明されると、わかるような気がします。

戸塚先生)ここ最近、清修の先生方と日本語の表現と、数式での表現のことが時々話題になります。やはり場合の数や確率の内容になりがちですが、「2つとも赤でない」「3人が隣同士」など、これらの日常的表現を数学の世界でどう扱っているのかなど、そして英語で表現したら?など・・・要するに、言語と論理の関連性を感じている次第です。

本間)読解リテラシーと数学的リテラシーの結びつきの話ですね。

戸塚先生)OECD/PISAのような世界標準の学力なんかもそういうことは意識しているのでしょうね。しかし、実際には積極的には、まだなされていないでしょう。それはどちらかというと問題解決リテラシーという別カテゴリーで対処されているような気がします。清修は、総合学習とか、問題解決とかいう別の教科をつくるのではなく、教科どうし、そして教科の中でやっていきたいと構想している次第です。

本間)教科どうしのつながりはイメージつきますが、教科の中でというのがちょっと?

戸塚先生)本間さんでも、わかりにくいですか?ますます大事なことであるという証拠ですね(微笑)。たとえば、算数と数学は、数学という教科の中でつながるようにするのです。

本間)あっ!なるほど。たしかに算数から数学へスムーズに移行するのは意外と厄介だと聞きますね。

戸塚先生)そうなのですね。しかし、その問題は、実は算数とか数学の問題ではないのです。様々な問題に取り組む際、例えば「この答えを求めるためには、○○が分かればよい。○○を得るには□□を求める。それには問題文のこの条件を、このように活用していけば良いはずだ!」といった、論理的思考力の育成の問題なのですね。

本間)それで、算数の入試問題などで、まったく目新しい、他では見ない問題が出題されることもあるわけですね。その方が塾で学んできた算数の解き方を直接使えるわけではないので、論理的に考えるという道しか残されていないということですね。すごいなぁ。神奈川の栄光学園の先生方と同じような発想ですね。

戸塚先生)まっ、似て非なるものだと思いますが(微笑)。とにかく、人間が生きていく中で、答えが始めから分かっていることはむしろ少ないのではないでしょうか?そのような場面に直面したときにも、より良い選択をするためには、どのように考え、行動すれば良いのかを卒業後も考えて行動出来るように配慮し、教育活動にも従事するのがミッションだと思っています。数学的思考は未知のものや未来のことを予想したり、シミュレートするには最適なわけで、それは算数でも同じことです。算数から数学へスムーズに移行するのは技術論の問題ではなく背景論の問題ですよ。

☆戸塚先生をはじめ白梅学園清修の先生方は、皆時間密度が高い仕事をされています。この時間制約をいかにして超えられるのかが、逆に創意工夫の思索を生み出しているともいえるのですが、おそらくその仕事は生徒一人ひとりとの対話が中心ですから、やはりここにこそ「言語と論理の関連性」を考えるヒントがあるのでしょう。まずは生徒と教師のコラボプロジェクトこそ清修のベースだということでしょう。

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08 東大合格発表の季節[09]

☆サンデー毎日(08年3月23日号)によると、9人東大合格者を輩出している首都圏私立中高一貫校は、

開智

攻玉社

☆10人東大合格者を輩出している首都圏私立中高一貫校は、

雙葉

公文国際学園

☆11人東大合格者を輩出している首都圏私立中高一貫校は、

城北

☆12人東大合格者を輩出している首都圏私立中高一貫校は、

暁星

豊島岡女子

桐蔭中等教育学校

☆13人東大合格者を輩出している首都圏私立中高一貫校は、

渋谷教育学園渋谷

早稲田

*都立日比谷高校も13人輩出しています。

☆14人東大合格者を輩出している首都圏私立中高一貫校は、

桐蔭学園

☆いつものように、世界標準以上の学力が身につけられる学校を選択してみましょう。攻玉社、雙葉、公文国際学園、渋谷教育学園渋谷は、学校全体で学びのグローバリゼーションに対し高い意識を持って取り組んでいます。

☆芝、暁星、早稲田などでは、世界標準以上の学力を身につける生徒はたくさんいますが、それは学校全体の取り組みというより、生徒ぞれぞれの個性がそうさせているのですね。

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学び野[24]白梅清修の戸塚先生の媒介性 ①

☆昨年ぐらいから、私立学校の先生方の話の内容が大きく変わってきたなと感じる今日この頃です。差別化の時代から差異化の時代にシフトしつつあると実感しています。八雲学園の先生方と話していても、ほかの学校とこんな違うことをやっているんですという話にはならないですね。むしろ入試問題と文集や学内で発信されているものにこそ学校の真実が表現されているという話になります。

☆卒業式のときの答辞の内容も大きく変化していると。生徒たちは八雲学園で自分がいかに楽しく過ごせたかという視点から、八雲学園で過ごせたことがこれからの人生や社会にどういう影響力が持てるのかという視点になってきているという話で盛り上がったりするのです。

☆中村学園や京北学園、聖学院の先生方と話していても同じようなことを感じます。もともと共立女子の渡辺先生と海城学園の中田先生、開成の生田先生、明大明治の松田先生、女子聖学院の小倉先生とは、もっぱらそういう話しかしなかったのですが、最近はそういう話をどこの学校の先生方からもお聞きするようになりました。

☆学校経営の話にしても、同じですね。広報も差別化戦略から差異化戦略にシフトしています。広報が差別化戦略のうちは、入試問題の信頼性・妥当性・正当性の話などはあまり話題にならないし、授業のプロセス論には全くならないですね。ところが差異化戦略になると、教育の顔としての入試問題の働き・存在理由・評価測定方法論などの話で沸きます。授業の方法論や素材論、世界標準のレベルの話で侃々諤々になるわけです。

☆経営と教育の関係総体の話になるのが、差異化戦略です。差別化戦略は競争優位性をベースにしますから、偏差値だとか大学進学実績にしがみつかねば競争を勝ち抜けないのですが、差異化戦略は競争しているようで競争にならないのですね。入試問題も授業も文集も、お互いに似て非なるものをやっているわけですから。質の競争は実は競争ではなく共創になっているわけです。ゆるやかな理念共同体という市場を構築するけれど、その市場内での競争はないのですね。他の市場との競争はあるのだけれど、私学市場内での競争はなくなるのです。

☆ただし、相変わらず差別化戦略をベースにしているところも多いので、完全なゆるやかな理念共同体としての理想型にはならないですね。そういう意味では差別化戦略vs差異化戦略の競争はあり続けるでしょう。ただ後者が若干強くなりかけているかもしれません。

☆この差異化戦略の最先端にいる私学の先生方の1人に、白梅学園清修の天才数学教師戸塚先生がいるのです。今回は枕が長すぎました。戸塚先生から聞いたお話は次回のお楽しみということで、いったん筆を置きます。いやいやブログを投稿します。

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学び野[23]八雲学園の近藤理事長の媒介性

毎日新聞(3月12日19時57分配信)によると、

来月22日に行われる全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で私立学校の参加率が前年度比約8ポイント減の53.09%に低下することが、文部科学省の調査で分かった。私立小の参加率は前年度比約12ポイント減の50.0%、私立中が同7ポイント減の54.15%で、全児童・生徒対象とする全国学力テストの意義が問われそうだ。

☆この件について、東京私立中学高等学校協会の近藤彰郎会長先生(八雲学園理事長・校長)は、同紙でこう語っています。

「昨年テスト結果の公表が当初予定よりも大幅にずれ込み、子どもたちに(結果の)フィードバックができないと考えた私立が多いのでは」と。

八雲学園をはじめ、多くの私立中高一貫校は、独自の学びのプログラムを開発しています。プログラムやシラバスの重要な要素は、生徒1人ひとりの学び方の改善や考え方の広がりを促進することなどを目的とした評価の方法です。

☆生徒が自立/自律した学習者になるには、自らを常に振り返られる環境設定が重要なのですね。この評価システムの中でも最も重要なのは、テスト結果だけではなく、それをきっかけに生徒と教師が対話することです。さらに重要なことは、DOとCHECKの間の時間ができるだけ短いことです。

☆実際には近藤先生は、記者にこのような総合的な評価の重要性について語ったと思いますが、記事になるとさらりとした表現になっています。

☆それはともかく、このように近藤先生は、自分の学校だけではなく、私学全体の学びのシステムについて発信し続けています。私学の学びが、いかに体験<経験値の媒介項であるかということを証明し続けています。もちろん、ご自分の経営する八雲学園の質の高い教育を実践しつつ、私学全体の行方のことを構想しているのは、言うまでもありません。

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08 東大合格発表の季節[07]

☆前回、1人でも東大合格者が輩出されるということの重みと逆に輩出されないからといって、それほどの問題ではないことを確認しました。東大に合格する学力と世界標準の学力を引っ張っていくリーダーシップとは違うのだというわけです。

☆サンデー毎日(08年3月23日)によると、東大に2人合格者を輩出した首都圏の私立中高一貫校は次の通りです。

西武学園文理

昭和学院秀英

帝京大学

吉祥女子

成蹊

横浜雙葉

☆この中で、世界標準の学力を身につけられる学校はどこでしょう。昭和学院秀英、成蹊、横浜雙葉というところでしょうか。昭和学院秀英は、隣接の渋谷教育学園幕張の教育とは似て非なるもっと質の高い授業を作り上げようとしています。ということは世界標準以上の学力作りをしているということになります。

☆成蹊は、帰国生の受け入れに力を注いでいます。横浜雙葉はリベラルアーツ・プログラムを教科教育以外でも実施しています。西武学園文理、帝京大学、吉祥女子は、国際理解教育や総合学習にも目配りしていますが、世界標準の学力を見据えたプログラムをマニフェストとしているわけではありません。あくまでも一流大学とかいう表現の大学に進学させることが実質的な目的になっています。

☆東大合格者を3人輩出している首都圏の私立中高一貫校は、

芝浦工大柏

晃華

世田谷学園

穎明館

☆世界標準以上の学力作りをしている学校は、芝浦工大柏、晃華、世田谷学園ですが、それぞれ独自のプログラムを開発しています。特に芝浦工大柏の場合は破格です。

☆4人輩出している首都圏の私立中高一貫校は、白百合学園と桐光学園です。このうち特別なリベラルアーツのプログラムを多様に開発しているのは桐光学園です。帰国生の受け入れにも力を入れ始めました。国内の大学進学実績を出す教育を超える教育づくりを実施しています。

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学び野[22]中村学園理事長授業の媒介性

Photo ☆中村学園理事長小林和夫先生は、毎年本を発刊しています。今年も「世界を知ろう―身近な窓をあけて」(銀の鈴社2008年3月3日)を編集されています。

☆小林先生の講演や学内報に書かれたものを中心に、先生方の書かれたものも編集することによって、中村学園の教育の基本的な考え方、つまり教育戦略が伝わるようになっています。

☆それにしても、ついにやったなあ。理事長がプロジェクト学習という授業を廊下で実行してしまったのですから。部屋を出て外に出ようよとは寺山修司が言いそうですが、小林先生は教育空間は教室だけではないよというわけです。

☆すごいなぁ。ある意味教室というのは教科学習ですよ。廊下はその各教室を横断的につなぐわけですね。教室と廊下という空間の構造がそのまま学習のプロセスのメタファーになっているんですから。

☆しかもこの空間には、学年も交差し教師も交差するネットワーク型のコミュニケーションがあふれているんですね。ネットワーク型は物理的にはまだまだマトリックスですけど、心理的にはもうそんなものを超えています。フェリックス・ガタリだったらリゾームというのでしょうね。

☆ともかく、進路指導室前の廊下に全校掲示板があるのですが、そこを「知の溜まり場」にしようと脳裏にひらめいたところから、このプランが始まったようです。

ここに切り抜いた新聞記事を張り出して、生徒にその感想を聞いたり、意見を求めたりしてにわか青空教室を作れないだろうか。知の溜まり場になれば、わたしと生徒の位置関係は、上下のタテ関係ではなく、左右のヨコ関係が生まれるだろう。命令・指導という上下の一方通行ではなく、助言・示唆という横からの力が双方向に働かないだろうか。わたしの「授業第一」がこういう形でできればいいと思った。

☆小林先生の授業の準備もまたすさまじいものがあります。

紙面の文字数は朝刊だと新書2冊分。夕刊だと0.3冊分あるそうだから、毎日、新書本を2.3冊。1ヵ月で70冊読破するのに等しい勢いが必要だ。この場合、記事を鋏で切り抜くことを考えると、持久力もさることながら瞬発力を研ぎすますしかなかった。

☆さて、知の溜まり場の効果は絶大だったようです。生徒たちの好奇心、知のお祭り騒ぎ、議論、対話は広まったのです。何より新聞記事という身近な窓から世界を広く遠く眺めることができたのです。

☆詳しくは本書を手に入れて読んでみてください。その際、実際に中村学園に訪れて、知の溜まり場だけではなく、知のギャラリーや今の自分と未来の自分を考える空間もご覧になるとよいですね。

☆中村学園の教育空間は、やさしく包まれる空間や楽しく対話する空間、アーティスティックな雰囲気に浸れる空間、静かに思考できる空間、そして知のお祭り騒ぎができる空間があります。そしてこの空間の出来事が、すべて脳内プロセスのメタファーになっているのです。考えるとは、感じるということは、共感するということは、空間と戯れることで学んでいくのです。

☆小林理事長は、そのプロセスを見える化したのです。プロセスが明快になれば、生徒たちの変化や滞留も見えます。どうしたらよいのかは対話やメンターシップでOK。だから小林先生の授業は、中村体験<生きる経験値に変化させる絶大な媒介項なのです。

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学び野[21]共立の表現教育の媒介性

☆この時期になると共立女子の渡辺教頭先生からいただく作品集があります。「ともだち」という同校の中学の文集プログラムの成果です。読むたびに共立女子の表現教育のベースが問答スタイルであることがわかります。

☆同校の教育の基礎は自問自答と対話の統合です。最初は豊かな体験から直観的に受け入れた知識。それが自問自答と他者との対話の中で、現実と一致し、知識の広がりが生まれます。あるいは深まります。自問自答によって知識を表現する言葉を拓いていきます。そのプロセスの1つの成果が「ともだち」です。やがて、豊かになった知識は、新たな現実を逆に創りだすことにすらなるでしょう。

29 ☆文集の表紙は、美術の時間に描かれた想定自画像です。体験の中のリアルな自分でも、体験を通して成長してしまった自分でもなく、その間にあって、どちらの方向へ進むべきか、何をすべきか、自分の壁は何かなど自問自答しているプロセスの間の自画像です。渡辺教頭先生なら、物象化された自分ではなく、関係総体をあれこれつなごうとしている自分とでも言うでしょうか。ともあれ、言葉の知性と美学的空間が交差するプログラムが共立女子では創意工夫されているのです。

☆笹山久さんの「四万十川―あつよしの夏」の読書感想文を中学1年生が書いていますが、まさにこの美学的空間と言葉の知性が内的連関を働かせていることがわかる作品です。幼いころにあつよしは大蛇を見た→いつしかあつよしは大蛇が自分の内にいることに気づきはじめる→父親との対話との中で「何もせんがじゃ、何も変わらんし」という言葉にはっとする。→大蛇は遠くにしか見えず、自信が前面にでてくるという流れを書いています。

☆そしてその中1の生徒は、自分の中にいる大蛇と重ねます。あつよしと自分のそれぞれのレイアーのシフトと同期をとる多重構造の意識の豊かさに驚かされます。

☆平野英雄校長先生は、その巻頭言でこう語ります。

私たちは先人たちの教えをまず知識として学びます。しかし、どんなにそれが豊富でも、社会の中で有用な働きができるとは限りません。状況をくみ取って知識を生かし、的確な判断ができる力が必要です。そして、それに基づいて、例えどんなに困難な状況であっても正しい方向に向かわせる実行力があれば、社会はよくなっていくものです。この各段階を、知識、見識、肝識と言うようです。

☆この段階は、体験→媒介項→経験値の段階にも重なります。共立女子の教育は、体験<経験値という変化が生まれる媒介項が設計されているのです。

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08 東大合格発表の季節[06]

☆東大の合格者を1人でも輩出する学校の数は400校前後です。日本全国の高校の数は4,500校ぐらいですから、9%の高校からしか東大には入れないんですね。東大の定員は3,100人前後ですから、各学校1人ずつ配分したとしても、すべての学校から入れるわけではありません。

☆そういうわけですから、まず東大は、1学年の定員を5000人にすべきでしょう^^?それはともかく、1人でも合格者が輩出されるということの重みと逆に輩出されないからといって、それがいかほどの問題か。どってことないということも了解できるのではないでしょうか。

☆そんなことより6年間の学園生活を通して、リーダーシップ、フォロワーシップ、トラスティーシップ、メンターシップ、コラボシップというサバイバルスキル育成リベラルアーツこそ優先順位が高いのです。

☆このリベラルアーツは世界標準の知性や感性以上のレベルです。ところが東大は世界標準のレベルにいたっていない可能性があるわけです。世界が認めていないわけですから。国際ランキングはそんなにわるくないのではという見方もあるでしょう。

☆しかし、OECD/PISAのような結果は、東大教育学部の文化がベースになっていることは自明でしょう。得点ランキングが問題なのではありません。レベル4以上の問題ができないところに問題が横たわっているのです。同じ得点でも、どのレベルの問題ができているかによって、まったく学力の構造が違うのは、説明するまでもないでしょう。

☆サンデー毎日(08年3月23日号)によると、首都圏私立中高一貫校で、東大に1人合格した学校のリストは次のようになります。

頌栄女子

聖心女子

成城

早稲田実業

跡見

東京電機

足立学園

田園調布学園

鴎友学園女子

学習院女子

武蔵工大

光塩

カリタス女子

鎌倉学園

☆この中で、さらに世界標準を超える知性や感性が見つけられる環境を設定している学校はというと、頌栄女子、鴎友学園女子となるでしょうか。ただし、宗教教育やその環境もリベラルアーツと数えると、聖心女子、光塩、カリタス女子、鎌倉学園も加わりますね。

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08 東大合格発表の季節[05]

☆昨年130年の歴史を迎えた東京大学。130記念一環事業としていろんな改革をやってきました。こんな記事も見つけました。

<東大>学内でカフェをプロデュース 「UTCafe」17日オープン
毎日新聞(3月13日19時9分配信)

東京大学は17日、同大がプロデュースした「UTCafe」をオープンする。東京都文京区の本郷キャンパス「赤門」近くに完成する新校舎「情報学環・福武ホール」の一角にあり、軽食、コーヒー、酒類を出す。同大の研究者や研究成果を紹介する場にする狙いで、通常営業のほか、4月から1カ月に1度、同大の研究者と一般客とのトークイベントを開催する。

☆ソクラテスの饗宴をイメージしているのか、サルトル時代のカフェを意識しているのか、ハーバーマスのコミュニケーション行為を夢見ているのか、定かではありませんが、ディスカッションやダイヤローグはカフェでなくてもいいかなという気はしますが・・・。

☆それにしても、ベネッセはすごいですね。今回のカフェの場を提供する福武ホールを寄付してしたのですから。もっともこういう行為はアメリカの大学では当たり前のように行われていますし、日本だって今始まったわけではないけれど、ベネッセの人脈構築の戦術はインパクトがありますね。

☆ベネッセは直島に美術館をつくって、アートにも目配り。建築設計は安藤忠雄さんで、館長は、北川フラムさん。ご両人は世界の舞台で活躍している方々ですね。福武ホールは、その安藤さんの事務所が設計を担当しているのだから、これまたすごいですね。

☆パリのユネスコの本部を訪れると、ピカソやミロなどの平和を祈る名だたる作家の作品があるんですが、イサム・ノグチの庭園や安藤さんの空間もあるほどですから、ベネッセの人脈づくりは世界戦略の視野を見据えてということでしょうか。

☆そして、なんといっても進研模試や東大合格のための特別なテストを私学の先生方と協力して実施しているわけです。文科省の全国学力テストも運営しています。多くの自治体の学力調査テストも請け負っていますね。しまじろうと共に学び、東大にまで進む道をサポートする巨大な教育産業体です。

☆しかしながらその戦略は、文科省の学習指導要領の枠内です。この枠組みを少しずつ変えていく戦術も実行しているのでしょうが、文科省と二人三脚であることに変わりはありません。どんなビジネス・チャンスを考えているのでしょうか。

☆それは当然、教育の民営化が進んだとき、一網打尽にしようということでしょう。そのためには日本のトップのインテリ、アーティスト、空間デザインナー、政府、官僚との人脈づくりですね。

☆教育の日銀的な存在ということでしょう。つまり、東大のハビトゥスの守護神となるわけです。良いか悪いかの価値判断は中止しましょう。歴史認識としてそうだということです。

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08 東大合格発表の季節[04]

☆今年、駒場東邦から東大に合格した生徒は、今のところ36名。サンデー毎日(08年3月23日号)によると、同校の東大合格者数の5年間の推移は、次のようになります(今年は前期の人数のみ)。

57名(04年)→64名(05年)→46名(06年)→42名(07年)→36名(08年)

☆これを見て、駒場東邦の教育の質が低下したと見るのは、もちろん早計です。むしろ、今となっては地政学的に不利な条件で奮闘しているというのが本当のところでしょう。というのも、

①SAPIX、日能研、四谷大塚で、開成、麻布、武蔵、筑波大駒場、駒場東邦の合格者はほとんどシェアされてしまいます。当然偏差値の輪切り的な学校選びの傾向が大です。

②筑波大駒場が隣接しているうえに、埼玉や千葉からの優秀生は、駒場東邦まではそれほど多くは受験しに来ません。開成、麻布、武蔵でとまってしまいます。神奈川エリアからは通えますが、他校も通えるため、分散しますね。

③東京の多摩エリアの優秀生は、早稲田実業や桐朋があるので、駒場東邦までたどりつかないでしょう。

☆要するに、生徒募集に力を入れていない駒場東邦を受験する生徒は、塾の受験相談を通して振り分けられているというのが現状でしょうし、優秀生の通学圏も上記の学校に比べ狭くなっているのが実際のところでしょう。

☆そういう悪条件の中で、生徒の知性・感性・身体性の成長を総合的にサポートしているのは画期的なことです。さらにその手法が1人ひとりの生徒とレポートを介してのきめ細かい対話によることを想起すると、先生方の日常の努力は想像を絶するものです。

☆それなのに、その対話的手法は麻布のほうが圧倒的に表現されていて認知度も高いですね。駒場東邦の荒々しいダイナミックな運動会も、開成の運動会の陰に隠れてしまっています。理系的センスや学者的センスのベースがある教育も、完全に筑波大駒場や武蔵、言うまでもなく、開成、麻布の認知度の方が高いですね。

☆先生方1人ひとりの戦術はパワフルですが、戦略がないのが駒場東邦の課題かもしれません。戦略とは組織の価値の最適化を持続可能にするコード体系のマネジメントです。そのコード体系によって、駒場東邦の教育は表現されるわけですが、そこが見えないコード体系になっているのです。目に見えないカリキュラムとはやはり明言だったのではないでしょうか。

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首都圏 中学受験 2008 [79]

☆今年の京北学園の募集戦略は成功し、新中1生は3クラスでスタートができるようになりました。学校の成長サイクル「草創期→成熟期→衰退期→蘇生期→死滅期」でいくと、10年前は衰退期にさしかかり、校長川合先生は、当時は教頭先生になったばかりでしたが、なんとか成熟期に戻そうと学内改革を断行しました。

☆千葉大や東大の教授たちとコラボして、オープン授業などを開始したのはそのころですね。その影響は大で、危機を脱して2クラス体制はできあがりました。7年前だったか8年前だったか、記憶が定かではありませんが、一度3クラス体制になり、そのままトルネードが起こるかと期待しましたが、昨年まで2クラス体制が続きました。

☆成熟期といえばそうなのですが、3クラス体制で経営基盤もしっかりしたうえで、京北の独自のそれでいて普遍的な教育環境を持続可能にしていきたいというのが先生方の思いだったのですが、じっと耐えていました。しかし、再び上昇しはじめましたね。よかった^^♪。

☆10年前にNTS教育研究所設立準備のときに、川合先生が新しい広報のあり方について情報交換しようよと連絡がありました。いいですよと軽く返事をして、パワーポイントで情報の整理をしてオフィスでお待ちしていました。

☆するとドヤドヤドカドカと狭いオフィスに10人ぐらいの京北学園の若き改革の使徒たちがやってきて、当時はプロジェクターを持っていなかったので、ノートパソコンを囲みながら、額を集めて議論しましたね。

☆それからずっと先生方との交流が続いています。交流といっても見守ることしかできないのですが・・・。それにしてもあれから10年たって、この間お会いしたとき、若き使途たちはすっかり貫禄がついていましたね^^)

☆10年前から川合先生の「ていねいなコミュニケーション授業」は始まりました。保護者も巻き込み、自治体も巻き込み、東大や千葉大も巻き込み、それは渦のように大きく転回し始めたのです。

☆しかし、当時は意識はしていなかったと思うのですが、多様な広報戦略のベースは差別化戦略だったのですね。他校と違うことをやっているという戦略ですね。ところが、世の中総合学習だ、世界標準の学力を身に付ける授業だ、学力低下の防波堤をつくろうということになって、京北のようなオープン授業も大学との連携も、プロジェクト学習も、他校もオプションとして取り入れるようになったわけですね。

☆だから競争圧力がきつかったし、公立中高一貫校などの新しい参入圧力もあって、本当にきつかったわけです。でも、川合先生が書き上げた「ワークショップていねいなコミュニケーション」(「月刊学校教育相談」所収12回シリーズ)を読んで、あっ、一般の授業の中で若き使徒たちが日々実践しているのだと再確認できました。

☆これはもはや差別化戦略ではないですね。差別化戦略とは他のやっていない別のものを行うことです。でもどこの学校でもやている授業で、京北学園は勝負をしたのですね。差異化戦略です。授業はどこでもやっているけれど、京北の授業は、それらとは似て非なるものであるという差異化をやってのけたのです。

☆川合先生をはじめ、京北の先生方には、共通のコミュニケーションの雰囲気があります。それは川合先生の論文にもある重要なコミュニケーションのベースなんですが、「アサーション表現」の雰囲気なのです。

☆「非主張的な表現」の空気は学園には流れていません。ですが、「自己主張による攻撃的表現」という空気でもありません。自分も相手も大切にした「アサーション表現」の空気が流れています。

☆この自分も相手も大切にする対話というのが、生徒の感情を大事にするのに重要な点なのですが、もう一つ重要なことは、生徒1人ひとり「あっ!」と気づく瞬間が違います。この「あっ!」という体験を待ってあげられる対話こそ、生徒1人ひとりの潜在的才能が開花する瞬間を生み出せる環境なのです。

☆こういう対話をほとんどの先生ができるという学校は他にないかもしれませんね。外観上は、対話しているんですけれど、この生徒をなんとか変えなきゃという「攻撃的表現」、本間流儀で言えば「抑圧的コミュニケーション」になっている場合がほとんでしょう。

☆「アサーション表現」のコミュニケーションとは私流儀で言えば、「寛容的コミュニケーション」です。実は日本のコミュニケーションスタイルでもっとも少ないのはこのコミュニケーションなんですね。このように、京北の授業は、他校の授業とは、似て非なる授業なのです。

☆さて、しかしこれだけで3クラス体制を持続可能にすることは難しいですね。似て非なる授業の質を向上させていく仕掛けが必要です。

☆私流儀で言わせてもらえば(だいたい私はアサーション的雰囲気はないですね^^;)、コミュニケーションは、創造的コミュニケーションと双方向的コミュニケーション、寛容的コミュニケーション、抑圧的コミュニケーションのバランスですから、寛容的コミュニケーションだけが常にピーキーになっていても困ります。

☆ですから、創造的コミュニケーションや双方向的なコミュニケーションの雰囲気も重要です。これらとのバランスを授業の中でいかにバランスよく浸透させていくのか。はたしてその仕掛けは?これについては川合先生はすでに手を打っています。そのヒントは京北学園の兄弟校白山高校にあるんですね。あとは成就するのを期待して待つばかりです。

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08 東大合格発表の季節[03]

インターエデュのサイトによると、今年の桜蔭の東大合格者数は53人で、昨年に比べ下回る可能性が大でしょう。一方女子学院は24人(サンデー毎日では15人でしたが)で、前期の段階ですでに昨年の19人を上回っています。05年は37人でしたから、潜在力はまだまだあるはずです。バランス的には桜蔭も女子学院も40人ずつ合格者を輩出すれば十分でしょう。そうすると、どちらを選ぶかは純粋に教育の質や趣味が指標になるはずです。

☆早稲田中の13人というのは大健闘ではないでしょうか。潜在力はもっとあるはずですが、卒業生の半分は早稲田大学に行ってしまいますからね。早稲田大学にとっては、東大クラスが入ってくるのですから、もっとそこら辺を大事にしなくてはならないでしょう。どう大事にするかは、早稲田大学自身が国際大学ランキングで10番以内に入ることを目指すとよいのです。潜在力が発揮されるには、環境や条件の質の高さがポイントなのですね。

☆桐蔭学園中等教育学校は、昨年初めて卒業生を出し、東大合格者は5人でしたが、今年は12人です。おっ!と思うかもしれませんが、男子部と女子部の方と合わせると26名になります。かつて40人以上輩出していた時代に比べると、学内改革が依然追いついていないというところでしょうか。それでも合算して20名以上も輩出しているのはすごいことです。

☆桐朋は今年は32人。昨年は24名ですから、やはりおっ!となるかもしれませんが、浪人の数によるので、隔年現象になっています。

☆海城学園は、開成、灘、麻布、桜蔭、聖光に次ぐ実績をだしています。武蔵や駒場東邦が低迷しているので、東京の男子御三家は、開成、麻布、海城学園と言ってよいのではないでしょうか。世界標準以上の学力を身につけられるという学校としても申し分ありません。

☆ただし、そうなってくると、入試の回数を2月1日一本にしなければなりませんが・・・。

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08 東大合格発表の季節[02]

☆今日13日は東大の後期試験。定員は昨年までは330人でしたが、今年からは100人ですね。後期試験は、前期試験と比較すると、論文形式の問題が多く、思考力・表現力を重視しているように見えます。論理だけではなく想像力や発想力などのタレントを見出したいという目的があったはずです。

☆最初のころは、おそらく機能していたのでしょうが、実際には知識の偏りを想像力でカバーしてしまう学生が多く、入学してからついていくのにたいへんだとか、中退してしまうとか、そんな現象が多くなったからではないかと予想します。

☆また、塾・予備校で論文のテクニカルな対策が確立し、当局の意図よりもいかにスキルでスコアをかせぐかということが重視されるようになったので、当初の目的が果たせなくなったというのも、このご時世ですから、容易に察しがつきます。

☆しかし、実際には、書くという行為は必ずしも想像力や発想力を必要としないわけです。わかりやすい例を挙げれば、文章の要約は論理的な思考力だけでよいわけですね。東大の後期試験も、実は論理的思考力に少しだけ批判的思考力をプラスすればよいだけの問題になってきたわけです。いやはじめからそうだったのですが、塾予備校の方で対策が安定していなかったので、試験当日の問題よりもその準備の方が批判的思考や創造的思考を使う楽しい思考訓練ができていたわけです。それでおもしろい人材が入っていった。いや本当はそういう人材は入れなかったかもしれませんが、当初、塾や予備校の後期試験に対するポジティブなイメージはそのように作られていたことでしょう。

☆ところが、対策が安定してくると、塾・予備校の宣伝は、後期試験の対策は簡単だとなるでしょう。マニュアルとテクニックの腕の見せどころですが、本当にそれだけで入学する学生が増えると、東大当局は、それだったら前期で十分ではないか。むしろ論的思考力を問うということがはっきりしていて、採点も安定している前期試験の方が、入学してくる学生の思考のレベルを測りやすいということになります。

☆複数試験をしなければいけないので、じゃあ100人に限定しようと・・・。東大生の中には、特に私立中高一貫校出身者は、6年間の教育において、公立高校から見ればムダとしか見えない、教養教育を体験してきているので、批判的思考力や創造的思考力など、今流の言葉で呼べば「地アタマ力」を持っている学生が多数存在しているでしょう。

☆しかし、その力があるかどうかは、残念ながら東大の入試問題では測定できないのです。逆に言えば東大の入試問題しか解けない思考力だと、「地アタマ力」はなくてもなんとかなるということですね。

☆サンデー毎日(08・03・23号)でも、「世界の中の東大」という存在感はまだないが、これからは東大も果敢に挑戦していくという記事が掲載されています。今のところは優秀な頭脳は欧米の大学で学ぶと・・・。

☆この「優秀な頭脳」とはおそらく論理的思考力だけではだめなのでしょうね。日本の教育は、まずは知識→論理→発想っというリニアなカリキュラム進行です。そしていつも時間がなくて、発想までたどり着かずに、授業や学期が終了!ということになります。

☆この「まずは基礎基本」というのが、なぜか知識の「記憶量」に結びついてしまうんですね。知識の記憶「過程」や知識の活用「過程」の「過程」が基礎基本だということにならないのです。

☆「世界の中の東大」もよいのですけれど、一学年3000人程度しか入れないわけで、そこだけグローバルな知性でよいわけではないでしょう。

☆麻布の東大の合格者数は、今年は後期も合わせると70人ちょっと超えるぐらいになるのでしょうか。昨年は97人でしたから、結果は下がるのですが、学園当局は、70人から100人の間(本当は卒業生の20%の60人でよいのでしょう。経営的には「80対20の法則」でよいわけですからね^^♪)で、東大に入ってくれればそれでよいと思っているでしょうね。グローバルな知性(麻布の場合のグローバルというのは共時性だけでなく通時性の意味もあるので、一筋縄ではいきません)は、すでに麻布時代に育ちますから、あとはもっと広い世界で探究を続けてくれればそれでよいのです。

☆世界で生きていく時に、東大出身というのは、国家単位のネットワークでしか通用しないでしょうから。しかし、言うまでもなく、グローバリゼーションは、個人単位、学校単位、地域単位、研究者単位、企業単位、NPO単位、国家単位・・・と複層構造になっています。

☆そして大事なことは、日本に居続けても、世界で生きていることに変わりはないということです。世界経済は私たち個人の消費経済に常に大きく影響を与えています。今ではそれが日常茶飯事です。地球に裸足で立って生きているという実感、畏怖と興奮と勇気と知恵をフルに使わないと生きていけない近代的野性時代のあり方が形成され始めているということです。誰もが知の錬金術師で狩猟家、耕作者であり、芸術家で科学者である時代ですね。そうならなければ、生きていけない・・・ある意味ぞっとしますが・・・。

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08 東大合格発表の季節[01]

☆今年も東大合格発表の季節が訪れました。依然として教育大国日本において東大というのは近代日本社会を形成した教育のルーツであることに変わりはなく、教育における文化資本再生産システムであるハビトゥスを持っています。

☆ですから東大の動向は、教育に関心ある人たちはチェックせざるを得ない1つのポイントです。サンデー毎日が毎年増大号を出し、速報を出版し続けることは、そういう意味では価値があるでしょう。今年も買ってしまいました。図書館で必要な箇所だけコピーすればよいのでしょうが・・・。

☆同誌によると、今年の東大合格を輩出した高校に変動があったようです。「地方の伝統校と関西の私立中高一貫校が躍進」ということのようです。実際には隔年現象のような気がしますが、それでは記事にインパクトがないですからね。

☆ただ、同誌にあるように、たしかに東大がここのところ大改革をしているわけですね。金融工学関連の学部を作ったり、地方や外国にまでいって、リクルート活動をしたり、年収や所得の少ない家庭の子弟や大学院生に対し大幅なスカラーシップ支援をしたりと。東大支援ファンドまで作ってしまうとか。莫大な研究費もゲットしているし。宇宙工学やナノテクノロジー、バイオテクノロジーをやるには最高ですね。

☆ハーバード大学のハワード・ガードナーは、知性と感性の両方を含む意味でのマインドを変化させる領域を3つに分けています。人間の頭脳をベースにしたテクノロジーとタレントの領域をWetware、コンピュータサイエンス、AI、ロボット、金融工学などのソフトウェアーやハードウェアに関するテクノロジーとタレントの世界をDryware、芸術やデザイン、宗教などの実存的なタレントや信頼形成力(Trusteeship)の領域をGoodwareと呼んでいます。

☆コンピュータの出現でWetwareとDrywareの領域はかなり重なってきましたが、Wetwareに足場をおいている教育は、東大といえど古色蒼然としていますね。これではいけませんが、東大の成り立ちをたどれば、しかたがありません。特にGoodwareは個々人の問題として、東大の中では特に無視されてきたところです。初代総理の加藤弘之は、敢然とここを排除しましたからね。キリスト教主義の教育は相当いじめられました。

☆ここから≪私学の系譜≫がはっきりと生まれてくるわけです。戦後、内村鑑三派の南原繁と矢内原忠雄などが、私学人と協力して、そこを修復し「教育基本法」を成立させたのですが、現行「教育基本法」は再び東大成立時のルーツにいつの間にか戻ってしまいました。

☆東大の広報活動は、この背景を巧みに活用していますね。工学系出身の小宮山宏東大学長(63)は基本的にはシステム論者ですから、加藤弘之のダービニズムの伝統を、意識しているかどうかわかりませんが、継承しています。まさに東大のハビトゥス継承者であり、国立大学協会は小宮山学長を会長に再任してもいますから、東大の広告塔でもあります。

☆東大はGoodworkなしのWeb-Dryware研究に邁進しているのですね。地方の公立名門校が俄然張り切るわけですね。東大と名門校は日本官僚近代のハビトゥスを共有していますからね。――なんちゃって。そういう見方もできます^^)という一例でした。

☆私としては、東大の合格者数が特定の高校に偏らなくなる傾向は、よいのではと思います。大学進学実績や偏差値という指標だけでは学校選択が事実上できなくなるからです。

☆東大―エリート名門校のハビトゥスの鉄鎖から自由になり、エクセレント名門校として世界の痛みを解決する拠点としてのハビトゥスに変わる。ハビトゥス・チェンジはいかにして可能か。つれづれなるままに書いていきましょう。

☆そうそう高校別東大合格のデータを今すぐ知りたいという方は、インターエデュのサイトで一部ですが閲覧できますよ。

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首都圏 中学受験 2008 [78]

四谷大塚の入試結果データを見ていて、あれっ?と思った点があります。それは大妻中の合格者発表数の変化です。今年の第3回の入試の合格公表数が116人となっているのです。昨年までは30人前後です。

08 ☆第1回目と第2回目の合格公表数は、逆に昨年までと比べて減っています。これは入試広報戦略が変更されたとみなしてよいのではないでしょうか。

☆第1回目と第2回目の合格者を減らしたということは、一次志望生徒よりも、偏差値の高い生徒をとりたいという意思表示ですね。2つの試験の手続きの締切は2月3日11:30ですから、そこで思ったほど歩留まり率がよくなかったので、第3回目の試験で合格者をドーンと公表せざるを得なかったのでしょう。

☆3回目で少しでも偏差値の高い生徒をとるために、1回目と2回目の合格公表数を少なくしたんですね。1回目と2回目で合格できなかった生徒は、3回目で救えると考えたのでしょうが。

☆大妻中は6年間で育てる生徒を入口の段階で、ハードルをあげておこうというわけです。その方が、大学進学実績という点で考えれば、有効だと判断している可能性があります。育てるから効率のよい進学実績輩出へに完全にシフトした可能性があります。

☆経済格差、学力格差が依然として広がっている今、学歴格差こそ現実問題なのはよくわります。現実志向の学校、理想志向の学校、理想と現実のGAPを乗り越える内生的成長志向の学校、いろいろあってみんないいわけですが、大妻は現実志向の学校だということではないでしょうか。つまりエリート校をはっきりと目標にしたということでしょう。

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学び野[20]若月教育長の媒介性

☆品川区教育長の若月秀夫さんは、区内外で相変わらず大活躍していますね。今朝の日経新聞の教育面でも、新指導要領に関して、広い見地に立って、尚かつ改革を断行した高経験値に基づいて、提言をされています。

☆学校選択制度や小中一貫教育の改革構想とその実践は、テクニカルな面ばかり批判されますが、実際には、現行指導要領のコンセプトと教師のマインドが変わらないというGAPをどう埋めるかという現場力が若月教育長の知恵と精神を突き動かしたという点こそもっと評価されるべきでしょう。

☆そのうえで、思うのは、時間や質の高い教師の不足をどう解消するかという局面を打破する積極的アイデアが必要なのではないかと思います。

☆現行指導要領は、ミニマムな学びの項目を配列しているわけですから、たしかに若月教育長が語られるように、あとは教員の腕しだいなのです。しかし、現実は土曜日の教員の労働の問題が解決されていないので、教員の善意に頼っている。これではすべての教員の質の向上は求められないというのももっともだと思います。

☆時間の確保と人材の育成と外部リソースの活用、そしてテクノロジーの戦略ミックスを説く若月教育長のアイデアをぜひとも文科省は受け入れて、積極的に動くことを期待したいですね。

☆ところで、この路線そのものは大賛成ですが、1つだけ私が思うに、時間の確保という点です。どうしてもこの時間の確保は、量の確保になってしまいます。質の確保になりにくいのですね。

☆同じ45分でも、今までの90分以上の時間密度の授業ができれば、時間の質は2倍以上になりますから、現行指導要領と新指導要領の学習量対比は200%以上になるはずです。

☆50対50ではなくて、80対20の法則。つまり学習の量は20程度でも、その質的爆発力は80であるという法則を使えば、もっと拡大するはずです。

☆若月教育長は、学校選択制や小中一貫教育の改革で、子どもたちの体験<経験値を実現したと思います。現行指導要領の理念と現実のGAPを埋めることができたのですから当然です。しかし、こういう改革を実現できなかった自治体は、子どもたちの体験>経験値を招いてしまったわけです。これでは学力は低下する一方です。

☆ですから、新指導要領はある意味、品川区の改革をそのまま受け入れるだけでも、子どもたちの体験<経験値を実現できるというのが若月教育長の胸の内だと思います。それが先駆者たるゆえんです。しかし、若月教育長自身は、さらに次のステージに進まねばならない使命を負っているはずです。それは授業の時間密度を上げるための挑戦です。学力低下阻止から世界標準の学力を超えるへシフトするということですね。若月教育長自身には、品川区のリーダーから日本のリーダー、そして世界の教育を牽引するリーダーとなって欲しいものです。

☆そのような兆しあるいはヒントは、実は品川区の改革の中にすでにあり、シフトの萌芽も始まっています。あとはそれを取り出し、豊かに成長させるプロジェクトチームのたち上げだけでしょう。

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首都圏 中学受験 2008 [77]

08 ☆今年の鴎友学園女子の応募者数は、やはり多かったですね。1次が3.1倍、2次が5.9倍、3次が25.0倍ですから、人気は不変です。しかし、過去10年間の総数推移(入試回数、各回の定員設定が違うので各回数の応募者数の総数で出した)を見ると、学内では少し停滞してきているのではないかという危機意識があるのではないかと推察できます。

☆同学園はすでに成熟期に位置していますから、ここを持続可能にしていくにはどうしたらよいかという議論は、おそらく毎年学内で侃々諤々行われていることでしょう。鈴木隆祐さんの新刊書「名門中学 最高の授業 一流校では何を教えているのか」(学研新書2008年2月6日)で次のように記述されていることからもそれは伺えますね。

「私学の生き残り法」という点で、最も参考になるのは以下の鴎友と吉祥女子だろう。だが、仮に劇的な飛躍を遂げたとしても、その成功体験に留まっていては、『水戸黄門』のテーマではないが、すぐ後から来たものに抜かれてしまう。両校に関しては、そこは心していると思われるのだが・・・。

☆「心していると思われるのだが・・・」という表現は微妙。作家としての鈴木さんは、取材の過程で多くのことを感じています。記述になるのはその一部です。表現の自由と言っても、そこには公共的な倫理というものもあるので、何でも書くことはできないのですね。ですからレトリックを使っている場所には何かが横たわっているのです。このものすごい間接的な表現法と省略法のレトリックは、さりげないけれど何かあるのでしょう。

☆それはともかく、要するに学内の意識の変革の動きがあるのだと思います。意識の変革には、7つのReの動き(ハワード・ガードナーの視点による)に何らかの変化があるはずです。つまり、理性的な動き、リサーチの動き、共鳴への叫び、コンセプトの再確認、精神的リワードの追究、リアルな世界への対応、変革への抵抗勢力のうねりのうちどこかに新しい動きがあるのが外からでも見えるはずです。

☆そういう意味では、鴎友は、常に変革の意識を覚醒しているといえますね。というのは、まずデータや数字を使って、客観的にものごとを実証していく姿勢は、学内だけではなく、学校説明会でも変わらず一貫しています。

☆リサーチとしては、フィールドワークやあらゆるところからの情報収集は常に行っています。今年もすでに動いていますね。他校の見学だけではなく、あらゆる研修や勉強会の情報を収集している様子が伝わってきます。

☆共鳴への叫びは、内村鑑三的信念で私学のみならず公立にも呼びかけていると思いますが、内村鑑三としての世界のとらえ方については、追究がされているのかどうかは、私はよくわかりません。私学の系譜論的論調を清水校長先生が語られているのは伝わってきていますが・・・。

☆コンセプトの再確認は常に遂行されています。精神的リワード、つまりTrusteeshipは、園芸や聖書の時間に限らず、あらゆる教育活動で、教師も生徒も発揮しているでしょう。

☆リアルな世界への対応に関しては、静かですが激しい動きが学内であるのではないでしょうか。脳科学の成果や新しいテクノロジーの導入の検討に関しては、学内での議論は尽きないことでしょう。

☆変革への抵抗勢力は、基本的にはないのですが、若手への精神的継承、スキルの継承という点で、少し滞っているかもしれません。それが結果的に抵抗勢力の存在を生んでしまっているという状態になっているように外からは見えます。抵抗勢力の存在があるということは、持続可能に向かってそれを解決しようと動きますから、やはり鴎友学園女子は成熟期の新たな持続可能性戦略のプランを構想し、実行しようとしていると考えてよいのではないでしょうか。それが何かはわかりませんが、2009年に向けてあっと驚くような展開があることを期待していましょう。

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学び野[19]中村中のおやじの会の媒介性

☆2008年3月8日、中村中で「おやじの会」が開催されました。プログラムは「おやじ特別授業」と「フライングディスク大会 おやじVS生徒」。特別授業は学校では教えないようなことを子どもたちに伝えたいという父親からの要望で開催。ディスク大会は前回(6月)行ったとき、生徒とおやじチームが引き分けになり、「納得できない!リベンジしたい」という生徒からの要望を受けての開催となりました。テレビ東京から「おやじの会」の取材申し出もあって、にぎやかな会となったようです。

☆「おやじ特別授業」で扱われたテーマは

①くすりのソムリエ「中村バージョン」

②SEって?

③私がやってきたスチュワーデス

④予備自衛隊の話

⑤ひこうき

⑥コンピュータ雑学

⑦TV業界

Photo ☆薬剤師の「師」は自分の判断で行動して良い。SE(システムエンジニアリング)の仕事は新3K「きつい」「きびしい」「かえれない」。スチュワーデスの「あいさつ」の「あ」は明るく、「い」はいつも、「さ」は先に、「つ」は続けるなど現場で仕事をしていないとわからない興味深い話が連発。なるほど学校では教えられない話ですね。そうそうスチュワーデスの話題の中でこんなお話があったようです。「ドラマの様に整備士との出会いはないし、パイロットと結婚するケースもまれですね」と。60名の参加者(生徒と保護者)は笑いも交えながら、食いつくように聞き入っていたとのことです。

☆梅沢教頭先生の判断力というかフットワーク力というか、とにかくすごいところは、テレビ番組がいかにして出来上がるかについては、取材に来た女性のディレクターに依頼してしまうところですね。

☆ディスク大会は、生徒もおやじも「本気」。スポーツという言葉で世代間の交流。梅沢先生はこう微笑みます。

「自然の笑顔は最高ですね。結果はリベンジ成功!生徒は大喜びしていました。なかむらおやじの会は本日のイベントを経験して、新しい一歩を踏み出しました。しかも『学校では教えないような』内容です。おやじの会の一歩は、同時に中村の教育の新たな一歩を踏み出した記念すべき1日だと確信しました。今後も『おやじ授業』は続けます」と。

☆「おやじの会」体験は、生徒や保護者、教師にとって高い経験値を身に付ける興味深い機会、つまり媒介項です。ハーバード大学のハワード・ガードナー教授の学習理論であるMI(マルチプル・インテリジェンス 多重知能)の実践版であると同時に、教授が一番大事にしている信頼づくりのリーダーシップを育成する機会です。

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学び野[18]村治佳織さんの媒介性

☆2008年3月8日、女子聖学院チャペルで、村治佳織さんのギターリサイタルが行われました。村治さんは女子聖学院のOGです。2年に一度この時期に、PTA主催、翠耀会(同窓会)協賛のもと開催されていて、もう5回目だそうです。

☆なぜ村治佳織さんが媒介項なのかというと、村治さんの女子聖学院での体験とヨーロッパ修行の体験が、見事に村治さんの経験値を極限まで高めているからなのは言うまでもありませんが、女子聖学院の生徒、保護者、教師、OG、そしてシェアさせていただく私たちにとっても村治体験は、希望と得難いひと時を経験値に高めることができるからです。

☆村治さんの演奏は、ただすてきな曲を演奏して終わるというものではないのですね。音楽的知性のみならず、学びのプログラムがちゃんとあるのです。プログラムはコンセプトとストーリーと脱空間的知性(想像力といったほうがわかりやすいかもしれません)、そしてスキルの極限性が融合されていて、村治体験<経験値という「体験」を女子聖学院全体に浸透させるのです。この浸透力はPTAを通して、学内全体に広がるし、同窓会を通して歴史を形成します。

☆今回のプログラムのコンセプトはキリスト教のルーツでしょうか。村治さんは演奏とトークという対位法的プログラムの運営を自ら演出されますが、最後の方で、今年はヨーロッパを拠点に活躍するチャンスが多いと語ってました。ゲバントハウスとの共演もあるのでしょうが、やはりスペインが中心なのでしょうか。

☆そしてこんなことをさらりと言ってました。キリスト教に中学時代から触れることができたのがよかったと。ヨーロッパの音楽を理解したり文化を理解したり聴衆とのコミュニケーションを深めたりしていくには、キリスト教の文化を肌身で感じておく体験が重要だったのでしょう。女子聖学院でのキリスト教体験は、村治さんにとっては経験値として高められています。

☆プログラムのストーリーは第一部と第二部の対位法です。第一部では白いドレス、第二部では赤いドレスでギターのタイプも変えてやはり対位法のレトリックのアイデアですね。

☆曲目は第一部はいろいろありますがバッハのシャコンヌを中心とする欧米のキリスト教の思い出ですね。白はどちらかというと洗練をイメージする色彩でしょうか。シャコンヌはもともとバイオリンの名曲。弓を使わないギターで演奏するとまた趣が違うんですが、もともとシャコンヌは舞曲ですから、実はギターに合うんですね。

☆第二部は赤の色彩。スペインの情熱と哀愁の旋律でチャペルはいっぱいになりました。不思議ですね。スペインはカトリックなのに、女子聖学院はプロテスタント。ここにも対位法があります。村治さんが女子聖学院でキリスト教に触れられてよかったというのは、こういうヨーロッパの伝統的音楽と精神性に触れられたからでしょう。女子聖学院のキリスト教はキリスト教の中でも革新的で先進的なのですが、それは新技術を生むという意味でではなくキリスト教の原点に回帰せよという意味で革新的なのです。

☆だから今回の村治さんのコンセプトはキリスト教のルーツなのです。そしてそれはスペインなんですね。スペインのカトリックは、村治さん同様世界をさまよいます。中世においてキリスト教改革と異端の改宗に挑んだドミニコ会。ルネサンスの反宗教改革の旗手イエズス会。この両修道会を生んだのはスペイン。テーマは原点回帰です。

☆第二部はそれでよいのですが、第一部はどのようにそのコンセプトが反映しているのでしょう。それはシャコンヌですね。大航海時代に生まれた舞曲です。スペインからヨーロッパに広まったと言われています。ここで結びつくでしょう。

☆ヴィヴァルディとA.ヨークのサンバーストは?太陽の都の象徴です。太陽の都と言えば、カンパネラ。彼はドミニコ会士ですね。ロンドンデリーは?アイルランドの民謡です。アイルランドはカトリックですね。でも不思議とプロテスタントの礼拝でよく歌われます。

☆村治さんは自分の演奏に乗ってスペインの旅を頭の中でしてくださいねと聴衆に語りかけていましたが、この発想はデュシャンやジョン・ケージの発想です。古き伝統をコンテンポラリーアートの手法でプログラムを編集しているのですね。世界を変える試みです。

☆村治さんにとって、女子聖学院は媒介項だったのでしょう。しかし、今では女子聖学院にとって、村治さんはなくてはならない媒介項です。そして、言うまでもなく、体験<経験値のその高まりは、村治さん自身は世界一流のスキルとタレント、品格(これは小倉校長先生が村治さんを紹介するときに使っていたキーワードです)を身につけているということであり、女子聖学院の生徒さんをはじめ、皆さんにとっては、村治さんの影響です。多くの人が体験前と後では、精神の変化を感じていることでしょう。

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首都圏 中学受験 2008 [76]

「心を揺さぶる授業 居場所づくりを支援する」(NTS教育研究所 2008/02/06)の著者松田孝志(明治大学付属明治高等学校・中学校)にお会いできました。この書は、いわゆる一般的な編集者による書ではないので、わかりやすくはないかもしれません。

☆しかし、今回は「わかりやすさ」はあえてとらなかったのです。わかりやすい本は、読んだ気になるし、わかったような気になるし、何より売れますね。ところが、現場で役立つことはほとんどないのです。なぜなら現場でもっとも大事な息吹や気概や信念や信頼といったコミュニケーションの作り方が書かれていないからです。本質とは関係性です。

☆ところが関係性とは、物象化されたものと物象化されたものを媒介する目に見えないコミュニケーションの力ですから、それはそれは難しいのです。

☆ところが、松田先生の書は、そこに焦点をあてて書いていますから、教師と生徒の心地よい緊張感の創りかたがわかります。しかも中高6年間の流れがわかります。

☆松田先生と話していて、キーワードが違うので、気づかない方も多いでしょうが、「ここには、カール・ロジャーズの手法もあるし、ハワード・ガードナーのコンセプトも螺旋として発展的に応用されているし、ダニエル・ゴールマンのEQやSQのコンセプトもはいっている。しかもそれらは、すべて溶け込んで松田先生のオリジナルになっているところがすごい」 ということを改めて確信しました。

☆松田先生の対話は、つねに1人ひとりの生徒とフラットな状態で耳を傾けながら、1人ひとりの興味や趣味を、探究のレベルにステージアップするところが特徴です。6年間で内省からはじまって、さまざまな体験を経験値にステージアップさせながら、対人関係の中で居場所をつくり、覚悟の拠点を形成します。この拠点があればこそ、公の中で自らの考えや感じ方を発信できるようになるのです。覚悟の拠点としての居場所は、あるときはシェルターにもなります、あるときは癒しの場所にもなります、あるときは自己沈潜の場にもなります、あるときは人間関係を形成する場にもなります。そしてなんといっても世界の痛みを共有する場にもなります。

☆こうして松田先生の6年間一貫の居場所づくりを支援するプログラムは、生徒の成長を促すのですが、先生と話をしていて互いに確認できたことは、その成長とは変容だということです。身体が大きくなるとか、大人として社会化されるとかいうことも成長ですが、なにより精神の変容なのです。

☆明大明治は、今年の春から西調布に校舎を移転し、生徒たちは新校舎で学びます。また共学校になり、男子校の精神を人間の精神に拡大しなければなりません。生徒の成長サイクルと同じように、明大明治も成長サイクルの循環の中にあるわけです。成熟期をどのように持続可能にするか。

☆それは生徒の人生のサイクルと同様、精神の変容・変質によってということになるのでしょう。松田先生をはじめ、明大明治の先生方は独自のプログラムを実施し、精神的に豊かに大きくなる生徒の存在を支えているはずです。その環境を明大明治はいかに持続可能にするか、ひとえにその見識にかかっているでしょう。

鈴木隆祐さんの新刊書「名門中学 最高の授業 一流校では何を教えているのか」(学研新書2008年2月6日)で紹介されている36校の1校に明大明治は選ばれています。期待がかかりますね。

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学び野[17]ポスト2.0モダンの媒介性②

☆ニューヨークから戻った知人に話を聞きました。彼は学生ですが、ニューヨークのコンテンポラリーアーティストたちとコミュニケーションしています。彼らはドイツやイタリア、もちろん日本でも活躍しています。でも拠点はNYです。

☆コンテンポラリーアートでビジネスが成り立つ拠点がNYやロンドンだからですね。アーティストといっても、多種多様。1人孤独に自己沈潜しながら活動している人もいれば、知人たちのようにハイブリッドで活動しているチームもあります。

☆知人によると、コンテンポラリーアーティストたちは、日本のようにポストモダンだあ!一色の思想界はおもしろいよねということらしいのです。村上隆さんのようにスーパーフラットだというコンセプトは、たしかにポストモダンに近いけれど、日本のように全体の雰囲気がスーパーフラットだあ!ということにはならないのがアメリカで、基本的にはめちゃくちゃ保守的だというのです。

☆だけど色々な人がいて、互いに尊重し合う寛容性がある。だからこそ、一方ではめちゃくちゃ頑固な安全保障システムがあって、ここは自由の国アメリカだろうかなんてめまいがするときもあると話しているそうです。

☆私はNYは5年前に訪れて以来行っていませんが、その時に比べ、ずいぶんネット環境が変わったということです。超高層ビルがくっつくように林立しているマンハッタンですから、ケーブルを各部屋に張り巡らすのではなく、どうやら無線ランをがんがん飛ばしているみたいです。セキュリティの厳しいはずのアメリカなのですが、一方でカフェでもパークでも、無線を拾ってインターネットにつながる箇所が結構多いそうです。もちろん無料だということです。

☆ネットの世界は、疑似ポストモダンです。ですからNYもポストモダンだらけに見えるのだそうですが、彼らは日本と比べてやはりモダニズムが貫徹していると感じるのだそうです。そして、日本って、やっぱり良いところだとなるそうです。疑似ポストモダンもいっぱい溢れているけれど、ポスト2.0モダンもすでに溢れているということなのでしょう。もちろん官僚モダニズムには辟易してしまうようですが、少なくともポスト2.0モダンはすでにあると感じるのだそうです。そうそう水が豊だというのがこれからのアートには欠かせないところでもあるようです。

☆ただし、そんなポスト2.0モダンでは生業にならないので、日本において、コンテンポラリーアートではなかなかビジネスにつながらない。ポスト2.0モダンはまだ雰囲気でマーケットにはなっていないということでしょうか。もしかしたらならないのかもしれません。何せ日本国内だけで通用するものはマーケットにはならない。それなのに存在するところが、日本の良さだというのではないでしょうか。

☆ビジネスはやはりデカルト空間でないと今のところはダメだということでしょう。スピノザ空間では競争がないですからね。知人がグッゲンハイムの新しい企画の展示会のオープニングやパーティーにアーティストたちと参加して感じたことは、たしかにフランク・ロイド・ライトの設計はおもしろいけれど、まだモダニズム。でもイサム・ノグチといっしょで、その建築や彫刻と他者がコミュニケーションするときにポスト2.0モダンが一瞬生まれるようです。でも生業の部分は、フランク・ロイド・ライトの設計したあくまでも物象化された建築物の使用料。それをベースにしたコンサルタント料などなどです。いや大きいのはオークションでしょうか。

☆ポスト2.0モダンはモダンなくして生計が成り立たないし、モダンはポスト2.0モダンなくして持続可能性を保障できないわけです。この共存関係を断ち切る脱構築はいかにして可能なのでしょう。コンテンポラリーアーティストたちの体験<経験値がいかにしてビジネスとして可能になるのでしょうか。そのヒントが≪私学の系譜≫にあればよいのですが・・・。

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学び野[16]大阪府の授業改善の媒介性

産経新聞(3月5日16時19分配信)によると

全国学力テストの正答率が、実施対象の小6、中3でいずれも大阪府が全国45番目となったことを受け、府教委は専門家による成績低迷の原因分析と改善策を盛り込んだ「学校改善のためのガイドライン」をまとめた。応用問題の成績不振の背景を、テストと同時に行われたアンケートの全国値との比較をもとに「授業のあり方に課題がある」と指摘、教員の説明中心の授業を「一方通行」と批判し改善を求めている。今週末にも公立小中学校、市町村教委へ配布する。

☆今さら何をと思うし、まさかこの専門家集団に何千万も調査依頼費などを無駄に使ったのではあるまいなと一瞬よぎりますが、それはさておき、一方通行授業では、体験>経験値になります。議論や発表、できればリサーチも入れてもらい、創造的思考を活性化する授業をすべての学校が行えば、世界標準の学力は完璧ですね。体験<経験値にもなります。

☆ともあれ、専門家集団は

「国語の授業で自分の考えを書くことが少ない」と答えた中学生が48・2%(全国平均35・4%)、「算数で学習したことを生活の中で活用しようと考えない」という小学生が44・6%(同37・7%)に達しているデータに着目し、「活用力がはぐくまれていないのではないか。授業のあり方に課題がある」と結論づけた。

☆なぜこういう権威者の結論を待っているのだろう。橋下知事を非難するより、知事のような人材に(性格は好き嫌いがあるでしょうが)みんなでなろうよとすれば、すぐに動くのに。

☆それとも何か。橋下知事の「35人学級の見直し」に対し、こういう手間暇かかる授業では35人学級が妥当だという作戦なのでしょうか。まさか・・・。

☆しかし、それにしても、開いた口がふさがらない。

改善の方法については「解決への過程を重視する」(算数・数学)、「教員の説明ばかりの一方通行の授業から、自分の力で作品に向かう授業へ」(中学国語)などと提案。国語の場合では、各学年で教える言葉の整理表を小中共同で作成、系統的に語彙を増やすといったプランを紹介し、一貫した方針に基づいた指導を求めた。

☆これ整理表をカルタ(マインド・マップ)に置き換えれば、上記の部分はフィンランド・メソッドです。あくまで新聞の記事で、専門家集団の提出した実際の報告書はこんなものではないことを祈りましょう。

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首都圏 中学受験 2008 [75]

☆私立中高一貫校の成長サイクル「草創期→成熟期→衰退期→蘇生期→死滅期」の循環で見ていくと、芝中は成熟期をずっと持続可能にしています。今年の一回目の応募者数は昨年を上回りました。2年前の応募者数よりも多いですね。

☆この成熟期の持続可能性をどのように作り出しているのでしょうか。一般的な受験生の保護者のイメージはおそらく、多様な大学進学実績を出してくれるけれど、保護者にも生徒にも気配り目配りのきく学校だ。理数が強く医師薬系の実績も高い投資効果の保障されたかつストレスレスな教育を実践しているといった感じではないでしょうか。

☆そして在校生の親になったとき、なんてきめ細やかな指導が行き届いている学校だろうと満足する学校ですね。校外学習も多く、夏休みなどは合宿などで、家にいないときの方が多いのではないでしょうか。

☆親も子も自立できる環境があるわけですね。鈴木隆祐さんの新刊書「名門中学 最高の授業 一流校では何を教えているのか」(学研新書2008年2月6日)では、芝中はエリート校に分類されています。

☆鈴木さんは、私のクオリティスクールの分類指標を参考にしましたと、序の部分で言及してくれていますが、私の分類の仕方によると、芝中はエクセレントスクールです。鈴木さんの分類の仕方は、私よりもかなり厳しい基準のようです。

☆本の中で紹介されている36校のうち、私の分類の仕方でエリート校になるのは8校です。鈴木さんは、23校をエリート校に分類していますね。鈴木さんが紹介している芝の生物の授業や校外学習は、世界標準のモノサシに合わせてもハイレベルだし、創造的思考力まで育成できるようになっているので、私はエクセレントスクールに分類していますが、鈴木さんはもう少し厳しい基準で分けているのかもしれません。

☆たしかにホームページやパンフレットのイメージは少し権威的で硬派な感じかもしれません。また一見教科主義だし、数学の先取り方式は、いかにも進学指導中心に見えます。しかし、実際は柔軟だし、明るいし、科学エッセイなどは、教科横断的だし、今の中学の学習指導要領の数学は、芝の生徒ならゆっくりやっても2年間で終わるでしょう。

☆だから単純に大学進学実績を出すことを目的とした教育を実施しているわけではありませんね。だからその雰囲気を感じた上で受験生も保護者も芝中を選択しているはずです。ということは、広報活動の一歩前のイメージ戦略あるいはブランド戦略が少し実態とズレているということでしょうか。

☆もっとも、鈴木さんの分け方は、超エクセレントスクールとエクセレントスクールという分け方で、前者をエクセレント、後者をエリートと呼んでいるだけです。芝中が大学進学実績重点校だなんてことは言っていません。あくまで編集上のわかりやすさを重視しただけでしょう。本意は私とほぼ一致していると思います。

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学び野[15]ポスト2.0モダンの媒介性①

2008年1月22日(火)、東工大の大岡山キャンパス・講堂 で、気鋭の若手ポストモダニスト5人が、国家を語るトークイベントが行われましたその5人とは、

東浩紀(批評家、東京工業大学世界文明センター特任教授)
北田暁大(東京大学大学院情報学環 准教授)
萱野稔人(津田塾大学国際関係学科准教授)
白井聡(日本学術振興会特別研究員、多摩美術大学・神奈川大学非常勤講師)
中島岳志 (北海道大学公共政策大学院・准教授)

☆いずれも1970年代生まれの方々です。バブルとバブルの崩壊、ベルリンの壁の崩壊、ウィンドウズのPCの席捲、ITバブルの崩壊、サリン事件、ポスト京都会議、9.11などさまざまな地殻変動期に生まれ育った学者ですね。

☆この地殻変動をどのようにとらえるか、思想としてのポストモダンは終わったのか。社会生活、特にモバイルを象徴とする新しいメディアにはポストモダニズムは根付いているのか。根付くとしたらどんな新しいコミュニケーションが生まれているのかなどについて、真摯に考えている方々です。

☆私も行きたかったのですが、残念ながら他のミーティングがあっていけませんでした。しかし、本当に概略ですが、3月1日の日経新聞の文化欄にそのときの様子が載っていました。多くのポストモダニズトは、フーコ解説、デリダ解説、ドゥルーズ解説で終わります。

☆そんな中でこの5人、特に東さんは、彼らの思想を踏まえた上で、批判的に吟味しながら、全く独自の切り口で、ポストモダンを読み解こうとしていますね。というか彼だけがポスト2.0モダンを読み解こうとしています。従来のポスト・モダンは疑似ポスト・モダンで、結局モダニズムの最前線に位置するだけで、パラダイムが変わっているわけではないのです。

☆教育改革だ、経済改革だ、金融改革だ、何だかんだと改革が叫ばれてきたし、叫ばれていますが、基本はモダニズムです。官僚モダニズムから資本主義的モダニズムに移行しているので、だいぶ変わっているように見えますが、政府や官僚の思考形態がポストモダニズムになっているわけではないのです。

☆しかしながら、アキバ文化にみられるように、草の根や生活、特に中高生の生活には、ポスト2.0モダニズムが生まれて浸透しつつある。このことについて、いち早く気づいたのは宮台真司さんでしょう。そしてその流れをくみながら、宮台さんとは違うメディア論を展開しているのが、東さんですね。モダニズムから疑似ポストモダニズムへ、官僚モダニズムから資本主義的モダニズムへ、という流れはコミュニケーションがツリー構造コード群からネットワーク型コード群にシフトしたのだけれど、このネットワークは所詮マトリクスに過ぎず(セミラティスでも良いんですけれど)、疑似リゾーム組織なんですね。

☆ここに気付いている社会学者も多いのだけれど、じゃあリゾーム組織ってどうよってなると、東さんしか探究・分析をしていないんですね。おそらく世界的にも東さんだけでは。

☆基本的には欧米もBRICsもモダニズムで行けるんですね。徹底的にオープンな資本主義にしていく。そうすることで市民的モダニズムが顕在化してくる。それでよいのです。その状態をポストモダンとフーコやデリダは呼んだのかもしれない。

☆でもガタリはポストモダンではなかったんですね。もっとスピノザ的だし、東さん的です。日経新聞では、フェリックス・ガタリについては言及されていませんでした。おそらく、実際には語られていたと思いますが。

☆いずれにしても疑似ポストモダンでさえもまだまだです。特に教育の世界はパラダイム転換は止まっています。ところが私立中高一貫校の中には、すでにはじめからニュー・モダンという≪私学の系譜≫に属している学校がありますね。

☆どんなに学習指導要領が変わろうとも、文科省や教育委員会の思考様式が官僚もしくは資本主義的モダニズムだと、体験>経験値という結果に終わります。フィンランドはその点市民的モダニズムですね。ポストモダ二ズムでは決してありません。中心から出発するツリー構造の思考様式を最大限に育てている国ですから。

☆そうそう疑似ポストモダニズムだって体験>経験値です。ここが疑似たるゆえんだし、ポストモダンって何だろう?現代思想は終わったのかという閉塞状況は、まさにそれを証明しています。

☆でも市民的モダニズムは体験<経験値です。ところでポスト2.0モダニズムはというと、体験≠経験値です。体験と経験値の断絶ですね。東さんの著書「動物化するポストモダン」や「ゲーム的リアリズムの誕生」はそんなことを示唆しているように私には思えてならないのです。

☆≪私学の系譜≫に属する学校は、その点体験から異次元の経験値へとワープするクリエイティブな何かを持っていると思ってます。新しい体験を逆照射する知性を育成するのではないでしょうか。

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学び野[14]女子聖の教育空間の媒介性③

女子聖学院の教育空間について、最後に、仙田満さんの「4つの空間要素」の視点で見てましょう。

1)学びの場

2)学びの時間

3)学びの仲間

4)学びの方法

4 ☆この4つの要素が明確に埋め込まれている空間は、普通教室です。学びの場として、講義形式の学びも、分割授業も、議論や討論形式の学びも、変幻自在にできるのが教室です。また学園生活の多くの時間を占める学びの時間を過ごすのも教室です。学びの仲間がいる場も教室です。教師も生徒も自分なりの学びの方法を開発し、実践する場も教室です。それゆえ思い出の空間にもなるのです。

Photo_9 ☆あらゆる空間に「4つの空間要素」が埋め込まれているのですが、教室のように端的にその要素が表れている空間が、女子聖学院にはもう一箇所あります。それはチャペルです。旧チャペルは円の空間です。新チャペルの空間は四角形の空間です。そしてシンボルには十字とひし形。円は愛を、四角は秩序を、ひし形というか三角なのですが、これは意志を、そして十字は信仰を象徴しているかのようです。フランク・ロイド・ライトの長男が設計したガラスの教会にはその象徴が随所にありますね。代数構造、順序構造のみならず位相構造の感覚や直観が養われるのが女子聖学院の教育空間の特徴です。

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学び野[13]女子聖の教育空間の媒介性②

女子聖学院の教育空間について、仙田満さんの「6つの原空間」の視点で見てましょう。

1)自然スペース

2)オープンスペース

3)道スペース

4)アジトスペース

5)道具スペース

6)アナーキースペース

☆といっても、「自然スペース」については、グランドと庭園がまだこれからなので、写真をお見せすることができないのですが、実は女子聖学院の位置が中里の丘の上にあるというのが、何よりの「自然スペース」です。丘を上り下りする静かな運動が、実はただ平坦なところを歩くより、運動感覚機能を働かせるのです。道の上下が、歩くスピードや視角に変化を与えますからね。

Photo_7 ☆また、実はデザインが直線と曲線のバランスでできていますから、そこから受ける感覚も変化に富んでいるはずです。直線と曲線の空間では響きも違います。それに白木の明るい空間と新チャペルの付近の落ち着いたダークブラウンの空間とでは光のコントラストが明確に違います。視覚に変化を与えるのも実は「自然スペース」の仕掛けです。グランドや庭園はあまりにわかりやすい「自然スペース」ですが、それはどちらかというと物象化されたスペースです。気づきにくいところに、五感をゆさぶるしかけがあるのが本来的な「自然スペース」なのかもしれません。

Photo ☆「オープンスペース」はいたるところにあります。しかし、そのスペースに対話できるインテリアが配置されています。これは廊下でも、購買部でもそうなんですね。この廊下は、「道スペース」でもありますが、グランドと庭園ができれば、校舎内外を結ぶ「道のスペース」は回遊性があって、めまいが起こりそうです。このわくわく感は人生の道とも重なります。

Photo_3 ☆「アジトスペース」とは表現が少し変わっていますが、居心地の良い友人や先生たちとの居場所です。ときどき口論にもなる空間です。葛藤の思い出、秘密を共有する信頼が生まれる空間です。

Photo_4 ☆「道具スペース」は教育空間には山ほどあります。家庭科教室、美術教室、体育館、図書館、自習室、購買部・・・。

Photo_5 ☆「アナーキースペース」。これも表現が少し違和感あるという方もいるかもしれません。しかし、要は揺らぎの部分、自由な部分ですね。その揺らぎや自由も秩序とバランスがとれるようになるのが社会性です。多目的ホールとかがそうなのですが、Photo_6 女子聖学院の場合はやはり多様な廊下の空間が「アナーキースペース」なのでしょう。一見幾何学的空間で、コスモスが優先しているように感じますが、そこに生徒が集まればどうなるか想像してみてください。イサム・ノグチは空間は子どもが訪れることによって完成すると考えていたと思いますが、アナーキースペースとは、生徒たちが集まることによって空間が変容するのでしょう。

Photo_8

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学び野[12]女子聖の教育空間の媒介性①

女子聖学院の校舎は新しくなりました。グランドとすてきな庭園がまだ未完成なので、全貌について語ることはできませんが、わかる範囲で、仙田満さんの視点で女子聖学院の教育空間の仕掛けを見ていきましょう。

Photo ☆わかりやすいのは、6種類の接合空間です。新しいチャペルと従来のチャペルを結ぶ校舎内の導線は、回遊的で、ぐるぐる回りますが、外の廊下は、ワープします。ショートカットですね。新チャペルという点と旧チャペルの点は非連続ですが、それを結ぶ線は、最短距離と紆余曲折の両方です。非連続の連続性の体感。あとは数学の学びの時間につながるとよいですね。

Photo_2 ☆このショートカットの外の廊下を逆から写してみます。どうですか。まさに穴があいてる感じですね。ポーラスな空間です。外の空間ですから、本来は何もないのですが、このようなデザインが、聖なる空間から聖なる空間へワープするめまいを生み出すはずです。想像力と創造力を生み出すのですね。

Photo_3 ☆いたるところにシンボルがあります。女子聖学院のロゴスと意志のメッセージに包まれている空間です。新しいチャペルにある椅子です。どこにシンボルがあるか見つけられましたか。

Photo_4 ☆新チャペルを出るとそこには廊下があります。チャペルと廊下の接合ゲートにもシンボルが、階段をあがっていくと、そこにもシンボルが。よくみるとポーラスな空間でしょう。ポーラスをくぐる感覚、覗く感覚、好奇心ともう一つ越境感が生まれます。常にシフト、転換というイメージを大切にと空間が語りかけています。なんといっても、ステンドグラスは、越境を光のイメージで伝えます。

Photo_5 Photo_6

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学び野[11] 教育空間の媒介性②

☆遊び=学びの空間によって、子どもたちはどんな能力を開花するのでしょうか。仙田満さんは、

1)身体性

2)感性

3)創造性

4)社会性

☆だと言います。プレゼンするときは、イメージしやすいように座標系にして説明してくれます。ダニエル・ゴールマンだとIQ以外にEQとSQを開花すると言うでしょう。ハワード・ガードナーだと、言語的知性、論理数学的知性、空間的知性、身体運動感覚的知性、音楽的知性、対人関係的知性、内省的知性、自然科学的知性という多重知能(MI)とそれらを内的に連関させる知恵と創造性と信頼性と言うでしょうか。

☆幾つにカテゴリーを分けようと、いずれもIQ以外の知性、つまり脳科学的な成果を踏まえている点は共通しています。

☆さて、上記のような多角的知性を育成する空間の要素とは何でしょう。仙田さんは、4つ挙げます。

1)学びの場

2)学びの時間

3)学びの仲間

4)学びの方法

☆ここで重要なのは、これらが内的連関で結びつかねばならないということです。音楽室、運動場、技術工芸室、普通教室などがばらばらにあってもしかたがないのです。時間もそうですね。一日の時間は有限です。これを無限の時間に変換する空間の仕掛けとは何でしょう。体験<経験値になるにはコラボレーションが最も重要です。どんな空間があればコラボレーションが促進するのでしょうか。空間の中に学びの方法論が埋め込まれているとはどういうことでしょう。集中できる静かな空間があると勉強がはかどりますが、それが空間に埋め込まれた学びの方法論ではないですね。

☆この4つの構成要素を埋め込んだ空間のタイプにはどんなものがあるでしょう。仙田さんは6つの原空間というものを提案しています。

1)自然スペース

2)オープンスペース

3)道スペース

4)アジトスペース

5)道具スペース

6)アナーキースペース

☆「4つの空間要素」と「6つの原空間」を結びつける接合空間も仙田さんは考案しています。

1)回遊性

2)シンボル

3)ショートカット

4)大きな広場

5)ポーラス(穴があいている)

6)ゲームができる

☆「4つの空間要素×6つの原空間×6種類の接合空間」の仕掛けが、ズレや意外性を衝動として生み出し、多角的な知性を豊かな経験値として高めていくのです。

*仙田満さんの考え方を詳しく知りたい方は、

「子どもとあそび 環境建築家の眼」(岩波新書 1992年)

を参照してください。

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学び野[10] 教育空間の媒介性①

☆最近、私立中高一貫校の校舎や施設が、ずいぶん建て替えられています。学校建築は、20世紀型空間としては、監獄と同構造だと言われてきました。一望監視装置として管理が第一だったのですね。

☆たしかに構内を教師が管理するのには機能的だったのですが、外部からの侵入には意外と脆いということが発覚する凄惨な事件も起きました。ですから次に安全という構成要素が加わり、多くの学校で、この点が補強されています。

☆しかし、大事なことは校舎や施設などは教育空間として、つまり学びの空間としてデザインされていなければならないという点が、ようやく21世紀になってから注目され始めました。これは教育心理学の研究の成果かもしれません。カウンセリングという人対人だけの対話では、解決できないことが山ほどあることに直面し、人以外に、生徒が触れる様々な物に応援を頼もうとしたのではないでしょうか。

☆コミュニケーションとは、たしかに人対人の言葉というメディア=媒介項によってなされるのですが、媒介項として、言葉はone of themであるという考え方が浸透してきたのですね。アフォーダンスといって、物や空間や時間が、人に言動を起こさせるという仕組みがわかってきたのです。人は座りたいから椅子に腰かけるというよりも、椅子があるから座るという場合の方が多いのかもしれないというわけです。

☆また認知科学の成果も重要です。知性は何もIQだけではない。EQもあるし、SQもある。いやもっとたくさんある。多重知能=MIという考え方も浸透してきています。

☆そうなると、教育空間はただ箱モノだというわけにはいかなくなるのですね。あらゆるものは多重な意味を、多様なメッセージを持っているということに気付き始めたのです。

☆学びの空間においては、仙田満さんが第一人者です。今は東工大の名誉教授ですが、4月からは放送大学にうつります。子どもの国の設計など数々の子どものための遊び空間をデザインしてきた建築家です。様々な建築関連の学会の会長も歴任している方ですね。

☆ずっとお会いしたかった先生だったのですが、この間やっと念願かなって、お話を伺うことがでました。仙田さんは、あくまで遊びの空間を話されるのですが、私にとっては遊びは学びに通じるので、先生のお話を変換しながら聞くことができました。

☆校舎や施設の中で、生徒たちは多くの体験をします。そして空間の仕掛け=プログラムが媒介して、経験値を高めます。しかもその仕掛けが多重構造になっているので、日々いろいろな発見があるわけですね。そういう建築デザインをしているかどうかは、学園生活をする生徒にとっては大切ですね。教育空間にいるだけで、体験<経験値となるか、体験>経験値となるかは、学校選択の時に見逃せないでしょう。

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学び野[09] フィンランド・メソッドのコミュニケーション力としての媒介性

☆フィンランドの読解リテラシーを育てる方法論、つまりフィンランド・メッソドの最後の構成要素はコミュニケーション力です。コミュニケーション力と言っても、日常会話ではなくて、ディスカッション(議論)のことを意味しているようです。

☆このコミュニケーションはルールにしたがってなされるのですが、北川達夫さんは10のルールを翻訳してくれています。

①他人の発言をさえぎらない
②話すときは、だらだらとしゃべらない
③話すときに、怒ったり泣いたりしない
④分らないことがあったら、すぐに質問する
⑤話を聞くときは、話している人の目を見る
⑥話を聞くときは、ほかのことをしない
⑦最後まで、きちんと話を聞く
⑧議論が台無しになるようなことを言わない
⑨どのような意見であっても間違いと決めつけない
⑩議論が終わったら、議論の内容の話はしない

☆これで、フィンランド・メソッドの5つの能力が巧みに統合されているのがわかります。フィンランド・メソッドは、日本の教育とは違って、本当のゆとりがあるとイメージされがちですが、かなりシステマチックに操作的に子どもたちを社会化しています。

☆この10のルールを、4つのコミュニケーション・カテゴリーに分類して、整理してみると、それがはっきりします。4つというのは、

C) Creative Communication

I) Interactive Communication

T) Tolerant Communication

O) Oppressive Communication

☆コミュニケーションは、創造的雰囲気で盛り上がったり、論理的に互いに話し合ったり、相手の話に耳を傾ける寛容な姿勢をとったり、話し合いの雰囲気を壊さないように抑制したりという対話行為によって成り立ちます。人によって、集団によって、その4つのカテゴリーのどこに力点がおかれるかは異なります。これを「CITOコミュニケーション分析」と呼ぶことにしましょう。

Photo ☆この分析をグラフ化すると、一目瞭然ですね。フィンランド・メソッドによるコミュニケーションは、TとOが高くなるのです。つまり、フィンランド・メッソドは、発想力、論理力、表現力、批判的思考力が十分に発揮できる環境を、コミュニケーションによって形成するという構造になっているのです。

☆CITOすべてのカテゴリーのどの項目もバランスよく鍛えると、逆に発想も、論理も、表現力も、批判的思考力も育成できるという関係総体主義的な発想ではなく、あくまでも要素還元主義的な構造論が、フィンランド・メソッドだったんですね。

☆これはフィンランド市民全体を世界標準レベルに持っていく学習戦略としてわかりやすいし、教師もインストラクションしやすいですね。しかし、これはフェリックス・ガタリのような思考様式には追いつかないでしょう。したがって世界標準を乗り越えることはありません。

☆それでよいのです。世界標準で十分ではないですか。ところが日本の私立中高一貫校は、それで満足しません。フィンランド・メッソドは私学における学びの理論の1つの段階に過ぎません。

☆逆に公立学校には有効ですね。学習指導要領が、世界標準のレベルに到達していませんから。世界標準の知識を学ぶ学年配列は大丈夫ですが、その知識を深めていくレベルが世界標準のレベル以下なのです。

☆多くの私立学校は知識の広がりも、知識を深めていくレベルも世界標準を超えています。

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