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2008年4月

私学の系譜の根っこ軽井沢②

☆軽井沢の南原エリアを開発した市村家の記念館(市村記念館)と軽井沢町歴史民俗資料館を訪ねてみました。市村記念館は、市村今朝蔵・きよじ夫妻が住んだ邸宅跡です。この市村という名は、北斎の肉筆画の美術館を運営している世界の小布施で超有名ですが、もちろん縁つづきです。

Photo_2 ☆そっちの話もなかなかおもしろいのだけれど、今回は市村今朝蔵が松本重治から手渡されたクーデンホーフ・カレルギーの書を鳩山一郎に翻訳するようにすすめた話を調べに行ったのです。歴史民俗資料館に市村きよじが著した「軽井沢 大切な人々」にのことが書かれています。インターネットなどでよく引用されているのはこの本だったのですね。

Photo_4 ☆ここに共立女子の≪私学の系譜≫のルーツがあります。南原エリアは政財界人、学者、文人たちが多く別荘を構えていましたが、このエリアは新渡戸稲造の「軽井沢夏季大学」縁の地です。青年時代に市村今朝蔵はこの学問的雰囲気に影響を受けていたようで、自分の代で再開しています。星野リゾートのエリアは内村鑑三の影響を受け、「遊学堂」が開設されました。

Photo_5 ☆いずれにしても、松本重治は、松方家と縁結びをしているジャーナリストで、この新渡戸稲造、内村鑑三の弟子たちと親交をもち、彼らと戦後日本を動かした重要人物です。その人脈の中にこの市村今朝蔵がいるし、前田多門もいます。ここらへんはものすごく複雑ですが、この人脈は、一方で≪私学の系譜≫を継承しているんですね。

☆この軽井沢の地で、彼らは日本の未来をどのように描いたのでしょうか。政治経済人脈史としての研究は結構あるのですが、≪私学の系譜≫としての軽井沢人脈史を研究している人はもしかしたらいないかもしれません。どなたか探究してみませんか。英国聖公会の戦略と戦後の米国の戦略が、ここで見ることができます。白洲次郎もここ軽井沢に訪れていたわけですしね。

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08全国学力テスト“07” 小6国語学テの意味するコト③

☆今年の全国学力テスト小6の国語の問題の習熟度別レベルの出題割合分布を、今回は開成学園の今年の国語の中学入試問題と比較してみました。グラフを見ての通りです。

08 ☆思考の問いの深さがこれほど違うわけです。知識の量の差は、実はこの思考の深さの差によって生みだされているともいえます。モチベーションの差も同様です。

☆ちょっと考えれば当たり前です。好奇心も、オープンマインドも、疑問も、気づきも、批判的思考や創造的思考なくして生まれてこないからです。これらの思考が抑圧されている場合、外的な教育の強制でモチベーションをアップするしかないでしょう。

☆日本の教育の鬱屈な雰囲気は、この思考の深さの抑圧的な制限にあったということではないでしょうか。学習指導要領はそこをあえて表現できなかったのかもしれません。それは思想の自由を奪うことを宣言することになってしまうからです。

☆ですから知識の制限はしたんですね。これとて本来学びの自由を奪うことなんだけれど、知識の暗記に対する世論のマイナスイメージを逆手にとれたんですね。しかし、思想や考えることの自由を奪うよと言うのは、さすがに世論が許さないというわけですね。

☆それゆえ私立学校では、そこのところで思いきり学びができたし、今後もそうするわけです。もしこのことに気づいてしまった公立学校に通わせている保護者はどうしたらよいのでしょうか。

☆何もしないよりは、大いに体験した方がよいし、大いに読書した方がよいし、音楽に接したり、身体を動かしたりもよいですね。でもそれだけでは、気づかないまま過ぎてしまうことが多いですね。

☆この体験に、ハワード・ガードナー教授の学習理論を介するのがよいですね。できれば9歳までに。それから成毛眞さんの読書術を保護者がまず実践してみることです。

☆しかし、それでもなかなかうまくいかないでしょう。やはり親の限界というのがあります。さてさて、どうしたものか・・・。

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私学の系譜の根っこ軽井沢

☆ときどき軽井沢を訪れます。湿気はすごいし、今の時期は寒いし、見方によっては決して過ごしやすくはないし、連休や夏休みの時期はあまりに人が多く混んでいて、ゆっくりという気分でもありません。

☆しかし、ちょっと時期をずらすとさすがに人は少ないし、静かですね。ボーっとしたり読書をするには最適です。もっともそんな長い間滞在できるわけでもないので、私立学校のルーツの雰囲気だけ味わって東京に戻ります。

☆内村鑑三とか新渡戸稲造とかショーに出会えれば、それでよいわけです。ヴォーリーズにふと出会えればそれでよいのです。フランク・ロイド・ライトの弟子に出会えればそれでよいのです。ジョン・レノンに会えればよいといった感じの軽井沢なのです。私立学校のルーツを忘れないということですね。

Photo_2 ☆今回は中軽井沢から旧軽井沢に散策しにいくことにしました。追分までいけば三輪田学園の寮にいけるし、堀辰雄や立原道造に会えるのですが、そこまでは行けませんでした。

☆この時期に中軽から見える浅間山は、まだ雪が残っているんですね。山Photo_3 桜も咲いていますよ。旧軽井沢の通りを歩いていくと、フランク・ロイド・ライトの弟子やヴォーリーズの建築の香りがしてきます。この通りをずっと歩いていくと、ショーの記念礼拝堂があります。

☆軽井沢を建設した宣教師ですが、同時に東京の私立学校の設立にも力をつくした私学人です。このあたりは、女子聖学院や共立女子の寮もありますね。実はこのPhoto_5 通りは旧中山道です。さらに登っていくと、長野県と群馬県の県境の見晴台に行きつきます。熊野神社には800余年もずーっと世の中を見てきたシナノキ(その背景には近代を象徴する鉄塔が立っています。それが何とも言えない調和なんですね)が立っています。見晴台にはタゴールの記念碑が立っています。日本女子の設立者成瀬仁蔵の尽力で軽井沢で講演をすることになったのです。

Photo_6 ☆「人類不戦」という文字が刻まれています。内村鑑三もタゴールが軽井沢を訪れたことは知っていたでしょう。内村鑑三もまた、日清戦争以降は、「非戦論者」ですね。何か影響しあうことはあったでしょうね。岡倉天心とタゴールはインドで出会っているそうです。天心はフランク・ロイド・ライトに影響を与えていると思います。立証はできていないのですが・・・。

☆ともあれ、ジョン・レノンがこの見晴台近くの茶屋に寄ったそうですが、タゴールが訪れたことを知って、何を感じたのでしょうか。この地の何がトリガーになったのでしょうか。フロイトは不安が抑圧を生むと言っています。この地Photo_7 は不安ではなく別の気概がトリガーとなっていたのでしょう。それが私学の系譜の非抑圧を生み出したのでしょうが、不安ではない別の気概とは何だったのでしょうか。

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08全国学力テスト“06” 小6国語学テの意味するコト②

☆今年の全国学力テスト小6の国語の問題の習熟度別レベルの出題割合分布を、八雲学園の今年の国語の中学入試問題(第一回入試)と比較してみましょう。八雲学園の理事長・校長は東京中高協会の会長近藤先生です。近藤先生は私学全体の教育の質の向上と持続可能性を保守する大きな役割を果たしています。

☆そして、今回私立学校のうち46%が全国学力テストを実施しないことに対し、その意義を認めてもいます。直接は論じていませんが、八雲学園の中学入試問題は、知識を問う問題に関しは言うに及ばず、思考の質に関しても、全国学力テストの小6の国語の問題を超えています。他の私学も同様のところが多いでしょう。そうすると全国学力テストを実施する意味がないというのが本音でしょう。

08vs ☆とにかく両者比べてどちらが難しいということは全く重要ではないのです。論理的な思考のみならず、批判的な思考も身につけてきているかを問う問題がきちんと出題されているかということが肝心なのです。OECD/PISAの習熟度レベルでいうと4と5ですね。

☆八雲学園に入学を希望する生徒は、当然このような問題の練習を積んでくるわけです。その姿勢や発想は学テに向けて勉強するのと同じです。

☆しかし、思考の質のレベル設定が違うのですから、勉強の結果に差がでるのは当然です。しかもその差は経済格差や学歴格差という量的なものではないのですね。思考の質の差なのです。能書きなんかいらないという日本の教育。そういう企業風土の中で、そういうピラミッド型組織の中でずっと暮らしていければよいですが、それは世界ではもはや通用しません。

☆同じ小学校6年生が思考するレベルに格差が生まれる。この「思考格差」を作り出している公立教育は問題ではないでしょうか。フィンランドに代表されるように、この「思考格差」を作らないようにするのが教育の使命なのです。

☆批判的思考や創造的思考は、難しいことなどないのです。むしろワクワクドキドキで、好奇心は充ち溢れるは、議論は盛り上がるは、なぜだろうと現象と言葉を開く科学的なものの見方・考え方は広がるは、知的な遊びが展開します。誰もが楽しめる領域です。つまりモチベーションがアップするのです。フィンランドはこのレベルまで、就学前から学べる環境を作っています。この点に関しては、素直に学んだほうがよいと思います。たしかに社会的背景が違いすぎて、単純に真似はできないのですが。

☆本当は私立学校に学ぶのが速いのですが、どうも文科省はそういう動きをとらないですね。研修費や研究費、リサーチ費をかけてフィンランドにいかねば学べないとでも思っているのかもしれませんが、まったくチルチルミチルですねぇ。それにしても、その研究で学んでくるものが、文科省の教育政策を正当化する素材ばかりだとしたらどうでしょう。どうもそんな感じがしてならないのですが・・・。

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08全国学力テスト“05” 小6国語学テの意味するコト①

☆今年実施(2008年4月22日)の全国学力テストのうち小学校6年生の国語の分析を、岡部憲治さんと行いました。基礎データは、岡部さんのサイトにまとめられていますので、そちらをご覧ください。

☆岡部さんは「オカベ式かんがえ型」の切り口で、論評を進めるはずです。私の方も、その基礎データを加工し、いろいろな角度から考えてみることにしましょう。まずは9歳・10歳の壁を越えられないような問題になっているという点について。

06pisa3 ☆OECD/PISAの読解リテラシーの報告に基づいて、日本とベスト3の国の習熟度レベルの到達者割合の比較のグラフを何回もつかっていますが、ここでも念のため眺めておきましょう。レベル4、レベル5で日本はベスト3の国と溝をあけられています。

☆知識を覚え、知識を整理し、知識を自分なりに分類できるところまでがレベル3です。しかし、与えられた知識を批判的にみたり、新しい知識を創造したりすることなど夢にも思わないのがレベル3までです。これでは自分が壁にぶつかったとき、そもそも出発点が問題だったのではとか、知識としては違う表現だが、言い換えているだけではないかとか、同じ表現でも互いに違う意味でとらえていたのかぁなどの柔軟な思考ができないのですね。

☆ユーモアや笑いは差異を生み出すことです。微妙な差異に気づくことです。このユーモアのセンスがなければ、自分を変えることなどできません。与えられた2極点を疑いもしないものだから、ジレンマやダブルバインド状態から抜け出せません。

08 ☆さて、今回の小6国語の問題ですが、A問題とB問題合わせて、各レベルの問題の出題割合の分布をグラフ化してみました。レベル4やレベル5の問題はほとんど出題されていません。これでは9歳・10歳の壁はクリアできませんね。この学テを目指して生徒たちは勉強しているのですから。

☆どうやら、葛藤の領域で、なんとかしようと一生懸命働き、その中で疲弊していく・・・。そういう高ストレス社会を強化していくというのが文科省の教育政策だったわけですね。そうしなければ戦後日本(明治政府からでしたが)は官僚近代社会を形成できなかったのです。

☆しかしながら、全国学力テストをPISA型にしたと言わなければ、立証のしようがなかったのですが、そういったばかりに世界標準のモノサシをあてる道を拓いてしまったんです。すると世界標準を無視している日本の教育政策が浮き彫りになってしまったという何ともパラドックスですね。

☆「ゆとり教育」か「脱ゆとり教育」かという二極の論議を大政奉還する議論から、日本の教育は始まるのです。歴史は繰り返されますが、二度目、三度目・・・は茶番になりがちです。ここも注意しなくては。

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08全国学力テスト“04” 全国学力テストの分析をするワケ

☆ところで、なぜ「全国学力テストの分析」をしなければならないのでしょうか。文科省がやっているのだからそれでよいのではないかと言われてしまいそうですね。たしかに、そう言われてもしかたがありません。子どもたちの現状を把握し、改善していくのがなぜに悪いのかと。

☆しかしながら、この「全国学力テスト」は教育基本法の理念実現の手段として行われているのです。現行の教育基本法は、戦後の教育基本法を改正して成立したものであることは、言うまでもないでしょうが、それが何で、「全国学力テスト」に関係するのか。

☆ここらへんの説明は大変厄介です。ただ簡単に言えば、戦後の教育基本法は、≪私学の系譜≫というモダニズムでもポストモダニズムでもない未来からやってきた(ということは歴史のかなたからやってきたといってもよいのですが)教育のパラダイムに基づいてできあがっていたのです。それを捨ててモダニズム型の教育パラダイムに回帰したのが改正教育基本法ですね。もちろん私学を助成するよなんていう方向性も盛り込まれているので、私学の存在を明記してくれたんだから、大いに結構という方もいるんですが、これはちと浅薄ということになりかねないのですね。

☆2008年4月18日、中央教育審議会が、「教育振興基本計画について~『教育立国』の実現に向けて~」という答申案を公表しました。そこにはこう書かれています。

平成18年12月,制定から約60年ぶりに教育基本法が改正され,新しい時代の教育
の理念が明示された。同時に,改正教育基本法では,第17条において,教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため,政府が基本的な計画(教育振興基本計画)を定めることが新たに規定された。本改正後,中央教育審議会では,文部科学大臣の審議要請を受け,平成19年2月から,教育振興基本計画特別部会を中心に教育振興基本計画について審議を行ってきた。・・・今後,本答申を踏まえ,政府としての教育振興基本計画が速やかに策定され,教育基本法の理念の実現に向けて着実な歩みが進められることを強く期待する。

☆とあるのです。中央教育審議会を前面に押し出し、背景で文科省が動いているわけですが、現行教育基本法の理念の実現のために、中教審が答申を書いていることは、当然ですが、明らかです。

☆さて、それでなぜ「全国学力テスト」が関係あるのかということですが、今回の答申にはこうあります。

○ 学力調査による検証

教育における検証・改善サイクルの確立に向け,児童生徒の学力・学習状況を把握するため,全国学力・学習状況調査を継続的に実施する。また,高等学校についても,多様化する生徒の実情を踏まえつつ,高校生の学習成果を多面的・客観的に評価する取組を進めるとともに,その結果を高等学校の指導改善等に活用することなどを通じた教育の質の保証と向上を促す。

☆なんと「全国学力テスト」は現行教育基本法の理念実現のための調査なのです。これは危ないんです。というのも日本のモダニズム教育は官僚近代社会がベースであること。その基本発想は「優勝劣敗」という富国強兵・殖産興業を生み出す教育なんですね。

☆≪私学の系譜≫は、川勝平太先生ではないですがどちらかというと「富国有徳」です。「どちらかというと」と断ったのは、≪私学の系譜≫に属する私立学校の中には「貧国有徳」というところもあるからですね。

☆それはともかく、およそ半分の私立学校は様々な理由をつけて「全国学力テスト」実施を拒否しましたが、本音はそこにあるのです。したがって、≪私学の系譜≫の立場からは、この「全国学力テスト」の内容や成績表の使い方などなどチェックしていかないと、子どもたちが「優勝劣敗」、つまり教育&経済格差の価値観に飲み込まれていく危険性があるからです。

☆OECD/PISAのモノサシを用いるのもそうです。「全国学力テスト」がOECD/PISAとは似て非なるものであること、むしろ真逆であることを示すことで、その危険なベクトルへ進むのを防ぐ意図があるのです。

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世界を変える学校[12] 八雲学園②

☆八雲学園の文集「まつぼっくり」には、国語科の先生方も投稿されています。これが実におもしろいんですね。表現は中学生も読みやすいように工夫されていますが、その中身はなかなか高度です。

☆たとえば、「“ヨム”こと」という表題のエッセイが綴られていますが、すでにこの表題からあれっという気持ちを呼び覚まされますね。生徒さんたちも、「読むこと」ではなく「“ヨム”こと」のレトリック上の差異を感じることでしょう。そして中身を読むとさらにガツンとやられるでしょう。

本を読む時にどんなことを考えながら読んでいるだろう。国語の授業では、作者や登場人物の心情を中心に読んでいる。これは文章を読解する上で、とても大切なことであり、中学生・高校生のうちに身につけるべきことである。では、授業以外に読む時はどうだろう。・・・新たな読み方とは、「小説を読む」のではなく、「テクストをヨム」・・・。

☆なんとなんとワクワクするではないですか。先生は山口昌男さんのテクストヨミのメソッドを少し紹介していますが、これもすてきですね。それにしても生徒さんたちは、いつも授業でやっていることが当たり前と思っているし、それを行っているのは先生じゃないですか。それがそうじゃないなんて!と一瞬パラドックス。でもこれをジャンプしていまうのでしょう。ここに八雲学園の才能開発の秘密があったんです。

☆「読むこと」はモダニズム的読み方なんだと思うんですが、「“ヨム”こと」はモダニズムとはちょっと違う読み方を意味しているようですね。山口昌男さんがポストモダニズムの旗手であるかどうかはわかりませんが、若い現代思想家たちに影響を与えてきたことは間違いないでしょう。大学教授になる前に麻布学園で社会を教えていたのですが、その講義はめちゃくちゃおもしろく迷講義だったようです。おもしろいと感じることができる生徒がいるということが私学の興味深いところです。「“ヨム”こと」を推奨するとは、八雲学園もこのような≪私学の系譜≫に属していることを示唆しているということでしょう。

☆「テクストをヨム」ということであれば、ロラン・バルト的世界を思い浮かべます。そうそうバルトの作品をベースにテクストをヨンでいる前田愛さんのことも思い浮かべますね。テクスト論的にはウンベルト・エーコも思い浮かべるなぁ。

☆10年ぐらい前までは中学入試では池上嘉彦さんの言語論がよく素材文として扱われてきました。池上さんの文章から7,000字ぐらいを活用して開成が入試問題を出したのはもう14、5年ほど前だったかな、ともあれ大騒ぎをして、池上嘉彦さんにスペシャルインタビューを申し込んだことを思い出しました。当時の進学情報誌の「合格レーダー」に掲載したのは懐かしいですね。

☆池上さんは、バルトやエーコ、リーチなどの記号論、テキスト論、語用論など幅広く言語の世界を旅していましたから、本当にいろいろ学びました。論理的な思考を鍛えることも大事だけれど、そんな問題集は世の中にいっぱいあるでしょう。想像力を豊かにする本は山ほどあるけれど、テクストとしての問題集はないよ。挑戦してみてはとニッコリほほ笑まれた表情を今でもはっきり覚えていますね。

☆八雲学園の先生は、池上さんと同じものの見方をしているのですね。「テクストをヨム」といのは、社会学でも重要な柱です。とくにコミュニケーション分析の手法の一つエスノメソドロジーなんかでは、重要です。コミュニケーションにひそむ抑圧部分に気づきそれを排除する技術として「テクストをヨム」ことは大事です。八雲学園の先生方のコミュニケーションがやわらかいのは、こういう手法が日常行われているからでしょう。

☆それから「テクストをヨム」ことのもう1つのポイントは、OECD/PISAの読解リテラシーです。この手法は現代思想や言語学、社会学とは違って、かなり理解しやすくなっていますが、背景にはこのような学問的な成果が横たわっています。つまり、八雲学園の国語科は世界標準のモノサシに耐えられる発想があるといういことを意味しています。もちろん世界標準以上です。いずれそれはスコア化してみますね。

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世界を変える学校[11] 八雲学園①

☆1996年に八雲学園は中学を開設しました。それから12年が過ぎようとしています。当時20代の先生方も、10年以上の経験を積み、さらに教師力を強化されました。世界を変える学校とは、生徒のものの見方や考え方を豊かにし、社会に良い影響を与えるだけではなく、教師自身も知恵を磨き、徳を深め、新しい発想を生み出していきます。

☆八雲学園はまさにその格好のケースですね。今年の3月に発行された文集「まつぼっくり」26号をいただきました。国語科の先生方にとっては、イヤーブックです。

☆生徒たちの文章だけではなく、先生お1人おひとりが投稿されていますが、それを拝読して、いつも会っているときの、控え目な様子とはちがって、自分の考え方をビシッと表現されているのに感銘を受けました。八雲学園の奥ゆきの深さを改めて知ることができたのです。

☆編集後記にこうあります。

「まつぼっくり」編集の時期がやってきた―というのは、毎年、私達国語科一同にとっては、重圧と快感のないまぜになったような、やはり年度末にふさわしい一大行事である。出来あがってみると、ここもあそこも、まだいろいろと工夫ができたのに、と心残りもあるが、その反省が次号へとつながる原動力ともなっている。

☆重圧と快感のパラドックス。教育とはこのダブルバインドを原動力にして、いかにジャンプするかなのですね。この状況を矛盾だ矛盾だと非難して一歩も新しいことを生み出さない大人は実に多いのですが、八雲の先生方は違いますね。このパラドックスを解く先生方の創意工夫が八雲学園を成長させ、生徒の世界を豊かにしているのは間違いありません。

☆八雲学園というと、英語の行事や、文化祭、芸術鑑賞など麗しい行事で満ちているのですが、こういう文集編集という行事も、先生方、もちろん生徒たちにとっても、「一大行事」なのです。ある意味、ここの部分は、受験生にとっては見えない部分ですね。見えない部分にまだまだ教育の本質が存在している八雲学園。信頼と期待が広がります。実るほど頭を垂れる・・・という言葉がありますが、深い質は認識しておくにこしたことはないでしょう。しばらく「まつぼっくり」を見ていきたいと思います。

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08全国学力テスト“03” 9歳・10歳の壁を越えられない

☆今年の全国学力テストの国語の問題を分析していますが、当然ながら傾向や難しさは前年度と大きく違わないと思います。条件が同じでなければ、子どもたちの学力が上がったとか下がったとか測定できないからです。

☆私一人で分析するのではブレもあるでしょうから、国際教育研究家の岡部憲治さんとやりとりをしています。分析結果は、いずれ岡部さんのサイトでアップされるでしょう。

☆さしあたり、現段階で言えることは、これでは9歳・10歳の壁を越えられないまま、大人になってしまうという以前から語ってきた問題を解決できない学習環境が生まれているということです。

06pisa3 ☆年齢に関係なく、批判的思考や創造的思考は行われなければなりません。習熟度レベルというのは難易度レベルではありません。9歳だからまだ習熟度レベルは2で良いのだということにはならないのです。

☆大げさに言えば、考える権利は子どもの学習権として認められているはずです。ここまで考えられればそれでよいというのは、実は思考の制約になるのではないでしょうか。

Photo ☆情報を確認し、整理できるだけで、確かに生きていける仕事は山ほどあるでしょう。しかし、一方で、その仕事で給料を稼ぐのはたいへんシンドイし、年収の総額もそれほど高くはないというケースが増えています。

☆何より、仕事は楽しくなければなりません。自分の状況を批判的に振り返り、創造的な時間を生み出していくサバイバル・スキルが必要です。企業も国家も補助金だして、年金をガンと支払って、守ってくれるという時代が崩れているのは、マスメディアで目の当たりにしているはずです。

☆それなのに、文科省はその時代を先取りしていないのが腑に落ちませんね。

*「読解リテラシーの習熟度レベル6」は、OECD/PISAでは設定していません。岡部憲治さんの視点です。詳細は「世界標準の読解力 OECD/PISAメソッドに学べ」(白日社)をお読みください。

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08全国学力テスト“02”

昨日22日、全国学力テストが実施されました。テスト問題と解答も各紙で公開されています。ざっと見た感じだと、奇をてらったような問題は出題されていないようです。しかし、テストの効用や影響まで配慮されていない作問者側の心の冷たさが伝わってきます。

☆世の中では、この学力テストに向けていろいろ対策をしていると言われています。その行動に対して、対策なんかするなとか、点数に一喜一憂するなとか、またまた冷たい心が発動しているようです。テストは問いの塊です。問いを発すれば、受けとめた側はいろいろな気持ちをいだくし、自分なりの反応が言動に表現されます。それがコミュニケーションです。

産経新聞によると、そのようなコミュニケーションに対し抑圧的な雰囲気が全国学テを実施する側からも生まれています。まったく困ったものです。

43年ぶりに復活した昨年に続き、22日実施された全国学力テスト。昨年の結果を基に、各地で「勉強合宿」や公民館を使った「寺子屋」など学力向上対策が取られている。文科省は「学力コンテストではない」と、数字に一喜一憂しないよう呼びかけているが、各教育委員会は、都道府県別の成績が気になるようで、学力アップに躍起だ。
(「勉強合宿」「午後の寺子屋」 学テ、各地で成績アップ躍起 08年4月22日産経新聞から)

☆この涙ぐましい反応に冷ややかなメッセージを送る必要は全くないわけです。むしろこの反応にエールを贈るような問題を作成するべきでしょう。

☆たとえば、国語の問題に、寺田寅彦さんの「茶わんの湯」が使われていましたが、なぜこの随筆が、地球物理学者竹内均さんが学生の頃読んで学者になろうと決めるきっかけになったということを結びつけなかったのでしょうか。

☆そうすれば自分に影響を与えた本という視点が、全国学テの勉強のときに身について、読書の効用について全国の中学生が学ぼうという意欲につながるでしょう。

☆それに、この随筆が小さな現象から大きな現象を説明する展開になっているなんていう文章構造を分析するだけの問題で終わっているのは、あまりにももったいない。

☆茶わんの湯の中で起こっている現象は実は地球規模の現象と同じなんだと気付いたら、次にはこのような大きな現象を物語っている小さなあるいは身近な現象について、自分の体験から説明してくださいというような問題を作成しておけばよかったのではないでしょうか。

☆そうすれば、全国学テの勉強をするときに、こういう視点、つまり科学の目を養う勉強をみなするようになるでしょう。読書や科学的なものの見方を勉強するきっかけを作るのが全国学テの使命にもなります。

☆これは学習指導要領の枠内の項目なので、逸脱しないだろうし、テストは分析するだけではなく、未来の学びのモチベーションアップのツールでもあるという認識を広めるのに役立つでしょう。分析だけだとあまりに冷ややかですよね。

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09年中学入試に向けて[09] 世界に通用する大学に進める中高一貫校⑤

08 ☆前回の「09年中学入試に向けて[08] 世界に通用する大学に進める中高一貫校④」と同じように、読売ウィークリー(2008年4月20日号)のデータによって、世界に通用する大学に進める中高一貫校について、一覧表を作っていますが、今回は千葉県の私立中高一貫校に県立高校を加えたものにしました。

☆渋谷教育学園幕張が県立を抑えていますが、それを除くと、私立と県立は拮抗している状態ととらえてよいかもしれません。

☆親としては学費と6年という中高一貫の教育の質のどちらをとるかというジレンマがありますが、そういう意味では県立千葉(今春から中高一貫校になりました)はその葛藤を解決する環境であることはまず間違いないでしょう。

☆しかし、それはそれで狭き門ですから、入学するための準備はやはりたいへんであり、塾の費用は避けられません。

☆教育にはコストがかかります。このコストはしかし投資なんて程度のものではなくなるかもしれませんね。日本の経済は破たん寸前なわけですが、これは見方を変えれば、まったく新しい資本主義の到来を意味するかもしれません。

☆投資というのは未来の予見可能性が前提ですが、予見不可能性・不確実性が前提になりますから、もはやサバイバル・ゲームのための準備です。タフでしなやかな知性とコミュニケーション能力を身につけなければサバイバルは難しいですね。

☆ゲームの中で闘うのか、ゲームの場を仕切るのか、ゲームのためのツールを生産・販売するのか・・・。まったく厄介な時代です。

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世界を変える学校[10] 白梅学園清修の戸塚先生の視点

☆日本経済新聞(2008年3月31日)の浪川幸彦名古屋大教授の<「数学力は言語力」視野に>という記事について、白梅学園清修の戸塚先生のお話をうかがうチャンスがありました。

☆戸塚先生は、清修3期生の数学がいよいよ高校レベルに突入する時期がやってきたので、効果的な数学の学び方を追究しているところです。効果的というのは、もちろん東大をはじめとする難関大学に合格できる数学の力をどのように身につけられるのかという意味もありますが、将来清修の生徒たちが、自分のキャリアデザインの中でどのように数学的・論理的力を役立てられるのかという視点で考えています。

☆そんな折、ちょうど浪川教授の記事が載っていたので、対話につながったのです。もともと戸塚先生は、数学の言語化、言語の数学化は、効果的な学び方のベースにあるとお考えになっていますから、ちょうど興味と関心が一致したのだと思います。

☆数学のお話は、私の理解力を超えてしまいますが、そんな私にいつも懇切丁寧にご教示くださるので、たいへん感謝しております。ともあれ、<より一層問題における「Why?」→「Because」→「I see」を言葉と図で表現出来るような学び方がキーポイントになると考えております>と日々新たな学びの開発に意欲を持たれていますね。

☆驚いたことに今回は、数学の話だけではなく、少し科学の話題にも触れられました。

その場で調べて導き出すといった考え方が最近の中学入試問題で出題されるようになっているという話を塾の先生方から耳にしますが、これは大学の理科の入試傾向にも一致します。最近の東大を始めとする理科(物理・化学・生物・地学)の出題に通じるところがありますね。ここ数年の理科の出題として、実験考察をさせて結果を予想、それを論理的に説明する、という問題(例えばある実験において、炭酸ナトリウムの果たす役割を40字以内で説明せよ、や、この実験を行ったときの結果がどうなるかなど)が増加傾向にあるようです。そのための方策として、一つにはやはり現象の背景を知る・理解する・体験するが必要だと思います。

☆そしてこの体験と数学がまたまたつながるようですが、それについては私がもう少し理解しないと書けません。次回戸塚先生から講義をしていただくチャンスをもらえたので、そのとき理解できたら報告したいと思っています・・・。

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世界を変える学校[09] 明大明治

明大明治の松田先生からドーンと資料が届きました。5月に、私学の先生方と授業の勉強会「The授業リンク」を開催しますが、その時の講師が松田先生なのです。この会は、もともとCALという勉強会がベースなのですが、さらに輪を広めるため、そして授業の中にこそ生徒の「いま、ここで」と「未来」の「居場所」があるという意味で名称変更し、かつ運営方法を変えて新たな出発をしようということになりました。

☆ですから、第一回目の開催が5月になるのです。来週そのための打ち合わせがあるのですが、そのときの資料が送られてきたのです。松田先生は、CAL時代も何度も講師を手弁当で行ってくれましたし、その間に、日本教育新聞社主催の「第一回アイデア授業コンクール」で、審査員奨励賞(優秀賞)を受賞されています。

☆そのときの審査員の一人があの秋山仁先生で、松田先生の授業に感服し、こういう先生がどんどん出現し、こういう授業がもっともっと広まっていって欲しいとエールを贈られたそうです。

☆また教育ジャーナリストの鈴木隆祐氏も、最近学研で出版された二冊の著「名門中学 最高の授業」、 「『授業』で選ぶ中高一貫校」で、松田先生の授業を紹介していますね。

☆松田先生の授業実践は、CALの次のページで見ることができますが、もっと詳しく知りたい方は、先生ご自身で執筆された「心を揺さぶる授業 居場所づくりを支援する」(NTS教育研究所2008年)をお読みになることをおススメします。

2002年4月18日CAL勉強会) 「ジグゾー法によるグループワーク授業の実践」

2003年10月27日CAL勉強会) 「ジグゾー法によるグループワーク授業の実践Ⅱ」

☆さて、松田先生の手紙によると、

「私の社会的関心事」のジグゾーグループワークを体験して頂き、「卒論・レポートのテーマ探索」へとつなげる道をお話しようと思うのです。

☆明大明治の生徒たちは、高2から高3にかけて「卒業論文」を書くわけですが、そのとき最も重要な点は、自分が引き受ける課題やテーマです。もちろん論文の書き方もパターンも大事なのですが、書きたいものがなければ、書きようがないのです。

☆しかし、誰もがテーマをはっきり持っているわけではないのです。もやもやしているんですね。それを明確に引き出すためにはどうしたらよいのか。まずは友達と話し合ってみる。何気ないおしゃべりもよいのです。ただ、授業の中でどうやるのか?その手法の一つがジグゾー法。しかし、資料を見ていると、アッ!また新たな手法が組まれているではありませんか。

☆はたしてそれは何か?それは5月の勉強会が終わってから報告します。それにしても、松田先生の<講義と調査と議論と編集と発表>を組み合わせた授業は、何も「卒業論文」のときにのみなされるのではありません。中1から高3までの6年間のプログラムになっているのです。全貌を見るには、やはり松田先生の著書をお読みなるのがよいでしょう。

☆いずれにしても、松田先生の授業を6年間受けられる生徒たちは、自らの知と心の居場所を発見し、建設します。それが自ら世界を変えることを意味します。そして何より、居場所とは、他者を受け入れられる場所でもあるわけですから、社会にも影響を与えられるような人物に育っていくのです。

☆今年から明大明治自身自らの世界を変えました。その変化が有効なものであるかどうかは、歴史が証明することですが、1つ確実なことは、今まで松田先生の授業を受けられるのは男子生徒だけだったのですが、共学校になったことによって、女子生徒も受けられるようになったということです。

☆21世紀は女性が前面にでて活躍する時代です。自分の世界にも他者の世界にも影響を与える構想力と実行力を身に付ける必要があります。松田先生のマインドとメッソドとの出会いは女性にとって新たな世界を拓くチャンスです。

☆私も仲間も、実際に松田先生との出会いによってそのチャンスに遭遇しています。だからこそ、お会いしてから今も議論が続いているのです。もちろんこれからも。

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08全国学力テスト“01”

☆ 「<全国学力テスト>私立の参加が減…22日実施」(4月18日20時20分配信 毎日新聞)によると、文部科学省が今月22日に実施する(小学6年と中学3年を対象)全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)に参加する私立校の割合は小中学校の合計で53.49%にとどまり、07年度比6.87ポイント減となったということです。

☆この件について、3月12日の同紙で、東京私立中学高等学校協会の近藤彰郎会長先生(八雲学園理事長・校長)は、こう語っています。

「昨年テスト結果の公表が当初予定よりも大幅にずれ込み、子どもたちに(結果の)フィードバックができないと考えた私立が多いのでは」と。

☆テストというのは、客観的なデータとして、教える側や管理する側が行うということもあるでしょう。今回の全国学力テストはその色彩が濃いですね。近藤先生はそこはさりげなく語りますが、私立学校であれば、そのような文科省の操作性には警戒するはずなのですね。46%の私立学校は、そう判断したわけです。≪私学の系譜≫に属する私立学校がまだ46%も少なくともあるということは重要です。

☆テストというものは、生徒自身の主観的な知と心の体験でもあります。自分を自分で見つめ直すトリガーです。この主観をいかに公共的な視点に広げていくかが私立学校のミッションです。ですから、テスト体験をすぐに振り返ることができないものはメリットがないに等しいのです。生徒一人ひとりの主観性をまずは大切にする私立学校の姿勢がここにも表れています。

☆振り返りというと、おそらく文科省的には反省する道具としてとらえられるでしょうね。反省といえば、心の問題となりがちです。ここが私立学校は違います。知と心は対話的につながっているのが≪私学の系譜≫のものの見方です。ですから両方の視点が交差する“thoughtful reflection”を行います。

☆おそらく公立学校では、テストと学びは二元論的に乖離しています。学びというインプットのあとのアウトプットという機械的モデルを想定しているでしょう。ところが≪私学の系譜≫にある私立学校は、テスト自体も学びです。テストのあとの振り返りは、自己批評の思考であり、自らを創造する思考です。

Photo ☆全国学力テストがOECD/PISA型であるならば、このことが了解されているはずですが、実行段階ではできないのですね。というのもこの自己批評的思考や創造的思考は、OECD/PISAの読解リテラシーではレベル5とレベル6に相当します。もっともレベル6は、OECD/PISAでは設定されていません。国際教育研究家の岡部憲治さんが、中学入試問題を分析しているときに、中入試の問題の方が世界標準より高いところまで考える問題に設定されていることを発見したんですね。

Photo_2 ☆何を言いたいかというと、全国学力テストの問題設定は学習指導要領の枠を超えてはなりません。そうすると、レベル5やレベル6の問題を出題すると、学習指導要領の逸脱ということになるのです。小学校と中学校の学習指導要領を分析してみると、そのことがはっきりします。

☆実際に昨年実施の全国学力テストを岡部さんと分析してみると、レベル5やレベル6の問題はほとんど出題されていません。ですから半数の私立学校は、参加しないのです。すでに中学入試の時から、レベル5やレベル6の思考問題を出題しているのに、中3になってそのレベルに到達しない思考をするのは、生徒自身苦痛でしょう。思考を制約されることになるからです。思想の自由、表現の自由を保守したいというのが≪私学の系譜≫のベクトルですから。

☆今年の全国学力テストでその点が改善されていることを望むのですが、しかしそれは学習指導要領を逸脱することになる。なんとももどかしいジレンマです。今度の学習指導要領改訂には、知識の配列や増加だけではなく、人間らしい思考をすべての国民が行える習熟度レベルにするという点も見直した方がよいでしょう。PISAでいうレベルは難易度ではないのです。どこまで考えるかというプロセスです。「薔薇」という漢字を書きなさいという問題が、極めて創造的な思考をする人にとって難しいときもあるでしょう。思考のプロセスのレベルと問題が難しいというレベルの差異を文科省が認識できるかどうかは、日本の教育に拠っているわけですが、その日本の教育がその差異を見えなくしているのです。えっ!絶望的ではないですか。だから、PISA型なんです。日本以外の知恵を頼りにしましょうよということですね。

☆自分の髪の毛をひっぱって、沼から抜けられないのですから、外部からのヘルプが必要です。学びのグローバリゼーションが必要なのは、そういう理由です。

関連記事)2007年4月24日「ついに全国学力テスト復活」

関連記事)2007年4月26日「ついに全国学力テスト復活(2)」

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これから活躍する教育ジャーナリスト

☆大学合格実績や偏差値という量の競争から授業という教育の質の競争にパライムシフトすると叫ばれてから久しく時がたっています。1998年、1999年、バブル崩壊後の経済の空白の負の影響が私立中高一貫校にも及んだ時期に、各学校が共同して合同説明会を開始し、私立学校の教育の質を表現するようになりました。私も私立学校の先生方の授業こそ教育の質だという勉強会の助っ人(おせっかい)として活動し始めたのもそのころからでした。

☆共立女子の渡辺先生や鴎友学園女子の吉野先生、開成学園の橋本先生に講演をお願いし、私学の授業を中心とするセミナーを開催していました。座学形式のセミナーの次は、京北学園の川合先生と共立女子の渡辺先生、中村の小林先生とCALという授業の勉強会を結成し、ワークショップ型の勉強会も開催しました。この活動は今も生きていて、「The授業リンク」と名を改めて年4回開催することになりました。ますますパワーアップするわけですね。

☆その流れの中で、私はHondaさんとコラボして、Honda「発見・体験学習」プログラムのデザインと運営チームのコンサルを手がけるチャンスをもらいました。年間15校以上の学校と6年間一貫のカリキュラムの中に、生徒たちの3T(Talent,Technology,Tolerance)を開発するプログラムをどのように位置付けるか勉強させていただきました。創造的コミュニケーションスタイル、創造的チーム、改革者型リーダーの作り方を先生方と何より生徒さんたちと形にできました。そうそう六甲や麻布出身のOBや早稲田大学、慶応大学、東大の学生がアドバイザーになってくれましたが、当時の彼らとの議論は実に印象的かつ生産的でしたね。

☆そして98年にセミナーで先生方とお会いして以来ずっとあった思いが少し形になりました。そのテーマは、大学進学実績や偏差値という量の競争ではなく、教育の質の競争の指標をつくろうというもので、学校選択指標として結実。クオリティ・スクールの探し方といった方がわかりやすいかもしれませんね。

☆これらの活動をホームページやブログで公開し、クオリティ・スクールの紹介をがんがんさせていただきました。助っ人なのかおせっかいなのかわかりませんが、多くの方に(賛否両論はありますが)ご覧頂きました。もちろん今もご覧頂いています。心から感謝しております。

☆そしていよいよCALの目標の一つであったクオリティ・スクールとしての日本の私立中高一貫校の教育を世界に発信しようという段に入ろうとしているのが、今日です。その準備として世界標準の教育の指標を岡部憲治氏と探究しました。その結実は岡部さんが「世界標準の読解力 OECD・PISAメソッドに学べ」(白日社)という本にまとめあげました。私は「世界標準の学力を身につけられる中高一貫校」というささやかなコラムを「『授業』で選ぶ中高一貫校」(鈴木隆祐著 学研)に寄稿しています。

☆クオリティ・スクールの考え方はクリエイティブ・スクールとしてあるいは12歳の学校選択という形で、前職のNTS教育研究所やその親会社にも残せたと思います。その後どうなっているかはわからないのですが・・・。

☆98年以降の私立学校の先生方とのコラボは、鈴木隆祐氏のような現代思想の素養を有している新しい若いジャーナリストの目に留まりました。2006年以降若い編集者とも会ってブレストするきっかけを鈴木氏には多く作ってもらいました。

☆そして、確実に着実に、大学進学実績だけではない新しい学校選択指標が問われるようになっていると感じています。鈴木氏独自の「授業取材」を通してみる教育の質の競争などの具体的な素材、情報、データから私立中高一貫校の教育を表現し直すときが到来したと確信しています。鈴木氏や岡部氏や編集者仲間は、教育という枠組み内だけの言語で語らないのですね。広く政治や経済、思想、社会学、文化という素養や見識で横断的に語るわけです。

☆戦後の日本の教育は、民主主義及び人権の確立のため、いったんは経済や政治から独立した領域を確保する必要があったのですが、89年のベルリンの壁崩壊以降、むしろ教育は経済や政治、平和に直接影響を与える学びのクローバリゼーションが要請されるようになりました。教育という枠内、そしてその進路として受験という枠内だけで教育を表現する時代は終わりを告げました。

☆しかし、相変わらず、そのようなタコつぼ内で表現する教育ジャーナリストや受験情報発信者が存在します。まだまだそれで飯が食えるマーケットだからですね。ですから彼らの役割は終わったのだけれど、マーケットが許容しているわけで、それはそれでよいのです。それにそうでない表現がマーケットに登場してこなかったのですから、消費者も選択しようがなかったのですね。

☆今後はやっと新しい教育ジャーナリストの表現が、消費者の目に触れ、選択されるようになるでしょう。そのとき教育ジャーナリストの質も顧みられるようになるでしょう。宣伝マンとしての教育評論家から思想や経済の批評家としての教育ジャーナリストへ選択嗜好性が転換すると思います。

☆こうして、やっと、中学受験のメディアの情報の中身・切り口・テイストが変わります。これで日本の教育についてやっと本質的にかつ複眼的に議論ができる環境になるでしょう。このような本質を能書きだ、それより金儲けだと言っているような塾は、これからはダメだということになりますね。日本の教育システムの欠陥があり続ける以上、塾は必要なのですが、だからといって教育の本質を否定するような教養のない経営者にひれ伏す中高一貫校があるとしたら、それも考えもの。本当の学校選択ができるようにするには、そこのところを教育ジャーナリストが鋭く批評する必要があるでしょう。しかし、今までは学校から広告をとりながら情報を流してきたので、中学受験の情報には偏りがでていたことも否めません。だから、本格的な教育ジャーナリストの出現は大歓迎だし、こういうジャーナリストがどんどん輩出される環境を作らねばなりません。私立中高一貫校の情報の発信のし方も中身も必然的に変わるわけですね。

☆それには私立中高一貫校自身も、目先の生徒数や偏差値をあげるために、塾と付き合うような態度は断固はねのけるべきですね。あくまでも世界標準の学力を身に付ける生徒のサポートをして私立学校に進学させる塾とのゆるやかなつながりを重視すべきです。それが消費者の中学入試マーケットにおける良質の選択嗜好性を育てることにつながるはずです。

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09年中学入試に向けて[08] 世界に通用する大学に進める中高一貫校④

08_2 ☆読売ウィークリー(2008年4月20日号)のデータによって、世界に通用する大学に進める中高一貫校について、一覧表を作っていますが、今回は埼玉県の私立中高一貫校に県立高校を加えたものにしました。

☆首都圏とはいえ、東京都とはずいぶん違いますね。埼玉エリアの私立中高一貫校が、東大、早慶に進学させることを第一の目標にせざるを得ない理由がこの一覧表から見えてきます。県立高校に男子校と女子校が存続しているのですから、雰囲気は県立の方が私学的かもしれません。

☆もっともそれは埼玉のエリア内の状況で、県立浦和が東京の開成や麻布と比較してどうかといえば、やはり公立の名門校であり、私学の名門校とは違いますね。

☆そのことは県立浦和のホームページを見れば明らかです。サイトでは浦和高校新世紀構想の根本的な発想についてかなり詳しく発信されています。それによると、

浦和高校が県民から期待されているのは、第1に生徒の進路希望の実現です。従って中高一貫校や大学附属高校・私立高校と肩を並べる進路実績を挙げなければなりません。

☆発想の第1目標が、大学進学実績です。ただし、一覧表を見れば明らかなように、表では早稲田大学の実績が集計中なので、トップになっていませんが、かりに慶応と同じ実績だとしても、東大・早大・慶大の合格実績の卒業生数に対する割合は、埼玉エリアナンバーワンになります。早稲田大学の実績の方が多いはずですから、これは間違いありません。ということは進路実績で肩を並べる私学というのは、埼玉エリアの私学のことを意味しているわけではないのですね。だからこそ、次のようなビジョンが謳われるのです。

現在の日本の中等教育は、受験という目的を達するための手段という側面が強いのが現実です。その結果、長期的視点での生徒の成長を考えた、本来高校がもっているべきバランスのとれた人間形成(全人教育)は軽んじられています。また、こうした教育環境が生徒たちの人格形成にマイナスの影響を与えているのではないかという心配もあります。進路実績の向上と全人教育の実現-このふたつは両立しえないと思われがちです。実は、浦和高校ではこの二つは相反するものではなく、相互補完的な、互いを高め合う一体のものとして110年間機能してきました。・・・「浦和高校新世紀構想」は、浦和高校のよき伝統を継承しつつ生徒の進路希望を実現する機能をより強化するため、考え出されました。

☆全人教育と進路指導の両立。文武の両立ということです。そしてこの教育の質で、東京の私学と競争するよということでしょう。そのために、新世紀構想の3本柱を掲げています。

1.科目の選択を充実させる-単位制による画期的な新カリキュラム
 進路実績を向上させるための具体的方策が「単位制による新カリキュラム」の採用です。単位制によって、基礎から先端までの多くの科目を少人数制で授業を行うことができます。これによって、進路実現に向けた学習機能を大幅に強化しました。現在の興味と将来の必要という選択の観点も生徒に示し、受験にのみ特化させないようにしています。

2.学習指導・進路指導を強化する-新しい学習・進路指導体制
 現役での進路実現へ向けて、3年間の長期的観点に立ったプログラム(「3年間のストーリー」)を考えました。常に自己実現への情熱を喚起し、夢の実現へのステップを一歩一歩着実に登って行くような充実した高校生活を、生徒自らの手で作り上げていけるよう工夫されています。またその過程で、依存からの脱却を目指します。

3.学びの場を大学に、そして世界に広げる-多様な学習機会の提供
 高校在学中に大学の講義に出席し、高校では得られないより高度な知的刺激を受けることを可能としました。また、海外姉妹校(英国)との長期交換留学制度により、浦和高校をステップとして生徒が海外の大学へ進学できる制度を立ち上げました。生徒に大学受験を超える長期的な目標を意識させることが、毎日の学習活動に前向きに取り組む原動力となっています。

☆新カリキュラムとは、各教科にさらに深化させた教科を選択できるようにしています。ある意味フィンランドの総合制学習のシステムに似ているかもしれません。しかし、教科間を横断するカリキュラムではありません。深いプログラムではあるけれど、広いプログラムではなさそうです。

☆新しい学習・進路指導体制とは、埼玉大学の講義を聴講できるということですね。これはアメリカのAPというプログラムに似ています。もっとも今では東大の講義を聞くチャンスも広く開かれているので、これも東京の私学に溝をあけることはできません。

☆多様な学習機会の提供の中で最強のものは、イギリスのパブリックスクールであるホイットギフトスクールと姉妹校提携をし、特別な連携をすることで、IBのディプロマを取得し、ケンブリッジ大学など海外の大学へ進学するコースがあることです。1年間の留学までは構想し実行している私立学校はありますが、そのまま海外の大学へというシステムづくりはなかなかできません。ただし、これとて、私学に溝をあけることはできません。公立という教育システムの枠内で、ものすごいことを企てていることに間違いはありません。

☆たしかに画期的です。しかし、私学の場合、やろうと思えばIBコースを自らの学校につくってしまえるのです。実際に加藤学園暁秀や横浜山手女子は導入していますね。麻布や武蔵もイギリスのパブリックスクールに長期留学ぐらいまでは計画し実行しています。

☆単位制のカリキュラムを作ったのは、おそらくこの長期留学をもっと柔軟にするためでもあるでしょう。教育行政の枠組みの中で、ものすごい創意工夫をしているわけで、ほかの公立高校や東京・神奈川エリアの私学を除く私立学校が肩を並べるには、想像を絶する努力が必要ですね。

☆埼玉エリアの私立中高一貫校の覚悟は相当なものでなければなりません。エリートスクールになることで満足せずに、エクセレントスクール構想を打ち立てて欲しいものです。

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09年中学入試に向けて[07] 世界に通用する大学に進める中高一貫校③

08 ☆世界に通用する大学に進める共学の中高一貫校(東京都)について、前回、前々回と同じように一覧を作りました。その際、中高一貫校ではありませんが、都立高校の進学指導重点校を加えました。

☆世界に通用する大学に進学するだけならば、何も中高一貫校を選択する必要はないということがわかります。ここからも中高一貫校を選択するのは大学進学実績や偏差値だけではないということが推察できます。

本田由紀さんは、中学3年のときの成績が、その後のモダニズム日本企業におけるキャリアデザインに大きく影響すると調査報告をしています。そしてその成績を形成する子育ては「きっちり型」であると。しかし、一方で、ポストモダニズム社会を迎えている日本の文化においては、小学校からの「のびのび型」子育てがポイントであるとも。

☆「きっちり型」か「のびのび型」か。社会の趨勢によって変わってしまう。つまり公立の学校は、社会の趨勢とそれを操作している国の教育行政の圧力によって変わってしまうのです。

☆しかし、人間形成は、古くて新しい問題ですが、「きっちり型」も「のびのび型」も両方必要でしょう。この両方を、単に物理的時間でバランスをとるのか、第三の道として新しいスタイルを形成するのかは方法は分かれます。

☆ワークライフバランスなどというのは、物理的な区分けが中心です。しかし、欧米で30%から40%占めていると言われているクリエイティブ・クラスのクオリティライフは、イノベーションによって、仕事も生活も、創造的時間と化します。このイノベーションは、どこから生まれてくるのか?それは3Tですね。Talent, Technology, Toleranceというものです。では、この3Tは?リベラルアーツによって作られます。

Photo ☆なんだ古いなあと思うかもしれませんが、このリベラルアーツは階級社会の中にあって、アッパークラスの子弟に行われてきたものです。21世紀というフラット世界にあっては、このリベラルアーツが世界中のすべての子供たちに浸透しなくてはなりません。わたしはこのリベラルアーツのベースになる子育てを「わくわく型」と呼びたいと思います。

☆遊んでいても学んでいても、興味と関心でわくわくし、だからアハ体験もできるわけです。しかし、わくわくは枠枠でもあります。人間としてのルールは必要ですね。名門高校に入学するのはきっちり勉強を積んできた生徒がほとんどです。高校段階でリベラルアーツをしている時間はありませんね。だから、かつての公立の名門高校は、とりあえず世界に通用する大学に進学させる教育に特化せざるを得ないのです。この事実は、1998年黄順姫さん(当時筑波大の助教授)が「日本のエリート校」で調査して検証しています。

☆そしてその象徴的な出来事が、都立高校の進学指導重点校の拡大です。2001年に、日比谷高校、戸山高校、西高校、八王子東高校が指定され、2003年には、青山高校、立川高校、国立高校が加わりました。この指定期間は、2013年までです。つまりゆとり教育を捨て、学力向上路線の新しい学習指導要領が開始される直後まで続くのです。「のびのび型」から「きっちり型」へ進むのですね、世の中は。本当はゆとり教育は「のびのび型」を目指したのではなくて、「わくわく型」を目指したのです。

☆日本は経済の空白の時期を迎えましたが、そのときは世界は脳科学の時代だし、IT革命の時代です。どう考えても「わくわく型」を進めなくてはならなかったのですが、時代を読める戦術家リーダーがいなかったのですね。そのため戦略が負けたのです。コードギアスでは、「戦略は戦術に負けない」と言っているのですが・・・。つまり文化エリアではそうなのですが、政治・行政エリアでは戦術が勝ってしまうのですね。

☆ともあれ、「きっちり型」の弱みは働き過ぎ。「のびのび型」の弱みは、働かなさ過ぎ。高ストレス社会で抑圧されるか、逃走するかのどちらかで、高ストレス社会を変容できない教育です。そりゃまあ、モダニズム社会にしがみつくわけですから、変える必要などないのです。

☆しかし、国際社会がそれではダメだと迫ってきています。また日本社会の文化はそれを受け入れているというか、19世紀末からすでに先行しているというか・・・。教育は国家による操作のもとにあります。日本社会の文化はその操作に対抗できる手段をもっていません。醸成されうまい酒はできます。だれかがそれを飲んでくれなければ・・・。それはまたしても外からの人材によって評価されるのですね。

☆もちろん、そうは言っても、その泉があることを表現する人材が必要です。かつての津田梅子のように、新渡戸稲造のように、内村鑑三のように、南原繁のように。かれらは新島襄、江原素六、福沢諭吉が醸成した教育や文化を世界に広めたあるいはつないだ人々です。みな私立学校にゆかりのある人ばかりです。

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09年中学入試に向けて[06] 世界に通用する大学に進める中高一貫校②

08 ☆前回から「読売ウィークリー(2008年4月20日号)」で公開されている東大・京大・国立大・医・早・慶の大学合格実績のデータから東大と早大、慶大の実績の一覧表を作っていますが、今回は東京エリアの女子校を見てみましょう。

☆富士見中や桐朋女子は、もっと話題にされてもよいはずの中高一貫校であることがわかります。特に桐朋女子は、世界に通用する大学に進める学校であるだけではなく、世界で通用する学力も身に付けられますね。

☆帰国生からの人気もあるし、4X(experience, explore, exchange, express)というリベラルアーツの基礎である、体験、リサーチ、議論、プレゼンの思考サイクルがプログラム化された学びで充ち溢れています。

☆頌栄女子も、帰国生がたくさん入学してきますから、その影響が大であることがわかります。世界で活躍する人材が女子校から輩出されるということは、日本のように、まだまだ男女の差別意識が社会的背景に隠れている国では重要なことなのです。

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09年中学入試に向けて[05] 世界に通用する大学に進める中高一貫校①

08 ☆「読売ウィークリー(2008年4月20日号)」に東大・京大・国立大・医・早・慶の大学合格実績のデータが公表されています。このデータから東大と早大、慶大の実績の一覧表を作ってみました。卒業生数に対して3つの大学の合格実績が占める割合が大きい中高一貫校をシェア順に並べてみました。まずは東京エリアの男子校を掲載します。

☆さて、なぜ東大・早大・慶大にしたかというと、これらの大学は、2007年11月に公開されたTHES(The Times Higher-QS World University Rankings )の国際大学ランキングで200位以内に入っているからです。表にあるように、他の大学も200位以内に入っていますが、東京エリアにある大学で、同誌でデータがある程度はっきりしているのは、この3つの大学です。

07thes200japan ☆目的は3つの大学にどれだけはいったかということを見たいのではなく、世界に通用する大学に進学できるチャンス確率の高い中高一貫校はどこかという傾向をみたいだけなので、だいたいこの3つの大学合格実績でつかめるだろうと考えたからです。

☆世界に通用する大学に進学できるからといって、世界標準以上の学力を身につけられる中高一貫校であるかどうかについては、また別問題です。これら3つの大学に入るのに世界標準以上の学力は、まったく必要ないからです。

☆世界標準以上の学力を身につけられる中高一貫校については、「中学受験 授業で選ぶ中高一貫校 鈴木隆祐編著」の中のコラムで、私も少し書きましたから、参照してくだされば幸いです。

*麻布、開成の早稲田大学のデータは、未集計ということで、公開されていないだけで、0ではありません。

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中村中のマーケティング戦略

4/16(水)TV東京12チャンネルで、「なかむらおやじの会」が放映されます。このことは、中村中のマーケティング戦略が確実に進化していることを意味します。学校の評判づくりは、なんといっても自らの教育活動の表現ですが、自ら広告を通して発信している段階から、他者であるメディアが興味をもって、世の中に知らせてくれる段階にシフトするのが究極の評判づくりというわけです。宣伝から広報へというジャンプ。中村中のマーケティング戦略がレベルアップしている証拠ですね。

☆「なかむらおやじの会」は、自分の娘だけではなく生徒皆が健やかに成長していくことを手助けする会です。この活動を通して自分の娘の友だちや先生を身近に感じることができます。会員は今年度で200名を越える見込みだそうですが、自分の娘の学校を「名門中学」にするために、保護者が「名門中学作りに」に参画している格好の例ですね。これも口コミによる評判づくりの戦略です。もちろん、戦略というよりコミュニケーションとして先生方は意識していると思いますが、マーケティング的には立派な戦略です。

☆中村中は私立学校として、質の高い教育活動のみならず、強い経営戦略を構築する必要がありますが、そのビジョンは明快になったし、実行されてもいます。ますます楽しみですね。

◆昨年度の「なかむらおやじの会」の活動実績
 ①スポーツ大会            生徒とフライングディスクの試合  結果は引き分け
 ②魚のさばき方            家庭科の先生に教わって生徒と一緒にアジをさばきました
 ③清澄祭パトロール        生徒の安全確保のためにおやじチームでパトロール
 ④清澄祭準備・片付け      大量のゴミを生徒と汗を流しながらの片づけ
 ⑤入試相談                清澄祭のおやじコーナー「父親目線で相談にのります」
 ⑥おやじ特別授業          薬剤師・航空関係・ITプログラマーなど得意分野の講義
 ⑦スポーツ大会リベンジ    生徒はフライングディスクの引き分けが納得できなかった
 ⑧納会等           仕事を離れて、子どものため、中村のために熱く語り合う

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世界を変える学校[08] 海城学園⑥

世界を変える学校[07] 海城学園⑤ 】のつづきです。

☆中田先生の序の最後の部分を見てみましょう。

振り返れば、私が大学院を終えて本校に赴任し、最初に担任した学年が、この「卒業論文集」の栄えある創刊号を纏め上げました。彼らが高校を卒業してこの春でちょうど十年目になります。大学や大学院の修士課程を終えて社会に出て行った者に続いて、この一、二年は大学院の博士課程を修了した者たちの就職の報告が届くようになりました。大学や官庁の研究職に就くというもの、博物館の学芸員になるというもの等々、職種は様々ですが、彼らが一様に口にするのは、「自分の学問・人間形成において、中3で卒業論文を書き上げた経験は掛け替えのないものでした」という一言です。
 最後に、今回先輩たちに続いて立派に卒業論文を書き上げた学年の生徒諸君が、この学びを通して手にしたゆるぎない自己信頼を土台にして、更なる飛躍を成し遂げ、頼もしい先輩たちの後に続くことを心より祈念して、ささやかなはしがきに代えたいと思います。

☆ここの部分には、海城学園の「卒業論文」の編集活動が、いかに世界を変えているのかについてさりげなく書かれています。

☆この活動は、研究職、学芸員、企業人などそれぞれの道を歩むことになったきっかけのひとつとして影響力があることが述べられています。それぞれの道を歩むという確信をもつことは、それぞれの生徒が、1人ひとり自分の世界観を持つということを意味します。世界を変えるというのは、まずは漠然としてあるいは不安をもって歩んでいた自分の中で、あっという気づきとそれによって急に膨らむ自分なりの世界観が立ち上がることです。

☆その世界観を互いに支え合う友人、先輩と後輩、そして生涯見守ってくれる教師の存在が肝要であるということも示唆されていますね。自己信頼とは、自分の世界観を自分で立ちあがらせることと、その過程を支え合う他者との出会いの確信から生まれてくるのでしょう。

☆そしてそのそれぞれの世界観は、今度は自分の外部にある世界そのものに影響を与えるのでしょう。家庭や地域や学校や社会や国や国際社会の政治経済・生活・文化に影響を与えるのです。もちろんその影響には、海城の倫理である公正としての正義が横たわっています。

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09年中学入試に向けて[04] 精神的暴力の構造を解体できない学校は選択しない

☆私立中高一貫校の選択指標を重視しているのは、実は学校の構造的な暴力性が解体できないところを選んでほしくないからです。言うまでもなく、その暴力性というのは物理的な暴力を意味しているのではありません。裸の暴力が蔓延している私学は自ずと選択されなくなります。公立の場合は、内藤朝雄さんの体験したような強烈な暴力の正当化された学校もあるのでしょうが、首都圏の私学の場合は存続が難しいですね。

☆しかし、物理的な暴力がないからといって、精神的暴力性がないかというと、それはまた別問題です。この精神的暴力性の構造は、極めて巧みに仕組まれています。ですから見破るのは大変です。

☆精神的暴力性の構造は、物証がそうないため、損害賠償請求を成立させにくい、厄介な仕組みです。精神的暴力性の構造の由来は、もちろん経営者にあります。

☆教師の暴力性を恐れて放置する経営者が理事長や校長だとしたら、まずはそんな私学は選ばない方がよいですね。そんな私学が首都圏にあるのか?と言われるかもしれません。あるんですね。ただ、教頭や教務の部長クラスの先生方が、精神的暴力性を持っている教師と戦っているうちは、期待と希望があるし、精神的暴力性の構造は見えにくいですね。見えたとしても善なる先生方が最終的に勝利すると期待して選択する場合もあります。

☆しかし、そのような状況にある学校の理事長や校長が、暴力性を有している教師を放置し、彼らと戦っている公正な教頭や教師に理不尽な対応を続ける学校が時々あります。自分のストレスのはけ口を、言いやすいからでしょうが、公正な教師に向けてしまうのです。

☆そしてまたまた悪循環がおこります。というのも公正な教師は、過渡期だからがまんしようというキトクナ性格を持っているからです。精神的暴力性を有している教師は、そこを巧みに利用します。理事長や校長の暴言を通して、自分たちの暴力性を、公正な教師に果たすのです。この構造を解体するには、精神的暴力性を有している教師に辞めてもらう必要があるのですが、組合や法律はまずは守るでしょう。なにせ、その教師は自ら何の手もくださないのですから、証拠がないわけです。

☆この精神的暴力性の構造を解体しようとがんばっている公正な教師たちは、精神的に追い詰められ病に脅かされたり、もっとも辛い事態を招くこともあります。それを回避するにはその学校を去るしかないわけです。しかし、残された生徒はどうなるのでしょうか。もちろん物理的暴力はありません。評判を落とすようなことをしたら、精神的暴力性を有した教師の生活に影響しますから。彼らはゆでカエル戦略をとるでしょう。それがわかっているから、公正な教師は、自分の面倒を見た生徒たちの卒業を見送ってから離脱します。精神的暴力性と闘っている校長が存在している学校もありますが、ときどきその校長が追い出されてしまう事態も起こります。

☆いずれにしても、この時期、一方で入学式、新学期に胸ふくらませている学校行事が行われている中で、水面下で精神的暴力性と闘っている先生方の動向が、私立中高一貫校の人事異動で見え隠れします。公正な教師が離脱したとき、その学校の生徒募集はうまくいかなくなります。生徒募集の動向は、そういう意味では無視できないデータです。

☆しかし、もっとも恐ろしいのは、偏差値が高いがゆえに、精神的暴力性を有した教師の存在を見抜けない学校もあるのです。偏差値は高いは、大学合格実績も良いは、それゆえ生徒も集まるは・・・というわけで、外から見ていると、見えにくい学校も存在します。そういう学校は、生徒の力がパワフルなので、さらに気づかないのですね。でもそこで繊細なセンサーを持っている生徒が犠牲になる場合もあるのです。私立学校の退学者は、意外と多いのですが、それは精神的暴力性の構造にあるのですね。

☆ではどうやって見破るのか。それは高偏差値なのに、麻布のような論集を発刊や公開できていないところですね。学内に自由な議論の風潮がない高偏差値の学校は、チェックしてみる必要がありますね。また横断的な知を養成する雰囲気のないところも危険性はありますね。リベラルアーツのプログラムのないところです。もっともこのリベラルアーツもたんなる教養主義で、議論がないプログラムもあって、見抜くのは厄介です。

☆≪私学の系譜≫を探求するのも、実はこういう精神的暴力性の構造を解体している学校を探すのが目的なのです。≪私学の系譜≫というのは国家の暴力性から子どもの未来を保守する学校がルーツなのです。私立学校の中にもそうではない学校も、当然あるわけです。そこを見破る必要性を、最近の青少年の事件から痛切に感じます。

☆教育基本法の改正というのは、この≪私学の系譜≫にある部分対立するものです。ですから私立学校の先生方の中には不安を感じる人も多いのですね。改正された教育基本法の光の部分だけ語る理事長や校長がいたら、もしかしたらそこは≪私学の系譜≫から外れるかもしれません。念のためチェックしてみる必要があります。

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09年中学入試に向けて[03] 白梅学園清修の新体制

☆鷹の台の駅ホームに降りると、桜の花吹雪が迎えてくれました。今日4月6日は、白梅学園清修の3回目の入学式。2008年度の清修は、いよいよ3学年がそろいます。

☆3期生が揃うまでは、おせっかいにも入学式に参加して清修の草創期の様子をお知らせしようと思っていましたが、やはり訪れてよかったと思います。1回目と2回目の入学式の様子と比べても、基本ベースは何も変わっていません。ビジョンや方向性は間違いありませんね。

☆秋田前校長先生の考え方を継承された樋口秋夫新校長先生は、知に触れ、深め、創りだす段階をのぼっていく準備をする教育について確認されました。また、建学の時から、軍国主義的な考え方と対峙して、普遍的かつ絶対的な真・善・美の価値を大切にするヒューマニズムを貫く≪私学の系譜≫に属していることも確認。清修の基本ベクトルは不変です。

☆一方で、表現のスタイルはクオリティがアップしています。保護者の代表の方の挨拶の中で、「上級生が丁寧に作り上げて下さった学校」というフレーズが語られましたが、入学式も同様でした。理事長も校長も在校生代表も新入生代表も、みんなで白梅清修のよいところを言い合うのではなく、それは新入生代表と保護者代表の挨拶にゆずり、シンプルに、お祝いの言葉といっしょに歴史を創っていこうというもてなしの言葉を投げかけていました。今日の主役は3期生ですよというのが学校全体の姿勢から伝わってきました。

☆昨年までは1期生と2期生だけだったし、教育実践もまだまだ途上だったので、あれもこれも語らないとさびしかったのかもしれません。しかし、今年は掲げられた理想は着々と実現され、今さら入学式で自己礼賛する必要はないということでしょうね。

☆私たちの夢と希望と現実の学校に心からようこそをまず言いたいという先輩たちの思いが伝わってきたのです。また、新入生も、キレイな校舎、ステキな制服、楽しい授業について語っていましたが、何より先生の話がおもしろく、上級生が明るくて、いっしょに歴史を作る夢と希望がもてるという気概は、1期生、2期生のときと同じ構えです。これには驚き、そして安心しました。

☆保護者も、21世紀はパラダイム・シフトが起こっているが、その激変の時代の中で自分たちの夢を実現して生きていく条件を学べる学校であると期待していると語り、先生方が存分にその教育を果たせるように協力するという温かいプレッシャーをかけるのも、入学式の伝統になりつつあります。実にいい雰囲気です。

☆ただ、新校長を迎え、新しい先生方も増えました。男性の先生の割合も増えたのではないでしょうか。そのせいもあるのでしょうか、体制の根本は変わりませんが、≪言説≫に少し変化を感じました。生徒と教師と保護者が丁寧につくりあげてきた白梅学園清修の独特のコミュニケーション雰囲気とは異質の男性原理の≪言説≫です。ロジック優先、左脳優先の≪言説≫ですね。

☆秋田校長時代は、アートとサイエンスの境界線は程よいあいまいさを保ちつつという雰囲気だったのですが、新体制は、二重構造として境界線をはっきりさせつつ統合していくという雰囲気のような気がします。

☆要するにシステム化するということですね。これは組織が成長するとき当然通過する試練です。ただ、草創期としては、もう少しカオスが続いたほうが、成長期に向けての飛躍が大きいのに少し速いのではと感じました。まったくもって大きなお世話なのですが。

☆システムとしては、シンプルになっていくのは効率的です。機能は役割分担でよいのですが、教師の人間力だけは、決して役割分担しないようにと祈っています。A教師は論理的思考の役割、B教師はおもてなしの目配りを専門にするとかではなく、今までのように、すべての先生がロジカルシンキングもするし、ハイタッチな挨拶もする。左脳も右脳もフル活動させるというように。

☆システムはシンプルに、人材は豊かで複雑系でという学校に成長することを期待しています。

関連記事①)白梅学園清修の第一回入学式厳かに清々しく開花

関連記事②)白梅学園清修2回目の入学式 ~不易流行、文化再生のプログラム【1】

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世界を変える学校[07] 海城学園⑤

世界を変える学校[06] 海城学園④ 】のつづきです。

☆海城学園の先見性について、中田先生はこう語っています。

社会科の総合的学習が開始されてはや十六年が経とうとしています。文部科学省が総合的学習の導入を決めるよりもはるか以前に、それに踏み切った本校の社会科教員を中心とした先生方が将来を見据えて選択した指針が、決して的外れでなかったことが今ようやく世間でも認知されるようになってきたということでしょうか。

☆まったくその通りですね。昨日の午後知人に頼まれて、小学校低学年の保護者対象のセミナーに参加しました。「9歳の壁をなぜ乗り越える必要があるのか」というのがテーマでした。9歳の壁を乗り越えずに「きっちり」勉強だけしていくとどんなキャリアデザインの可能性が待っているのか。逆に乗り越えずに「のびのび」暮らしていくと、大人になってからどうなっていくのかという仮説を話しました。

☆なんだか危機感駆動型の話になってしまって、少し反省しないわけではないのですが、妙にリアルな雰囲気がセミナールームに広がってしまったので、ついついそこのケースの話で盛り上がってしまいました。

☆で、どうやって9歳の壁を乗り越えるのか、そもそも9歳の壁とは何かという話になりました。9歳の壁を乗り越えられなくても、東大の入試問題はできてしまうのだし、日本の社会だけで暮らすのならなんとかやっていけてしまうという話もしましたか。

☆保護者の中には、将来お子さんを海外につれていくという方や、私立小学校に進学させたという方がいたためでしょうか、そのような問題意識について妙に共感雰囲気が浸透してしまいましたね。

☆ともあれ、OECD/PISAの問題、ウツ病の問題、不登校やニートの問題、クリエイティブ・クラス到来の話題などなど話は広がりました。

☆そして、9歳の壁を超える思考力を考える問題の例として、岡部憲治さんの「世界標準の読解力」で紹介されている海城学園の問題をいっしょに考えてみました。都市工学の専門家もいましたので、ますます盛り上がってしまいました。

☆地図という非連続テキスト(文字ではなく図や表で描かれたテキスト)から、都市計画を批判的に検討し、自分の都市デザインを創造的に思考するには9歳の壁を乗り越えていなければできないし、こういう問題を考えることが9歳の壁を超えることにもなるのだというアハ体験の空気は感動的でしたね。

☆海城学園の入試問題では、茂木健一郎さんのいうアハ体験ができる問題が多く出題されますが、それを制作編集しているのは、海城学園の先生方以外にいないのは、言うまでもないでしょう。

☆中田先生自身は国語の教師です。しかし、社会科の先生方の教育活動の本質を、このように見抜き、評価し、応援しています。知のインタフェースが成立しているのですね。この本当の意味での知の横断的な思考の創発が、海城学園の先見性の面目躍如ですね。

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09年中学入試に向けて[02] 中村中の新体制

☆春休みの間に、中村中学校では2008年度の第一回職員会議が開催されたようです。同校は、すでに2月の半ばに、広報チームに関しては新たな体制で臨んでいます。今年の入試で迎え入れる生徒たちの考え方やものの見方に頼もしい変化が見られたため、学校の表現をまずは変えなければならなかったからです。何せ2009年の入試に向けて2月中に説明会を行っているのですから、そこはダイナミックに変化させないとということでしょう。

☆そして、いよいよ新学期が始まります。説明会で表現した内容の充実と実行を果たさねばなりません。内容が変化するのですから、当然その運営体制も変わるのは論理必然的です。

☆さて、どう変わったのでしょうか。それは「3教頭体制」ということのようです。中村中学校は一貫校として2・2・2学年、それぞれに教頭を置くのですね。校長先生は「2学年の学校の校長のつもりでリーダーシップを発揮してほしい」とエールを送られたようです。

☆中学3年生で知性・感性が豊になる状態になっていることが、極めて重要であることが、PISAのデータや本田由紀さんのような教育社会学者の調査などからわかってきています。中3の時の状態が、進路にかなりの影響を与えるのですね。ということは、中1・中2の2年間の学びの環境は極まりなく重要だということです。

☆中3・高1では、いよいよ進路の構想期です。キャリア・プランを確立するときです。自分を自分で大きくするための技術を学ぶときですね。自分で自分を大きくするには、他者とのかかわりをどう内面化させるか、そのコミュニケーションがポイントです。

☆高2・高3はそのような構想をどう実現するか、自己実現期です。がんばらなきゃいけないときなのです。でも今の時代この「がんばる」という言葉に耐えられず、悪玉ストレスをかかえる生徒や大人が多いのですね。このときに善玉ストレスとしてモチベーションに昇華できるかどうかが、中1・中2のときの心的構造の建築にかかっているのです。

☆こういう中高一貫のライフサイクルを意識して、「3教頭体制」にしているところは珍しいのではないでしょうか。学校としてのクオリティが、生徒一人ひとりのクオリティ・ライフづくりに直結する教育の実践。中村中学校のこの一年の動向は見逃せませんね。

参照ブログ)中村日記(中村中学校の日々の教育活動が公開されています。)

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09年中学入試に向けて[01]

☆桜の花の宴のあとは、入学式です。それぞれの私立中高一貫校は、新しい生徒を迎えるために、準備をしています。新人の教員のための研修も今ピークを迎えているでしょう。シラバスやカリキュラムも改善し、そのための教材作りやプログラム作りのために夜を徹していることでしょう。同時に来年の入学試験のための準備や広報活動も始まっていますね。

☆校名を変更したり、大学の系列校になるために飛び回っている学校もあるでしょう。柱になってきた先生が退職され、そのあとの人材戦略をどうするか思案に暮れている学校もあるでしょう。この新しい季節は、本当に悲喜こもごもです。

☆マスコミもそうですね。東大合格発表の季節は終わり、学校選択の情報を流す季節がやってきましたが、ここでも少し変化が表れています。それは、編集者やライター、情報関係者の若返りです。

☆自らも中学受験を体験して、ポストモダン的な発想を背景にしている方々がやっと表れてきました。彼らは英語も堪能ですね。グローバルな動きと世界標準を身につけられる学校の情報が、今までそれほど注目されてこなかったのは、中学受験において、ライターや情報関係者が、英語が堪能でなかったからですね。私も堪能ではありません。だから、あっ、変化が起きているなというのがわかるのです。

☆これで、やっと受験業界の表現の仕方も変わるでしょう。09年の中学入試に向けて、世の見方の変化についてウォッチングしていきましょう。

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世界を変える学校[06] 海城学園④

世界を変える学校[05] 海城学園③ のつづきです。】

☆中田先生の「序」を読み進んでいますが、次の箇所では、「世界を変える学校」を探す視点の1つである中学入試問題について語られています。

今回の結果発表がある三ヶ月前の9月に一冊の本が出版されました。『世界標準の読解力 OECD‐PISAメソッドに学べ』(岡部憲治著/白日社)。この本の中で岡部氏は、PISAで問われている学力がどのようなものであるのか、また、なぜそのような能力が問題にされるのか時代状況に照らし合わせて分析されています。そうして、そのような能力を測るテストが既に日本でもいくつかの私立中学入試で実施されてきたことを具体例を挙げて示されています。実はその中で本校の社会科の過去問題が、OECDの設定するレベル5の批評的思考力だけではなく、それを上回るレベル6相当の「創造的思考力(クリエイティブ・シンキング能力)」をも測り得る問題であると紹介されているのです。

☆盟友岡部さんとは、いろいろな探究(学びとしてのテスト・授業・メディアなど)をしているのですが、「世界標準の読解力」を編集する際も実におもしろかったですね。最初はOECD・PISA対象が15歳で、中学入試は12歳。中学入試の方がおもしろいぞ、12歳で世界標準に達している子どもたちがいるから、そう落ち込む必要はないぐらいのノリだったのです。

☆PISAの尺度に合わせて、中学入試を分類したらそれが証明できると思っていたのですね。ところが、麻布や海城の問題を分析してみると、どうもPISAの設定に合わせるのは、プロクルステスのベッドだなと気づき始めたのです。

☆そこで、思考というのを、論理的思考と批判的思考と創造的思考という分類でやってみようと、すると中学入試の方はきれいに分類できたのです。PISAの設定は最高レベルが5の批判的(批評的)思考どまりですが、中学入試の方はそれを超えるレベル6の創造的思考まで突き抜けているという仮説が成立したわけです。

☆もともと学校選択指標によって分類した良質学校のことをクリエイティブ・スクールと呼んでいたので、やはりクリエイティブ・スクールである私学はレベル6の問題を入試問題で出題しているということにもなり、中学入試問題は学校選択の重要な資料であると再認識できました。

☆そして何よりクリエイティブであるということは、新しいイメージや概念を創ることでもあります。簡単に言うと新たな知識を創出することです。よく知識を記憶する学習は非難され、考えることが重視されますが、これは皮相的非難です。

☆かといって考えるにはその前提として知識が必要という通俗的ものの見方もありますが、これも違います。考えることとは知識の変容運動です。OECD・PISAのレベル設定は、その変容運動のステップを示唆しています。そして、海城学園のように、さらにそのステップを超える創造的思考の領域の入試問題を出題する私学があります。この創造的思考力こそ「世界を変える思考」です。入試問題は学校の顔と言われますが、海城学園の入試問題は、同学園が「世界を変える学校」であることを物語っているのですね。

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