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世界を変える学校[13] 白梅学園清修の新しい表現

☆今年になって白梅学園清修を視察しに訪れた学校はもう何件になるでしょうか。最近訪れたここ数年人気急上昇の女子校の教頭先生から興奮と覚悟のメールが届いたのも昨日でした。とにかくほかの同僚もつれてもう一度訪問する旨が書かれていました。

☆清修というのは学校同士が刺激を受け合って、ともに生徒にとって良質の教育環境を作っていく場になっているんですね。量の成長には限界がありますが、質の成長に限界はありません。どこまで追究してもしきれません。しかしそれだけに、追究を止めるや、すぐに量の成長に変質してしまうおそれがあります。

☆草創期の学校がその局面にぶつかると、失速します。成熟期の学校がぶつかると停滞し、もう一度質の追究に立ち戻らないと、衰退期にシフトします。

☆清修を訪れて感動して帰ってくる先生方は、学園の教育の内容だとかプログラムだけに感動してくるのではないと思います。おそらくその点に関しては、決して自分たちは負けないと自負していると思います。またそういう学校だからこそ清修を視察しようと思うのでしょう。

☆では何に感動するのでしょうか。それは教師の創造的コミュニケーションと生徒の倫理性と自己陶冶性と自由闊達な議論の雰囲気にあると思います。草創期におけるこのような表現と思考の自由、つまり批判的かつ創造的な世界標準を超える思考の持続可能性に驚愕し、一方では自分たちの学校ではたして実現可能なのかという不安やアンヴィバレントな気持になるのでしょう。

☆私自身も、教育ジャーナリストや編集者とこれからの「名門中学」の新しい切り口について議論させていただく機会をいただきますが、その際に当然のことながら幾つかの学校の事例やエピソードを引き合いに出します。そのうちの一つの学校として清修を挙げますね。

☆2年前に講談社の方と鈴木隆祐さん(教育ジャーナリスト)と語り合って、その結実の一部が「学歴社会の楽しみ方(セオリーvol.4)」に掲載されました。白梅学園清修が未知の学校であり、偏差値もそれほど高くないのに、クオリティ・スコアは高いという点でマスコミ界ではちょっと話題を呼んでいましたね。その後、ダイヤモンドやプレジデント・ファミリー、読売新聞などでも取材にはいっていると思います。

☆ケースメソッドの一環として、国際教育研究家の岡部憲治さんと教員研修に参加させていただいたり、数学家の戸塚先生、英語科の道元先生と岡部さんのコラボ授業を企画してみたりしましたが、やはり教育のクオリティは高いというフィールドワークの結果となりました。

☆講談社の同誌に掲載された清修のクオリティ・スコアは当時3.1でしたが、年々清修の理想は実現されてきたので、2007年には3.9に跳ね上がりました。これは首都圏の女子校の中ではベスト3に入ります。女子学院、共立女子、清修、鴎友、洗足、湘南白百合、晃華・・・となっているんですね。草創期におけるトルネード的な飛躍が生まれようとしているのです。

☆だからこそ新刊書「『授業』で選ぶ中高一貫校(鈴木隆祐編著 学研2008年4月)」で清修の記事は4ページにもわたって鈴木氏の健筆が振るわれているでのです。同書には、私のコラム「世界標準の学力を身につけられる中高一貫校」も掲載されていますが、そこで清修のリベラルアーツプログラムについて触れました。リベラルアーツという言葉は清修自身は使っていないのですが、教育プログラムのカテゴリーとしては、清修の実践はそこにあてはまるでしょう。

☆つまり日本の従来の中高一貫校にはない新しい女子中高一貫校の建設途上にあるわけです。新しい建設、つまりこの創造性はどこから生まれてくるのか。それは日々の生徒、保護者、教師の間で交わされるコミュニケーションによって以外にないのです。

☆大学実績も右肩上がり、人気も上昇しているという学校が視察にきて感動するのは、このコミュニケーションの質なんです。このような学校のコミュニケーションも非常に密で、豊です。しかし、伝統があり、大学進学実績も良い学校が持続可能にするには、日々コミュニケーションの質をメンテしていかなくてはならないのです。

☆教育の表現は、教育業界内でしか通じないテクニカルタームで満ちています。タコつぼ内創造コミュニケーションが行われていればまだしも、たいていは保守的で偏向的で隠れたリスクに蓋をして、新しいことに興味がなくなりがちなのです。成熟期の学校の不安は、この呪縛という抑圧をいかにして開放するか、そのための創造的コミュニケーションはいかにして可能なのか。清修を訪れ、そこに問題解決の糸口を見出すのでしょう。

☆この創造的コミュニケーションの源泉は、ほぼ毎日載せている柴田副校長のブログなんですね。教育言説(表現)の保守性、偏向性、隠蔽性、頑迷性を崩すその表現手法は、おそらくフランスのフェリックス・ガタリ風です。柴田先生ご自身はそうは思っていないでしょうが。表現は思想です。新しい表現は新しい思想です。新しい思想を実現するには新しい表現が必要です。新しい酒は新しい革袋にというのが欧米の改革者リーダーの共通の言動ですね。

☆奥の部屋でふんぞり返っているようなリーダーが支配している組織はすでに衰退期を迎えています。リーダーはストーリーテラーでなければなりません。柴田副校長はリーダーとして新しい清修物語を綴っているのです。そこには悲喜こもごもがあるでしょう。光と影があるでしょう。アンヴィバレンツ、矛盾、パラドックスもあるでしょう。賛美と批判もあるでしょう。だからこそ真実の物語です。

☆この白梅学園清修の真実の物語に、訪れた先生方や私の仲間たちは感銘を受けるのです。何やら柴田副校長のブログ「緑浄春深」の断筆宣言で学内中議論で沸いているようですが、それもまた清修の真実の物語の1ページとして収まることを期待しています。

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