学び野[30]なぜ松田先生の授業がターニングポイントなのか②
☆岡部憲治さんのサイトでも「The 授業リンク 開催 -松田先生の授業- ①」が書きこまれ始めました。岡部さんはご自分の留学経験から松田先生の授業はアメリカのESLの授業に似ていると指摘しています。
☆手法が似ているということも語っているのでしょうが、大事なことはコミュニケーションの前提ということです。
☆松田先生もプログラムの中で、「チームに分かれてそれぞれ話し合うといっても、今日は先生方だからわりとスムーズに語れるわけですが、生徒の場合は、話さない子もでてきます。この生徒がやらされていると思わないようにするのがプログラムの妙技ですね」というようなことを語りましたが、岡部さんはそこに共鳴してブログに書きこんでいるのだと思います。
*松田先生の今回のテーマが「居場所づくり授業への試み -リード・ランからドッグ・ランへの試み- 」と設定されているのには、こういう背景があったのでしょう。
☆コミュニケーションの前提は話したいという欲求があることです。この欲求を生みだす仕掛けをESLの授業ではあの手この手を尽してプログラム化されている。その点が松田先生の授業と共通しているのだということでしょう。
☆自分の関心領域を相手に語ってみるという最初のプログラムもその仕掛けですね。生徒は与えられた課題については操作性を感じた場合、思考はなぜか停まるものです。自分の関心領域については内側からこみあげてくるのですね。
☆しかしそれでもお互い話さなくても以心伝心という状況の場合、口数は少なくなると岡部さんは指摘するわけです。たしかにESLの授業に参加するメンバーは国も文化も違う場合が多いですから、表現しなければ互いを理解することはできないわけです。
☆一期一会です。お互いを理解しようという欲求こそコミュニケーションの大前提ですね。ところが日本ではお互いのことはわかっていると共同幻想があり、それゆえその大前提がないというわけでしょう。そしてなおかつ日本は世界に比べれば相対的に平和です。問題意識は身近なリアルな空間では生まれにくい。
☆隠れたリスクをあえて掘り起こすプログラムが松田先生の授業ということになります。しかもその問題は、保守主義と偏向主義によって、深い地層に埋め込められています。そりゃあ、生徒たちが社会問題に対し無気力になるのも当然というか必然です。今の生徒や若者がたまたま無気力で、互いに傷つけあうことを避ける傾向になっているのではないのです。彼らの生活時間の大半を占める授業の影響力は意外とすごい。そういう話題はあまりでてきませんね。授業は学力低下を回復する装置という側面ばかりがとりあげられていますから・・・。
☆つまり、通常の座学の教科授業の本当の問題点は、生徒たちの問題意識が大学入試にしかないようなプログラムになりがちだということです。いや時事問題をやりますといわれるかもしれません。しかしそれは実際に解決するまでの問題意識を問いません。事実の確認と評論をやって終わりです。なぜ今授業なのか、The授業リンクなのか。学力低下を回復するための授業なんかが目的ではないのですよ。
☆ともあれ当面の目の前の問題は大学入試です。地層深く埋め込まれたリスクについてのセンサーはどんどん鈍感になります。それでは困るのだというのが松田先生の授業だし、岡部さんの指摘するESLのプログラムでしょう。
☆時代を変えるリーダーは、この隠れたリスクに対するセンサーとマネジメントの力が強いのですが、もしかしたら今の日本の授業は、リスクを隠して自分の利益だけを調整するリーダーを育成してしまっているかもしれません。実存的リーダーか損得勘定に長けたリーダーか、松田先生は生徒とともにいつもそこを考えているのです。
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