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学び野[33]なぜ松田先生の授業がターニングポイントなのか⑤

☆松田先生の授業の核心になかなかせまれないで、ぐるぐる周縁を歩いているような感じで気づいたことを書いているのですが、今回は少し核心に向かえそうな気がします。

☆松田先生の議論や編集やプレゼンをジグソー法のプログラムで進める手法や徹底的に生徒たちが書いた興味と関心事を整理分類していく手法、そして生徒たちが書いたものすべてにコメントを返していく手法のゴールはなんなのでしょうか。

☆座学や講義形式の授業では絶対にできないコトがゴールなのは、およそ予想がつくと思います。いったいそれは何なのか。1人ひとりの個性と才能を共有するコトだと思います。

☆それは、別に松田先生の授業でなくても了解することは可能なのではないかと言われるかもしれません。対話型の授業、プレゼン、振り返り、コメントのすべての要素が入っている場合はそれは可能です。

☆しかし、講義型の授業では、それは難しいのではないでしょうか。担任の先生は、分かっていると思うでしょうが、松田先生のような授業を通してでなければ、意外にも決定的なことを見逃してしまう場合もあるのです。

☆一般には、学力情報と性格や態度を教師は了解するのですが、性格や態度についてレッテル貼りになる場合が多いし、教科の専門性において優れていればいるほど、レッテル貼りをしていることに気づかないケースが多いのですね。しかし、教師間のコミュニケーションが豊かな学校では、これによって偏った生徒の見方をいつの間にか補正しているので救われているのですが・・・。

☆この補正とはどういうことかというと、最近の言葉で言えば、キャラとキャラクターのGAPがわかるということなのです。このGAPに気づかないと、態度だけ見て、あるいは言動だけ見て、1人ひとりの生徒の個性や才能を想定します。経験からいって当たる場合も多いのでしょうが、外した場合、教師と生徒は互いに信頼しているがゆえに、お互いに気づかないうちに鬱屈した雰囲気になります。先生は君を信じているぞ。先生のことを尊敬しています。なのになぜ何かが違うんだろう。でも互いに信頼し合っているわけだしとなるのですね。

☆パワハラ発言や言葉の暴力など、それはもはや論外で、実は互いに信じ合っているのに、うまくいかないということこそ隠れたリスクなのです。この隠れたリスクが、松田先生の授業で見えてくるわけです。

☆生徒にとって、居場所づくりとは、まさにこの自分のキャラと自分のキャラクターのせめぎあいのなかでやっとのことで生まれるバランスの境地なんですね。自分のキャラクターを前面に押し出せば、他者との関係はあまりに重たくなりますが、キャラクターを隠して、キャラだけで人間関係を造っていくと、自分らしさを本音の部分で出せないわけですから、それはそれで重苦しくなるんですね。自分の中でのバランスと相手とのバランスをとれるようになるためには、自分のキャラとキャラクター、他者のキャラとキャラクターの四肢的なGAPを振り返る仕掛けが肝要なのです。

☆古典的な手法ではジョハリの窓というのがあるのですが、これだけではキャラとキャラクターの差異が見えてこないのですね。

☆というのも、ジョハリの窓が基礎としてきた考え方は、従来のアイデンティティのシェアとかいう話だったと思います。あるいは「エス―エゴ―スーパーエゴ」という構造で語られてきたことかもしれません。しかし、それではかなり抑圧的なんですね。生徒は個性といわれながら、1つの価値観や感じ方、道徳を共有する一元的な同心円の社会構成の中に位置付けられてしまってきたのです。

☆ところが21世紀の社会構成は多元的です。同心円に位置付けるというか鋳型にはめこむことはできなくなっているのです。ここらへんのことをもう少し考えてみましょう。多元的といっても小さな同心円がたくさんできているだけだとしたら、それは悲劇ですから。

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