私学の経済ポジショニング[01]端緒を探る①
◆今年、首都圏の私立中学入試の受験率は、20%を超えたと言われている。これは首都圏の中高一貫校がやっと20%:80%の論理、つまり古典的ではあるがパレート最適の理屈が成り立つ時代がやってきたと言えるのである。
◆3年ぐらい前から、マスコミの私立中高一貫校の取り上げ合戦がすさまじいことは今さら言うまでもないが、全国誌のマスコミも、首都圏で売上があがるように編集コンセプトを固めているところからも、首都圏、特に東京の私立学校の教育における発言力は強まっているといえよう。
◆せっかく強まっているのだから、私立学校の教育の強みを世の評判とし、大学実績の話題だけではなく、日本社会や世界の諸問題の解決に大きな影響を与えるような発言をしていくことがポイントになるのではないだろうか。
◆私立中高一貫校に進学できる数は、同世代人口の7%であり、首都圏の場合だと3%である。少子化の影響は甚大ではない。いやむしろこの少子化が生みだす諸問題を解決する影響力を私立学校は持っているのであるから、それを大学進学実績を出すことに蕩尽してはならない。
◆少子化が生みだす諸問題とは、経済格差、教育格差、人間力格差=環境破壊などであるが、明治以来の官僚近代が推し進めてきた、殖産興業・富国強兵・戦争→大量生産・大量消費・大量移動の優勝劣敗路線の破綻の兆しであると言っても言い過ぎではない。
◆この大量生産・大量消費、つまり経済成長の減速を、官僚近代路線は、かなり小手先の対処療法で立て直そうと躍起となっている。消費者のニーズを大切にするなどと言う甘いささやきのもと、消費者の人間性を空洞化し、ニーズをキャラ化し、消費意欲を人工的にアップさせる環境統治型戦略をとっている。
◆しかし、少子化は、この大量生産・大量消費・大量移動を否定する事態である。質の生産・質の消費・質の移動への転換が時代に期待されている。この期待に応えることができるのは、教育であるが、公立学校の教育は、残念なことに、この大量生産・大量消費・大量移動を促進するための教育であり、そのモチベーションアップの手法は優勝劣敗という抑圧系の方法である。こうして高ストレス社会が日本に蔓延してきた。
◆ところが、私立学校の教育は、この意味で真逆の方向をたどっているのだが、結局進路の過程が公立学校の教育と同じであるため、目に見えないキャリア教育の質に気づかれることがなかったのである。
◆しかし、やっと少子化によって、クオリティ・ライフとしての生産・消費・移動が必要であることが見え隠れし始めた。大量の生産・消費・移動を支えてきたものは、資源奪取と労働集約の論理であったが、これが環境の持続可能性と創造的労働に転換することになる。
◆人間は自分が住んでいる環境そのものであり、人間の品性の向上はその環境を創造する知恵に根拠がある。少子化は放っておくと、環境を荒廃させ、創造性を枯渇させる。教育によって補完することが求められるのは、そこに理由がある。その教育の方法論を持っているのは私立中高一貫校(もちろんそうでない私学もある。傾向としてということ)であり、この教育が社会の経済性を官僚経済・企業経済から市民経済にチェンジするトリガーであることは間違いない。
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