« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月

世界を変える学校[37]共栄の教育の質さらに充実

☆昨日(2008年6月29日)、「2008学校フェア」が行われましたが、早稲田大学の会場で共栄学園の伊藤教頭に会えました。2001年に共栄学園は共学校になり、試行錯誤しながら、教育の質を高めてきました。もう8年になります。

☆伊藤教頭率いる5人の若手の先生方は、たいへん明朗活発で、かつ寛容な精神の持ち主のように感じました。

☆「共学校になって何か変わったところはありますか?」と質問したところ、「私たちは共学校になってから教鞭をとっていますから、女子校時代のことは、わかりません。しかし、共学になってから中学の入学者数が激増していますから、何かが変わったことは確かですね。」と明快に回答してくれました。普通だったら、わかりませんで終わるところですが、想像力豊かで、質問者が何を期待しているのか想定しながらコミュニケーションがとれる先生方がたくさんいるということです。

☆私立の共学校と公立の共学校とどう違うのですか?共栄の場合の特徴を教えてくれますか?というたいへん難しい質問に対しても、「共栄の男子生徒は、ルールを浸透させられるというのが、特徴でしょうか。男女が形式的に平等というだけでは、組織は組織として機能しないですからね。共栄の女子生徒はサポートされるのを好むし、サポートするのも上手ですが、男子の方は、自分で何とかしようという気概があります。」と即答。

☆一般に、共学校の存在意義については、男女が共にいることが自然だし男女参画共同としては当然なのだという、事実を肯定しているだけの理由が多く、本当はその回答は永遠の課題です。

☆しかし、共栄の若手の先生方は、自分なりに思考をめぐらして回答してくれます。伊藤教頭は、「うちの若手の先生方は、自分の言葉で語れるからね」と、なかなか優秀だろうと目でうったえかけてきました。その通りです。そのような自分の言葉で考えられる先生方がたくさんいるということは、そういう自由闊達な雰囲気をサポートするベテランの先生方がいるということでもあります。そしてその雰囲気が共栄学園の教育の質向上に大きな影響を与えているのですね。

|

世界を変える学校[36]武相は男子の理想郷

☆本日(2008年6月29日)、2008学校フェアが行われました。会場は、早稲田大学と慶応大学(三田)。参加校は自分のエリアに近い方を選ぶのですが、副都心線や湘南新宿ラインなどの開通が、空間を超えて学校を選択できるようになってきたために、両方の会場に参加する学校もありました。武相もその1つです。早稲田大学の会場にも参加されていました。

☆「外見れば、若葉豊かな 武相中」 これは在校生の作品ですが、たしかに東急線の妙蓮寺の閑静な丘の上にある男子校なのです。池袋や高田馬場、経堂、二子玉川などから1時間で通学できます。

☆同校の教育の質は高いにもかかわらず、あまり知られてきませんでした。どうしても大学進学実績や偏差値という基準が阻害してきたようです。しかし、質が高ければ、結果として二つの基準はアップしてきます。学校当局としては積極的にPRすることはないのですが、やはりその教育力に魅力を感じる情報センター系の外部スタッフが、いろいろなデータを駆使してプロモーションしてくれるようです。実際、大学進学実績も偏差値もアップしているわけですから、放っておいても、いずれ受験生の目に触れるわけですが、よい学校はよい学校ですから、できるだけ速く多くの人に知られることに異論はないでしょう。

☆そもそも武相の先生方は、生徒の活動の話で盛り上がり、自分たちがどんなことをやっているのかという話題は、こちら側が質問しないと語ってくれません。しかも野球部の生徒たちが、試合でどのように活躍したかという話でもなく、彼らが行った先で、どのように褒められ尊敬を受けたかという話を、こんこんと語るのです。

☆修学旅行に行ったら、あまりに聞く姿勢がすばらしいので、すっかり気をよくした語り部が、ふだん公開しない秘密の場所まで連れて行ってくれてお話を聞かされたというような話を目を細めて語るのです。

Buso ☆武相といえば「テッケン」です。こわそうな言い方ですが、もちろん違います。鉄道研究同好会のことを指しています。筋金入りの鉄道研究会で、全国に名が知れています。鉄道が好きな生徒であれば、世界でも東京だけという電車網を毎日楽しみながら遠くからでも通うほどです。

☆この「鉄研」のメンバーは、たんに電車が好きだとか、時刻表に興味があるというだけではないというのですね。たしかに、「鉄研」が主催で、企業の後援を得たりして写真展の企画まで実施してしまうほどの起業家精神であふれているわけです。

☆「鉄研」の活動は、大きな企画では、チームプレイを発揮しますが、もともとメンバー1人ひとりが自分のテーマを持っていて、個人でもフィールドワークを楽しめる自立した学習者だそうです。

☆ここが実にポイントですね。このような自立した青少年の成長は、何も「鉄研」のメンバーに限ったことではないのです。武相の伝統でありハビトゥス(文化資本の再生)であり、文化遺伝子なんですね。

☆それを象徴するような活動が行われているのが、たとえば「鉄研」だということなのです。そしてこのハビトゥスの持続可能を実現するプログラムが、中学時代の「1クラス25人制プログラム」なのです。

☆2004年に構築・実施して5年目を迎えていますが、すでにその成果はあらゆるところで出ているということです。しかし何といってもすばらしいのは、思春期を乗り越えるプログラムになっているということですね。それから教師と生徒、生徒どうしが尊敬し合え、それがゆえに自分が社会に対して何ができるかをそのミッションや役割を武相で見つけられるということです。

☆「鉄研」のメンバーの中には大学卒業後、鉄道関連の雑誌の編集スタッフとして即戦力で迎えられる卒業生もいるほどです。Suicaのエンジニアとしてたいへんなタレントとテクノロジーを発揮している卒業生もいるということです。

☆他者を尊敬し、自分が社会に対し何ができるのか、そういう自分をしっかり持つことこそ高い倫理観を持つことです。最近青少年に関して、自分を見つけられない、ロールモデルとしての他者を受け入れられない・・・などということが問題になっているし、実際多くの凄惨な事件も起きています。

☆中等教育段階で最重要な課題は、自律・自立・自分・尊敬・倫理・・・ということでしょう。アイデンティティの確立ということなのでしょう。進学指導重点校のような教育は予備校や塾でできてしまいます。しかし、自分らしさを確立し、他者と自分の関係を考えながらクオリティ・ライフを形成することは、受験勉強ではなく、教育においてしかできません。

☆そんな当たり前のことを喪失しているのが今の時代です。久しぶりにお会いできた藤田先生と神保先生の話に耳を傾けながら、武相がいかに理想郷であるか、改めて感じ入りました。

|

不安を生みだす抑圧系[12]ロールモデルがいない?

<なりたい大人「周りにいない」=中高生の5割が回答-青少年機構(6月29日16時30分配信 時事通信)>によると、

08 なりたい大人が周囲にいないと考えている中高生は約5割に上ることが、独立行政法人国立青少年教育振興機構が公表した2006年度調査で分かった。

☆この事態は何を意味するのだろうか。しっかりした大人がいないということだろうか。大人を自分の目標にすることがかっこ悪いということだろうか。キャラ立ちはよいけど、本当の自分を見つめるというのはダサイということだろうか。

☆大きな物語が消失したとか、理想の時代は終わったとか、もはや本質というものはなくなったとか・・・。そういう押し付けがましいものはいらない。自分の中から欲しいもの知りたいもの読みたいもの買いたいものが生まれてくれば、それに従えばよいのだ。

☆市場で売れるものは生産者・供給者側ではなく、消費者・需要側から要求するのだ。それがICTだとは経産省の戦略だったか。ポスト消費社会?????

☆読解リテラシーの国際ランキングが下がっているのは、もしかして読解は読者の自由な解釈で良いのだというポスト消費社会の影響か?

☆解釈を押し付けられるのが客観的なのか、読者が自由に読むのが主観的なのか・・・。この二元論では何も解決しない。さて、ここを間主観だとかで逃げ切ることもいまではできない。

☆両者の議論しか、もはや突破口がない。なりたい大人が周囲にいないのは、実は直接話し合う機会がなくなっているということだろう。互いに話せば、互いに影響を受ける。議論を促さない見えない抑圧。これが日本社会の現状の人間関係なのだろう。

|

09年中学入試に向けて[12]白梅学園清修の広報戦略

☆白梅学園清修の鈴木先生からメールをいただきました。昨日(2008年6月27日)実施した「授業見学会」の様子についての情報でした。ということは柴田副校長もまた、ブログ「清修だより ~緑浄春深~」に書き込んいるだろうと思い、開いてみるとやはりそうでした。

☆だがしかしです。鈴木先生の情報と柴田副校長の発信では全く内容が違うんですね。事実の齟齬ということではないのです。お二人の切り口が違うということです。複眼的広報活動を行っているんですね。

☆鈴木先生は純粋に白梅学園清修に訪問された在校生の保護者や受験生の保護者と清修の教員との豊かな関わりについて語っています。特に授業についてフォーカスしています。

平日の午前中にも関わらず、本校在校生の保護者の方約80名、受験希望の保護者の方約50名にご来校いただきました。とてもありがたいことです。また、何名かの受験希望の保護者の方ともお話をさせていただきました。校舎や教室の空間デザインの評価もいただきましたが、それ以上にうれしかったことは授業内容と授業中の教師と生徒との関わりを評価していただいたことです。

☆意匠より精神を大事にしてもらえたことに対する感謝の気持ちが述べられていますね。保護者に対する感謝はもちろんですが、仲間に対する感謝の気持ちも込められています。ところが、柴田副校長は、「授業見学会」に訪れた立命館の先生方の鋭い洞察力についてオープンにしているんですね。

保護者の方のほかにも、京都の学校法人立命館から教育研究研修センター・センター長と一貫教育部副部長のお二人もわざわざご来校になった。・・・お二人はそれぞれ校長・副校長経験者ということもあり、研究研修に対する意気込みは高く、お褒めの言葉などはまったくない歯に衣着せぬ、根性が入ったやり取りを久しぶりに交わさせてもらった。電子ボードの使い方について、私どもの至らない点もズバズバ指摘された。私の方からもいろいろな質問を投げかけたが、明快にお答えいただいたのでとても勉強になった。

☆ヤルナー^^)v。なんていう抱腹絶倒なレトリックなのだろう。これは何を意味するのか。白梅学園清修はまだまだいたらないところがいっぱいあるんだという卑屈な態度なんかでは全くない。もちろんアイロニーなんかでも全くない。

☆教育において重要なポイントは、「熟練」「統合」「創造」「尊敬」「倫理」だとハーバード大学のハワード・ガードナー教授は言っている。立命館の先生方の指摘は、「熟練」「統合」の話題が主だったのだろう。そりゃぁ~、できて3年目の新しい学校ですから、「熟練」「統合」の部分はいくらでも指摘できるでしょうね。

☆でも、大事なコトは、「創造」「尊敬」「倫理」の精神です。これらのない「熟練」や「統合」は軍隊組織と一緒ですからね。さて、この大事な3つの精神があると見破ったのは、実はある業者の方なのだと、「追記」の部分でそっと書き添えています。ヤルナー^^)v。ステークホルダー対策もバッチリですね!

☆ともあれ、学校づくりの優先順位が他校と違うよ♪ということを表現しているんですね。おそらく立命館の先生方は、自信もあるし、自分たちの栄光の記憶も新しいし、なおかつマスコミでも大々的に取り上げられているので、相当意識しないと、自分たちのコミュニケーションがステータス・ゲームになっていることに気づかないというリスクの可能性があります。

☆従来多くの場合は、こういうゲームの覇者が結局世の中で得をするのですから、それはそれで全くよいのですが、今の30代のクリエイティブ・クラスはフラットなコミュニケーションを望みますね。ポリティカルなゲームではなく、あくまでタレント、テクノロジー、リスペクトを好み、抑圧的コミュニケーションは好まないのです。

☆鈴木先生のメールの中身やふだんのコミュニケーションは本当に柔らかいんですね。白梅学園清修の他の先生方もそういう雰囲気です。ここに人気の秘密があることは、新人類世代以降の若いジェネレーションには見えるんですね。

☆ただこの繊細な雰囲気を持続可能にするためにはかなり強力なマキャベリズムを背景とするリーダーが必要です。それが柴田副校長です。さすがは富岡選手の育ての親ですね。ラグビーというのはやはり組織行動学的発想が必要なのだと思いますが、この学問を実践しているのが柴田副校長と清修の先生方です。

☆それにしても、柴田副校長のブログは、スタンフォード大学のロバート・I・サットン教授の“The No Asshole Rule”に匹敵するほどオモロ!ですね。

P.S.

今回は少し下品な表現や顔文字も入っています。気分を悪くされた方は、ぜひデュシャンの「泉」という作品や村上隆さんの作品をどこかでご覧ください。m(_ _)m

|

世界を変える学校[35]中村中は社会起業家が育つ土壌

中村中のブログ「中村日記」で、≪CFEP企画:企業研修会「サントリー株式会社」≫の様子が公開されています。CFEPとは、中村100プロジェクト活動の一環の中で生まれた在校生たちによる自発的チームで、“Change Future Ecology Project”の略です。

☆第3回目の企業研修とありますから、活動は持続しているのですね。こういう外部ネットワークとコラボすることは、意外と手間暇かがかかります。プロジェクトチームの活動の中で、このバックヤードの仕事・ロールプレイを体験できることは大変価値あることです。

☆どんなに賢くても、どんなに才能があっても、それを実行する力を持っている人材は少ないのですね。だから日本ではキャリアの選択の段階で、選択肢が単純なんです。いろいろな職業の選択の自由が保証されているように見えますが、それがそうではないのです。利益共同体か理念共同体かという選択肢と雇用する側か雇用される側かという選択肢がほとんどです。

☆起業しようという選択肢は最近では多くなってきましたが、まだまだです。しかも企業の場合、利益共同体が多く、社会起業のような理念共同体を形成する動きはもっと少ないですね。

☆グローバルには、この社会起業を形成するボランティア精神に富んだ人材はたくさんいます。クリエイティブ・クラスと呼ばれている人です。マイクロ・ファイナンスという社会起業を創設したムハマド・ユヌス氏が、ノーベル平和賞を受賞したのは記憶に新しいですね。

*私は、NPOやNGOの活動も含むもっと広い概念で、社会起業という言葉を使っています。

☆ともあれ、そういうキャリアを選択するには、すでに出来上がった組織を選ぶのではなく、新しい組織を作ろうという行為を選ぶわけです。そのための「熟練」システムは、現在の日本の教育にはないのです。

☆ところが私立学校である中村中は、もともとボランティア活動が自主的に行われてきたこともあって、起業家精神を養う土壌があったのですね。

☆だから、外部ネットワークとつながることができるわけですし、そのためのバックヤードの混沌とした状況をなんとかうまくマネジメントして実現に到ることができるわけです。研修の度に、外部の団体が違うので、実はこのやりとりにはマニュアルがないのです。起業家にとって最も重要な能力は、未知との遭遇をどのように解決していくかという問題解決の仕方を創出する問題解決能力で、マニュアル化された似非問題解決能力とは似て非なるものです。

☆そしてこういう活動には、必ず目に見えない贈り物がつきものです。ブログによると、

講演の中で「プルタブで車いす」は無意味と話をされたので、そのことについて生徒から質問が出ました。「本校では全校でプルタブを集めているが、どうして無意味なのか教えてください」と。

☆試行錯誤という体験、当り前だと思っている前提の崩壊を実感などなど本物の思考力を社会の最前線の活動を通して学べたのです。

☆中村中のステークホルダー戦略は着々と進んでいます。塾側は学校にB2B2Cだという企業の論理を押し付けてきます。だから、多くの私立学校は、塾対象説明会をします。これはこれで問題がないのですが、塾・予備校の再編&統合の動きが、ますますこの圧力を強化する恐れもあります。

☆そのためには学校はB2Cのステイクホルダーネットワークを最優先して形成しておかねばならない時代がやってきました。B2C、B2C2Cという社会起業的ステイクホルダーネットワークこそ未来の私立学校の姿です。その先がけの象徴がCFEPの活動です。

|

09年中学入試に向けて[11]中学受験マーケットの動き

<「第一ゼミナール」と「Z会」が提携>(asahi.com 2008年6月20日)によると、

学習塾「第一ゼミナール」を関西で展開するウィザス(大阪市)は20日、「Z会」を運営する通信教育大手の増進会出版社(静岡県長泉町)と資本・業務提携した。増進会がウィザスの発行済み株式の6%を取得。教室と通信で培った互いのノウハウを生かし、インターネットを使った事業の充実を図る。

☆Z会はすでに、学研と業務提携を結んでいるし、市進とも資本・業務提携している。通信教育最大手のベネッセコーポレーションは首都圏の「お茶の水ゼミナール」や「東京個別指導学院」などを買収している。

☆河合塾と日能研。東進と四谷大塚、早稲田アカデミー。資本や業務提携は進んでいく方向は明らかである。

☆私立中学受験だけから眺めていると、中学受験のマーケットは質的にも量的にも安定しているようにみえるが、幼児教育から大学受験、ベネッセのように全国学力テストの範囲まで手を伸ばしている教育事業体や塾・予備校のように似て非なる企業が競合しているわけだから、マーケットは複雑だし、この市場は、悪貨は良貨を駆逐することになりかねない。

☆日能研本部や河合塾、ベネッセのように子どもの文化とその質について研究し続ける企業体の体力や意地がどこまで続くかにかかっているし、学研は元来の書籍の文化を生かせるかにもかかっている。経営の倫理は経営の論理に勝てるのだろうか。

☆市場の原理は、質を磨き上げる原理でもあるが、それは同じコンセプト、同じ目的が共有された中での競争原理が働けばの話である。

☆受験市場を公立学校と私立学校という2種類の教育システムがぶつかるだけならば、問題はあまり発生しない。官僚近代型教育システムと≪私学の系譜≫型教育システムがぶつかり合っているだけだからである。

☆しかし、この両者にエージェントとして教育事業体とか塾・予備校が媒介しているのが受験マーケットである。幼児教育を専門としているエージェント、中学受験を専門としているエージェントがあった時代は、エージェント間での競争は、不確定要素がいっぱいあり、消費者の選択眼が必要だった。しかし、どこも幼児教育から大学受験までトータルに持ち始めると、不確定要素がだんだんなくなり、予見可能性と計算合理性で選択が可能になる。

☆このような状況になると、教育市場は公立学校というマスの論理で動くようになる。マスの論理とは選択と自由の論理ではなく、ルサンチマンと相互監視である。オープンという名の利益隠蔽の共依存関係が生まれる可能性がる。

☆そんなバカな話があるものかとお叱りを受けそうであるが、通信教育事業体が塾や予備校とつながるというのである。しかもインターネットで。テストの一元管理化が始まるのは火を見るより明らかである。すでにソフトバンク系列の企業が、サイバー大学やサイバー高校を運営して半ば成功している。

☆もし首都圏で、四谷大塚の模擬試験、日能研(運用などはNTS)の模擬試験、首都圏模試が統合して模擬試験を行ったりしたらどうだろう。そんなことはありえないと言われるかもしれない。しかし、インターネットで模擬試験が参入してきたら、背に腹はかえられないというのが企業である。

☆テスト会が幾つかあるからこそ、計算不可能性があり、選択判断に自由が残されているのだが、テスト会が一本化されたら、もはや自由はない。

☆テストの内容や評価が絶対的なクオリティを持っているのならもはやあきらめるしかないが、まずそんなことはあり得ない。しかし、一本化されたらそれをチェックするシナジー効果が生まれない。悪法も法であるというルールに従うしかない。

☆このような事態にならない方法、あるいはなったとしても回避できる方法は何かないだろうか。あるにはあるが、ハードルは高い。≪私学の系譜≫型の考え方・ものの見方が市民全体に広がる必要があるからである。マスには嫌われ者の倫理の知性(監視のための道徳ではない。他者のために自分が何ができるのか考え実行する知性である。)が求められるのだ。マスと市民の差異。それが問題だ・・・。

|

私学の経済ポジショニング[10]私学経営研修会に参加して<04>

☆「私学の経済ポジショニング[09]私学経営研修会に参加して<03>」のつづき。≪私学の系譜≫の第三世代で戦後教育基本法の成立にかかわった人々を、もう少し詳しく見ると、河井道、安倍能成、前田多門、天野貞祐、森戸辰男、南原繁、田中耕太郎、矢内原忠雄となる。みな内村鑑三及び新渡戸稲造の弟子たちである。

☆前田多門は草創期の東京通信工業に出資し、初代社長を務めているが、この東京通信工業こそ後のソニーである。そして、ソニー第2代社長井深大の義父が前田多門。精神科医の神谷美恵子は長女。美恵子も父同様、新渡戸稲造の影響を受けている。

☆ニーチェやベルジャーエフの著作を翻訳するなど高名な氷上英廣の義父は南原繁。そして南原繁の孫が今の麻布の氷上校長だ。≪私学の系譜≫は脈々と続いているではないか。

☆第四世代以降≪私学の系譜≫を受け継ぐ人材は、大塚久雄、丸山真男、氷上英廣(ちなみに、大塚、丸山、氷上は南原繁の弟子)、廣松渉、川勝平太、浅田彰、大澤真幸、宮台真司、内藤朝雄、東浩紀、北田暁大・・・。必ずしも私立学校出身ではないが、彼らの立ち位置は、大量生産、大量消費、大量移動の官僚近代化路線とは違う。

☆彼らは加藤弘之のダーヴィニズム的発想の社会観や人間像をよしとしない。むしろ加藤が捨てた啓蒙思想を方法論的にあるいは論理的仮説として再構築して、社会観や人間像を組み立てている。

☆そして、こうして≪私学の系譜≫が脈々と続いている一方で、明治維新以降の官僚近代化路線もまたいまだに続いている。日本の社会の構造も、やっと変わろうとしているにもかかわらずである。

☆社会の構造を、こんなにも単純化することは危険ではあるが、公立学校と私立学校の存在の地平は、かくも明確な歴史性があるということは念のため確認しておきたかった。この歴史性こそ≪私学の系譜≫としての私学の存在理由なのではないだろうか。

☆こうして見ていった時、中学受験のマーケットは、この私学の存在理由をサポートするのか、≪私学の系譜≫に圧力をかけ、官僚近代化路線に与するように強制的働きかけをするのか。中学受験マーケットに対する影響力を無視できない塾の存在理由が問われなければならない。塾が群雄割拠のうちは、学校選択はある意味計算できない保護者の選択判断によることができたわけだが、塾の再編及び統合が急な今日、偏差値による学校選択の計算が限りなく可能になる傾向が見え隠れする。

☆いずれにしても官僚近代化路線と≪私学の系譜≫路線の問題は、日本固有の問題ではなく、グローバリゼーションそのものが内包している矛盾そのものだろうから、中学受験のマーケットにグローバリゼーションをいかに結びつけるかがポイントになるだろう。

☆両者のうちのどちらかが選択されるという偏向主義的な教育環境にしないためにというあくまでも消極的解決策に過ぎないのだが・・・。現状ではそれしか策がない。

|

私学の経済ポジショニング[09]私学経営研修会に参加して<03>

☆「私学の経済ポジショニング[08]私学経営研修会に参加して<02>」のつづき。レジュメの§2≪私学の系譜≫を考えるについて、

●「近代化の矛盾=問題=圧力→学歴・経済・知・人間性の格差」をどのようにとらえるかの系譜

☆この項目では、私学の歴史性の問題の確認をしたかった。物理的時間で過去の歴史に遡ってみると同時に、現代でも同根の問題性を私学は持っているという確認。これによって、単純に歴史年代的に古い学校が伝統があるとか、新しい学校は私学の系譜に属さないとかいうことではないことを確認したかった。

☆歴史年代的に古くても、単に設置者の関係で私立学校にすぎず、≪私学の系譜≫ではない場合もあるし、仮に公立学校出身者でも、≪私学の系譜≫と同根の問題性を有している人物は、≪私学の系譜≫の仲間である。

☆さて、その同根の問題性とは何か。それが、近代の矛盾を大量生産・大量消費・大量移動で逃走するのではなく、つまり学歴・経済・知・人間性のあらゆる格差は近代が産出する運命的な問題で、解決不可能であると居直るのではなく、寛容にも真摯に受けとめ、痛みを分かち合い、なんとか解決しようとアイデアを出すための議論をし続ける関係性を重視する立場である。

☆それゆえ明治政府の官僚近代化路線は、私学人福沢諭吉、江原素六、新島襄には受け入れがたかったし、江原素六などは、相当官僚から圧力をかけられ続けた。この官僚近代化路線が富国強兵・殖産興業の路線に進化していくのであるが、この立場に疑問を投げかけたのがこの第一世代の私学人であり、ここに≪私学の系譜≫のルーツがある。

☆その後、東大の初総理加藤弘之のダーヴィニズム路線、つまり加藤は啓蒙思想を捨て、社会進化論者になり、官僚近代化路線の正当化理論を推し進めるのであるが、それに第二世代の内村鑑三、新渡戸稲造、石川角次郎は反発した。

☆彼らの思想は第3世代に継承される。南原繁、矢内原忠雄、河井みち、務台理作・・・。戦後の教育基本法成立にかかわったメンバーである。河井みちは恵泉を、務台理作は桐朋の基盤を築いた私学人でもある。

|

私学の経済ポジショニング[08]私学経営研修会に参加して<02>

☆「私学の経済ポジショニング[03]端緒を探る③私学経営研修会に参加して 」のつづき。今回の研修会では、パネリストだったの、事前に準備したレジュメに沿って話したわけではない。触れなかった項目について、パネルディスカッション終了後に何人かの先生からご質問をもらった。今回のレジュメの項目は、今年考えていきたいテーマも入っているので、本ブログで考えていきたい(必ずしも項目番号順ではないが)。

☆レジュメの項目は次の通り。

「私学の未来―変革期に対応する私学教育(私学力)―」

§1 私学力を構成する要素

①≪私学の系譜≫→明治以降の日本の近代(モダニズム)の矛盾をどう受けとめるか
②≪8つのI×5つのM×3つのT≫→知の塊(全人教育)・世界標準を超える知
③クオリティ・コミュニケーション→知の塊を形成する教師と生徒のことば力
④クオリティ・リーダーシップ→直面する多様な壁に対応できる柔軟なリーダーシップ
⑤ステークホルダーへの共感→学校選択指標におけるポジショニング

§2 ≪私学の系譜≫を考える

●「近代化の矛盾=問題=圧力→学歴・経済・知・人間性の格差」をどのようにとらえるかの系譜

参照)→別表 資料「私学の系譜を考える補助線として」

§3 ≪8つのI×5つのM×3つのT≫

●8つのI ハワード・ガードナーの「マルチ・インテリジェンス(MI)」による
言語能力・論理的数学的能力・空間能力・身体運動能力・美学的能力・人間関係形成能力・自己省察能力・自然との共生能力

●5つのM ハワード・ガードナーの「5つのマインド」による

  熟練・統合・創造・尊重・倫理

●3つのT リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス」による

  才能(Talent)・技術(Technology)・寛容(Tolerance)
●≪8つのI≫ ≪5つのM≫ ≪3つのT≫のつながりを阻止するもの

[1] 学習指導要領はOECD/PISAの世界標準のモノサシで測ると「レベル3」。
それは、全国学力テストにより明らか。

レベル1)・・・ 情報の確認
レベル2)・・・ 情報の整理
レベル3)・・・ 情報の分類・照合
レベル4)・・・ 論理思考
レベル5)・・・ 批判的思考
レベル6)・・・ 創造的思考

①学習指導要領→レベル3まで

②PISA読解リテラシー→レベル5まで

③中学入試の国語→レベル6まで

[2] 「保守的・偏向的・リスク隠蔽的・無気力的」雰囲気を形成する組織。

●≪8つのI≫ ≪5つのM≫ ≪3つのT≫をつなぐもの

世界標準のレベル5を超えレベル6までのすべてのレベルを自在に活用できる
クオリティ・コミュニケーションとクオリティ・リーダーシップ

§4 クオリティ・コミュニケーション

●「4つのコミュニケーション行為の型」の諸関係がクオリティを生み出す。

CC・・・創造型コミュニケーション行為
IC・・・双方向型コミュニケーション行為
TC・・・寛容型コミュニケーション行為
OC・・・抑圧型コミュニケーション行為

●クオリティ・コミュニケーションの関係図例

Cito

§5 クオリティ・リーダーシップ

●「7つのリーダーシップ」の諸関係がクオリティを生み出す。
ハーバード・ビジネス・レビュー版(2005年9月号)のルークとトーバートによる
7つのリーダー・タイプの応用。

(1)他者利用型( 5%)・・・どんな手を使ってでも勝とうとする。自己中心的で、人を操りたがる。「力こそ正義」。緊急事態や営業に役に立つ。
(2)利害調整型(12%)・・・不可避の衝突を避けようとする。集団の規範に従う。現状打破には消極的。オフィス内の「接着剤」として機能し、集団の一体感を高める。
(3)専門家型(38%) ・・・論理性と専門知識を第一義に置く。理性的に効率を求める。個人としての貢献度は高い。
(4)目標達成型(30%)・・・戦略目標を実現する。複数のチームをまとめて目標を達成させる。マネージャーとしての責任と市場からの要求をバランスさせる。行動志向であり、また目標志向である。管理職に向いている。
(5)個人尊重型(10%)・・・人間と組織のさまざまな行動論理を統合させることができる。戦略計画と実績の差を埋めるために独自の仕組みを考え出す。起業やコンサルティングに向いている。
(6)戦略家型(4%) ・・・組織や個人の変革を生み出せる。短期的にも長期的にも、仲間との間で互いに問いかけや警告。弱点について指摘しあう。変革リーダーに適任。
(7)改革者型(1%) ・・・社会の変革を生み出せる。物質的な変革、精神的な変革、社会的な変革を総合的に進める。世の中の改革を指導できる。

§6 学校選択指標におけるポジショニング

Photo

●「12歳のための12の学校選択指標」

(1) 自己実現プログラムの自覚的実行力

(2) 教師の創造的コミュニケーション能力

(3) 時代の変化への対応力

(4) 本格的論文編集指導力

(5) プログレッシブな授業構築力

(6) 総合学習と他の教育活動の有機的結合力

(7) 現地校で耐えられる英語教育力

(8) あらゆる教育活動でのIT活用力

(9) 他教科に刺激を与える芸術教育力

(10) キャリア・デザインとしての進路指導力

(11) 生徒の潜在能力を引き出す教育空間デザイン力

(12) 説明会の表現力(教育理念の具体的展開のプレゼン)

|

世界を変える学校[34]中村選手を育てた桐光学園

☆中村俊輔選手による「察知力」(幻冬舎新書2008年)が出版されました。サッカーのスキルやタレントの話を超えて、人生をどう生きていくのか、そのために考える力、特に「察知力」が必要だよという本。

☆ポスドクの問題も、思考なきエンジニアの問題も、動物化されたポストモダン社会の問題も、実は中村俊輔選手のサバイバル・ライフの「熟練」活動の中から育まれた「察知力」が効を奏す。

☆この「察知力」について、同書の中で、俊輔選手は、こう書いています。

桐光学園の2年生のとき、サッカー部のメンタルトレーナーの先生から勧められて、「サッカーノート」を書くようになり、それは10年以上経った現在も続けている。・・・試合前に、試合のテーマ、何を意識してプレーすべきかを書く。そして、試合が終わったあと、試合を振り返り、試合の感想から始まって、攻撃面でのよかったところ・悪かったところ、守備面でのプラス・マイナス、僕個人のことだけでなく、チーム全体のことなど、気がついたことはなんでも書いた。チームメイトはもちろん、気になった相手選手についても書いた。

☆「察知力」とは「何手先も読むこと・振り返ること・チーム内外の観察」によって鍛えられるようですね。そして中村俊輔選手はこう語ります。「高校の部活でサッカーをした時間が僕を育てた」と。この高校こそ桐光学園なのです。

|

子どもの世界 親の思い[02]

子どもの世界 親の思い[01]のつづきです。先週の土曜日、月一回の「言葉の絵」コースを支援しました。毎週やっている「絵」のアートクラスは、ハートフルアート・メソッドで行われていますが、「言葉と絵」のコースは、マインドチェンジ・メソッドで行われます。

☆ハートフルアート・メソッドの方では、美術の専門教師が「熟練」「統合」「尊敬」「創造」をベースに絵や作品の表現の仕方を指導していきます。

☆マインドチェンジ・メソッドでは、マルチ知能を結びつけるプロセスと子ども自身が社会にどういう役割を果たしていくのかモニターしながら気づいていくことを目標にしています。マルチ知能をman for othersにどう高めていくか、そこでどう変化している自分を見つけられるのか、かなり改革的な学びです。

☆私の役割はマインドチェンジという「学習支援」を行うことです。専門的な絵画や工芸の「熟練」という部分では何もできませんから。私はこの支援を「学習支援学」として一般化したいなあと思っています。

☆というのもこういう改革的なことをやろうとすると、最初は1%ぐらいの人しか協力しようなどと思わないわけですね。明治の時に学制が実施されたとき、両親が学校に通わせようとは思わなかったほどです。今では信じられません。しかし、新しい学びをやろうとすると、それに興味と関心を示す親は、やはり少ないものです。

☆今でもインドのある寒村では、学校に行かせるより労働してほしいと思っている親の方が多いそうです。親の影響はなんだかんだといって大きいですね。

☆ところが、知人のアートクラスでは20人のうち、5人以上が月に1度の「言葉と絵」のコースに参加するのですが、それは25%も参加するわけで、このアートクラスに通っている保護者の意識は相当高いということになります。この意識は全体の1%とすると、500人のうちの5人と想定できるので、これは頼もしい保護者がいるということになります。「学習支援学」は一般化する価値があるかもしれません。

☆実際自分で企画を立てたり、編集の仕事をしたりする母親もいます。従来の学校の教授法とは違うメソッドの必要性をはじめから感じている保護者がいるということなのです。

☆子どもたちも、猫の話からキティちゃんの話になったり、うさぎやトラの話になったり、猫の生活の環境について語ったり、想像を広げることになんら抵抗感がないのです。

☆しかもキティ・キャラクターの絵も描くけれど、自分なりの猫のイメージを表現することもできるんですね。その違いがわかるわけです。違うけれど同じなんだという猫のアイデンティティについて楽しく話し合うことができるのですね。キャラとアイデンティティとしてのキャラクターの差異について小学校低学年であっても、了解するプロセスを体験することができます。

☆この体験の環境を設定しようとするかしないかは、子どもたちの未来のクオリティ・ライフを獲得できるかどうかにかかわってくる可能性があります。もちろん、それを証明するには大掛かりなプロジェクトが必要になり、今のところは信じているとしかいいようがないのですが・・・。

|

The 授業リンク@考[01]

☆私学の先生方を中心に始まった授業の勉強会「CAL」は、私立公立問わず、またマスコミや各教育関連企業も参加できる「The 授業リンク」に発展しました。

第1回めの「The授業リンク」では、講師松田先生のジグソー法の授業体験が行われました。その様子は「The 授業リンク」のホームページで紹介されています。また岡部憲治さんもお節介にもつれづれなるままにコメントを書いています。

☆しかし、まだ本格的に議論が広がっているわけではありません。お得感や教師にとっての効能、各企業におけるお役立ち度については、質疑応答されていますが、松田先生の本意である子どもたちの居場所知の形成については、議論がされませんでした。今後は実践的とか現実的とかいう言葉に惑わされず、実存的な議論が展開されることを期待したいと思います。

第2回目は共立女子の池末和幸先生による体験型授業が行われます。テーマは 「カードゲームを用いた国際理解」― 「参加体験型」で授業を活性化 ― です。興味深いのは、池末先生のメッセージです。「The 授業リンク」が乗り越えなければならない教育の大きな課題=壁が問いかけられているからです。

前任校での話です。私が青年海外協力隊に参加していたことを、どこからか聞きつけて訪ねてきた、ある中学校の先生がいました。要件はというと、中3生が残していった体育館シューズを途上国に贈りたいのだということでした。そこで私はこう答えました。「入学してくる中1生に譲ったらどうでしょう。もちろん、お金は払ってもらってですよ。その代金で途上国の産品を適正価格で買ったらどうでしょうか?」するとその先生は血相を変えて怒り出し、「新入生に中3生のお古とは、とんでもないことだ。私が欲しいのは、途上国にモノを贈ったという証拠の書類なのだ。義援金を銀行に振り込んだだけの振込書では、生徒の励みにならないのです!」私は開いた口がふさがりませんでした。こんなトンチンカンな話は山とあります。つづきは当日に。

☆「The 授業リンク」が乗り越えねばならない教育界の壁が明快に語られていますね。途上国の子どもにとって何が本当に必要なのかを日本の子どもたちといっしょに考えていくコミュニケーション能力が求められているのに、「モノを贈った証拠づくり」のための活動という教師の自己ヒストリーのための教育や授業になっては困ります。

☆「The 授業リンク」の場も同様です。教師のスキルアップや教育関連企業の利益のためだけの場にならないようにしなければならないでしょう。それにはマザーテレサのような目線が必要ですね。池末先生は、すでにそのことを感じていらっしゃる。松田先生もそうです。事務局の先生方もそういう気持ちで一杯です。本物の教師とは、世界の痛みをいつも感じているのだと改めて感じ入り、2回目の「The 授業リンク」の会に参加するのが今から楽しみです。

☆それにしても「適正価格」!この問題は13世紀中世ヨーロッパ以来の大問題です。その時代はすでにグローバルな時代で、都市の基準と世界の基準がマーケットでぶつかりあっていたんですね。「適正」という基準について、どう解決するか。シュンぺーターもここに資本主義の萌芽を見出しているほどです。イノベーションの光と格差の闇のジレンマ問題も同時に生まれることになるのですが・・・。

|

世界を変える学校[33]共立女子の知⑦

☆ 「世界を変える学校[32]共立女子の知⑥」のつづきです。共立女子の生徒は、自分のアイデンティティと学校のアイデンティティと社会のアイデンティティをなんとか作り上げ、重ね合わせようとします。そういう素直な人間性が育つには、様々な環境が組み立てられているわけですが、本物の美術作品が学内に展示されているというのもその一つです。

☆草間彌生さんの作品をはじめ、日本人の作家による作品(複製品ではない本物の美術品)が、校舎内の壁面にならんでいます。つまり、共立女子の校舎がギャラリーと化しているわけです。レッジョ・エミリアの質の高い教育やアメリカのプレップスクールなどの特徴は、壁という空間を見事に演出するところにあります。

☆壁が生徒に語りかけ、感性や理性といった知性を拓きます。共立女子にも同じような環境が巧まれているのですね。

☆今月から10月31日まで、その作品を一般の人も無料で鑑賞できる「共立女子中学高等学校『収蔵美術品展』」が開催されています。芸術家の作品は、所有者の物であると同時に人類の財産でもあります。そういう開かれた精神こそ、共立女子の教育の真骨頂です。

|

私学の経済ポジショニング[07]端緒を探る⑧都内の男子校の活動[05]

☆「私学の経済ポジショニング[06]端緒を探る⑦都内の男子校の活動[04] 」のつづき。ガイドブックで生徒が自分の学校について語っている文章を語彙分析してみた。それをグラフ化したものを掲載する。あくまでこれは極端にイメージ化した図にすぎず、数値化したものではない。

Photo ☆文章を読みながら、語彙や表現を4つの項目に振り分けて作成した。4つの項目とは

CC)Creative Communication(創造的コミュニケーション)

IC)Interactive Communication(双方向的コミュニケーション)

TC)Torelance Communication(寛容的コミュニケーション)

OC)Oppresive Communication(抑圧的コミュニケーション)

☆コミュニケーションの質はこの4つの項目の総体で決まる。どれか一つの項目だけのコミュニケーションスタイルしかとらない人もいるが、それは対話をしていると不自然な感じや不愉快な気持ちをその場に生みだす。非日常的な危険な状況が迫っているときは、逆にたとえばOCだけが起動するというほうが自然である。

☆コミュニケーションの4つのスタイルをその場の情況に応じて変幻自在に変えられる人がコミュニケーションの達人なのである。

☆このガイドブックという場で、自分の学校について何か伝えようとする場合、読み手を意識する必要がある。読み手が何を感じるか。読み手が何を期待しているか。読み手は何に気づいていないかなど想定するに違いない。そして、わずかな字数にまとめるのだから、何を書かないかということも。

☆最も多いコミュニケーションのスタイルは冒険型である。規制やルールや恐怖に打ち勝つ勇気と友愛と創造のコミュニケーションスタイル。次に多かったのは、完璧なスタイル。改革者型である。すべての項目をバランスよく使いきっているのである。

☆どの型が成功しているかというと、すべてうまく表現されている。ここで注目すべきは、支配型や趣味型がないということである。これは読み手に共感を生むことがない。だから、このスタイルで文章を書く、つまりコミュニケーションをとると広く感銘を与えることは難しい。

☆そしてネガティブな意味での「オタク」は趣味型に相当するだろう。しかし、アキバ系の文化創出的ポジティブな「オタク」(それを「オタク」と表するべきかどうかは議論の余地はあるが、両者の違いを省みず、両方ともネガティブにとらえる昨今のマスコミの論調があるがゆえ、あえて・・・)はCCもOCも高い。ただこれは葛藤型で極めてストイックであるから、ほかの項目も高いほうがハッピーではあるだろう。

☆順応型や安定型も若干あるが、世の母親は、ある意味このスタイルが一番安心するかもしれない。いわゆる良い子タイプであるから。

☆さて、多くの生徒の中からたった1人の生徒のコミュニケーションスタイルで何がわかるのかといわれるであろうが、ガイドブックに掲載するにあたり、その学校の生徒像に近いあるいはこういう生徒のような言動をとって欲しいというロールモデルであるという仮説は立てられるかもしれない。誰でもよいから掲載するという選択判断はしていないはずだから、仮説という程度でなら成り立つであろう。

☆ともあれ、それぞれの学校の特徴が端的に表れているページであり、おもしろかった。

|

私学の経済ポジショニング[06]端緒を探る⑦都内の男子校の活動[04]

☆「私学の経済ポジショニング[05]端緒を探る⑥都内の男子校の活動[03] 」のつづき。新宿で行われた「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」で配布された「ガイドブック」には、各学校の生徒が、自分の学校の雰囲気について語っているページがある。

08 ☆このページで語っている生徒は、それぞれの学校のロールモデルと仮にすれば、たいへんおもしろい分析結果になる。この結果について語るまえに、「2008年版ものづくり白書(経産省編)」に興味深い調査データがあるので、見てみたい。

☆テクノロージーの才能としてどのような知が求められるのかというと、複数の技術に対する幅広い知識や、ユーザーのニーズをつかむコミュニケーション能力、創造性などなのだというのだ。

☆男子校は理数系進路を選択する生徒が多いが、どうやら専門技術だけに興味をもつ教育観では、今後はやっていけない。

☆はたして男子校はどのような教育観をもっているのだろうか。今回の「ガイドブック」の分析からおもしろい仮説があらわれる。1つの専門技術に特化するような、世の中から「オタク」といわれるようなキャラは、実はでてこないのである。

|

09年中学入試に向けて[10]中村中の新体制②

☆「09年中学入試に向けて[02] 中村中の新体制」のつづきです。6月14日(土)中村中学校で、第2回学校説明会が開催されました。今年の同校の広報活動のコンセプトは、生徒たち、教職員の「日常」を共有してもらい、在校生や教師1人ひとりを通して、教育の質の評判を広めようということだと思います。評判づくりというマーケティングの基本ですが、実行が難しいコンセプトですね。

☆なぜなら、説明会を生徒といっしょに作らないとそれはうまく表現できないからです。しかしながら、中村中はこの新たな試みに挑戦しました。いままでも説明会で「代表生徒」は活躍していたのですが、今回は更にバージョンアップ。

☆「代表生徒」の希望者は多数だったので、今回はそのうちの40名の出番となったということです。説明会の司会はもちろん生徒(高校生)だったのですが、40名全員が活躍するのは、全体会終了後の第二部から。校内の案内は全て生徒だけで実施されました。事前に生徒の皆さんは議論をして、「7F空中図書館と職員室と地下のホールは絶対に案内するが、あとは自分の教室と一人一人のお気に入りの場所を紹介する」というルールを決めたそうです。

☆外からは見えないこういう舞台裏に、個と普遍のバランス(まったく≪私学の系譜≫ですね)があることがわかりますね。ともかく、参加者のアンケートによると吹奏楽部の部室まで案内していたようです。芸術が中村の特徴であることを理解しているからこそ、そういうコーディネートをしたのでしょう。

☆見学終了後は全体会会場で入学相談会が行われました。学校説明会ブースで埋め尽くされた様子は壮観でした。何せ参加者が450名で、体育館が満席になっていましたから、教職員ブース15名(教科・学年・入試相談・事務・カウンセラー・新制服紹介)・生徒ブース30名(1年~5年で30人)・スーパーサブ生徒10名という体制で臨んだわけです。

☆生徒たちは自分の言葉で学校について一生懸命語っていました。梅沢教頭は、「質問に対してのマニュアルなどあるはずもなく、まさに実力が問われるわけですが、この時の生徒たちがなんと活き活きしていたことか。遠慮して質問に来られない受験生を見つけると生徒から出向いていって話しかける配慮にも感心。これは説明会ではあるけれど生徒たちにとっての学びの場でもありました。」と語ってくれました。

☆これは本当にすごいですね。説明会というと、きちんとシナリオ通り進むのが一般的ですが、中村中の場合は違うのですね。想定以上に参加者が訪れた時には、臨機応変に対応しなければなりません。たんに手続き的対応ではなく、説明の中身や表現を参加者によって変幻自在に変えなければ、うまくいかないのですね。

☆どんな未知の事態と遭遇しようと、それを受け入れ、対応できる知の学びの場だったわけです。世界のベスト教育都市の1つ、レッジョ・エミリアの教育プログラムに、エマージェント・プログラムというのがありますが、中村中学でもそれが行われているということが、今回の説明会の新たな試みを通して了解できました。

☆梅沢教頭は、「今までは、先生達が一致団結している学校ですねといわれていましたが、今回は生徒と先生の一体感がすごい学校ですね!次回もこんな説明会をやってください!と、来校の皆様に言っていただけました。この言葉に生徒たちは目をキラキラさせて満身の笑顔で応えていました。」と。自分の学校の生徒を誇りに思える教師の存在こそ、その学校の教育の質の高さを物語っています。

|

世界を変える学校[32]共立女子の知⑥

世界を変える学校[30]共立女子の知⑤のつづきです。共立女子のPTA中学広報誌の「沈丁花(2008.3.15)」から見える共立女子のハビトゥス(文化資本の再生産メカニズム)。生徒による次の質問とその回答は重要です。ハビトゥスそのものを直接問うものであり、直接教員が考えて答えているからです。

☆その質問とは「『誠実』とは校訓の1つですが、先生の考える『誠実さ』とは何ですか?」

「博愛と勇気」

「自分を悔い改める気持ちがあることと、他者への深い感情移入ができること。」

「ごまかさず、自分の過ちを素直に認め、謝れること。」

「『ありがとう』『ごめんなさい』が心から自然に言えること」

「嘘や見栄やズルとは無縁であること、真心で自然体のまま、接することです。」

「他人の信頼を裏切ったり、陥れたりしないことが誠実。」

「自分も他人も偽らないことですね。」

・・・

「自分の大切な人を守る強さを身につけること。」

☆共立女子における誠実さは、どちらかというと信頼とか慈愛とかの意味に近いですね。他者に対する奉仕の姿勢に近いものがあります。これはただモバイルメールでやりとりを永遠続けることが絆をつなぐことであると思いがちなジェネレーションZと言われる青少年の在り方とは違う価値観です。

☆ジェネレーションZと称される15歳から22歳のどれくらいが、表面的な絆で結ばれている関係を維持することに明け暮れているのかわかりませんが、少なくとも共立女子のキーワードである「ともだち」や「友愛」が意味する関係性には、尊敬の精神と他者や社会に役立つ役割としての倫理の精神に裏付けられているといえます。

☆この尊敬の精神と倫理の精神が生まれ育つ良き教育環境の歴史こそ共立女子のハビトゥスの歴史であり、共立女子が≪私学の系譜≫に位置づけられる証しです。

|

世界を変える学校[31]白梅学園清修の2ndステージ③

☆ 世界を変える学校[25]白梅学園清修の2ndステージ②のつづきです。柴田副校長の欧州視察と同時に、2期生の英国研修の準備が着々と進んでいるようです。以前、学校に伺ったとき、数学科の戸塚先生や社会科の鈴木先生に、そろそろ卒業論文や論集のような成果物を拝見できますかと尋ねたところ、やがてそれに相当するような作品集を編集することになると思いますという回答をいただきました。

☆あれから時間が少し経ったと思うのですが、お二人の先生は私の質問を忘れずにいてくれました。論集ができるまでのプロセス情報を、メールで知らせてくれたのです。

 2期生は、7月7日からの英国研修に向けて着々と準備が進んでいます。英語・国語・社会では英国研修に向けて、教科連動の授業を展開中です。国語科を中心として、事前学習で、イギリスに関するリサーチペーパーを作成していますが、自分の興味関心のあるテーマを選び、調べます。

 これは論理的思考力を身に付けさせるための学習も兼ねています。このステップが、中3での論集作り(まだ実行できていませんが)へつながっていくと確信しています。このリサーチについては、一人ひとりの生徒にアドバイスをする担当教員もついています(チーム清修ティーチャーズが機能しているところなのです)。

 また、社会科では、出発前の第1タームに、高校世界史での内容も含めて、イギリス史を中心に学習しました。もともと社会科好きの生徒が多く、より興味・関心が高まっています。

☆このリサーチペーパーは、自分が興味を持っているテーマを選び、そのテーマについて資料をあつめて調べて、分かったことと自分の意見を“論文”にまとめる作業です。最終的には、発表するというステージを設けているようです。したがって、たしかに論文の原型を学んでいるわけです。

☆白梅学園清修の教育の質は、「教科の連動」と「テーマの発見→調べる→編集→発表」という言語活動の統合が支えているといえるでしょう。

|

子どもの世界 親の思い[01]

☆少しおもしろいというか不思議な世界があります。年少から小学校6年生までの子どもが集まって週に1回、お絵かきクラスと月に一度読書と絵を結びつけたクラスを主宰しているアート・クラスがあります。小さなクラスで20人強でもう満杯状態なのです。口コミで集まっているので、特に宣伝はしていませんね。自治体の施設を使っているので、いわゆるボランティアベースということもあるのでしょう。

☆そこに集まっている生徒は公立小学校に通っている生徒も、私立小学校に通っている生徒もいるのです。幼稚園の子どもたちの中には、お受験組もいるのです。しかし、だからといって、受験勉強をするようなアートのクラスではないようです。

☆年に一度、子どもたちの成果を発表するイベントがあって、そこに家族で120人ほど訪れていますね。作品は静物画から創作絵本、協働絵画(模造紙7枚ぐらいつないだ大きなものですね)、粘土による彫刻、工作、油絵、パステル画など多種多様です。絵を書くワークショップもあるので、そこでは保護者どうしの対話もあふれていておもしろい空間ができあがっていますね。

☆そのイベントに訪れた人の中には、このアート・クラスに通っている子どもと同級生という家族も多いのですが、友だちの新しい側面を見つけて驚いています。

☆作品には、ふだんは知らない友人の世界が広がっているからですね。すべての子どもが絵が好きなわけではないので、このアート・クラスを選択している子どもは、もともと好きなのでしょうか。絵を描くときの集中している状態や持続力には感心します。

☆しかし、実は、はじめから絵が好きな子ばかりが参加しているわけでもないようです。保護者の話を聞くと、なるほどと気づかされるのは、絵も彫刻も、表現の選択肢の1つなんですね。子どもは自分の思いを、言葉や身体、音楽、絵画、数字などいろいろな形態で表現します。

☆ところが高学年になると、言葉が中心となるのですが、それがどうも違うのではないかと不安に思っている保護者が多いのですね。お受験をするしない、中学受験をするしないも、子どもの表現の選択肢をどのように豊かにするかを考えたうえで、選択決定をしているのです。

☆ママたちは、携帯電話や携帯メールを駆使しています。だいたいこのアート・クラスも連絡は携帯メールがベースです。携帯電話がダメだなんて思っている人は一人もいません。でも、指を動かし、身体のバランスをとりながら作品を作っていく体験も大事にしています。要は偏っていないということですね。

☆不思議なことは、受験勉強とはまったく関係ないのに、お受験や中学受験を選択する場合にも、自然と役立っていることですね。その秘密はなんなのかは、ニワカニはわかりません。ただ言えることは、意外にも9歳ぐらいまでの子どもたちの生きざまが、大人になっても脈々と続いているということらしいのです。だから、9歳までにチェンジする(9歳・10歳の壁を乗り越えることですね)ことを、アート・クラスを選択した保護者は―意識しているかしないかは別として―、共有しているようですね。

☆言葉と絵のクラスは、月に一度ということもあって、私もときどきサポートのチャンスをもらいます。そんなわけで、この不思議なアート空間で、保護者の話を聞く機会をもらっているのですが、子どもの世界を見守る親の思いの深さに感動します。どうもマスコミを通して見る子ども観や家族観とは違うところが多いですね。このアート・クラスには、マスコミが映し出す世相に惑わされないようにクリティカル・シンキングができる保護者が集まっているということなのかもしれませんが、イベントに集まってくる数を考えると、そのような保護者や家族は決して少なくないように思います。

|

世界を変える学校[30]共立女子の知⑤

☆共立女子のPTA中学広報誌の「沈丁花(2008.3.15)」の座談会記事はたいへんおもしろいので、前回に続き、もう少し見てみましょう。中学3年生の卒業を迎えた教師に生徒がインタビューしている記事のことですね。

☆「自分の中学生時代と比べて、今の中学生はどうお感じになりますか?」という質問に対し、こんな回答がありました。幾つか紹介します。

「世相に反映していると思います。」

「私は、色々なものが与えられ、恵まれているなと思います。」

「同感。恵まれすぎていてチャレンジ精神があまりないかも。」

「私は、変わらないなあ、と。」

「インターネットの普及の影響も受けて、広く浅い付き合いが多くて、深い付き合いが苦手のような気がする。」

「情報処理能力不足なんでしょうね。」

☆さりげなく書かれていますが、生徒に与える時代の影響と共立女子の影響の葛藤をどう認識するのか話されていますね。物質的豊かさによって、工夫がなくなる。それを促進しているのはネット社会。こういう時代認識そのものは間違っていない。しかし、それをどのように捉え返すのか。そこのところがおもしろいですね。

☆時代の変化を共立女子の生徒も受けている受けていないという互いに違う立ち位置があるというのがまずはおもしろいのですが、そこの間をスーッと抜けていく「情報処理能力」の問題でしょうという考え方はさらにおもしろいですね。

☆ネット社会がない時代の情報処理能力とネット社会が到来している今の情報処理能力ではその求められている容量が違うわけだから、そこを考えた上で見返してみると、変わってないともいえるし、変わっているともいえるかもしれない。まずは批判者の立ち位置を変えてみませんかというアイデアがスーッと出てくるのが、共立女子らしいですね。

|

世界を変える学校[29]共立女子の知④

☆共立女子のPTA中学広報誌の「沈丁花(2008.3.15)」には、共立女子のハビトゥス(文化資本の再生産メカニズム)がくっきりと表れています。その象徴が巻頭詩「旅立ち」なわけ(「共立女子の知①」参照)ですが、中学3年生の卒業を迎えた教師に生徒がインタビューしている座談会の記事もまた、具体的というか、ざっくばらんに編集されていて、驚かされます。

☆卒業生に捧げる座談会ですから、ネガティブなことはほとんど書かれていないかのようですが、言うべきところはきちんと言っている先生もいれば、その発言を逆に見方を変えて説明する先生もいるんですね。ベクトルがバラバラということではありません。ベクトルは同じだけれど、そのベクトルが進むには、批判的な議論があってこそという感じの座談会です。

☆たとえば、学校生活の指導で、一番手こずったことは、どのようなことですかという質問に対し、

「私語が多くて、今だに注意しています」「そうですね。彼女たちにとっては『おしゃべり=呼吸』といった、感じですから・・・」

☆という対話があります。何気ない会話ですが、言葉の責任の話をしているのでしょう。ベクトルは同じです。言葉の重みを自覚して話そうということですね。これは校訓の「誠実」や「友愛」にかかわりますが、「おしゃべり」を呼吸ととらえ返すところが機知に富んでいますね。

☆呼吸は止められない大事な身体の作用です。ただし普段は意識をしていないで済みます。しかし何かに臨む時、呼吸を整えます。言葉も同じだよといういことですね。こういう先生方のやりとりを、生徒たちは「巣立つ生徒たちを見守ってくださった」と表現しています。

|

世界を変える学校[28]共立女子の知③

☆前回の「世界を変える学校[27]共立女子の知② 」で、PTA中学広報誌「沈丁花」の巻頭の詩は、中1の保護者の作品ではないかと書いたところ、渡辺教頭先生から、「あの『旅立ち』の詩は、中1の生徒の作品なんですよ」とご指摘を受けました。

☆なおさら、共立女子の生徒像がいかに真っ直ぐな性格を持っているのか、確信しましたが、本当に実存的な詩ですね。もっとも、この1年の生徒Iさんの性格であって、ほかの生徒さんたちはどうなのだろうと思われる方もいるかもしれませんね。たしかに1人ひとり個性があって、みな違う特徴をもっているわけですが、大きな価値観を共有しているというのは、生徒のさまざまな作品から推察できます。中学の文集「ともだち」を読めばそれはわかるし、生徒の美術作品集「ぱれっと」を見てもわかります。

☆国語や美術は、作品集として見える化しやすいのですが、他教科でも教科知識だけではなく、個人的な価値や個別知を普遍的な価値や一般知に転換するプログラムが仕掛けられています。

☆たとえば、音楽の中3の目標は、こうです。

「音楽に対する総合的な理解を深め、表現の技能を伸ばし、創造的な表現の能力を高める。」

☆その成果は「合唱コンクール」や「ウイーン少年合唱団とのジョイント公演」などに表われます。この活動は、個人の創造力を育成するだけではなく、チームプレイですから共感リーダーシップ(Resonant Leadership)も養成され、価値観や大きな物語づくりが行われるわけですから、どうもポストモダン的データベース人間とは違いますね。

☆もはや他者との関係性は希薄でも、サイバースペース上のデータを検索しながら、組み替えて相対的な価値を作りだして、その趣味的価値が一致する小さな関係の中だけで生きていく(でも孤独をかかえる危うさもある)と言われているポストモダンな人間像とは全く違う人材育成の環境が共立女子にはあるのですね。ポストモダンの社会の壁を乗り越えらる人材が共立女子からたくさん輩出されるという期待がかかります。

|

世界を変える学校[27]共立女子の知②

☆先週土曜日(2008年6月7日)開催された共立女子のオープン・キャンパス型学校説明会で配布された資料の中に、「沈丁花」というPTA中学広報誌がありました。

☆巻頭に1年生(の保護者だと思います)の詩が載っていましたが、共立女子の生徒像があまりに真っすぐなのに、改めて驚きました。「自分探しの旅/地図はないけれど/迷わず歩いていこう/自分自身の道」「あなたの心には/何が描かれているの/それは 希望」「無限の可能性のある/夢を追いかけていこう」などのフレーズに、今の否定的な若者論とは全く対照的な生徒像があり、それゆえ共立女子を選んだし、選んで良かったという思いがこめられています。

☆今時の若者は、大きな物語を失い、自分の好きなことにしか関心がなく、関係性は、葛藤をどのように乗り越えていくかではなく、ネット上のデータベースを選択して組み替えたモノをシェアできる関係で生きていると評論されがちです。

☆互いの本音を言い合わず、ネット環境上に浮上している情報を加工してキャラをつくり、そのキャラどうしで関係を結ぶので、互いに傷つけあうことがないというのですね。大きな物語が喪失したのだから、本音すらなくなっている恐れもあると・・・。このような若者バッシング論の背景には、ネット犯罪などが若者に広がっているかのように見える表面的な現象があるのでしょう。

☆しかし、共立女子の生徒は、大きな物語を失っていないし、共立の大事にしている「ともだち」「友愛」「学びの共同体」などのフレーズは、表層的なものではありません。オープン・キャンパスの最中に出会った内田先生に、そのことを聞いてみたところ「たしかに、若者バッシングが生まれるような情況は、世の中にありますね。放っておくと、そうなる社会的な構造の問題があります。しかし、共立女子は、中学の間に、互いに葛藤が生まれ、それを乗り越える機会がたくさんあります。たくさんの行事や多様な部活によって、本物の絆を形成する準備期間が中学時代ですね。」と

☆沈丁花の中で、中3の母親もこう述べています。

「共立が今、まさに変わりつつあることの代表は、中高一貫化。伝統におもねることなく、共立の心を大切にしながら前を見据えて進む、そんな流れの中に娘を学ばせることができ、うれしく思います。」

☆大きな物語や大切な価値意識を失っては困るけれど、それにおもねる必要はない。ただし、それは大切にして、自分の道を切り拓いていってねという母親の思いと期待が自分の子供と共立女子の両方にかけられています。学校選びは、人間とは何かを考えることでもあるのですね。

|

世界を変える学校[26]共立女子の知①

☆先週土曜日(2008年6月7日)、共立女子はオープン・キャンパス型の学校説明会を実施しました。訪れた受験生の家族が授業の様子を見学するわけですが、同時に10時30分から1時間ほど共立講堂では説明会が開催されました。

☆この講堂の収容人数は2,000人だそうですが、それがほぼ満席になるくらいでしたから、どのくらいの家族が訪れていたのでしょうか。いずれにしても学内をこの数の人が散策状態だったわけですから、ちょっとした大イベントだったことに変わりはありません。

☆一般の学校説明会では、1時間から1時間半の間に、教育ビジョン、学内の具体的な教育内容、各教科から入試問題についての説明、入試要項の説明などが目白押しになりますから、要点のみの説明になり、わかりやすいけれど、奥行きが見えてきません。

☆しかし、今回のようなオープン・キャンパス型学校説明会のケースでは、具体的な教育内容については終日見学できるわけですから、講堂での説明はありませんでした。

☆そのため、一年間の学校の様子のビデオ(部活の多さ、修学旅行の食事の豪華さに会場からは微笑みとため息が出ていました)もたっぷり見ることができたし、説明の内容も、女子教育の歴史的意義など共立女子の見識も美術や音楽の教養も聞くことができましたね。同時に来年のサンデーショックにおける他校とのシミュレーションという現実的な話まで聞けました。同校の間口の広さと奥行きの深さを堪能できる説明会だったと思います。

☆そうそう、今年のキティーちゃんの特注携帯ストラップは、共立女子の夏服を着ていましたが、やはり相当の人気でした。このストラップが拓く意味は、ある意味教育への挑戦状です。共立女子の教育への自信と独自性の表れでもありますが、それについてはいずれまたどこかでお話できればと思っています。

|

世界を変える学校[25]白梅学園清修の2ndステージ②

世界を変える学校[24]白梅学園清修の2ndステージ①のつづきです。柴田副校長の欧州視察紀行は、コルマールに入りました。ヨーロッパ・アルザス日本学研究所(CEEJA)の関係者の拠点です。CEEJA自体は、コルマールから車で15分くらいのキーンツハイムにあります。

Photo ☆最初の2枚の写真はそのCEEJAのある風景です。もともとは修道院だった敷地に、宿泊施設やオフィスを建てたので、周りはアルザスの自然に囲まれています。おそらくまわりの山々はブドウ畑が広がっているでしょう。ワイン街道が近くにありますから。

Photo_2 ☆このコルマールというのは、ヨーロッパの歴史のみならず、世界の戦争と平和を考える重要な場であり、私たちの自由の象徴―最近はお台場で見ることもできます―であるあのマンハッタンにもある自由の女神の生まれた地でもあります。

Photo_3 ☆柴田副校長が欧州視察紀行でも触れている宮崎駿さんが、「ハウルの動く城」をイメージするときに訪れた理由もわかりますね。また、木組みの家も、宮崎さんの作品の中の都市のイメージにピッタリ合ったようですね。

☆それにしてもキーンツハイム→コルマール→ストラスブール→ナンシーあたりのフィールドは、日本の文化や政治、経済にもたいへん縁のある場所です。白梅学園清修の1期生は、何を見つけてくるのでしょう。すでに柴田副校長は、現地で活躍する日本の企業に訪れています。この美しい自然の中で、CO2を出さないように、自然環境を壊さないように、どのようにヨーロッパの自然と社会と共生しているのでしょうか。柴田先生が紹介されている写真を見ながら、清修の生徒さんたちが、他校では得難いすてきな教育プログラムの環境にあるのに、改めて感じ入りました。

P.S.

☆かつてNTS教育研究所時代に、≪未来を創る学校セミナー≫を開催したときがあったが、その第三回目のときに、アンドレ・クラインさんをお招きしました。そのときすでに、クラインさんは、白梅学園清修の一期生募集の学校説明会に訪れているのです。清修の教育プログラム作りは、相当先見性があるわけですね。それにしても、柴田副校長が掲載している写真を見ると、クラインさんはお元気そうな様子です。クラインさんは、アルザス地方の総帥(日本でいう知事に相当)だった方で、日本の文化と企業の誘致に積極的に活躍したわけです。

☆引退後CEEJAの所長をしながら、日本の文化振興に尽力されています。ストラスブール大学とも連携して、学術的レベルでも日本文化を研究しています。人脈も当然膨大で、EU議会関係、日本の議員、京都大学コンソーシアム関係者とも信頼の絆を形成しています。東京では、私立中高一貫校関係者とネットワークを持っています。EUと日本の教育と文化を中心とするネットワークをつくることに生涯を捧げているのですね。

|

私学の経済ポジショニング[05]端緒を探る⑥都内の男子校の活動[03]

☆秋葉原の凄惨な事件が起こった中で、二度とこのようなことが起こらないようにしなければならないと誰もが祈ったことだろう。それにしても、テレビや新聞で報道される要素は、ステレオタイプのものばかりだ。

1)中学までは優秀・スポーツ万能だった2)高校では目立たない大人しい性格だった3)卒業論文には、ゲームやマンガが好きだったことが表現されている。4)キレると尋常じゃなかった。5)プライドが高かった。6)理解者がいなかった。7)孤独だった。8)携帯の掲示板を使っていた。9)挫折感をもっていた。

☆たしかに、かつて同じような事件が起こった時も、同じような要素が取り扱われているから、共通点なのだろうが、少なからず一般市民もこれらの要素を持ち得ていないかというと、否定しきれる人は少ないのではないだろうか。

☆これらは人間がみな持っている要素なのである。ただその要素をどのように昇華させるかという自己成長の格闘を行っているのが一般市民なのである。しかし、このような自己成長の格闘は、自分一人ではできない。互いに助け合う関係がそこになければならない。

☆優秀といったとき、学業の話がクローズアップされるが、それは偏っていておかしいと哄笑し合える関係が必要だ。その相手は家族でも友人でも先生でもカウンセラーでも先輩でも後輩でもよいのだ。くそまじめ一辺倒な勤勉しかなければ辛い。

☆男子校は楽しくて明るい。これが大事なことは、それが偏向的な閉塞感を吹き飛ばしてくれるからだ。「きっちり型」の生き方のこわさは、安心・安全がもろいということを認識できないことだ。安心・安全をまず求めることが優先される。あらゆるものはフラジャイルなのである。まして人間関係や自分の存在などというものはそうだろう。

☆一方「のびのび」型の生き方の危うさは、やはり安心・安全がもろいということを認識せずに、自ら気づかないうちに壊してしまうことだ。それがどんなに大切なものだったのか、後の祭りなのだ。大切なものは居心地が良かろうが悪かろうが関係なのである。互いに大切なものをケアしようという関係性をどうともに作っていくかである。ここでポイントは、大切なもの無き・亡き関係性は関係性かという問いかけである。

☆これを問いかけ合うことができない関係は疑似関係ではないだろうか?関係性の意味を議論することは重要なのだ。ただでさえもろいのに、関係性を問う関係性がなかったら、それはすぐにも壊れてしまうだろう。そのような情況は、孤独とは言わないのだ。絶望という。孤独は関係性の中で現われる。私はすべての関係をとりはらっていったら私ではない。私はかかわる人とものと社会と・・・関係総体そのもの。

☆優勝劣敗システムの中の商品化と物神化の極限は、この関係総体を切り刻んでいく。私は私ではなくなる。極めて恐ろしいことだ。私は私でありたいと願うのに、私ではなくなっていく。私らしさを求めて行動するとそれは私ではなくなる。このダブル・バインド、ジレンマのコミュニケーションを阻止するにはクオリティ・コミュニケーションの関係性を互いにつくることが重要である。

☆私立男子校を選択したからと言って、すべての生徒がクオリティ・コミュニケーションを身につけられるかどうかはわからない。しかし、このことを教科学習以外のプログラム環境でも実行しているのは確かだ。

☆「東京私立男子中学校フェア ガイドブック」の「建学の精神または教育の理念とその実践方法」及び「特色ある行事」のページでそれは表現されている。もちろん、ガイドブックを読む時、それぞれのプログラムの有効性をチェックする必要はある。おそらく何をやるという表現に、いかに実行するのかそのプロセスも見える表現をしている場合は、そのプログラムは実際に有効である確率は高いだろう。プロセスが盛り込まれるとは、伝統だからやっているのではなく、常に1人ひとりの生徒の情況に応じてプログラムを改善している意識・自覚があるということの証でもある。

|

私学の経済ポジショニング[04]端緒を探る⑤都内の男子校の活動[02]

☆先日(2008年6月7日)、新宿で行われた「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」では、このフェアに参加した23校の生徒とその保護者10,000人を対象にした意識調査が公表された。

☆「君は、在校生として男子校にそれぞれどのようなイメージを持っていますか?」という質問には、

「明るい」83.8%

「楽しい」82.0%

「先生や先輩が優しい」56.7%

「自由な雰囲気」49.1%

「勉強が楽しい」41.3%

☆芝の助川校長は、いつも楽しくなければ学校ではないと語っているが、なるほどその通りの結果になっている。男子校は明るく楽しいのである。ジャニーズ系の「イケメン・パラダイス」や「ごくせん」のようなドラマのノリなのであろうか。

☆保護者は、男子校の教育で身につけさせるべき資質・能力に関しては、

「自主性・積極性」94.9%

「責任感・使命感」94.9%

「決断力・実行力」93.1%

「統率力」93.1%

「協調性」90.5%

「忍耐力」90.1%

「やさしさ・思いやり」87.2%

「礼儀・作法」86.9%

☆となっているので、意外と学園ドラマのテーマには即している。しかし、決定的に違うのは、保護者の選択理由の一番は何といっても「学習指導」(64.5%)だし、次は「大学進学」(56.2%)であり、愛と友情だけではなく、勉強もきっちりということ。

☆当り前のような感覚だと思うかもしれないが、実は本田由紀さんら社会学者が調べると、世の保護者の教育方針は、「きっちり型」か「のびのび型」のだいたいどちらかに分かれるのであり、その両方を統合するという「わくわく型」は貴重な考え方なのである。そもそも私立中学に通っているのは、同学年人口の7%である。首都圏に限ると3%。「わくわく型」は希少価値なのである。

☆助川校長の語る「楽しくなければ」というのは、言いかえれば「リベラルアーツ的な雰囲気がなければ」という意味なのである。学びと遊びの統合は、多くの家庭では失敗する。

☆勉強しなさいと母親は言う。子どもは一生懸命勉強する。すると、母親はそんなに勉強ばかりしていないで、外で遊びなさいと言う。すると、子どもは一生懸命遊ぶのだ。すると、そんなに遊んでばかりいてはダメ!と叱られる。母子ともにダブルバインドのコミュニケーションから抜けられない。抜けられないといろいろな事件が起こる。

☆互いに愛し合っているのに、ダブルバインドのコミュニケーションで苦しんでしまう。この情況を抜け出るクオリティ・コミュニケーションの環境が、私立の男子校にはある。意識調査からそんなことまで見え隠れする。

|

私学の経済ポジショニング[04]端緒を探る④都内の男子校の活動[01]

☆先日(2008年6月7日)、新宿で「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」が開催された。23校合同説明会だが、単純に各学校が1つの場所に集結してブースを開いて説明するというイベントではない。23校の男子校に通う生徒及び保護者にアンケートをとり、そのデータに基づいて、男子校の存在意義を語りかけるというコミュニケーションが演出されていた。

☆要するにマーケティングの手法であり、男子校の存在のポジショニング戦略を遂行しているというわけである。このポジショニング戦略活動は、日本のいや世界の教育に影響を与えるトリガーである。

☆というのも、今年首都圏の私立中学受験の受験率は20%を超えた。東京ではすでに2001年ぐらいから20%を超えていたので、この東京の影響は絶大だったはずである。とにかく、20%を超えたということは、大変古典的な理屈だが、パレート最適の法則、つまり20%:80%の論理が成り立つ。私立学校の教育の発言力が強くなり、社会に影響を与えるということを意味する。

☆この私学教育の中でシングルスクールの存在意義は極めて重要である。したがって、私立学校の教育の発言力を男子校が一丸となって強めていく活動をするのは必然的な流れであり、私学全体の発言力が強くなっている情況とシナジー効果を生みだすはずである。

☆シングルスクール、特に男子校は世界に類のない新しい人間が生まれる歴史的条件を背負ったあるいは内包した男子生徒が集まってきている。公立学校における生徒たちのアイデンティティというかキャラクターは、官僚近代国家が作り上げてきたものである。大量生産・大量消費・大量移動を果たすための化石燃料奪取と労働集約政治経済システムを持続可能にする人材の育成がそれである。

☆しかしながら、そのような国家がアイデンティティや価値観を作り上げるという大きな物語は終わり、生徒一人ひとりの価値観やキャラクターはバラバラだし相対的になっているという理解が一般的である。相対的であれ価値観やキャラクターができていれば問題はないが、ここの部分が虚無化しているケースが生まれている。キャラというロールプレイ用語が青少年の中に蔓延し、キャラクター無しのキャラを追い求める青少年が増えると社会はどうなるのであろう。まさに劇場社会であり、リアルとフィクションの区別がつかなくなる。

☆文科省の動きはそれゆえ、道徳規制を強化し、有害情報などの規制に走る。心理学の学者は超自我の育成を果たし、無意識の抑圧の提唱を強める。これによって起こることは、高ストレス社会による差別・格差の生産である。そしてこれに耐えられない場合、様々な犯罪という形に抑圧のエネルギーは転移する。

☆このような情況を教育によって解決する方法論を有しているのは、世界中でも東京の私立男子校のみなのである。欧米はこのような情況が根本のところで起こっていないのであるから、この点においてはモデルケースがない。日本の教育学者は、この情況をネガティブな側面でしかとらえられないから、当然解決する方法は、先に言ったように抑圧でしか突破しようとしない学者ばかりだ。

☆この日本の教育情況に近い国は、おそらく中国である。共産主義というアイデンティティが崩れたとき、アイデンティティやキャラクターは虚無化する。そのとき倫理だとか価値観に基づかないロールプレイを13億人がいっせいに演じはじめる。これは想像を絶するカオスが生まれる。

☆それゆえ水面下でそのリスクヘッジを考えている中国の要人がいるらしい。日本はキリスト教国ではないのに成功した唯一の先進国である。それは彼らにとってたいへん不思議なのだ。そういうわけで、それを果たした渋沢栄一翁の研究が注目されているようだ。翁は経済道徳合一説を唱えているし、「論語と算盤」という著書を書いている。

☆それなら孔子の国である中国は安泰であると思いたいところであるが、現代の中国において論語はどれだけ読まれているのかというと、実に乏しいそうだ。

☆東京の男子校に注がれる≪私学の系譜≫は、実はこの「論語」に相当する教育理念がある。女子校にもあるが、それは直接効力を発揮しなければならないほどの情況になっていないので、この話は学内ではピンとこない。共学校は、この情況が男子生徒によってもたらされているが、女子生徒の成長ぶりに圧倒されているために、目だたない。共学校の問題は、まさにここにある。うまく仕掛けをつくっている共学校は少ない。よって、男子生徒は公立学校と変わらない学校生活を送ってしまいかねないのだ。女子生徒にとっては問題はないのだが・・・。

☆この現代的な情況において、男子生徒に教育理念が注がれない公立学校では、男子生徒の教育が無化してしまう。私立の男子校においては、この情況を回避できる可能性がある。そればかりか、この新しい情況の男子生徒を新たな人間像として育成できるチャンスがあるのである。

☆価値相対化とキャラとキャラクターの乖離の情況において、ただ教育理念を掲げても、それは公立学校で超自我を形成しようという動きとなんら変わらない。生徒たちも受け入れないだろう。だからこの教育理念を受け入れられる教育システムが男子校には存在するのである。

☆価値相対化とキャラクターの乖離の情況は、歴史的には日本においてまずは生まれ、次は中国だろう。そしてキリスト教離れの欧州に及ぶだろう。それゆえ、それによるカオスというリスク回避のための教育システムが最重要な課題になることは必至である。

☆東京の私立男子校の存在意義は、かくして今歴史的存在意義として注目を浴びることになる。女子校は別の意味で、すでに歴史的存在意義を有しているが、それを明確に表現しているわけではない。これはこれでやらねばならない大事なことではある。

☆そして共学校は、この男子校の存在意義と女子校の存在意義の両方を孕んでいるわけで、そのシステムは最も難しい。にもかかわらず生徒募集のために安易に共学校になった場合、私学の存在意義を自ら捨てることにもなりかねない。そうではないことを検証する責任が、私立共学校の場合はあるのだが・・・。

|

私学の経済ポジショニング[03]端緒を探る③私学経営研修会に参加して

2008年6月5日から2日間、東京で私学経営研修会が開催された。主催は財団法人日本私学教育研究所。後援は東京都、東京都私学財団、東京私立中学高等学校協会、日本私立中学高等学校連合会。

☆つまり、日本全国の私立学校の経営陣が一堂に会して、「私学の未来」と「私学力」について議論し、マニフェストを確認する集まりだったのだと思う。200名ほど参加していたのではないだろか。

☆縁あって、一日目の午後の部の「パネル・ディスカッション」のパネリストとして参加させていただいた。果たして私ごときが私学の未来や私学力について議論を広げ、深めるトリガーに成り得たかどうかは自信はないが、先生方の議論の様子や先生方との対話を通して、私立学校の奥深さを感じたので、いつものようにつれづれなるままに感想を書いてみたい。

☆経営研修会であるから当然ではあるが、補助金の問題、学費の課題、寄付の課題をどうするのかという現実的な問題と教育の理念をどのように結びつけるのか、教育の理念と現場の教育活動とをどのように結びつけるのかという現実と理想の話題、つまり経営の倫理と教育の論理の両輪が明確に前面にでていたのには迫力を感じた。

☆学校選択のために保護者が参加する学校説明会では、教育理念と教育活動が前面に出て、経営の倫理の部分はほとんど見えないため、私学力の全貌が実は見えない。全貌が見えないのに、さらに偏差値や大学進学実績という極めて局所的な指標で学校を選択しがちなのは、はたして大丈夫だろうかと、いつもは感じない学校選択の方法論のフラジャイルな弱みに改めて気付いてハッとした。

☆私学の経営の論理は、外から見ていてもわかりやすい。学費と助成金で学校の経営のそのほとんどは成り立っているから、要するに生徒数が定員を満たしているかどうかがわかればよいのである。しかし、私学の経営の倫理はほとんど見えないだろう。というのも助成金とどのように折り合いをつけるかという問題が横たわっているからである。

☆助成金を獲得しながらも、文科省の教育行政の支配に屈しないという私学の魂をどう堅持するかということなのである。この交渉において、いかに私学の協会関係者が手腕を発揮しているかを目の当たりにすると、私学力のエネルギーが実に元気がよいこととこのエネルギーを押さえつける文科省の教育行政側の方法論がいかにエグイかもわかってくる。

☆いずれにしても、この交渉力は実にマキャベリズムで、私学人はいかにプラグマテイストでなければやっていけないかと実感したのである。

|

世界を変える学校[24]白梅学園清修の2ndステージ①

☆白梅学園清修の2ndステージがいよいよ始まります。しばらく副校長の柴田先生のブログが書き込まれていないなぁと思っていたら、なんと来年1期生が高1になったときに実施するEUプログラムのための欧州視察に行っていたのですね。

Photo ☆清修の6年間のプラン(図はNetty Landから)を見ると、中学時代は≪序≫で、高1が≪破≫、高2・高3が≪急≫という成長ステージになっています。EUプログラムはそのトリガーになる大事なプログラムなのでしょう。≪破≫という2ndステージを形成する仕掛けに相当するのでしょう。

☆それにしても「欧州視察ウイーン編①」から始まる柴田先生のブログは画期的な内容です。というのは、日本の中等教育における海外教育プログラムは、そのほとんどが英語圏の英米・オセアニアエリアかアジアです。ヨーロッパの大陸圏のプログラムは希少価値があるのです。おそらく今後の新しい海外教育プログラムの先駆けになるでしょう。

Eu ☆今までにないプログラムというのは、ヨーロッパと言うより、EUとUNを結ぶプログラムであるという点がポイントです。もう一つは、≪私学の系譜≫の原点である明治維新のときにヨーロッパの文化に大きな影響を与えた日本の文化を発見しに行くという点ですね。

☆明治政府は欧米化のために私立学校が大事にしていた日本の文化の先見性を捨てたのですが、その遺伝子が実はEUに存在しているのです。私は、明治政府の近代化を、「官僚近代化路線」と呼び、これに対し私立学校の目指していた近代化を「もう一つの近代化路線」と呼んでいます。

☆「官僚近代化路線」はその出発点から「優勝劣敗」という格差を生むシステムを目指していました。これは大量生産・大量消費・大量移動という20世紀型生産社会を生み出し、その結果、現在の混乱混迷を生み出しているのは周知の事実ですね。日本においては、少子化・化石燃料の高騰・環境破壊をもたらしています。

☆これに対し私学の「もう一つの近代化路線」は質の生産・質の消費・質のコミュニケーションを主張し・教育で実践してきました。白梅学園清修は、まさにその原点に立ち戻りつつ、「官僚近代化路線」の生みだした問題を乗り越えていく知を清修の生徒が身につけられる環境を創ろうというのでしょう。しばらくの間、清修のEUプログラムの意義についてつれづれなるままに思い巡らしてみたいと思います。

*写真は、ストラスブールのEU議会。国際教育研究家の岡部憲治さんとEU視察に行った時のもので、ナビゲータのサチコさんと。サチコさんはアルザスの芸術家や思想家とのネットワークをつなぐキーパーソンです。ご主人は国際的に有名な聖書学者アルベール・アリさん。お二人は青春時代から、平和のための精神的闘士として活躍しています。今回のアルザスでの柴田先生のナビゲータもサチコさんだったと聞き及んでいます。

|

世界を変える学校[23]八雲学園④

Photo世界を変える学校[14] 八雲学園③のつづきです。八雲学園のクオリティ・スコア(教育の質)はたいへん高いのですが、その理由の一つは、八雲学園の教師のコミュニケーションの質が高いということです。クオリティ・スコアを算出する12の項目の中に、「教師の創造的コミュニケーション能力」というクオリティ・コミュニケーション度を示す指標があります。

☆教師と生徒との間で行われているコミュニケーションは、外から見ているだけではよくわかりません。教師が、きめ細かく生徒に話しかけていても、一方通行的に話していたり、一見双方向的に話していても、好奇心やワクワク感が生まれてこないような事務的なコミュニケーションで終わっていたりしている場合があります。

☆雰囲気の悪いコミュニケーションは、すぐにわかります。教師の言動が上からモノを言うような言い方だったり、暴言だったり、品性のない言葉を放っていたりと抑圧的なコミュニケーション(OC)は誰でもわかります。それなのに平気でそのような言動をしている教師がたくさんいるような学校は雰囲気は悪いし、論外ですね。

☆しかし、抑圧的でないけれど、どこかおかしいというコミュニケーションもあります。この分析はなかなか難しいのですが、次の3つのタイプのコミュニケーションがバランスよく行われているかどうかチェックすると比較的見えてきます。

①創造型コミュニケーション(CC)

②双方向型コミュニケーション(IC)

③寛容型コミュニケーション(TC)

☆どんなによい考え方でも議論ができないような雰囲気では困ります。まずはICがなければなりませんが、そのためには相手の考え方や感じ方を受容し、尊重する寛容さ(TC)を示すことも重要です。

☆そして議論は、新たな考えを生みだす創造的な対話に発展しなければ(CC)、楽しくないでしょう。

☆では、以上のような4つのコミュニケーションタイプをどうやって分析するのか?それは学校説明会に参加して、4つのタイプを、それぞれ5段階で評価してみればよいのです。どのタイプが高ければよいのかということではなく、バランスのよさが大事ですね。ただし、低いスコアでバランスが良い場合は考えものです。それはコミュニケーションのパワーが弱いことを示すからです。どれも2以下だと、教育に対するエネルギーや人間力が低いことを示唆している場合が多いでしょう。

☆今まで多くの生徒や大人のクオリティ・コミュニケーション度をこのCITOで分析してきましたが、理想的には、CC、IC、TCのスコアは3以上、OCは3未満というのが雰囲気のよいコミュニケーションを形成しています。OCが限りなく0に近いというのは、それはそれでアナーキーになり危険です。

Cito ☆さて、八雲学園の話に戻りましょう。同学園の学校説明会に行くと、オープンで、創意工夫が凝らされていて、程よいルールが染みわたっていて、おもてなしの構えが、とても良い雰囲気を作っています。これだけで、クオリティ・コミュニケーション度は高いわけですが、国語の先生方が一丸となって生徒たちの文章を編集している「まつぼっくり」に投稿されている10人の先生方のエッセイを語彙分析することで、もっとはっきりコミュニケーションのクオリティが顕れてきます。結果をグラフに表してみました。

☆子どもたちの考え方や世界観が豊かになっていくには、オープン・マインド(IC)で疑問をぶつけられる(TC)コミュニケーション環境が重要ですが、さらにポイントになるのは、好奇心が触発されるコミュニケーション(CC)であるかということです。もちろん倫理的ルール(OC)は守らねばなりません。こうした観点からグラフを見ると、八雲学園のことば力を育成する先生方のクオリティ・コミュニケーションは大変良好であるということになります。さすがですね。

|

不安を生みだす抑圧系[11]日本の平和指標の意味するコト

☆ 【「世界平和インデックス」、最下位はイラク、日本は5位 AFP BBNews(2007年05月30日 22:41 発信地:ロンドン/英国)】によると、

08gpi 経済誌『エコノミスト(Economist)』関連のグループや平和学・紛争研究の専門家らなどが、世界の平和と持続性について共同の指標づくりに取り組んだ研究、「グローバル・ピース・インデックス(Global Peace Index、世界平和指標)」が30日、発表された。日本は平和度別ランキングで世界5位だった。同インデックスは、世界121か国を暴力や組織犯罪、軍事支出などの要因ごとに順位付けしたもの。世界で最も平和な国として挙げられたのはノルウェーで、日本も上位に挙がった。逆に最も平和でない国はイラクで、下位にはロシアやイスラエルが連なった。

08gpi_2 ☆このGPIのレポートはホームページで読めるので、ぜひご覧ください。すべてのランキングのページについては、念のため切り抜いて貼っておきます。さてさて、日本は5位ですが、本来憲法9条で戦争を放棄しているわけですから、もっと上位かと思いましたが、そうはいかないところが、このシンクタンクVision of Humanityは、なかなかではないですか。

☆日本という国を取り巻く中国や韓国の平和指標のスコアは低いし、それよりも、日本をパートナーとしている米国が低すぎですね。その影響をまず受けていると判断されています。

☆また、国内政治の不安定さも考慮されています。それにしても自衛隊が高い評価を得たうえでの平和指標のスコアは、なんとも複雑・・・。

☆いずれにしても、平和国家の顔をしていますが、周りめぐってはそうではないことが国際社会はわかっているんですね。しかし、EUも米国も、なんだかんだと言って、軍事力の部分では文句が言えないわけです。EUがエコロジー国際政治をやろうと、北欧が男女の差別がない政策をとろうと、遠くで化石燃料を収奪し、自分たちは重労働はせずに資金集約して経済を回していることは明らかにしたくないからです。

☆米国の軍事力を支える資金集約が、平和国家日本から吸い上げていることも明らかにしたくはないのですね。日本の国内社会の抑圧構造は、先進諸国の国際社会構成によって、構築されているわけですね。

☆今度は武力によってではなく、言葉力と知性と見識によって、世界のエリートと議論し、交渉できる人材を輩出したいものです。それには東大を頂点とするドメスティックな階層の枠内で優勝劣敗型競争をしていたのでは、本当の問題が見えなくなります。

|

不安を生みだす抑圧系[10]世界経済減速続く?

☆日経(2008年6月3日)で、OECDのアンヘル・ケリア事務総長のインタビュー記事が載っていました。事務総長は、世界経済について「減速は当初の見通しより長く、深くなる」との見通しを示したようです。また、「規制改革、貿易自由化などで世界経済の基礎体力を強くする好機」だとも語ったようです。

☆次の世界経済システムづくりのために各国が強化されるチャンスということでしょうが、これは大量生産、大量消費、大量移動の経済をBRICsが担い、欧米先進諸国はソフトの部分を担うという国際的な産業役割分担を徹底し、インフレを吸収するシステムづくりということを意味するのではないですよね。

☆炭素課税や排出量取引は、そのための国際ルールになってしまうということはないでしょうね。化石燃料の値上げ→インフレ→商品やソフトの高騰継続→産油国が結局高い商品を購入というサイクルができるのに長い時間がかかるよということでしょうか。

☆この動きに警鐘を鳴らせるようなリーダーの輩出を、明治維新以来、私立学校はミッションとしてきたし、今後も期待したいところです。アダム・スミス・ルネサンスも、道徳感情論路線回帰という話になって欲しいものです。

|

不安を生みだす抑圧系[09]経営環境の悪化?

☆日経新聞(2008年5月10日)の「働くニホン」取材班の記事では、実に興味深いデータが掲載されています。

「労働人口の減少、景気減速や資源高による経営環境の悪化――。二つの難題に直面する日本。

☆少子高齢化や化石燃料の問題を難題ととらえています。ここに抑圧が隠されていますね。大量生産、大量消費、大量移動のシステム維持のために、資源奪取、労働集約をしてきたわけですが、これが崩れる、なんとかしたいという抑圧感が、人材の不安を煽ります。

☆だから、新入社員の自己評価は、一方で「安定志向が強い」となり、片方で「組織とつながっていたい」とは思わない方に針がふれているのです。

☆安定したい、でも鬱屈感のある組織にはいたたくないよというアンビバレンツな心理状態になるわけです。大量生産、大量消費、大量移動、資源奪取、労働集約というシステムは、勝ち組負け組という優勝劣敗という格差を生みだします。

☆しかも実に辛いのは、たとえば、ニューヨークのアナリストの次のような評価です。「日本の為替相場について、為替の変動は、日本国内の市場に理由はなく、アメリカの雇用市場に左右されている」と。

☆アメリカの大量生産、大量消費、大量移動は、資源蕩尽、資金集約によるのだが、それができるのは、日本の経済社会から資金を吸い上げられるからであるということを言っているのです。

☆日本の人材は、このような経済システムに従属せざるを得ない状況下にあるんですね。この中で勝ち組になれば、抑圧システムの中で少しは楽な有利な地位につけるかもしれないし、このラットレースの中から抜けだすことができるかもしれないのですが、負け組は、このラットレースの中で走り続けなければならないのです。バタリと倒れるまで・・・。

☆このラットレースというシステム機械から抜けられる新しいシステムづくりはいかにして可能なのでしょうか。少子化、化石燃料の弊害と高騰は、難題ではなく、この新しいシステムづくりの重要なトリガーなのではないでしょうか。

|

私学の経済ポジショニング[02]端緒を探る②

☆私学の経済ポジショニングとは一体何を言いたいのか?と言われるかもしれない。それはシンプルで、私学の教育や授業が、今後の経済社会に大きな影響を与える位置を占めるということを意味している。

☆私学の系譜をたどれば、そこに経済社会の未来は見える。逆説的だが歴史を学べば、過去に未来が見えるのである。明治維新の後、たくさんの近代化路線の選択肢があった。そのうち明治政府が選んだ路線は、優勝劣敗路線。格差問題が今騒がれているが、20世紀近代日本の出発時点で、すでにセットされていたのである。

☆この政府の近代教育路線の格差の象徴的な側面の1つが、女子教育である。東京女子学園の理事長・校長であり、東京都私立中学高等学校協会副会長の實吉幹夫先生は、明治の中等教育について、こう語る。

「明治維新の後、近代国家への脱皮を急いだ明治政府は、欧化政策のもと社会基盤の整備を図る一方、教育制度を充実させていった。その一つに『高等女学校令』があったが、中等教育以上の学校制度は、男子の教育を中心としたものであった。日本社会の近代化に伴い、女性の活躍の場が徐々に広がり、女子教育の重要性を痛感した先覚者たちが、戦前まで多くの私立高等女学校を開学していった。」(「『女子校』の存在意義」元気な女子校 創刊号 所収)

☆明治の近代化の出発点で、もっとも顕著な優勝劣敗は、男女の格差であった。この格差は、戦後の共学校の出現、また最近の男女共同参画の動きで解消されたかのごとくであるが、実際には女性の組織におけるリーダー的役割の進出がまだまだ阻まれているところからもわかるように、解消などされていないのである。

☆女性の地位向上がどうのこうのというより、男女の格差という問題を根本的に解消する価値観がそもそも明治以来希薄だったのだということこそ重要な問題意識であり、そのことを忘却せず、男女の格差にとどまらず、この格差問題が生みだしてきた大量生産、大量消費、大量移動による人間環境破壊をどのように解決していくかが、實吉先生の語られる「女子校の存在意義」なのだと思う。

☆私学は、明治維新からすでに、政府の優勝劣敗近代路線とは違う、もう一つの近代路線を選択し、それを教育理念に内包し、私学の文化資本再生産を持続可能なものとしてきた。この私学の文化資本こそ、日本社会の経済システムを組み立て直す源泉となり得るのである。

|

不安を生みだす抑圧系[08]2008年大学入試 私大定員充足率

☆「2007年度私立大学・短期大学等入学志願動向」(日本私立学校振興・共済事業団 私学経営相談センター編)によると、2007年度の入学定員充足率は108.98%で前年度の107.27%を上回りました。

☆しかしながら、定員の規模別に見ていくと、800人以上の規模の大きい大学がその率を上げているのが現状で、大学全入時代だからといって、少子化の影響を免れるわけにはいかないようです。

07 ☆充足率が100%満たない私大は、39.5%で、前年度よりその割合は減ったものの、勝組と負組の格差は明確になっています。

☆量の競争は終わりを告げたということを意味していますが、質の競争に移行しきれないために、この少子化現象は、学力低下の懸念の声ばかりが聞こえてきます。

Palmの生みの親、ジェフ・ホーキンスは、シリコンバレーで大成功を収めた起業家の1人だと言われていますが、氏は、モバイルコンピューティングの製品開発のために、脳科学、宇宙工学、認知科学など開発に必要と思われるあらゆる分野の本を横断的に読破し、研究しています。

☆学力低下はここでは問題ではないでしょう。必要が研究や学びを生むのです。定員充足に満たない大学は、ジェフ・ホーキンスのような人材をイメージして、生徒獲得戦略を立案実施すればよいのではないでしょうか。起業しながら研究していける環境をセットするということです。

☆そうすれば、学費が払えない家庭の子弟も問題はありません。大量生産・大量消費を前提とする経済社会を支える学力や学歴なんかなくても、質の生産・質の消費を生みだす才能と技術があれば、学力はあとからついてきます。初めに学力ありきという社会は崩れているのですから。

|

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »