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学習支援学@考[03]

学習支援学@考[02]のつづき。「≪官学の系譜≫に対して違うシステムを≪私学の系譜≫としてみよう。両者の系譜の違いは何だろうか?」についてだが、大学進学実績や偏差値という指標にこだわらないようにしたいという表現は、おそらく両系譜で使われている。

☆しかし、その表現の文脈が違うのである。≪官学の系譜≫である大学進学実績にこだわるな偏差値偏重反対という文脈は、東大を頂点とする知の鎖国化の中で、教育や職業の自由と平等があるのだから、どんな進路を選択しても差別化してはいけないという主張。

☆残念ながらこの鎖国ないの役割分担はピラミッド型の序列がついているというのが現実。この現実直視を回避するかのごとく大学進学実績や偏差値偏重反対と言っている。たしかに、今となっては、これらはこの鎖国化状態を強化する武器になっている。しかし、いずれにしても優勝劣敗システム自体は変わらず、この抑圧の中で排除された人間を救えないのが現状だろう。

☆枠の中で精神の病に侵されるか、鎖国から離脱するか・・・。どちらも死の病と犯罪への可能性がある。実際今日頻繁に起こっている。心理カウンセラーの辛いところは、この知の鎖国の中で枠組みの見直しができないままカウンセリングを行うのだから、クライアントにとっては対処療法に過ぎないし、そのような行為は、枠組み強化につながってしまう。

☆これに対し、≪私学の系譜≫で、大学進学実績や偏差値にこだわるなと言ったとき、東大を頂点とする知のシステムもone of themに過ぎないという広い視野に立った文脈で言ってるのである。だから東大知のシステムから自ら離脱することはストレスではない。生きにくいことは生きにくい。世界のどこに東大知とは異なるシステムがあるのかというと、科学の時代にそれはなかなかない。ただ、選択の自由があるシステムは海外にはたくさんある。

☆大きな物語や根本的な価値づくりは喪失しているということは、選択の自由の機能不全が起こっているという文脈をつなぐ必要がある。規制緩和の問題は、ルールの改革はもちろんだが、選択判断ができるようにするという考え方を前面に出すよということなのだ。しかし、そこは民主主義日本においては当たり前ということにして、小手先のルールの改変に終始する。これは基準をチェックしないよということでもある。だから、教師や会社をマネジメントするお役所の基準がぶれ、不祥事が噴出する。

☆これが≪官学の系譜≫のリスクだ。そのリスク回避のために官的発想は何をするか、「管理の不足」だったのだから、そこを充足すればよいとルールで縫合するだけだ。

☆大きな物語や根本的価値づくりが喪失しているのは≪官学の系譜≫のお話で、≪私学の系譜≫はむしろ大きな物語や根本的価値の見直しを毎日のようにやっている。だからといって、何も事件が起きないのかというと、そんなことはない。ただ、その問題は、私的発想では、「価値の喪失」という考え方に立つ。「価値」とはコミュニケーションの基準である。ディスコミュニケーションは「価値の喪失」から生まれる。だから「根本的価値」にこだわる。大学進学進学実績や偏差値が仮に低かったとしよう。それは「価値の喪失」とは何らかかわりのないことである。

☆学力低下は、「管理の不足」なのか「価値の喪失」なのか。≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫のどちらの立地に住まうかによって、見え方が違うのである。

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