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世界を変える学校[41]武蔵野女子学院はどこに向かうのか

☆武蔵野女子学院校長小林五郎先生が、就任したのは今年の春です。小林校長は、内部からではなく外部から任に就いています。昨年までは、田中教照学院長が、校長を兼務していたのですから、外から見ているだけでは、この人事異動は、小さな変更ですが、組織の中では大きな改革の動きとしてとらえられているでしょう。

☆というのも、田中校長時代は、7年間続いたのに、その間に次の校長が育たなかった、あるいは内部から校長を選択することができなかったという憶測が成立するからです。いったいなぜ。

☆生徒募集の側面から見えれば、田中校長時代に右肩上がりになっていることは確かです。校長が戦略判断をしたのでしょうが、企画や実行はボトムアップのはずです。この段階で十分に次代の校長になる人財が育っているはずなのです。しかし、なぜ。

☆おそらくそのような人財はたくさんいることでしょう。しかし、田中学院長は、流れを大きく変えたかったのでしょう。戦略型リーダーはたくさんいても、改革者型リーダーはいないのかもしれません。ですからいったん流れを大きく変えてから、その路線を戦略型リーダーにゆだねようというという戦略が田中学院長の胸中にあるのかもしれませんね。

☆小林五郎校長は、相当の改革者です。前任校のときもそうですが、世界のリソースを結びつけるのも、文科省のリソースを結びつけるのも得意ですね。大胆かつ細心の気配りができるリーダーです。戦略型リーダーと改革者型リーダーの大きな違いは、組織の持続可能性を重視するか、組織の枠組みそれ自体を大きく変えるかという点が最大の差異でしょう。

☆それゆえ、改革者型リーダーは足を引っ張られやすく、孤独です。またその偉業も葬られがちです。偉業の実りは戦略型リーダーが自分のものとするというのが歴史の流れです。しかし、学祖高楠順次郎の精神の師である親鸞の大きな思想は、両方を包み込みます。そのどちらも自分のために行動しているのではなく、武蔵野女子学院という組織作りのために自分の判断をしているからです。

☆田中学院長はそのことをよくわかっていて、今どのタイプのリーダーが最適なのかを計算されたのでしょう。小林五郎校長もまたそのことを十分了解して、自分の価値ではなく、その世界への縁を優先しているのだと思います。

☆今の武蔵野女子学院の生徒像は、明るくて素直な女性ですね。科学の分野でも、企業社会においても、まずは謙虚であることが、チームワークや新しい発見をするときに重要です。しかし、国理解教育室室長の阿部先生は、「さらにどんな環境でも世界でも生き抜く女性であってほしい、そのための国際理解教育です」と語られます。

☆やはり武蔵野女子学院は次のステップに飛躍するときを迎えているようです。ここ数年の広報活動は、おそらく理念を全面的に出すことはきなかったと思います。価値相対主義で絶対的価値などいらないという塾の情報部隊が、中学受験の番を張っていましたから、やりにくかったでしょう。しかし、塾業界も大きな変化をしています。価値を大事にしない教育産業、つまりそのような事業観では、受難の時代の子どもたちをサポートできないという認識になってきたわけです。

Photo ☆武蔵野女子学院にとって、これは大きな機会です。なぜかパンフレットの中の沿革では、1994年の創立70周年の記載がありませんが、それを機に出版された本「高楠順次郎の教育理念」にはこうあります。

「周知のごとく学校教育が今、きびしく問われている。教育の名のもとに、有用性のみを追求する人間の単純再製産が行われ、教育のもとにいのちの分断化がなされている今日の状況を考えるとき、高楠がめざした教育理想はまさに、この人間回復にあったのではないかと思われる。    

 真に理想と実践を共有することは難しい。高楠の理想は未だ五合目というべきだろうか。しかし、高楠が示した仏教に基づく理想と平等愛に根ざした健全な意識こそ、この問題の解決と、真に人間が共に育まれる仏教教育機関の創造、育成が願われている。

 あらためて、学祖高楠順次郎の教育理想について、深い思いを運ぶことこそ、学院創立70周年を迎える、我ら学院人の責務ではないか。そのいとなみが、武蔵野女子学院の未来を開き、創立百周年へ向かっての確かな歩みとなるはずである。」

☆田中学院長が期待する小林五郎校長のリーダーシップは、学祖高楠順次郎の教育理想について、深く思いを運び、人間回復の拠点としての武蔵野女子学院づくりに一気呵成に挑むことなのだと思います。

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