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世界開きの学び[02]

世界開きの学び[01]のつづき。存在の響きを感じる瞬間。世界開きの音が聞こえる時である。もう一度、照屋勇賢氏の作品「Dawn」をご覧いただきたい、次のページをクリックして。

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☆キュレーターの渡辺真也氏は、アーティストの作品に埋め込まれた問いかけを開き、その瞬間に、有機的美しさと人工的な有用性/暴力性の近代のアイロニーを見いだしている。そしてアーティストがそのぜい弱な均衡性を表出し、見る側に、日常の背後にあるこの不安を感じるメタファーを構成し直す、アクティブな世界開きを促していることを示唆している。

Teruya ☆アートとは常に世界開きだし、その表れい出る世界は、常に根源的な存在とそのぜい弱さだと改めて感じた。わたしは、照屋勇賢氏の2つのDawnから、写真のような座標系のイメージを思い浮かべた。

☆日常において、私たちは、常にオオゴマダラの蝶のメタファーを忘却している。技術/道具と技術/道具の狭隘な世界で果てしない格差ゲームで疲れている。しかし、道具と自然はつながっているのである。と同時に、そこにも根源的な不安がある。道具なき自然。そこで人間は生きていけるのだろうか。

☆道具や技術が、忘れているものは、人間が自然とつながっていることよりも、むしろ人間存在を脅かす自然の存在への畏敬であるのかもしれない。そういえば、異常気象と言われているゲリラ豪雨とその雷鳴に、毎夜そんなことを感じている人がいるのではないだろうか。夜明けはいつくるのかと。

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