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私学の経済ポジショニング[17]OECD専門家セミナーと白梅学園清修③

私学の経済ポジショニング[16]OECD専門家セミナーと白梅学園清修②のつづき。形成的アセスメントという言葉は40年も前から使われているから、なんで今さらと思う方もいるかもしれない。しかし、これは人間なんて言葉も古くからあるから、なんで今さらと思うのと同じ発想だ。なるほど人間の存在の故郷は失われているのだな。こうした事態を動物化するポストモダンと称した東浩紀氏はなかなかの慧眼の持ち主だ。

☆さて、それはともかく、ジャネット・ルーニー氏の形成的アセスメントの6つの要素と白梅学園清修の教育実践を重ね合わせる話に戻ろう。まずは「1)相互作用を促進する教室文化の確立とアセスメントツールの使用」という第一の要素。ルーニー氏は、この要素をさらに3つのサブテーマに分けている。

①生徒が教室で安心して自信を持てると感じるように手助けすること。

②生徒の個性や文化の違いを認めること。

③単に活動を計画するというより、むしろ生徒の「学習」の計画を立てること。

*参考文献 →J.ルーニー編著『形成的アセスメントと学力-人格形成のための対話型学習をめざして』明石書店、2008)

☆①は、生徒が安心できる教育空間、コミュニケーションがあることということである。人間というのは、呼吸をし、食べ物を摂取し排泄し、情報を五感で受信し、脳神経で統合、イメージし発信するというオープン・エンド(開放系)な生態系的な存在である。この生態系を豊かにかつ持続可能にしないと、身体の病から心の病にまでいたる。

☆それにはまず教育空間が、生徒一人ひとり違う心身の成長状態に対応できるデザインに仕上がっていなければならない。考えるスペース、議論するスペース、遊びのスペース、孤独に自分を見つめるスペース、コラボし合うスペース、食育スペース、制作するスペース、身体のコンディションを整えるスペース、心のコンディションを調整するスペース、時間の変容スペースなどの空間の制度設計がきちんとされていることが、すなわち安心と自信を「手助けすること」になる。相互作用とは、人間同士の相互作用を意味すると同時に、人間心身と環境の生態系が統合されるオープン・エンドな関係作用も意味する。

☆フランク・ロイド・ライトの建築コンセプトは、今でも学ぶに値するというのはそういう意味である。特にライトは日本的な発想も取り入れている。重要なのは庭園発想である。公立学校の建築には、この庭園発想がない。明治政府は、庭園発想のルーツである大名庭園をズタズタにしたから当然。コストも膨大にかかるし・・・。

☆ともかく、白梅学園清修の学校建築には、これらすべてのスペースが巧まれているのである。特に何気ない庭園の存在。教室はすでに正門から庭園に入ったときから始まる。そこは、教師と生徒のコミュニケーションのアルファでありオメガである。一日の生徒一人ひとりの状況がそこで把握される。庭園発想とは、おもてなしである。おもてなしとは、亭主の見識がポイント。亭主の趣味を押し付けるのではなく、客人の心にそったやりとりができるサービスが本位である。顧客満足は、この庭園あるいはそれを圧縮した茶の湯のおもてなしの心のほんの一部にすぎない。

☆庭園や茶の湯は道であり、倫理であり、宗教的センスである。だから公立学校が庭園発想を発動できない理由がここにある。憲法で、教育基本法で規制されているのだから。私立学校の庭園発想は、道であるが、公立学校がもしそれを実行するとなると形式的なマナーで終わらざるを得ない。日本の教育改革のジレンマはここにある。本格的な道を追究するには、学校外のリソースを使う以外にないのである。

☆こうして見ていくと、教育空間もまた形成的アセスメントツールである。白梅学園清修学園の校舎建築の発想自体、すでに形成的なのである。ライトの建築発想は、タオ(道)にあるし、ハイデッガーの建築論にも通じる。建築は屋根や壁をつくることが主なのではなく、住まう虚空間、つまり道の空間をつくることなのだとライトの建築学校タリヤセン・ウェストには刻印されている。この内容は、実は岡倉天心の「茶の本」にも記述されている。なかなか深い話なのだ。ライトはこの思想をフェノロサ経由で学んでいるはずだから、岡倉天心つながりはうなづける・・・。ともあれ、白梅学園清修の校舎には、こういう教養が埋め込まれている。校舎自体リベラルアーツであると言うこともできるだろう。

☆ところが公立学校の建築空間には、そこまでのアイデアは埋め込まれない。だいたい岡倉天心は官学から追いやられているし・・・。要するに、埋め込んだらダメなのである。結局公立学校の建築空間はサマティブ・アセスメント(いわゆる5段階評価を思い出せばよい)ツールなのである。

☆日本の教育すべてに形成的アセスメントを適用しようとすると、憲法と教育基本法を改正しなければならない。校舎も建てかえなければならない。しかし、それにはあまりに時間とコストがかかりすぎる。日本の教育改革が、世界の動きについていけない根本的理由がここにある。解決するには民間の教育機関をきちんと育成する必要がある。サマティブアセスメントで十分な受験勉強を促進する塾・予備校では不十分である。道とリベラルアーツに対する構えのある民間教育機関が必要なのである。そのロールモデルは、白梅学園清修のような私立学校ということにならざるを得ない。

☆公立学校の法制度的な限界を論議しない限り、すべてを教師の責任に転嫁して終わる教育行政の悪癖は是正されまい。公立学校勤務の教師も、サイード的に言うならば、オリエンタリズムに自身を追い込まないことである。

☆あっちこっち飛んで、サブテーマの①について半分も語れなかったことお許しを。今回の形成的アセスメントというテーマは、やはり相当大きな問題が横たわっているようである。

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