私学の経済ポジショニング[21]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑦
☆私学の経済ポジショニング[20]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑥のつづき。ジャネット・ルーニー氏が語った形成的アセスメントの6つの要素のうちの「1)相互作用を促進する教室文化の確立とアセスメントツールの使用」の話に戻ろう。2つ目のサブテーマ「②生徒の個性や文化の違いを認めること」について。
☆これは、言うは易く行うは難しという側面だ。日本の教育は、生徒の個性を大いに認めていると言われるかもしれない。しかし、現実は違うと謙虚に受けとめたほうがよい。個性を認めていたなら、40人学級の運営は、もしかしたらできないのではないだろうか。
☆その点においても白梅学園清修は、少人数クラス編成である。しかし何より、どうやって個性や背景にある文化資本を知ることができるのだろうか。
☆だいたい個性とは何だろうか。個性の違いは、共通の基準に照らし合わせて知ることができる。ルーニー氏のいうクライテリアというものがあるかどうかが肝要ということ。白梅学園清修の場合、それはまだ成文化されていない。もしかしたらイギリスの法概念と同様、不文法でよいのかもしれない。慣習や判例の集積とその共通解釈を、教職員、生徒、保護者が作っていく。その対話や議論の過程を大事にしているのかもしれないし、それが伝統となり白梅学園清修の文化資本となる。
☆だから、毎朝正門から玄関まで、教師が立ち、生徒を迎える。それは形式的な挨拶をすることが目的ではない。その日の生徒との呼吸のリズムと心理的距離感を体感しているのであろう。リズムや距離感は生徒一人ひとり日々違う。まったく同じなのも問題があるかもしれないし、逆に日々違うことが躍動感を示していたりする。マニュアル化できない重要なシーンである。
☆教職員は自分の感覚を他の教職員と対話することで、ズレを認識し軌道修正して、生徒にたち臨む。生徒一人ひとりが腑に落ちる声掛けをする。ルーチン化した声掛けは個性を埋没させる。言葉は常に生き物であるというのが白梅学園清修の心意気だ。クライテリアを日々確認するシステム。これが個性や文化資本の違いを映し出す清修の奥義なのではあるまいか。
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