15歳問題[01]問題の周辺①
☆今日、当たり前のように「ゆとり世代」、「ロストジェネレーション(ロスジェネ)」「オタク」「フリーター」「二ート」「不登校」「下流」「格差問題」・・・といったマスコミの時代のキーワードは、学校問題、就職問題、労働問題として取り上げられている。
☆そしてその共通の根っことして、「動物化するポストモダン」「ポスト近代化能力」という時代の枠組みがある。大きな物語や価値観を必要としない世代、自分の興味と関心領域で生活することで満足する世代とする若者論が世を席捲している。
☆そしてその中心的対象は、やはり25歳から35歳の団塊ジュニア世代である。この世代は12歳前後当時からベルリンの崩壊とバブル経済の崩壊の両極端に遭遇し、95年以降のIT革命とIT経済の崩壊に直面している。垂直組織からフラット組織へのシフトとその失敗の間を揺れ動いている。成果主義が求められているかと思えば、すぐさまプロセス重視の仕事が求められる。
☆何を拠り所にしてよいのか、その基準が見当たらない。そこにもってきて「ゆとり教育」。知識だけで生活を送れるタコツボ社会は崩れているから、それはそれでよかったが、問題はどうやって基準を作ればよいのかという教育は提供されなかった。基準なき「自分探し」が始まったのだ。
☆金本位も同時に廃され、変動為替相場に移行している世界経済。価値相対主義の時代がこの世代の日常生活に訪れた。基準はなくてもあたかもシステムによって保障されるかのような共同幻想が生み出された。かりにバブルが崩壊しても、それはシステムのセキュリティー管理やリスク回避のシステムに欠陥があったからという話になる。
☆「自分探し」はもはや基準の正当性も信頼性も妥当性もチェックされない。自分の居場所が見つかればそこが基準になる。オーム真理教のサリン事件をはじめ、様々な青少年の事件が、ロスジェネを取り巻く。
☆こうして、「フリーター」「二ート」「不登校」「下流」「格差問題」「いじめ」・・・といった日常の問題が一挙に噴出している。
☆このような問題は、社会評論家からは若者問題、社会学者からは社会構成の問題、経済学者からは、市場の問題、コンサルタントからは、組織論や人材育成の問題としてさかんに論じられている。
☆宮台真司氏や東浩紀氏のような現代思想家は、サブカル分析を通して、彼らに評論のためのパラダイム準拠を形成している。
☆しかしながら、10年もすればロスジェネと同年齢になる現在15歳以降の高校生から大学生までの分析は十分にされていない。教育畑からは、「学力低下回避」問題という偏った論理が展開され、受験市場の問題としてしか意識されていない。
☆ところが、若者論にしろ就職問題にしろサブカル分析にしろ、そこには必ず学校パラダイムがある。テレビドラマも、そのほとんどが学園ドラマだし、エバンゲリオンやルルーシュのようなアニメにしても学園がベースになっている。メディアの顧客ターゲットが青少年であるからだというのであれば、ますます学校分析は必要なはずである。
☆幼稚園から中学までは、それに加えて家庭問題が加わる。そして家庭問題の分析はある程度意識されている。しかし、15歳という「自分探し」を自ら始める年齢層の学校パラダイムの分析が複眼的に進んでいない。だから、あらゆる青少年の問題は、受験市場の問題1つに帰因するというバカな話になっている。
☆教育評論家は、学歴社会と受験市場をやり玉にあげる論理に終始するだけなのだ。それでは、15歳を取り巻く環境を本当に理解することはできない。「15歳問題」を突破できない限り、未来の人材は育たないし、なぜ「15歳問題」なのかが明らかにならないと、ここにつながる「12歳問題」「9歳の壁」問題も解くことができないのである。
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