15歳問題[03]問題の周辺③
☆15歳問題[02]問題の周辺②のつづき。子どもたちが15歳に到るまでに、三度壁を超えるチャンスがあるのだが、日本の教育システムではうまくいかない。なぜか?
☆幼児期の時に家庭の中で、子どもたちは才能を存分に開花している。しかし言うまでもなく、子どもたち自身が意識しているわけではないから、放っておくと、枯れてしまうケースがほとんである。むかし神童、いま凡人というフレーズはまことのことなのだろう。
☆なぜなのかというと、たいていの家庭では、「のびのび型」の学びの環境を、小学校に入学する時点で、「きっちり型」の学びの環境にシフトしていくからだ。
☆この「きっちり型」は、しかし、学校が同調を要求する「きっちり型」の場合が多い。家庭の強烈な独自の理念に基づいた「きっちり型」や子どもが自らの信念で決めた、つまり選択した「きっちり型」で行くというのは、おそらく少ないだろう。
☆学校の同調圧力によってできたきっちりスタイルを「きっちりO型」としよう。家庭や子どもたちが私事の自己決定として選択したスタイルを「きっちりC型」としよう。
☆同じようにのびのびスタイルも、同調圧力に違和感を感じて追いやられた結果のびのびしている方を結果的に選択せざるを得ないという場合を、「のびのびO型」としよう。自己選択をした場合を「のびのびC型」とする。
☆さて、学習指導要領は、基本的にはレベル3までしか学ぶことができない。中学に入ってレベル4まで学ぶ項目はあるが、それも結局知識の取り出しと解釈領域で、推論するとかメタファーを読み解くという創造性を準備する領域ではレベル3だ。仮にレベル3.5までを15歳までに学ぶとしよう。果たしてここまで現場で学ぶことができているのか。目標が3.5レベルなのだから、現場では、多くの生徒がレベル2から3の間で学ぶことになるのは火を見るより明らかだ。
☆しかも、このレベルの意識を学習指導要領自体が持ちえていないのだから、体験の中で知識に出会い、その知識を覚えて、整理できるようになるレベル2までの学びの状況が今日の教育現場ではないか。だから学力低下問題回避の方略となると、漢字を覚えよう、計算ができるようになろうということで終わってしまう。
☆レベル4~6はマスクがかかったままなのである。座標系の一部しか見えないフィルターで生徒たちの学びの状況がつくられているのである。そしてこの中で「優等生型」の子どもと「周縁生型」の子どもに分類される。「周縁生」とあえて呼んだのは、落ちこぼれの生徒とか不登校生、成績不振の生徒とか一般に呼ばれるが、このネーミングがそもそもレッテル貼りで気に入らないからだ。
☆新しい時代は常に「周縁」から生まれるという意味もこめたいし、中心と周縁のフラット化の時代でもあるので、そう呼ぶことにした。
☆とにかく、図のように第3象限か第4象限かどちらかに分断されてしまうというのが、15歳問題の背景にある大きな問題である。自由と規律の統合ができない事態は、思春期の時代に相当な葛藤を生む。
☆あきらめて優等生型に進むか、周縁生型に進むか。妥協して両者を使い分けするかしかないのがこの状況である。これが東大を頂点とする学歴社会のパラダイムである。だから、公立の進学重点高校やある公立中高一貫校が掲げる全員国公立大学進学を目標とする理念は、まさに第4象限というタコツボの中に押し込めようということを意味する。
☆もちろん、そんな同調圧力をふるっているなどと当局の教員は思ってもいないことだろう。考えるフィルターがもともと第4象限に限られて、その中で教員免許を取得するのだから当然なのである。この第4象限の中で、サバイバルメソッドを創意工夫しているわけだから、自らはクリエイティブだという共同幻想をつくることができる。このような「優勝劣敗」を重視する、いわばタコツボ進化論的な教育の発想の系譜を≪官学の系譜≫と私は呼んでいる。
☆こういう教育システムで、存在の響きを強くできる人間は育たない。聖なる人間存在の準拠を見つけようとする人間は育たない。これが「15歳問題」の1つである。
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