私学の経済ポジショニング[28]聖ドミニコ学園の深層
☆聖ドミニコ学園は幼稚園から高校まであり、中高一貫校という切り取り方で理解することは不可能である。というのも、小学校までは男女共学で、中学からは女子校になるため、小学校で卒業する男子の数だけ中学受験で募集するから、テスト会の偏差値では学校の深層を汲み取ることができない。
☆また、進化論的合理的官僚的近代化路線である欧米普遍主義とは相いれない、解放としての普遍的普遍主義がゆえに、東大を頂点とする学歴社会も度外視しているため、大学進学実績だけでは、やはりその深層は測れない。
☆そんなことで学校経営が成り立つのかというと、それが何とかなっているのが不思議であるが、≪官学の系譜≫より≪私学の系譜≫を望む保護者や教職員が世の中にはいるという一つの証しであるのだと思う。もちろん、保護者も教職員も理屈ではなく心意気なのだと思うし、ドミニコ学園らしい文化資本(ハビトゥス)が雰囲気として学園内に満ちているのだと思う。
☆8月末に教職員全体の研修があったようだが、聞くところによると、全員がなんらかの形で対話や議論をし、改めて建学の精神が一人ひとりの教職員に共有されている、浸透されているということを確認できたという。
☆カトリック校なのではあるが、まずは聖ドミニコの精神に基づいた学園なのだということを確認したのだということである。
☆聖ドミニコ学園は、聖ドミニコ修道院が経営するカトリック学校である。カトリック学校であることに変わりはないだろうに、聖ドミニコの学校だとわざわざ決意表明するのはなぜなのだろう。
☆それは、戦後できた学校であるが、修道会の歴史は700年以上前にさかのぼる。そして聖ドミニコの精神は、暗黒の中世に光をあてたし、近代世界を開く役割を果たし、フランス革命の生まれる土壌をサポートした。ある意味それとは真逆のベクトルだが、宗教改革を生み出す土壌も作っている可能性がある。エポックメーカーというかチェンジ・メーカーの役割を担ってきたわけで、壮大な歴史スペクタクルに位置してきた。
☆コロンブスの息子の友人ラス・カサスは、ヨーロッパ普遍主義としての帝国と論戦したわけだが、彼もまたドミニコ会士になる。というよりドミニコ会修道院が彼の身を進化主義的近代を推し進める権力から救い出すのである。
☆聖ドミニコは、すべての人々が有する「世界性」の本物の普遍性を追求し、雄弁にそれを覚醒させた聖人である。その精神をドミニコ会は継承する。もちろん紆余曲折はあるにしても。
☆アステカやインカの虐殺的植民化の正当化理論にラス・カサスは挑むわけであるが、それから500年の歳月を経た現代のコソボ、アフガン、イラクなどに対し発揮している干渉権の理論的根拠は、ラス・カサスが挑んだときの理論から変わっていないと、イマニュエル・ウォーラースティンは「ヨーロッパ的普遍主義」(明石書店 2008年8月)の中で論じている。今ラス・カサス・ルネサンスなのだ。
☆聖ドミニコ学園のホームページを見ると、なんとラス・カサスについて記述があるではないか。聖ドミニコ学園の深層をいかにして掘り起こすのか。それは学園の教職員・在校生・保護者、そして卒業生の生きざまに期待する以外にない。
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