09年中学入試に向けて[71]豊島岡女子 120周年に向けて伝統的エリート校驀進?
☆私のもう1つのブログ「教育のヒント」のアクセス解析を調べていたら、2005年11月に書き込んだ「豊島岡女子学園の特徴」という記事のアクセスが増えていました。今さらなぜ3年前の記事がと思って調べてみましたが、よくわかりませんでした。
☆ただ、ネット検索をしているうちに、SAPIXの中学校長インタビューで、今年の8月二木校長が語っている記事に遭遇しました。
☆拝読して感じたことは、2005年に書き込んだときの直感はやはりそんなにはずれていないということでした。伝統的モダニズムのエリート校であることに変わりはないなという点は当たっているとますます確信しました。
☆4年後に120周年を迎える前田藩縁の伝統校。さらに国公立・医学部合格実績を伸ばすと決意しているところが、エリート校の面目躍如といったところでしょうか。
☆しかし、それにしても日本主義で、力点を世界に向けられないのが、信長の流れは必ずしも組まないのだなぁと妙に感心しました。信長、秀吉、家康と3人の戦国大名に仕えた前田家らしいハビトゥス(文化資本の再生システム)だなぁと。
☆それゆえ、鴎友学園女子のように女子御三家を乗り越えようという野心はないという御三家にとっては安心・安全な女子校なのでしょう。
☆そこで、2005年に次のように書いた部分は訂正が必要かもしれないと感じました。
「運針」は20世紀日本モダニズムのある意味象徴。人間の持つ精神の不合理な側面を勤労・勤勉・誠実という合理性に転換する明治期の日本近代資本主義を支えた儒教的・プロテスタント的倫理そのもの。
☆「運針」は、モダニズム合理性の矛盾を正当化するのではなく、解消する非合理性のモダニズムのアイロニーの象徴的システムなのだと訂正したいと思います。ここに豊島岡女子も≪私学の系譜≫にゆるやかではありますがつながっている価値があるのだと思うのです。
☆もし≪官学の系譜≫なら、モダニズムの合理性の矛盾は、規則の改善・変更によってリスクヘッジするでしょう。やはり合理性の矛盾には合理性で臨むでしょう。しかし、≪私学の系譜≫はそんな無限後退の戦略はとりません。合理性の矛盾には、非合理性という理念で立ち向かうでしょう。
☆「運針」は、無に形を刻印し、再び無に帰すという合理性が切り取った精神を確認する作業ではないでしょうか。それを毎朝やり続けている徒労ともいうべき非合理性。妖怪や幽霊が見えなくなったと嘆かれる昨今、日本海側でそれを嘆いていた小泉八雲。日本主義の根源は、そこにあるということです。目に見えぬものの価値を見出す力は、「運針」ある限り、豊島岡女子で持続可能だということです。
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