09年中学入試に向けて[78]かえつ有明 3年めの文化祭[04]
☆「09年中学入試に向けて[77]かえつ有明 3年めの文化祭[03] 」のつづきです。中1のサイエンスのプレゼンテーションは様々なプログラムが組まれていましたが、そのうち「HONDAプレゼン」と「サイエンス劇」に参加しました。
☆「HONDAサイエンス」とは、言語(国語・英語・音楽)と科学を統合したかえつ有明独自のプログラム「サイエンス科」の一環として、Hondaの広大な施設を活用して行う体験探求型のプログラムです。
☆「サイエンス劇」は、「サイエンス科」の授業の中で調べた数学者偉人伝を劇に編集し直したものでしょう。
☆この2つのプログラムに象徴される「サイエンス科」のコミュニケーションこそかえつ有明の知のプロットタイプです。たとえば、「HONDAプレゼン」は、<事前→体験探求→フェスタでのプレゼン>と「サイエンス科」では3重の知の循環を行います。
☆知の循環とは、<体験→調査→議論→編集→発表→振返>というサイクルです。これは、別の角度から言えば、知識のメタモルフォーゼですね。この知識の変容の全貌が、かえつ有明の知です。
☆少し難しくなりました。しかし、ここを理解しないとかえつ有明が「サイエンス科」という知にこだわる理由がわかりませんし、この知に同校の不易流行が流れていることが見えません。また、ECOにこだわることも。
☆おそらく教育システムとしてはここを解明し、学内全体にかえつ有明の知をシェアしたいわけです。しかし、知は誤解を招くパラドクスを包含しています。クールですから、最前線ではウケないのですね。
☆最前線は、ホットですから、パッションですから、コミュニケーションベースです。しかし、知識のメタモルフォーゼを完遂するには、コミュニケーションが必要なんです。知識のメタモルフォーゼとか知の循環というシステマチックなプログラムによって、システムとコミュニケーションが結びつかざるを得ないのです。
☆これが言語と科学を統合しようという「サイエンス科」の目論見でしょう。システムなきコミュニケーションは、結局たんなるおしゃべりで終わります(逆に言うと、おしゃべりのないコミュニケーションもまたないのですね。ここから出発することに変わりはないのです)。つまり、自己満足的循環で、自己完結型コミュニケーションで終わる可能性があります。
☆コミュニケーションなきシステムは支配的で、一方通行型コミュニケーションで終わる可能性があります。
☆ですから、システムとコミュニケーションが統合されると、知は自己循環から外部へと循環を広げますね。システムは非対称性の状態から開かれたシステムへと転換し、コミュニケーションを通して知識を変容させることができます。
☆世間的には知識を覚えることは悪いことで、考えることが大事だ、表現することが重要だという通俗的な理解の仕方がウケがよいわけです。しかし、そんな通俗知を信じていると、格差社会でサバイバルできなくなります。むしろ、このような通俗知が格差社会を作っているとさえ言えましょう。
☆知識は、データベース化→ロジカルシンキング→クリエイティブシンキング→パフォーマンス化→→リフレクションシンキング→・・・というメタモルフォーゼのプロセスをらせんのように循環していきます。まさしく「知のエコロジー」がかえつ有明らしさでしょう。こういう表現はブログでしかできませんね。一般誌や受験雑誌でもこういう表現をすればよいのでしょうが、何せ教育業界は、社会学や文化人類学の英知を使おうとしません。通俗知で勝負します。わかりやすさこそ商売の鉄則ですから・・・。
☆それはともかく、HONDAサイエンスに話を戻すと、体験と調査の部分がデータベース化です。子どもたちはアハ体験を通して、疑問が生まれますから、そこから文献を調べたり、フィールドワークしたり、インタビューしたり・・・。ノートには知識のメモが蓄積されます。
☆これをどのように整理するかについては、自律した個人であれば、自問自答できますが、世の中完全に自己完結でできることなどありません。議論をします。この部分はロジカルシンキングですが、実はこの背景には議論というコラボレーションあるいはチームワークという信頼ネットワークが育成されなければならないのです。この共生精神なき議論は、独白大会となり、何も生みません。闘争状態ですね。知のシステム化は一見冷たいのですが、この信頼ネットワークも同時並行で育成していくところに温かみが横たわっていたのです。
☆知識を分類・整理するだけでは、発見がありません。発見がなければイノベーションが起こりません。イノベーションが起こらなければモチベーションは消失しますね。ですから分類整理した知識をいよいよ編集します。編集とは別の言葉で言うとデザインです。ここの部分はクリエイティブシンキングという知識の変容段階です。
☆さてしかし編集した段階だけでは、チーム内完結している可能性があります。発表してパブリックで通用するかどうかチャレンジします。自分たちのアイデアや企画が受け入れられるかどうか市場でテストするわけです。これがパフォーマンスですね。
☆知識のパフォーマンス化は、言語と科学の総合芸術です。身体能力、思考能力、言語能力、美学的センスがフル稼働します。
☆そして終了後は振り返りです。たんなる反省ではありません。PDCAのCAの部分です。ここの部分がリフレクションです。自分たちのアイデアからパフォーマンスまで、聴衆の反応や目線から課題を発見・整理し、改善していくわけです。
☆重要なことは、このリフレクションができるシステムとコミュニケーションの環境づくりということです。システムは社会に置き換えることができます。コミュニケーションは個に置き換えることができます。
☆学校を卒業した時に、このリフレクション機能を使える個人は、この機能を媒質として社会につながることができます。社会と個人は常にコンフリクトと矛盾を生みだしますが、このリフレクション機能が両方にあれば、乗り越えることができます。
☆「サイエンス科」の目標の一つに「~を乗り越える」というテーマがありますが、乗り越えるにはリフレクション機能を媒質としてシステムとコミュニケーションをつなぐ必要があります。こんなことができるメカニズムを持っている学校は、実は意外と少ないかもしれません。
☆たとえば開成の教育システムは生徒と教師の高度な知のコミュニケーションを阻害しないようにシェルターの役割を果たしてはいますが、両者の統合は果たされていません。麻布やJGは、もしかしたら統合がなされている可能性があります。
☆そういう意味でもかえつ有明は未来に開かれている学校です。(つづく)
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