09年中学入試に向けて[88]共立女子グループに潜在する教育の未来 [02]
☆「09年中学入試に向けて[85]共立女子グループに潜在する教育の未来 [01]」のつづき。共立女子グループは、他校に比べて、相対的に教育のパラダイムについての表現が多い。表現は一般に言語によって行われるが、多くの場合その言語は、教育学言語や受験用語が多い。最近では教育心理学の用語も。
☆たとえば、「カリキュラム」「教育課程」「学級」「総合学習」「大学実績」「偏差値」「振り返り」「ピアプレッシャー」「調べ学習」「絶対評価」・・・・・・。要するに「学校用語」。
☆こういう言葉の集合で、表現しなければ、学校の理解はなかなかされないからやむを得ない。しかし、一方で、このような固定化された言葉は、フリーズしている場合がほとんどで、表現はカタクなるし、新鮮さがなくなる。
☆言葉が固定化するとか、フリーズするとかいうのはいかなる状況かというと、一つの言葉には一つの意味がぶらさっがていて、それ以上でも以下でもないとかいう状態。ある人をレッテル貼りしたり、先入観を表明している状態もそうである。
☆だから、そういう状況や環境を受け入れ、よしとし、長い間生活していると、思考停止になりながら、フリーズした言葉を冗長にやりとりしてしまう。その状態でも議論になっているように見えるのだ。すでに固定化した言葉が指す内容や意味に関して、新しいメンバーは使い方を間違える(もしかしたら創造かもしれない)と、訂正される。そのやりとりは、あたかも言葉の辞書的な規準・根拠にのっとってコミュニケーションされるので、議論が行われているように見える。
☆しかし、生活のすべてがそうだと、それは同調圧力という思考停止を押し付けることになる。こういう集団に新しいメンバーが入ったときに、最初は新しいメンバーはヤル気があり、外から見ていても新鮮なのだが、2、3年するとその集団の顔色に染まっている。
☆言語学的に言えば、近代のことばの枠組みとは「意識対象―意識内容―意識作用」となっているらしい。この枠組みで、言葉が固定化するとかフリーズするとかいう状態をなぞってみると、意識対象と意識内容は、本来文脈によって多様であってよいのに、一つの文脈が知識として固定してしまう。多様な文脈によって、意識対象と意識内容の結びつきがいろいろあるときは、意識作用はそれをどのように理解するか、論理的だったり、批判的だったり、創造的になるのだが、固定してしまうと、意識作用はゼロ状態になる。
☆ゼロ状態では、あまりに鬱屈してくる。今の世の中はそうなのかもしれない。お金と言うのは、実はそれがツールではなく目的になったとき、抽象的な存在がゆえに、多様性はなくなる。だから、世の中「お笑い」ブームになる。
☆意識対象と意識内容をズラすのが「お笑い」の基本構造。見ている側は、自分の意識作用を使わずに、ズレを提供してくれる(ここが興行主のビジネスになる)のだから、瞬間は大笑いして、ストレス発散して、また日常のフリーズされた空間で、ストレスをためながら生きていく。飽和状態になってくるとストレス転移の方法として「お笑い」を見る。ときどきこの転移が良からぬ方向にいき、凄惨な事件が起こることがある。
☆「お笑い」と同じような効果は、小説や詩作にもある。夏目漱石の小説がロングセラーなのも、このズレの構造を相当意識した書き方をしているからだろう。詩人谷川俊太郎も同じだ。
☆ただ「お笑い」と違うのは、意識作用をゼロ状態にしておいては、読解ができないことだ。事実を整理するだけでは、理解が広がらない。自分で読みながらファンタジーを作り上げる意識作用力が必要なのである。
☆共立女子グループの話に戻ろう。同グループの教育のおもしろさは、この意識作用のパワーを豊かにそして力強くできることなのだ。ただ、学校説明会では、どうしても学校用語が90%を占めるので、その意識作用のダイナミックさ、つまり教育のパラダイムの他校との差異が見えにくい。
☆それでも、今では多くの学校でも使うから、これも学校用語に回収されてしまっているが、10年前から渡辺教頭が「受験学力以上の学力」だとか、「目先の大学進学実績にこだわる教育はしない」とか、入試広報に関して、他校の先生方の相談にのるとかという言動には、言語のフリーズを氷解するような力がある。まじめと非まじめのズレが、学校説明会で保護者の笑みを誘うのだ。
☆共立女子第二の伊藤久仁子先生もそうだ。フリーズしている言語を使っていると、多感な生徒の感情は暴発する。そのエネルギーを逆手にとって、意識作用を豊かにする授業やカウンセリングを展開しているのだ。
☆共立グループの協働的相克は、1つはこの意識作用を豊かにする方法論の差異である。それからもう1つ大きく違うのは、共立女子第二は「意識対象―意識内容―意識作用」という近代言語モデルをベースにしているのだが、共立女子の場合は、この近代言語モデルを乗り越えようというコンセプトや方法が模索され続けている。
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