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09年中学入試に向けて[89]共立女子グループに潜在する教育の未来 [03]

☆ 09年中学入試に向けて[88]共立女子グループに潜在する教育の未来 [02]のつづき。共立女子第二の伊藤久仁子先生(共立女子大学でも講義をしている)は、「月刊学校教育相談 2008・11月号」で「エモーショナル・リテラシーを育てる日常の授業」という論文を発表している。

感情を理解して、適切に言語で表現する能力「エモーショナル・リテラシー」。同調圧力の中で、「まずは合わせること」さらに「目の粗い言葉でつながり合うこと」で、対人葛藤に対処することを覚えた子どもたちは、その粗い目のままの認識能力で、ものごとをとらえてしまいがちです。しかし、自分でそれに気づくことは、なかなか大変なことではないでしょうか。

☆とエモーショナル・リテラシーを育てる日常の授業の重要性を展開している。

☆このエモーショナル・リテラシーは、ともすれば「意識対象―意識内容―意識作用」という言語の近代モデルでは、忘れ去られがちだった。意識作用はどちらかというと論理的側面ばかり強調されてきたのだ。

☆1990年代に入るまで、脳科学は左脳中心で研究が行われてきて、右脳については90年代以降の脳科学の10年の中で注目されてきたことを思い起こせば、近代モデルでエモーショナル・リテラシーが注目されてこなかったことはわかるような気がする。

☆しかし、89年ベルリンの壁の崩壊は、脳科学とそれに関係する学習理論やコミュニケーション理論の新たな展開にもつながった。個性重視も広がったが、それは意識対象や意識内容という表出されている部分の個性ではなく、意識作用そのものの個性化の広がりだった。

☆論理だけではなく、感情を意識作用に導きいれ、一方ではコンテンポラリーアートやアニメなど芸術的世界の広がりが、言語の中にも入ってきた。しかし、もう片方では感情の暴発が起こった。それは社会現象だけではなく学級にも忍び込んできた。

☆このエネルギーを論理に結びつけ、創造的な才能を伸ばそうという新しい教育を明確に意識している学校は、たとえば海城学園がそうだが、まだまだ少ない。

☆感情は規制や道徳でコントロールするというのが一般的なのではないだろうか。しかし、この垂直的なコントロール手法があっさり横断的にスルーされる社会がやって来ているのは、誰よりも子どもたちが感じていることだ。

☆内輪社会でよしとされてきた学校社会では、そのことに気づいていないで、立派なキャリア教育をやっているケースが多いが、子どもたちが社会に出たとき、想定されている社会とは違う社会が待っている。その社会のシビアな状況は、体験が大事だという教師に限って、よくわかっていない。自分が内輪社会から出たことがない場合が多いからだ。

☆だから宮台真司氏の「14歳からの社会学」(世界文化社)を寛容に受け入れられないのではないだろうか。この書の読書会を生徒とやれる学校はどのくらいあるのだろう。

☆おそらく共立女子グループも読書会はやらないだろうが、理由はネガティブではない。本は生徒が自ら選択して読めばよいし、宮台氏と同じような地平にすでにいるから特別にそんな機会を作る必要もない。

☆しかし、大事なことは同じ地平に立っているということなのだ。生き生きとした感情を選択して豊かな生活を生み出す意識作用をどのように育てるのか、そこを意識して授業できる教師がどれくらいいるかに、未来の教育のヒントがあるはずである。

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