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09年中学入試に向けて[91]白梅学園清修の放課後 教師の意味

☆「09年中学入試に向けて[90]白梅学園清修の放課後 」のつづきです。なぜ白梅学園清修では、教師と生徒がよく対話するのでしょうか。おそらくその解答は、生徒一人ひとりに対応しているために、無限にあるのでしょう。

☆だから、その一つなのでしょうが、戸塚先生と生徒のやりとりの中で重要な意味があることに気づきました。

☆授業中、おそらく白梅学園清修の先生方は、たとえば数学だと解き方は一つではないことや別解について講義されていると思います。他の教科でも、ものの見方や考え方は多角的だという話は当たり前のように語られているでしょう。

☆とにかく教師と生徒は無限の対話の環境にあるわけですから、そこは複眼思考なはずです。今まではそこの部分を見て、私は感心していました。一般に教師と生徒はそんなに対話しないものです。

☆互いに対話しづらい関係にあるわけではないのです。話す内容が貧困だからです。「どうして微分を勉強するのだろう」と生徒は教師に聞きたいわけですが、おそらく「大学入試に出るし、理系に行くんだから当然だろう」なんて回答が返ってくることが予想されてしまうので、聞いても無駄だと思うのでしょう。対話の回数が減る理由にそういうシーンがあるものです。

☆教育学者のデイル・パネルは、こういう学級でのやりとりを、「冷凍庫アプローチ」と呼んでいるそうです。対話がフリーズしているというのですね。サム~イ感じが出ていて、うまい表現ですね。

☆一方、白梅学園清修の先生方の場合は「氷解アプローチ」とでも呼べるでしょうか。互いの理解を拓いていく対話だと思います。戸塚先生に「なぜ微分?」と聞くと、科学的ものの見方から、微分発見のエピソードから、コンテンポラリアートへの影響とか、おもしろい話を引き出せます。生徒は先生からどれくらいおもしろい文脈を引き出せるか、インタビューアーの鍛錬ができるわけです。

☆さてさて、今回、私が気づいたのは、そこではありませんでした。放課後の特別講座では、生徒が主体的に考えるのが中心です。添削もあります。どこがすごいのかというと、戸塚先生の次の言葉です。

「参考書や教科書の解き方はそりゃあ大事だし、ベースにするのは当然だけれど、そこでとどまっては、本当に考えることにならない。というのは、いつものように君たちが別の解答をしたときどうだろう。参考書や教科書と同じ解き方ではないから、もしかしたら間違っているんじゃないかと不安になるときもあるだろう。いやむしろ君たちの方がセンスがあるときがある。自分の解き方でよいのだという判断ができるようになるのがこの講座の意味だよ」

☆ガーン。衝撃でした。戸塚先生の考えることの最終目標は、自分の考え方が正しいかどうか判断できる能力の育成だったからです。問題解決の方法は多様なわけです。それは数学の問題だけではなく、人生の問題においても同じです。常に選択に迫られるわけです。そのときの頼るべきものは、準拠とすべきものは、参考書や教科書ではないということですね。

☆自分なりのでも世の中に通用する準拠や基準を作るには、一方向あるいはせいぜい2つぐらいの考え方が載っている参考書や教科書を読んでいただけでは、身につかないのです。もっと広く深く複眼思考を持っている人たちとの対話が不可欠です。

☆選択判断の基準を作るファシリテーターの役割を果たしているのが、白梅学園清修の教師なわけですね。

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