09年中学入試に向けて[93]共立女子グループに潜在する教育の未来 [了]
☆ 「09年中学入試に向けて[89]共立女子グループに潜在する教育の未来 [03]」のつづき。共立女子第二では、伊藤久仁子先生によって「エモーショナル・リテラシー」のプログラムが開発されていると前回紹介した。
☆「意識対象―意識内容―意識作用」という近代の言語モデルでは、「意識作用」の論理の部分しか注目されてこなかったし、下手をすると「意識作用」はゼロ状態で、「意識対象」と「意識内容」の適切な対応を記憶さえすればよいとみなされてきた。
☆伊藤先生は、そこに一石を投じている。では、共立女子はどうであろうか。
☆特に「エモーショナル・リテラシー」を養うプログラムはないかもしれない。しかし、伊藤先生が、「月刊学校教育相談2008年11月号」の中で、次のように述べていることはすでに実践されている。
モヤモヤと形にならないネガティブな感情にも、ぜひとも「居場所」を与えてほしいもの。文学作品や新聞記事だけでなく、コミックや映画はとてもおもしろい教材になります。感情を的確にとらえて言語化する力を伸ばすことで、内面的成長を期待したいものです。
☆この期待は、端的な「エモーショナル・リテラシー」プログラムによってではないが、すでに実現されている。生徒数が多い中での葛藤解決が、これまた多様な部活やイベントによってなされているという環境がある。
☆また国語科の作文指導は、まさに感情を的確にとらえて言語化する思考のトレーニングの場である。それは毎年編集される文集「ともだち」に掲載されている生徒たちの作文を見れば明白だ。
☆それからもっとも大事なのは、美術のプログラムである。「意識対象―意識内容―意識作用」のモデルが脱構築されているのである。「意識対象」や「意識内容」は「他者とかかわる自己」である。それは目に見えない。見えないものを対象とし、その内容を知り、表現するというのは、「意識作用」そのものの表現なのである。
☆社会科もそうだ。異文化理解をする社会的視点という意識作用は、先入観としての「意識対象―意識内容」を脱構築する。この視点は高校での横断的な知を活用する論文編集で大いに役立つ。
☆数学や理科もそうなのだ。そこではコミュニケーションや対話、つまり問答が重視されている。直感という感情を大切にしなければ対話は生まれない。礼法も同様だ。「道・未知と向き合う自己の型という表現」を養うのである。
☆共立女子の場合は、以上のような文化資本再生メカニズム=ハビトゥスが、「エモーショナル・リテラシー」プログラムの代替をしている。おそらく共立女子と共立女子第二とでは、歴史と地政学上の立地が違うので、その方法論は違うのだろう。
☆ただし、共立女子と共立女子第二のその方法論の違いは、もしかしたら言語論の構成や言語についての考え方が違うというのもあるのかもしれない。共立女子では、おそらく情緒と感情の差異を脳科学上認識している先生がいたり、近代の言語モデルの構成を乗り越えようとしている先生がいたりするからだ。コンテンポラリーアートを愛する傾向はその証の一つである。
☆コミックや映画を批判的に影響を受けているのもコンテンポラリアートの特徴。村上隆氏はその典型。
☆しかし、共立グループとして「感情を的確にとらえて言語化する力を伸ばすことで、内面的成長を期待したいものです」という思いは同じであり、このグループに、近代の言語モデルを乗り越える教育の未来が潜在しているのは確かである。
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