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09年中学入試に向けて[111] 白梅学園清修 教育学会入り ♪

☆先週土曜日(08年11月29日)、清泉女子大で「世界新教育学会(WEF)」が開催された。テーマは「確かな学力と豊かな人間性」で、シンポジストは上越教育大学名誉教授新井郁男氏、国立教育政策研究所統括研究官の立田慶裕氏、そして白梅学園清修柴田哲彦副校長。

☆参加者は、この学会の会員の大学の先生方とお弟子さんたちがほとんどだった。つまり、柴田副校長は、アカデミズムの殿堂入りを果たしたのである。

☆流れとしては今度の学習指導要領や全国学力テスト、OECD/PISAなどで意図されている学力とは何かというものだったと思う。経験主義的教育の反省を経て、言語能力をあらゆる教科の中で養っていく学力観の批判的検討ということになるかも。

☆工業社会で必要とされてきた学力と21世紀の知識基盤社会が求める学力とは違うんだという認識に立って、論じられていたようだ。

☆新井氏は、教育社会学的見地からモダニズムばかりかポストモダニズムである知識基盤社会にも批判的であったはずだが、今回はそこはあまり指摘していなかった。ちと残念。

☆立田氏は知識基盤社会がやってきているんだから、そこで子どもたちがサバイブできる学力をつけなければならないという立場だったように思える。会終了後の短い時間で議論がきちんとできなかったが、まず教育現場でそういう危機的認識がないことをなんとかしなかければという認識の持主のような気がした。また、そこでサバイバルできる学力をつければ、知識基盤社会が生みだす格差を防げるとも。

☆柴田副校長は、20世紀学歴社会にすでに格差はあったし、21世紀の知識基盤社会というのもそれほど幸せを生み出す社会ではないだろう。そこで生き伸びる以上に社会の大きな枠組みを見出し、善き社会を創るリーダーを育成する環境をいかに学校が作れるかが大事であると。そのことについてラグビーをメタファーとしてわかりやすくプレゼン。戦術やスキルとパブリックスクールの伝統である犠牲的精神の統合を日々現場で取り組んでいることを生々しくいつもの口調で話した。

☆例によって奇麗事は一切言わない、歯に衣着せぬトークに学者のみなさんは、ショックの色が隠せないようだった。工業社会であろうと知識基盤社会であろうと、現実は大学進学実績や偏差値で学校選択がされている時代に、適合しながらもプリンシプルを捨てない柴田副校長の迫力に会場は圧倒されていたな。

☆現代というのは、多くの学者は、社会を認識することはできても、変化を導くリーダーにはなり得ないし、官僚は今をどのように生きのびるかが最優先で、プリンシプルは大義名分に過ぎない。社会を善い方向に導こうとするのは、柴田先生のような私学人以外にいないというのを改めて感じ入った。なんてったって、目の前の生徒たちの未来を思い描く構想力とそこへ生徒たちが自分の力で向かう教育をしているのは学校の先生だ。学者でも官僚でもない。

☆学問と行政と教育の違いをはっきり感じた。学問と行政は価値中立なのだ。知識基盤社会が善いかどうかは価値判断しない。だってとめられないからだ。状況認識は正しい。しかし、私立の教育は価値判断をきちんとする。どんな社会であれ生き抜く力と善い社会へ導くリーダーシップを養うのだ。学尊民卑、官尊民卑を捨てる犠牲的精神を大事にして、柴田先生のような私学人と手を組めば、善い社会は訪れるだろうに・・・。

☆ともあれ、柴田先生のラグビー観は、イギリスのケンブリッジやパブリックスクールの精神を体現している。自分と他者の関係を大事にし、いつでも自己犠牲できる信頼の絆をつくっていける社会性が最も大事なのだ。そういうプリンシプルを柴田副校長は心に刻み、日々教育に携わっている。本当にすごいなぁ。

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